俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

ブルース・トーマス自伝 8 Mean Streets


1974〜1975年頃のムーンライダー在籍時と、その後の1977年までの浪人期の話。

CHAPTER 8 Mean Streets

世の中の音楽は、どんどんソフトになっていった。その頃一番売れているアルバム、ジェームス・テイラーキャロル・キングを買うしかないような雰囲気だった。
さらに悪いことに、私は実際に買って何度も聴いてしまっていた。そして、この不毛の地にオアシスが現れた。ブルース・ロック・バンド、Jガイルス・バンド*1がライシアムで英国デビュー・ギグを行ったのだ。
彼らの演奏は、実に見事なものだった。特に目立っていたのは、ハーモニカのマジック・ディック(後ろで笑ってはいけません)だった。
演奏が終わるころには、すっかりテンションが上がっていたのは私だけではないだろう。
もちろん、これは、彼らの皮肉を正当化して大ヒットを記録した、小馬鹿にしたようなコマーシャルシングル「センターフォールド」の時代よりずっと前のことである。


The J. Geils Band - Centerfold (1981)
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昔、映画会社の重役が、『燃えよドラゴン』の試写会で見たブルース・リーの演技に興奮し、走って帰りたいと言って車のキーを妻に渡したという逸話を読んだことがある。その夜、私はまさに同じことをした。ストランドからアールズコートまで、ずっと走って帰った。それが私の望みだった!そういうバンドに入りたかった。しかし、状況はかなり悪くなっていた。


私はあるバンドについて話したことがない。少なくとも、私はいつもそれを避けてきたのだ。
だが、私がリック・ウェイクマンを揶揄するのであれば、公平に書かなければならない。
私は実績のある2人の男たちに抜擢された。

ギタリストのジョン・ワイダー*2はファミリー*3出身で、エリック・バードンのニュー・アニマルズに在籍していたことがある。
もう一人のギタリスト兼シンガーのキース・ウエス*4は、『Excerpt From a Teenage Opera』でソロ・ヒットを飛ばしたことがある、
この曲は「Grocer Jack, Grocer Jack」というキャッチーなコーラスを持つ、1曲だけの架空の作品である。
キース・ウエストはスティーブ・ハウ*5とイン・クラウド*6を結成し、その後サイケデリック・バンドのトゥモロー*7に改名した。
ヒット曲「My White Bicycle」は、どこの国でも「俺の女房はバイセクシャルだ」と揶揄されるほどだった。
ドラマーはシェフィールドのブルース・バンドにいたチコ・グリーンウッド*8だった。


Excerpt From a Teenage Opera - Keith West (1967)
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My White Bicycle - Tomorrow (1967)
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バンド名を考えるために、いつものようにブレインストーミングが行われた。
「シルバー・タン(Silver Tongue)」とキースが言った。
ジョンが「クラムチャウダーはどうだ」と言ったが、それは彼のバカなアメリカ人ガールフレンドのアイデアだと、聞くまでもなくわかった。
北からやってきたドラマーは何を提案したのだろう?
「アート・イン・ジーンズ!」
最終的には、少々安っぽいがそれなりのバンド名、ムーンライダー*9に決定した。


バンドメンバーの過去の実績から言ってマネージメントやレコード契約を結ぶのはそれほど難しいことではなかった。
新しいマネージャーは、「Born to be Wild」で有名なアメリカのグループ、ステッペンウルフのマネージメントも行っていた。
今にして思えば、コインの裏表として売り込めるバンド、「Born to be Mild」なムーンライダーを英国で探していたのかもしれない。
意図的だったかどうかはともかく、彼らはそれを手に入れたのである。


他のメンバーはイーグルスのようなサウンドを志向していたため、私がトップハーモニーを歌うという話もあった*10
ジョン・ワイダーは、グラハム・ナッシュがホリーズを脱退してCSNに救ってもらったのは、天からの奇跡的な贈り物だとよく言っていた。
「だけどね、ジョン、申し訳ないが、ホリーズはCSNよりずっと良かった*11」と私は反論した。


私たちは新しくできたレコードレーベル、アンカーと契約したが、結果的には短命に終わってしまった。バンド名と同じぐらいひどい名前にヒントがあった。
アンカー社のスローガンは何だったのだろう。


我々のレコードはすべて跡形もなく沈む(All our records sink without trace)


