俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

コステロ自伝 ANNEX Part 27

第27章は「ジ・アイデンティティ・パレード(The Identity Parade)」。

1983〜1986年あたりにかけてのお話。アルバムとしては「Goodbye Cruel World」「King Of America」「Blood & Chocolate」あたり。

冒頭、エルビス・プレスリーのお話から。「ハートブレイク・ホテル」の作者、メイ・アクストンが、コステロに言う。
「あなた(コステロ)が初めてアメリカに来た時、キング(プレスリー)が変装してこっそりコンサートを見ていた」、これがメチャクチャ嘘だというお話。
プレスリーが亡くなったのが1977年8月16日。コステロが初来米したのが、1977年11月15日だからありえないことを言っている。
一体誰と勘違いしているのか、夢でも見ていたのか。

自分は長らくビートルズ史観(日本人の大半がそうだと思うけど)だったので、ビートルズの前の時代にプレスリーがいた、とか言うのは知っているが詳しくは知らない。
初期はサン・レコードというインディレーベル。1954〜1955年にサン・レコードからシングルを5枚出して、1956年からRCAへ。有名な曲は1956〜1957年あたりにリリース。
一般的なエルヴィス・プレスリーのイメージはこの辺だろうと思う。

昔の山下達郎大滝詠一の新春放談で、デビューがインディーズのナイアガラで、その後にRCAに行った山下達郎プレスリー、自分をサン・レコードのサム・フィリップス、と言っていたが、その頃は意味がよく分かってなかったが、ようやく分かった。

「King Of America」でエルヴィス・プレスリーのバックバンドを起用、と書かれるが、実はこのメンバーはサン〜RCA時代のメンバーではない。
その時代はスコッティ・ムーアとビル・ブラック。友人にその辺りの音楽が好きな人がいたのでスコッティ・ムーアの名前は良く聞いていた。
KOCに参加していたジェームズ・バートン、ジェリー・シェフ、ロン・タットは1969年以後のバックバンド、TCB Bandのメンバー。

コステロは「エルヴィス」を名乗っているがエルヴィス・プレスリーは何でも好きだという盲目的なファンではない。(これをボニー・ブラムレットに突っつかれるわけだが)

コステロ的にはサン・レコード時代、何枚かのゴスペルのレコード(「Peace in the Valley」あたり)、「In the Ghetto」(1969)、「Suspicious Minds」(1969)とのこと。

コステロは2005年にリリースされた映像作品「Club Date: Live In Memphis」で、「Alison」と「Suspicious Minds」をメドレーにしていた。
※ メンフィスだから、というわけじゃなく何度もこのアレンジで演奏している。

なので、ジェームズ・バートンについてはおそらくプレスリーというよりは、エミルー・ハリスとグラム・パーソンズ経由でファンだったのだと思う。

カワード・ブラザーズのシングル「The People's Limousine」は1985年7月発売だが、コステロがT-ボーン・バーネットと行動を共にしだしたのは1984年頃。
Concert 1984-04-19 Durham - The Elvis Costello Wiki

Elvis Costello Wikiによると、4/19が最初。どういう経緯で2人が行動を共にし始めたのかはよく分からない。
www.youtube.com

その前に「Goodbye Cruel World」についての記述があるがかなり短い。このアルバムのことを知りたければリイシューのライナーノーツを読んだほうが良いだろうと思う。

「King Of America」は元々、半分をコンフィデレイツ、半分をアトラクションズ、という想定だったが、実際は「Suits of Light」のみがアトラクションズの演奏だった。
アトラクションズとT-ボーンは険悪だったようだ。
ビーチ・ボーイズに例えると、T-ボーン・バーネットがヴァン・ダイク・パークスコステロブライアン・ウィルソン、ピートがデニス・ウィルソン、スティーヴがアル・ジャーディン、カール・ウィルソン、ブルース・ジョンストン、ただブルース・トーマスにマイク・ラブをさせるわけにはいかない、と書いてある。まあ、ブライアンとマイクの仲が悪かったからブルースなんだろうけど、フロントマンではないからなぁ。

ファン心理からすると、そもそもどの曲をアトラクションズとして入れるつもりだったのか?というところが気になるわけです。

コステロの場合、リリース前にライブにかけることがかなり多く、ヒントは1985年3月9日、アトラクションズ唯一のライブにある。
Concert 1985-03-09 London - The Elvis Costello Wiki

この時点で未発表の自作曲が4曲ある。

Betryal

youtu.be

Brilliant Mistake

youtu.be

Sleep of the Just

youtu.be

Blue Chair

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さらに1984年8月にもこの当時未発表だった曲を演奏している。

I Hope You're Happy Now

youtu.be


これに、Suits of Light を加えると6曲。まあ、良いところではないでしょうか。

KOCは「Glitter Gulch」や「The Big Light」のギャロッピング奏法など、ジェームズ・バートンがいないと成り立たない曲がある。もともとコンフィデレイツはバラードを、と思っていたが、ジェームズ・バートンがいるのでその場で書いたとのこと。
「Blood & Chocolate」は、KOCで拗れてしまったアトラクションズとの関係を精算するためのアルバムなので、KOCで約束通り半分演奏していれば作られてないのだと思う。

なので、アルバムの後半にコステロのソロでも良さそうなおとなしい曲が並んでいるのは、もともとアトラクションズ用でなかったものをアトラクションズで演奏した、ということではないのかなと。

