俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

1990夏 TMネットワークのオールナイトニッポン

息子が小学校を卒業し中学生になった。
卒業式を見ていたら自分って何してたっけ、何を考えていたっけといろいろと思い出していた。

色々思い出していくうちに、中2の頃を思い出した。
自分が中学校の頃の思い出として真っ先に思い出すのは、中2なのだ。

中1は(当時そんな言葉ないが)スクールカーストだと下にいて割と暗黒な感じだったのだが、中2でクラス替えがあり一変した。
学校が楽しくなったのだ。

ある日、友達の家に行ったらCDがたくさんあった。
小5の頃に聴いたシティ・ハンターのエンディングテーマ、TMネットワークの「Get Wild」が好きだったので、それをカセットテープにダビングしてくれと頼んだ。
友達は「Get Wild」の他にも「Get Wild '89」とか「Dive Into Your Body」と、小室哲哉の「Running To Horizon」を入れてくれた。

それを、どこのメーカーだか分からない親戚のおばあちゃんに貰ったダブルラジカセでそのカセットを聴いた。
そのラジカセにはCDプレイヤーが付いていなかった。
その頃の友達は一様にCDプレイヤー付きのダブルラジカセを保有し出したので、当然自分も欲しくなってくる。
そして、貯めたお年玉でビクターのRC-X75という機種を買った。

これでやっとCDが聴けるぞ!と思って最初に買ったのがTMネットワークの「Gift For Fanks」。


次に買ったのがB'zのシングル「Be There」だった。

この直後にリリースされた「太陽のKomachi Angel」は弟が買った。

前後関係が不明だが、おそらくラジカセを買ったのは1990年の6月で間違いないと思う。

このラジカセでNHK-FMの番組をエアチェックし、それも頻繁に聴いていた。
その時に録音したのがドリカムの「Ring! Ring! Ring!」、渡辺美里の「サマータイム・ブルース」、ジッタリン・ジンの「にちようび」あたりで、これらは6月のリリースなので、やはり6月くらいだろう。

CDラジカセを買ってからは、TMネットワークのアルバムとシングルを集めることに精を出していた。

中2の8月はよく覚えている。
あまり勉強を真面目にしていなかった母親が見かねて、塾の夏期講習に通わされた。
同じ学校の人がおらず、夏期講習と言っても夏だけ来る人は殆どおらず、通年で通っている人の中に放り込まれるのだ。
したがって「あいつ誰だ?」状態になる。さっさと終わってほしかった。
2週間程度通ったが、まだ3日目、まだ5日目・・・などと指折り数えていたことを覚えている。

この頃ラジオから流れていた曲が徳永英明の「壊れかけのRadio」とサザンオールスターズの「真夏の果実」で、この曲を聴くといつも1990年の夏を思い出すのだ。

もう一つ、ジッタリン・ジンの「夏祭り」は8月の終わりにリリースされた。今ではホワイトベリーの曲になってしまったが。

夏祭りには休み中、会えなかった人たちが一同に会する。そこで繰り広げられる色恋沙汰。
夏祭りが終わって帰って一人になった時の寂寥感。
この時期は人生で一度だけだが当時はそんなことを思っていなかったな。

夏休み中は学校に行かなくていかなくていいので夜更かしを覚える。
深夜番組に目覚め、カノッサの屈辱とかF-1ポールポジションとかをよく見ていた。

そんな中で放送されたのがTMネットワークオールナイトニッポンである。
この番組が放送されることを友達に聞いたのか、たまたま聴いていたら始まったのかは覚えてない。
ただ、ベストテンほっかいどうや、STVアタックヤングとかは聴いていたのでたまたま起きていたら始まったのかもしれない。

TMネットワークの歴史としては10月にリニューアルしてTMNに改称し、さらにハードロック路線のシングルをリリースして大揺れに揺れていた時期の少し前である。

この時の放送で覚えているのは、

  • 「OKギュー、クリスタルナイトだぜオールナイトニッポン」というフレーズを連発していたこと
  • Self Control」の話題で「またこれやりたいね」と言っていたこと
  • 生放送中に電話がつながったリスナーに謎のカセットテープをプレゼントしていて、それが羨ましかったこと

くらいだった。


この時期にリリースされた曲はCDやサブスクでいつでも聴けるけど、ラジオは容易には聞けない。

自分はこの記憶が正しいのかどうなのか知りたくて、この時の音源がどこかに転がってないか探したことがあったのだが、その時は見つからなかった。

が、実はニコニコ動画にアップされていたことに最近になって気付いた。

2時間番組の割に短いのは曲がカットされているからだけれど、冒頭から全て録音されている。
これは超貴重な、一線級の史料である。私にとって。

聴いてみると、記憶はだいたい合っていたが忘れていることも多い。
なんとなく後半は覚えているので、多分、後半くらいにやっていることに気づいてカセットテープに録音して聴いていたんじゃないだろうか?
EXPOの後くらいにはTMにあまり興味がなくなっていたので、そのテープはおそらく上書きしてしまったのだろう。

