俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

ブルース・トーマス自伝 0 Picking up the Threads


さて、コステロの自伝も一段落したので、次は最近見つけたブルース・トーマスの自伝に着手することにしました。
ブルース・トーマスはかつて1990年に「Big Wheel」という本を書いてコステロといざこざがありましたが、それではなく「Rough Notes」という本がありますが、これは奇しくも2015年というコステロの自伝と同じ年に発表されています。
かなーり地味な人なので日本語翻訳版なんてものがあるはずがない。
英語版しかないので、翻訳しつつ、注釈入れていこうと思いますが、私は英語があまり分かりません!DeeplとChatGPT頼みです。
翻訳がおかしいところはもうどうしようもないので、こいつ英語苦手だなと思って読んでもらえれば。

なお、以前、ブルース・トーマスのベースプレイが余りにも日が当たらないのでこんなブログを書きました。

shintaness.hatenablog.com
shintaness.hatenablog.com
shintaness.hatenablog.com

ブルース・トーマスは素晴らしいベースプレイヤーにも関わらず、影が薄い。
ブルース・トーマスのベースプレイは過小評価されすぎているどころか、存在すらあまり知られていない。
レコード・コレクターズの「このベースを聴け」みたいなやつを読んでも一切名前は出てきません。
その割に「は?」みたいな人がたくさん載っていたりして全く納得がいかない。

さらに、コステロのファンの中にも、コステロと仲悪く疎遠になったためにブルースを貶めるようなことを書く人もいますが、ブルースにはブルースの、コステロにはコステロの言い分があるわけで、それを読んで判断すれば良いことです。
(この本を全部読んだあとだと、お互い似た者同士だと思った)

コステロと仲違いしたからと言って、プレイまで貶める必要はないわけで、そもそもコステロでさえ、イザコザはあったのに、自伝ではベースプレイを褒めています。

まあ、まえがきはこのくらいにして、「Rough Notes」のまえがきへ。

INTRO Picking up the Threads

「では、その時あなたはどこにいたのですか?」

私の世代の人たちは、よくこの質問をされる。私の場合、自分がどこにいたのかはっきりと分かっている。

そのつぶやきは、ストックトンのグローブ座に蛇行する人の列を伝って、私のところまで届いた。
ケネディが撃たれた!」
「なんだって!」
「そこにいる人が言ってる!ケネディが撃たれた*1って!」
その瞬間に、政治・音楽・歴史がひとかたまりの1960年代がやってきたのだ。なぜなら、その時に私が見ようとしていたバンドはビートルズだったからだ。


私の人生には、このような瞬間が他にもあった。それほど劇的な出来事ではなかったかもしれないが、ある日がいかに重要な日であるかを示している。

例えば、数年後、私はまだ名前の決まっていないバンドに所属していた。そのバンドは、獲物を探しに来たアメリカのプロデューサーが提案した「ロックドキュメンタリー」の主役になることを目的に結成された。
他の3人は、その直近に解散したボダスト(BODAST)*2というバンド出身だった。(BOはドラマーのボビー・クラーク、DAは元ベーシストのデイヴ・アトキンスだが、ギターに乗り換えて、私のために道を空けてくれた。さらに、2人目のシンガー・ギタリスト、クライヴ・マルドゥーン(イニシャルは入ってない)がいた。


パークレーン・ヒルトンで1週間ミーティングをした後、このプロジェクトに翼がないことは明らになった。
そこで私たちは豪華なメイフェアから離れ、チェルシーにある借家に戻った。まあ厳密には不法占拠である。そこで私たちは、玄米とツナ缶という、質素だが健康には十分な食事で生活していた。
その後、デイヴとクライヴがデュオでレコード契約を結ぶと、デイヴ・アトキンスはデイヴ・カーティスとなり(「S」は数秘術師のアドバイスで追加した)、彼らの新しいバンドはカーティス・マルドゥーン*3と想像力豊かに名付けられた。
ベテランのサックス奏者ハウイー・ケースや元アクションのドラマー、ロジャー・パウエルなどのセッション・マンと一緒に、スティーブ・ハウと私は彼らのデビュー・アルバムのバックを務めた。


クライヴの曲のひとつに「Sepheryn」があったが、当時の批評家やレコード・バイヤーには注目されず、アルバム全体も注目されなかった。しかし、何年も経ってから、ある歌手やプロデューサーがその可能性に目をつけ、作り直したバージョンを録音した。
「Sepheryn」の歌詞には、「宇宙の女神よ、早く来てくれ、雷の音がみんなを脅かすから」というようなフレーズがあった。
こうして数十年後、「Sepheryn」はウィリアム・オービットとマドンナのヒット曲「Ray of Light」となった。当時、アクトンのランドリーで働いていたデイヴ・アトキンスは、250,000ポンドの印税小切手を手にし、驚いたが、同時に喜んだ。