「Blue Chair」はアレンジの変遷が激しい。
1985年のアトラクションズとのライブではかなりハードな「ペギー・スー」ライクなアレンジ。
「Blue Chair」のシングルバージョンはリリースされたのは1987年だが、これはKOCセッションで1985年に録られている。これも派手なアレンジ。
アトラクションズとの大人しめの(意外)アルバムバージョンは結局最後、1986年に録られてその年にリリース。

「I Hope You're Happy Now」は逆に1984年は大人しめのアレンジだったが、B&Cではかなりハードな、ハード・マージービートなアレンジに生まれ変わっている。

「Blood & Chocolate」は、ハードなサウンドが耳につくので「This Year's Model」と比較されることがあるが、似ているのはサウンドだけで、楽曲の構成はかなり異なると思う。
TYMは、60年代風のポップソングにハードなサウンドの皮を被せた、いわゆるパワー・ポップに近いもの。
B&Cの曲のハードなもの、例えば「Uncomplicated」や「Tokyo Storm Warning」、「I Want You」などはパターンミュージックというか、ミニマル的な構造。
これにハードなサウンドが載っているのでコステロは昔、グランジの登場を予言しているようなもの、と言っていた。
ただ、「I Hope You're Happy Now」はTYM的かもしれない。

ところで、「Blood & Chocolate」というタイトルは「Uncomplicated」の冒頭の歌詞から取られているけど、これはビュエルが生理の時にキャンディを欲しがった、というエピソードに由来している、とビュエルは主張している。
この頃既にビュエルとは関係解消しケイト・オリオーダンと事実婚状態になっていたが、「関係解消」という括りでアトラクションズとビュエルを絡めたのかなとふと思った。

コステロとしては真のラストアルバムは「Blood & Chocolate」だと言う。90年代にアトラクションズ名義でいくつか発表したが、アトラクションズである必然性がなかった、と言っている。
まあ、私はそこに異論はありますが・・・。

第一期アトラクションズとの最後のコンサートはグラストンベリー・フェスティバルのヘッドライナー。
Concert 1987-06-20 Pilton - The Elvis Costello Wiki

ただ、本編がコステロのソロ、アンコールからアトラクションズが出てくる構成。解散と銘打ってはおらず、自然消滅みたいな終わり方。
アトラクションズは第二期もフワッとしたまま解散している。フェアウェルツアーとかそんなものはなく、所詮コステロのバックバンド、みたいな扱い(悲しいが)。

なお、コステロは、ブルース・トーマスだけではなく、アトラクションズ全体と険悪だったと書いているが、アトラクションズの中ではピート・トーマスとは最も早い共演を果たしている。

The Rude 5というバンド名で1989年にツアーをしているがピート・トーマスはこのバンドのメンバー。
2010年頃、The Sugarcanes とツアーをしていたコステロだが、この時もドラマーとして途中からピートが参加。
そう考えると、コンフィデレイツでジム・ケルトナーがドラマーだった時以外、ロック・スタイルのバンドであればピート・トーマスが殆ど叩いているということ。

実は第29章に書かれているが、ポール・マッカートニーのバンドメンバーのオーディションにピート・トーマスが来て、その時に会っている(1987〜1988年頃)。
結局ポール・マッカートニーのバックバンドは別のドラマーになる。

ポール・マッカートニーはウイングス解散後、1989年までツアーをしていない。そのツアーのドラマーのオーディションにピートが来ていた。
ちなみに、オーディションにギタリストとしてブリンズリー・シュワルツも来ており、元シン・リジーのギタリストも来ていたと書いてある。誰だろう・・?
これらのメンバーは全員参加していない。

この時のツアーメンバーが、ヘイミッシュ・スチュワート、ロビー・マッキントッシュ(ふたりとも元アベレージ・ホワイト・バンド)、ポール・ウィッケンスとリンダ・マッカートニーが常時いたが、ドラマーはChris Whitten→Blair Cunninghamと交代。このメンバーで1989年〜1993年まで活動する。

2002年からツアーを再開するが、この時にポール・ウィッケンス以外の全メンバーを入れ替え。その前のツアーメンバーは渋めだったが、この時のメンバーはかなり若返った。
ちなみに山下達郎はこのポール・マッカートニー・バンドの若返りにヒントを得て、自分のバックバンドの若返りを断行したそうな。(青山純→小笠原匠海、土岐英史→宮里陽太、国分友里恵&佐々木久美→ハルナ&エナ)

コステロに話を戻すと、今では最も盟友とも言えるスティーヴ・ナイーブとは1993年の「Brutal Youth」セッションまで6年間共演なし。
ブルース・トーマスもスティーヴと同時期に復帰するが1996年以降共演なし、だが式典に同席したことはある。

1987年のアトラクションズ解散後から数ヶ月後、ロイ・オービソンのライブに出演。
Concert 1987-09-30 Los Angeles - The Elvis Costello Wiki

これはライブアルバムとして発売されている。1987年に一度リリースされたが2007年に30周年盤が出ている。

Black & White Night

Black & White Night

Amazon

コステロ作の「The Comedians」
www.youtube.com

「(Oh!) Pretty Woman」
www.youtube.com

ロイ・オービソンは私の世代だと「(Oh!) Pretty Woman」が「プリティ・ウーマン」の主題歌だったので否が応でも耳に入ってくる。
もうちょっと前の世代だとヴァン・ヘイレンのカバーで有名かも、と山下達郎がライブのMCで言ってました(達郎氏もライブでカバーしている)。

あと、ビートルズ史観で育ったので「Please Please Me」がロイ・オービソンの「Only The Lonely」を聴いて出来た曲、ということとか、トラヴェリング・ウィルベリーズのメンバーであったりとかもあって、少なくともエルヴィス・プレスリーよりは馴染み深い存在でした。