ということで聴いた感想を記してみる。

3人のムード

リニューアル後は結構気取ったムードでラジオをやっていた記憶があるし、後年見たライブ・ビデオなんかも妙なカッコつけ方(今見るとダサめのやつね)だったりするがラジオだと3名ともかなりおちゃらけていて、イメージと全然違う。まあ、自分はこのあたりのノリは当時ANN聴いたので分かっていたつもりだが、前半は特にヒドい(笑)。

リニューアルについて

冒頭から「リニューアル」というワードが出てくるし、後半にも出てくる。どうやら何かが変わるというのは文脈から分かる。リアルタイム世代なら分かってもらえると思うけど、この頃「リニューアル」という単語を聞いてすぐに意味が分かる人は少なかったのではないだろうか。店舗や意匠などが刷新されることをリニューアルと言い出すのはこれより後のことだと思う。
この段階ではまだ何がどうなるかは明らかにされておらず、8月末に何らかの発表があることが示唆されている。
これだけを聞くと、何かとタイアップするのかなとかそんな印象しか受けないが、この後に発生するリニューアルは音楽性までも変わるとんでもなくドメスティックなものだった。


替え歌コーナー

サイモン&ガーファンクルの「Sound of Silence」を替え歌にしていた。この曲、小学校の学習発表会で演奏した、珍しく馴染みのある洋楽だったのでこれの替え歌をやったのなら覚えているはずだけど覚えてないってことはやはり前半は聞いていなかったことになる。

電話ゲスト

前半で出てくる二人の電話ゲストも、全然記憶にないのでやはり聴いてなかったんだろう。
今だと聴き逃しても誰かがYouTubeに上げてくれたり、radikoタイムシフトで聴いたり、ネットで誰かが書き起こししてくれるけど、この頃はそんなものない。
自分でこまめにエアチェックするか、エアチェックしてくれた人に借りるかするしかない。
で、この時の一人目の電話ゲストが X JAPAN になる前の X の TOSHI である。
TMネットワークオールナイトニッポンと銘打っているが、そもそもレギュラー放送時は木根尚登オールナイトニッポンで、そこのゲストに来てくれたところから交友があるらしい。
小室哲哉が TOSHI に、YOSHIKI と繋いでくれとお願いしているが、これが V2 の布石になったのだろうか。

二人目の電話ゲストが、当時宇都宮隆がドラマで共演していた吉田栄作である。
この頃の吉田栄作と言えば、この時代のNo.1人気俳優で、白Tシャツに真ん中分けってのはみんな真似していた。
このNo.1俳優は翌年になると加勢大周とか、一時期は反町、竹野内みたいな時もあったけど、ある時期から木村拓哉オンリーになった記憶がある。
特に中2の頃は女子を意識し始める時期で意図的に吉田栄作に寄せていた。
だけどメガネ掛けてたのでどうにもならなかった。
早くコンタクトにしたかったのだ、この時期は。

ジャニーズ・ジュニア・スペシャルの話

唐突に宇都宮隆の同級生にジャニーズ・ジュニア・スペシャルの畠山がいるという話が木根尚登から出てくる。
畠山昌久という人だが1958年の早生まれ(2003年没)で、宇都宮隆が1957年生まれなのでおそらく本当の話だろう。
ジャニーズ・ジュニア・スペシャルは1974年デビューなので、17歳でデビューしている。解散は1978年(21歳)。
宇都宮隆がSPEED WAYでデビューするのが1979年(22歳)なので入れ替わりで芸能界入りしている。

ジャニーズを自分が知ったたのきんトリオだが、それよりはだいぶ前のグループだ。
初代ジャニーズは1962年デビュー。
フォーリーブスは1967年デビュー。
ジューク・ボックス(知らない)は1969年デビュー。
郷ひろみが1972年デビューなのでこの後くらい。

宇都宮隆(というかTM)が「Get Wild」でヒットするのは1987年なので、30歳。
今思えばかなり遅咲き。

このラジオの頃、1990年だと宇都宮隆は33歳、小室哲哉は一つ下なので32歳。
木根尚登は宇都宮と同じ年なので33歳。

なお、TMがライバル視していたBOOWY氷室京介はこの時30歳で、布袋寅泰が29歳。
B'z松本孝弘も30歳、稲葉浩志は26歳。

ちょっと遠いところだと、吉川晃司25歳、徳永英明30歳、桑田佳祐35歳、山下達郎37歳だった。

人気曲ランキング

電リクみたいな形で当時のTMの人気曲ランキングが行われ、ベスト5が発表されていた。

5位は「Dive Into Your Body」
4位は「Come On Everybody」
3位は「Self Control
2位は「Get Wild
1位は「The Point of Lover's Night」

という結果だが、「The Point of Lover's Night」はリリース直後だったので1位になったのだろう。

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今だとこういう結果にはならなくて、「Get Wild」一択だと思う。
「The Point of Lover's Night」はリニューアル後の「Rhythm Red」「Time To Count Down」よりは控えめだがディストーションギターがギュンギュン鳴っている。サウンドも重め。
小室哲哉がこの曲がリニューアルの前哨戦だ(大意)ということを言っていて、今だとどういう意味か分かるが当時は分かってなかった。「The Point of Lover's Night」はアレンジこそ少しハードロックに寄っているが控えめなのでファンもそこまで抵抗感がなかったのだろう。