それは長くはかからなかった、多くの人々が当然のこととして前に「W」を追加した。*12


ジョンとキースが書いた曲は、あらゆる音楽への愛情を反映していた。コンテンポラリーなアメリカのソフトロックもあったし、数曲にはR&Bの要素もあった。
「Danger in the Night」と「Livin' on Main Street」だ。


"目を開けていてくれ、兄弟...メインストリートに住むのはとても大変なんだ"という歌詞がある。


ジョンはウォルトン・オン・テムズに住み、キースはウェイブリッジに住んでいた。ウィンザーの悪路は別としてこれほど裕福で危険ではない地域はないだろう。
ウィンザーの街はとても安全だったので、私はウォルトンとウェイブリッジの自動車教習に行き、そこで運転免許の試験に合格した。
この2曲を覚えたら、次は「Too Early in the Morning」だった。
この曲は、管理人がゴミ箱でうるさく音を立てるため寝坊をするのが難しいことを嘆いた曲だ。ハードな曲だ。


Danger in the Night - Moonrider (1975)
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Livin' on Main Street - Moonrider (1975)
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Too Early in the Morning - Moonrider (1975)
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ムーンライダーは、その年のジョン・メイオールのUKツアーのサポートアクトだった。
しかし、私たちは間違った場所にいた間違ったバンドだったのだ。
ヘビーメタルの本場だったオジーランド、ミッドランドで行われた一連のクラブ公演では、観客の一部からブーイングされた。
観客の中には、立ち上がってステージの前を歩き、唇を丸めて指をくわえて煽ってくる客もいた。

しかし、これは革新や新しい音楽ジャンルの誕生を認めない観客が落ち着きを失ったわけではない。我々の音楽が古臭い音楽だったからだ。
私はMCで、自虐的なユーモアを発した。
「これほど軽快な歌声は、バリー・マクギガン*13が飲み過ぎたときだけだ」と。


ある日、私は他のメンバーを発奮させた。
ジョンは突然、「マイ・ベイビー・レフト・ミー」を歌い出した。キースもそれに倣って一緒に歌った。
彼らは私を興奮させた。それは本当にエネルギーと勢いのあるものだった。
私の内面が久しぶりに微笑んだような気がした。
ジョンは実はパイレーツのミック・グリーンと同じような演奏ができるのだ。ウィルコ・ジョンソンからインスピレーションを得たという、リズムリードの刻むようなスタイルで。
彼がそのような演奏をすることは知っていたが、実際に演奏したのを見たのはこれが初めてだった。
この1年間のリハーサル、レコーディング、ギグに費やされたエネルギーが、3分間で一気に放出されたような感じだった。


「そうだ、それだよ、それ!」と私は叫んだのだが、彼らの表情がすべてを物語っていた。
「もちろんこんな事はやろうとすればできる、やればできるんだ、しかし今はそれをやりたくはない」と言いたげな表情をしていたのだ。


私はそれからレコーディングに遅刻したり、やる気のない素振りで参加していた。レコーディング・スタジオでも、もっと刺激的なことはないかと建物の中をうろうろしたこともあった。
バンドと一緒にいるはずの夜を、昔のマネージャー、ウェイン・バーデルとサッカー観戦に費やしたこともあった。


実は、私の長年の忠誠心は、今までもそしてこれからも、別のところにあった。
ウェイン・バーデルはロフタス・ロードのサッカーグラウンドから歩いて10分ほどのところに住んでいて、一緒にクイーンズ・パーク・レンジャーズを観に行くのが楽しみだった。
当時、このチームは国内でも最高のサッカーをしていたのだ。
スタン・ボウルズ*14という無愛想のボールの魔術師がいたが、彼を見るだけでもチケット代を払う価値があった。
ある晩、ウェイン・バーデルと私は、クイーンズ・パーク・レンジャーズのサポーターズソングを作ることを思いついた。
時間はかからなかった。デイヴ・アトキンスがコーラスのコード進行を手伝ってくれ、クライヴ・マルドゥーンが歌ってくれることになった。
ベースはもちろん私が弾き、ギターとドラムはウェイン・バーデルの友人がマネージメントするバンドのメンバーが担当することになった。
この新しいバンドの名前をロータス・ロードからロフタス・ロードランナーズに発展させるのは難しいことではなかった。


スタン・ボウルズ
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Queens Park Rangers - Loftus Roadrunners (1977)
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その頃、ウェイン・バーデルと私は南東部をドライブして、シングルをチャートインさせる手伝いをしていた。
誰も持っていないはずのリストがあり、そこにはすべての「チャート・リターン」ショップの詳細が書かれていた。
ポップ・チャートが作成される全国的なデータ・ベースのために売上を記録する店だ。
建前上は、そのリストは誰もを持っていないはずだったが、実際のところ、そのリストのコピーは市場に出回っていた。

