俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

ブルース・トーマス自伝 4 Progress


60年代後半、プログレッシブ・ロック誕生の秘密を暴いている。

CHAPTER 4 Progress

キーボードプレイヤーのピーター・バーデンス*1はショットガン・エクスプレス*2を解散させ、その後、スローン・スクエアの地下室でオーディションを行った後、彼のニューバンド「ヴィレッジ*3」に私を迎えることになることになった。
「君はノート(音階)もいいし、今週聞いたベーシストの中でただ一人本当にスウィングできる男だ」と彼は言った。
彼の前のバンドには、ミック・フリートウッド、ピーター・グリーンロッド・スチュワートなどがいたことを考えると、その言葉が嬉しくないとは言えなかった。


ヴィレッジは、R&Bとプログレッシブ・ロックという新しいスタイルの間に、象徴的な存在として立ちはだかることになる。私たちは、ジミー・スミスマイルス・デイヴィスの曲を中心にジャジーなR&Bのレパートリーを作り上げ、即興で演奏するようになった。私はジャック・ブルースのようなフェンダーの6弦ベースを弾くようになったが、その後、ほぼ毎週楽器を変えるようになり、ベースを変えていないときは、絶えず配線を変えたり、スプレーをかけ直したりしていた。私たちのドラマー、ビル・ポーターのお気に入りのドラマーは、ジンジャー・ベイカーのお気に入りでもあったジャズマン、フィル・シーマンで、二人でよくソーホーのロニー・スコッツ・ジャズ・クラブでフィルの演奏を聴きに行っていた。


私はチェルシーのボーフォート・ストリートのアパートに引っ越した。ピーターがガールフレンドと住んでいた場所の近くだった。彼女はグラマー・モデル・エージェンシーという芸能事務所を経営していて、『サン』紙の「ページ3(※ グラビアのこと)」ガールを大量に供給していた。彼女のオフィスは午後を過ごすには悪い場所ではない。私はしばらくの間、その中の女性と付き合うことになった。サマンサは26歳で、私はまだ19歳だった(...主よ、ありがとうございます)。彼女はヘンドリックスのアルバム『エレクトリック・レディランド』のジャケットに描かれた裸の女性の一人だった(ただ、僕は他のみんなと同じように、『エレクトリック・ランドレディ』と呼んでいた)。


ピーター・バーデンズは多くのミュージシャンや俳優を知っていて、時々ミュージシャンが訪ねてきたり、ウェストエンドで会ったりしていた。ある日、彼は私に俳優の友人であるリチャード*4を紹介した。リチャードはミュージカルを書いていると言う。
「どんな話なんだい?」と聞いた。
リチャードはシナリオとその進行状況を説明したが、奇妙なアイデアに聞こえた。わざわざ言わなかったが、それが到底うまくいくとは思えなかった。
「それで、それは何という名前のミュージカルなのかな?」と尋ねた。
ロッキー・ホラー・ショー*5、って言うんだけどね」
「そうか、まあがんばってね!」


ヴィレッジがレコーディングスタジオでの挑戦を試みた結果、いつも通りの不振なポップシングルとなってしまった。
この頃、ポップ・バンドはシングルのバンドであり、ロックバンドはアルバムのバンドだった。
ポップバンドは滅多に良いアルバムを作らず、ロックバンドは滅多に良いシングルを作らない。
しかし、私たちのような「真剣な」バンドも、なんとか一発当てようと狙っていた・・・しかし、ほとんどの場合、我々が生業とし聴かれるのはライブ演奏によってのみだった。
この一般的な傾向には例外もある。ビートルズローリング・ストーンズは良いシングルと良いアルバムを制作した。
ザ・フーは素晴らしいヒットシングルを連発したが、『トミー』以降はアルバムバンドに変貌し、典型的なロックバンドとなる。
一方、レッド・ツェッペリンはシングルを一切リリースせず、『トップ・オブ・ザ・ポップス』にも出演しなかった。


ヴィレッジのマーキーでの長期滞在の特徴の一つは、ピーターが古いバンド仲間や友人に頼んでゲスト出演してもらうことだった。
ある週はドノヴァンのフルート奏者であるハロルド・マクネアがやってきて、「Season of the Witch」をジャジーなバージョンで演奏することもあった。
別の週には、ジョージ・フェイムのブルー・フレームスのコンガ奏者であるスピーディ・アクアイが登場することもあった。
マーキーでの出演者は時代を反映していた。ある週はロリー・ギャラガーのブルージーなロックバンド「テイスト」と共演することもあった。
別の週には、ニック・ロウという気さくな男性がベースを担当するポップ・グループ「キッピントン・ロッジ*6」が登場することもあった。
しかし、私たちが出会った中で最も革新的なバンドは(当時は気づかなかったものの)、クラウズ*7である。