この曲の次にリニューアルと銘打って出してきたシングルは「Time To Count Down」で、ディストーションギターと高速ツーバス、イントロのピアノ速弾きで完全にハードロック・メタル路線に舵を切った。これは「今までのTMではない」んだけど、メロディの付け方は小室哲哉っぽくて、このメロディの付け方が「今までのTMである」という感じ。
友達は「ラーラーララララ」がTMっぽいなと言っていたけど。

どちらかというと「Time To Count Down」よりも「World's End」の方がTMじゃなくなったなと思った。イントロとアウトロとギターソロ長すぎるよーって。

「The Point of Lover's Night」に話を戻すと、TMサイドとしてはこの結果と初のオリコンチャート1位を取ったのを見て、ファンの水慣らしに成功したと思ったのではないだろうか。
ただ、僕の周りだとギターがうるさいと言っている人はいたので、ちょっと抵抗あったのかなと思ってはいる。
自分はあまり気にならなかった。

B'zも2年後の「Zero」でハードロック路線に「回帰」する。
「回帰」と書いたのはもともとご両人ともハードロック好きだからで、松本孝弘は言わずもがな、稲葉さんは和室にドラムセットを持ち込んでLOUDNESSの「CRAZY DOCTOR」を完コピしている若い頃(1985年)の動画がYouTubeに上がっている。

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「Dive Into Your Body」については「B'zが真似したんですよー」と小室哲哉が言って、木根と宇都宮が苦笑いするが、小室は即座に「いやそういう意味じゃなくて、ディスコで受ける曲をやると女の子にモテると言った」と訂正。

ただ二人の苦笑いにはちょっと含みがある感じがした。
このラジオの中で、なぜか松本孝弘モデルのヤマハのギターをプレゼントすることになっているし、そもそも元々ツアーメンバーなので旧知の仲。だけどB'zとしてデビュー。この当時のB'zはTMと似た路線だった。
レコード会社は天下のエピック・ソニービーイング(ビクター)と双方違うが、弟分的な思いはあったと思う。
だがあっという間に追いついて、先に「太陽のKomachi Angel」でチャート1位も取られて焦りはあったんじゃないかな?

結局、B'zは「太陽のKomachi Angel」から連続1位記録が今の今まで途絶えてないほどビッグなグループとなったが、TMは1994年に解散してしまう。

ビーイングの有名な戦略として、ヒットしているグループを参考にして量産型グループを作りヒットを飛ばす、というものがある。B'zは初期こそTMの量産型だったが、TMを飛び越えさらに変化したことにより、ビーイング臭が無くなった珍しいグループだと思う。

「Come On Everybody」は、これで紅白に出たからランクインしたのかな?と言っていた。
小室「紅白に出たことで自分たちのことを何も知らない人に説明しやすくなった」
木根「紅白のあの曲やってたグループね?ってこと?」
小室「いや、何の曲やったとか普通の人はそこまで覚えてない、紅白に出たことでハクがついた」(大意)
小室の認知能力は見事で、確かに沢山でたグループの初めて聴く1曲なんて覚えてない。

実は、この「Come On Everybody」はリプロダクションバージョンの方が自分の好みである。

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当時、友達に「曲って最初に聴いたオリジナルが一番良いと思うものだよ」と言われていたんだけど、「そうかなぁ」と思っていたのはこの曲のリプロダクションバージョンの存在がある。
当時なぜリプロの方が好きだったか良く分からなかったが、単にナイル・ロジャースが好きなんだろうなという気がする。中学生当時、シックなんて聴いてなかったし。

Self Control」は、サビの部分で機械的な「Self Control」というコーラスが入るが、これを木根尚登が鼻をつまんで作った、とふざけて話していたが、結局のところ、小室哲哉がシンセを駆使して作ったと訂正されていた(木根の声がベースというのは本当)。これを34年後に聞いてそういえばそんなこと言っていたなとフラッシュバックした。

「「Self Control」またやりたいよね」というフレーズは脳裏に残っていた。
この言葉を聞いた時点ではリニューアルでどうなるかまだ分かってなかった。ただコンサートでやるってことなのかと思っていた。それで2ヶ月後に出てきたのが、「Rhythm Red」「Time To Count Down」なので、「全然違うじゃねーかよー」という思いと、アルバム制作時にハードロック路線ばかりやっていて「Self Control」みたいなのやりたくなったのかな?と後で思った。


ちなみに、以下が10年前に書いた記事。「TMNリニューアル」で検索すると2番目に出てくる、やめて欲しい。
ちなみに1番目に出てくるのはものすごい情報量で他の追随を寄せ付けない「20 Years After -TMN通史-」さんである。それに比べると中身が薄すぎるので本当に2番目とかやめて欲しい。

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