それ自体も十分に素晴らしい話だが、「Sepheryn」が実際に録音された日の後日談は、この糸がどれほど遠くまで届いているかを示している。


Sepheryn - Curtiss Maldoon (1971)
www.youtube.com

Ray of Light - Madonna (1998)
youtu.be

クライブがドナバン*4のようなイメージだったのに対し、デイヴ・アトキンスとボビー・クラークはオールドスクールなスタイルだった。
ボビーは、イギリスのロックンロール界で最初にして最大のシンガーのドラマーであり、ヴィンス・テイラーズ・プレイボーイズ(Vince Taylor and The Playboys)*5の一員だった。
クリフ・リチャードの「Move It」をイギリスのロックンロールの最初の名盤として挙げる人は多い。確かに名盤ではあるが、ヴィンス・テイラーの「Bland New Cadilac」には遠く及ばない。ヴィンス・テイラーは、英国のジーン・ヴィンセントに匹敵するスタイル、エッジ、クールさを持ち、マチネー・アイドルのような美貌を持ち...そして動くことができた!デイヴとボビーは、畏敬の念を込めて、私にヴィンスのことを話してくれた。
デイヴが言う。「彼に会うべきだった、本当に会うべきだったんだ!エディ・コクランなんて比べ物にならない、彼よりも・・・」、ボビーが口を挟み 「ジェリー・リーよりも!」と言うと、「エルヴィスよりも!」とデイヴが付け加える。
「まあ、あのエルヴィスでさえ彼についていけない夜もあったということだ」。
ある夜、パリのナイトクラブに到着したヴィンスは、駐車していた車の列に自分のキャデラックを突っ込み、ブリジット・バルドーと腕を組んで入ってきて、その場にいた全員にシャンパンを1本ずつ注文したという逸話を聞いたことがある。


数年後、ザ・クラッシュは「Bland New Cadilac」をカバーし、デヴィッド・ボウイはヴィンスを「Ziggy Stardust」の原型として使ったと語っている。
しかし、ヴィンス自身は決して有名になることも、ロックの伝説になることもなかった。
なぜか?ある晩、ショーの準備のために誰かがいつものように一握りのアンフェタミンをくれたと思っていたら......そうじゃなかったからだ。
無邪気だった時代はすでに消えつつあり、新しい奇妙で"素晴らしい"化学物質が存在していた。これは「アッパー」ではなく、「アシッド」のタブだった。
その夜、ヴィンスは長い白衣を着てステージに現れ、いたずらっ子ではなく、もはや観客を祝福し始める救世主となった。


Bland New Cadilac - Vince Taylor & His Playboys (1959)
www.youtube.com

Bland New Cadilac - The Clash (1979)
www.youtube.com

Ziggy Stardust - David Bowie (1972)
www.youtube.com

翌日、彼は配管工を雇ってアパートの水道管とガスコンロをつなぎ、スイッチを入れると噴水が出るようにした。その結果、彼は食器棚にこもって数時間、次の一手を考えることになった。
面白そうな話だが、そうではなかった。彼のキャリアと健康は、あっという間に崩壊してしまった。
一夜にして、フランス人歌手、ジョニー・アリディが台頭しヴィンスの魅力をすべて奪ってしまったのだ。どうにかしてフランス人に、自分はロックンロールの新世界の王であると信じ込ませたかったが、実際は泥の山であった。

憔悴しきった状態でヴィンスはイギリスへ戻り、しばらく母親と暮らした後、チェルシーの家に住む音楽仲間たちと安住の地を見つけた。
しかし、この頃の彼はまだ繊細な状態で、夜中に家の中が静かになると、真っ暗な部屋から出るような状態だった。
朦朧とした意識の中で、 彼は黒ずくめのレザースーツの代わりにジーンズとポロシャツを着て、いつも寝ていたマットレスの破裂による小さな白い羽が付着したまま出てきた。

その晩、スティーブ・ハウが僕の部屋にやってきて、彼が思いついたギターリフに合わせてベースを弾くように頼んできた。
しかし、私がグルーヴを掴もうとするたびに、どこか別の場所に行ってしまう。すぐにそれがエキゾチックな変拍子であることがわかったが、私は上手く対応出来なかった。
数年後、彼がイエスに加入したとき、同じリフが彼のバンドの代表的なアンセムになっているのを聴いた。それが 「Yours Is No Disgrace」だった。