私たちは郊外の大通りに車を停めた。ウェイン・バーデルが店に入り、自分たちが「宣伝」するためのシングルを買う。数分後、私も偶然にも同じレコードが欲しくなり、店に飛び込む。
こうして私たちは、『Year of the Cat』(と呼ばれていたシングル)を何十枚も手に入れることになったのだ。

Year of the Cat - Al Stewart (1976)
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そして、ムーンライダーもやがてその役目を終えた。

夜にはデイヴ・アトキンスの家で「フォルティ・タワーズ*15」という新しいテレビシリーズを見ながら、中華料理のテイクアウトを食べながら大笑いすることもあった。
しかし、私は密かにこれでいいのだろうかと思い始めていた。私の今までの努力は何だったのだろう?
ドクター・フィールグッド*16を脱退し新しいバンドを始めたばかりのウィルコ・ジョンソン*17に連絡を取ろうとしたが、なぜか縁がなかった*18
同時に、ガーデン・シェッド*19というジェネシス風のサウンドのバンドに入らないかと訪ねてくる人たちもいた。


しかし、音楽業界には大きな変化が起ころうとしていた。私のような軟弱なカリフォルニア人が、LAの小さなデニム・レディに会うために、酔って不機嫌になりながらフリーウェイを走ったり、シンセに囲まれたとんがり帽子の男たちにもうんざりしていた。もうたくさんだった。


私の中の何かが揺さぶられていた。
メロディーメーカー誌の「Musicians Wanted」の欄を凝視し続けていた。


ロンドン・パンク前夜にムーンライダーが受けなかったのは分かる気がしますが、ムーンライダーの楽曲自体、決して悪い出来ではない。
むしろ今聴くと結構よく出来ているなぁと思ってしまいました。演奏も上手いし。
ただこの時代は今のようにサブジャンル毎に独特の盛り上がりを見せる、みたいな時代ではなく、何かが流行っていればそれ一択、ロンドン・パンクが流行っていたらロンドン・パンク一択!みたいなところがあって、まあ時代に翻弄されたというところでしょうかね。
ただ、これが上手く行かなかったことで、いよいよニューウェイヴに足を踏み入れることになる。

*1:J.ガイルズ・バンド(1967-1985) https://en.wikipedia.org/wiki/The_J._Geils_Band

*2:ジョン・ワイダー http://british-rock.salmon-news.com/top/musician-w/john-weider/

*3:ファミリー https://british-rock.salmon-news.com/top/group-f/family/

*4:キース・ウエスhttps://british-rock.salmon-news.com/top/musician-w/keith-west/

*5:スティーヴ・ハウ https://british-rock.salmon-news.com/top/musician-h/steve-howe/

*6:イン・クラウド (1965-1967) https://british-rock.salmon-news.com/top/group-i/the-in-crowd/

*7:トゥモロー (1967-1968) https://british-rock.salmon-news.com/top/group-t/tomorrow/

*8:チコ・グリーンウッド https://british-rock.salmon-news.com/top/musician-g/chico-greenwood/

*9:ムーンライダー (1974-1975) https://british-rock.salmon-news.com/top/group-m/moonrider/

*10:ブルース・トーマスにトップ・ハーモニーは無理だろうなぁ

*11:ティーブン・スティルスとの一件もあり、CSNには辛辣

*12:「W」がアンカー=いかりのマークと言う意味なのだろうか?

*13:バリー・マクギガン 英ボクシング選手 https://en.wikipedia.org/wiki/Barry_McGuigan

*14:スタン・ボウルズ https://en.wikipedia.org/wiki/Stan_Bowles

*15:フォルティ・タワーズ 邦題:Mr.チョンボ危機乱発 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%BA

*16:ドクター・フィールグッド https://en.wikipedia.org/wiki/Dr._Feelgood_(band)

*17:ウィルコ・ジョンソン https://en.wikipedia.org/wiki/Wilko_Johnson#Solid_Senders

*18:ピート・トーマスはウィルコ・ジョンソンの新バンドに入るという口実で英国までの航空券を得ていたが、実はコステロのバンドに入ることが確定していた

*19:ガーデン・シェッド https://www.discogs.com/ja/master/241416-England-Garden-Shed