「彼らのことを聞いたことがない」と言われるかもしれない。

だからこそ、今言及している。ただし、彼らのバックストーリーは後になってからしか知らなかったし、ほとんどの人々も知らないだろう。


* * *


その2年前、まったく無名のバンドがマーキーのヘッドライナーに招かれたことがあった。このとき、クラブのマネージャーであるジョン・ジーは、1-2-3が今まで見た中で最高のバンドだと信じていた。ハリー・ヒューズ(ドラム)、イアン・エリス(ベース)、ビリー・リッチー(オルガン)からなるスコットランドのトリオで、音楽に対する新しいアプローチを持ったバンドだった。あまりに新しいので、ジョン・ジーはしばしばステージに上がって演奏を中断し、観客を落ち着かせなければならなかった。「つまらないR&Bが欲しいだけなら、100クラブに行けよ」。


聴衆がソワソワしながら目の当たりにしたのは、新しい音楽ジャンルを開拓する達人トリオの姿だった。
その音楽は、後にプログレッシブ・ロックと呼ばれるようになる要素をすべて備えていた。リリックとコーラスというフォーマットを再構築し、10〜20分と続くドラマチックな楽章を作り、複雑な変拍子、ジャズやクラシックのニュアンス、即興演奏と、歌というよりは映画のサウンドトラックのようだった。
しかし、落ち着かない聴衆をよそに、その音楽を受け入れるグループも次第に集まってきた。
それは、来たるべきサウンド、時代の先を行くグループ、そしてオルガニストのビリー・リッチーというミュージシャンのサウンドの特殊性に気づいた他のミュージシャンたちだった。
デヴィッド・ボウイリック・ウェイクマンのようなミュージシャンの多くは、やがて成功し、有名になっていくのだ。
しかし、メモを取るというより、まるまるコピーしていた人たちもいた。


マネージャーのブライアン・エプスタイン(そう、あのブライアン・エプスタインのことだ)の予期せぬ死によって1-2-3が頓挫すると、バンドは失速し、1年間姿を消し、アメリカツアーの途中で追放されてしまった。
最終的にクリサリスの代理店がバンドをイギリスに連れ戻し、クラウズと改名した。
私が彼らのことを知ったのは、ヴィレッジもクリサリスと契約していて、マーキーに長期滞在していたからだ。当然、彼らのことを知ることになる。
しかし、その時にはすでにコピー業者が入り込んでいた。
その点では、キース・エマーソンと彼のバンド「ザ・ナイス」ほど罪深いバンドはなく、彼らは謝罪すべきだろう。
しかし、私もみんなが思っていたのと同じ様に、クラウズはコピーされる側のオリジネーター等ではなく、その頃は単なるトレンドの一部であると思っていたのだ。


クラウズがなければ、イエスEL&Pキング・クリムゾンもなかったと言える。
もちろん、それは良いことだと思うかもしれない。なぜなら、多くのプログレは音楽的な見せかけと歌詞の戯言に過ぎなくなったからだ。
しかし、これは好みの問題ではなく、記録を正すという問題なのだ。
ビリー・リッチーの話は、不公平だらけのビジネスの中でも最も大きな不公平のひとつだった。
デヴィッド・ボウイはアルバム『ハンキー・ドリー』のデモ録音にクラウズを使い、ビリー・リッチーを「天才」と呼んだ。
エスのジョン・アンダーソンは、直接会っていたときはいつもバンドを褒めちぎるが、印刷されるものにはそのことについて言及しないように気をつけていた。
ストップ&スタートのキング・クリムゾン「21世紀の精神異常者」はビリー・リッチーに「インスパイア」された。


数年後、キング・クリムゾンの偏屈ギタリスト、ロバート・フリップとビリー・リッチーが同じ部屋で一緒になり、会話しなくてはならない状況になった。
フリップは鼻の先にメガネをかけ、ビリーに「ありがとう」と言った。フリップは、伝説的なレジデンスをしていた頃のマーキーでクラウズを観たことがあると言った。
「その音楽は非常に複雑で入り組んでいたが何かが足りないと思い、特にノックアウトはされなかった、なぜだと思う?」とフリップはビリーに聞いた。
ハッタリの効いたグラスゴー人のビリーは、「お前はバカだからだ」とだけ答えた。


1971年、ビリー・リッチーは、時間とチャンスは無限にあるわけじゃないと自分に言い聞かせるように言った。そのため、ビリー・リッチーは、「時間がない」「チャンスがない」ことを自覚し、諦観していた。
自分たちのオルガントリオの可能性を使い果たし、ヴィレッジもまた同時に解散してしまったのだ。


www.youtube.com

*1:ピーター・バーデンズ キャメルの創設メンバー https://british-rock.salmon-news.com/top/musician-b/peter-bardens/

*2:ショットガン・エクスプレス(1966-1967) https://british-rock.salmon-news.com/top/group-s/shotgun-express/

*3:ヴィレッジ(1968-1970) https://british-rock.salmon-news.com/top/group-v/village/

*4:リチャード・オブライエン https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_O%27Brien

*5:ロッキー・ホラー・ショー https://en.wikipedia.org/wiki/The_Rocky_Horror_Show

*6:キッピントン・ロッジ(ブリンズリー・シュワルツ)(1969-1975) https://british-rock.salmon-news.com/top/group-b/brinsley-schwarz/

*7:クラウズ(1966-1971) https://en.wikipedia.org/wiki/Clouds_(1960s_rock_band)