* * *

Yours Is No Disgrace - Yes (1971)
www.youtube.com

そしてある晩、同じ家、同じ部屋、同じ時間に、イギリス史上最高のロックスターと、マドンナのために未来のミリオンセラーを書いたばかりの2人と、世界的に有名になった名ギタリストと、そして私が集まったのだ。

音楽シーンは昔から、外から見ているよりもずっと細分化されていなかった。ジャンルがコロコロと変わるので、同じバンドが何組も存在した。
黒いTシャツにスニーカーでジミー・リードのカバーを演奏していたギタリストが、1週間後には母親の古いカーテンに身を包み、エジプトの墓を歌った曲で20分のソロを弾くようになる。
モッズ・ビート・グループのアクション*6が、サイケデリック・ロックのマイティ・ベイビー*7に簡単に変身、その後、ポップ・バンドのエース*8になり、『How Long』でNo.1シングルを獲得したのもそのためだ。
ギタリストのアンディ・サマーズがズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンド*9からダンタリオンズ・チャリオット*10を経て、ザ・ポリス*11を結成したのと同じことだ。


How Long - Ace (1974)
www.youtube.com

私自身は、このような経緯で、格調高いスクールバンド、トレマーズから始まり、そこからより野心的なローカル・バンド、ロードランナー*12(後のフリー、バッド・カンパニー、クイーンのポール・ロジャースと一緒)に参加し、プロになってロンドンへ向かった。
そこで、R&Bから「プログレッシブ・ロック」に移行したヴィレッジ*13(ピーター・バーデンズ、後のキャメル)に参加した。
そこからカントリー・バンドのクイーヴァー*14に加入し、後にソフト・ロックのサザーランド・ブラザーズ*15と組んで、エルトン・ジョン*16の記録的な全米ツアーをサポート。
そして、ニューウェイヴがやってきた...。

しかし、この記録は、単に私の回顧録トリビアのカタログではない。ロックとポップの「黄金時代」とでも呼ぶべき、ノスタルジックで正確な物語をたどっているのだ。
そしてそれはあなたの物語でもあるわけだ......私たちは皆その場所にいたのだから。


そういえば、後にメタルゴッドと崇められるロニー・ジェイムス・ディオも初期はドゥー・ワップみたいなことをやってましたね。60〜70年代はロック音楽の流行の変遷が激しく、同じ60年代でも初期と後期だと全然違い、進化のスピードがとんでもないですね。年単位でガラッと変わる。それに応じてミュージシャン側も変わらなければ生き残っていけない、そういう時代。

*1:ケネディ死去は1963.11.22

*2:ボダスト(1968-1969) デイヴ・アトキンス(後のデイヴ・カーティス)がラウンドアバウト(ディープ・パープルの前身)脱退後にYESのスティーブ・ハウと結成したグループ https://british-rock.salmon-news.com/top/group-b/bodast/

*3:カーティス・マルドゥーン(1970-1973) デイヴ・カーティスとクライヴ・マルドゥーンのデュオ、このバンドのバックでブルースとYESのスティーブ・ハウが弾いている http://british-rock.salmon-news.com/top/group-c/curtiss-maldoon/

*4:ドノバンの誤植?

*5:ヴィンス・テイラー ヴィンス・テイラーは薬物中毒になったのち、宗教家になった https://en.wikipedia.org/wiki/Vince_Taylor

*6:アクション(1965-1968) https://british-rock.salmon-news.com/top/group-a/the-action/

*7:マイティ・ベイビー(1968-1971) http://british-rock.salmon-news.com/top/group-m/mighty-baby/

*8:エース(1972-1977) https://british-rock.salmon-news.com/top/group-a/ace/

*9:ズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンド(1961-1969) https://en.wikipedia.org/wiki/Zoot_Money's_Big_Roll_Band

*10:ダンタリオンズ・チャリオット(1967-1968) https://en.wikipedia.org/wiki/Dantalian%27s_Chariot

*11:ザ・ポリス(1977-1986) https://en.wikipedia.org/wiki/The_Police

*12:ロードランナーズ(1963-1967) https://british-rock.salmon-news.com/top/group-r/roadrunners/

*13:ヴィレッジ(1968-1970) https://british-rock.salmon-news.com/top/group-v/village/

*14:クイーヴァー(1970-1972) http://british-rock.salmon-news.com/top/group-q/quiver/

*15:サザーランド・ブラザーズ(1970-1981) https://british-rock.salmon-news.com/top/group-s/sutherland-borthers/

*16:エルトン・ジョン https://en.wikipedia.org/wiki/Elton_John