俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

B'z初期を振り返る

natalie.mu

 

B'zのサブスクが解禁されたようです。

 

朝のローカル情報番組を見てたら、B'zの何の曲が好きかみたいな話題で、ウルトラソウルとかイチブトゼンブ、とか言ってて、ある人は後者を知らないとか、なにやらB'zは世代によってバラツキがあるんだなと。

 

自分は、B'zの初期の頃は結構聴いていて、いつからか聴かなくなってしまったけど、たまに思い出したように聴く感じです。別に昔の方がが良かった、とかじゃなくて、音楽的な興味が他のところにいったというだけです。

 

以前にBurrn誌がB'zを取り上げた際にハードロックなB'zの曲をチョイスしたけど、ハードロックを聴きはじめてからB'zを聴いた時に改めて好きになった曲のチョイスなので、ハードロック目線。それ以前の自分ならまた別のチョイスになるでしょう。

 

 

shintaness.hatenablog.com

 

 

ラジオで「BE THERE」を聴いたときにB'zを初めて知りました。

ちょうどお小遣いでCDラジカセを買ったばかりの頃だったのですが、肝心のCDがなかったので、初めて買ったCDが、その「BE THERE」の8cm CDだったのです。で、二歳下の弟がB'zを気に入り、そのすぐ後にリリースされた「太陽のKomachi Angel」は弟が買いました。その後は弟がB'zを集めることになり、自分はそれからB'zにお金を出したことがないのです。

 

弟は「RISKY」くらいまではコンプしてたんですが、その後興味が無くなったようでした。その頃にはB'zはすっかりメジャーになっていてクラスの誰かは必ず持ってるみたいな状態なので、ほとんど友人間の貸し借りで完結してました。

 

せっかくなので思い出と共に初期の作品を振り返ってみます。

 

メジャーデビュー

だからその手を離して(1st シングル - 1988年9月21日 圏外)
B'z(1st アルバム - 1988年9月21日 47位)

 

だからその手を離して

だからその手を離して

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知らなかったけど、シングルとアルバム同時発売だったんだなぁ。シングルは圏外でアルバムはかろうじて47位。

この頃は小学校6年生だったので、自分は歌番組で流れる音楽しか聴いてない時期です。なので、光GENJIとか、浅香唯の「C-Girl」とかサザンの「みんなのうた」とかそういうのは聴いてましたが、この頃のB'zはかなりマイナーだったはず。

このアルバムを初めて聴いたのは、多分1990年の後半(10月くらい)だと思います。

その時の印象としては、シングル以外は地味、そしてなんかサウンドが古臭い、でした。1990年に聴いたので、たった2年前の作品でしたが、なんかB級感が漂う。シングルは良いんですけどね。

兄貴分のTMネットワークは、「ピコピコ」的なパブリックイメージがありますが、意外にもこの時期の作品はそうではなくて、1988年は「Carol」の頃でしたが「Carol」やその前年の「humansystem」は、アレンジも洗練されてるし音も良い。それに比べると、このアルバムはアレンジのせいか80年代後半によくあった没個性的なサウンド、に聴こえる。ゲートリバーブのせいもあるし、打ち込みドラムのサウンドって結構時代感が出る。

「Be There」で初めて聴いたときは、TMネットワークのフォロワー的な感じだなと思ったんですが、この時期は(書き方は悪いが)TMの劣化コピーのような・・・。

今になって思うと、典型的なビーイングの作品だなという感じですね。

  

君の中で踊りたい(2nd シングル 1989年5月21日 圏外)
OFF THE LOCK (2ndアルバム 1989年5月21日 33位)

 

君の中で踊りたい

君の中で踊りたい

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これも同時発売ですね。中1になったばかりの頃。ベストテン番組は基本的にシングルしか流れないので圏外のものは聴いてません。なのでこれも当時は知らない曲でした。

多分この頃はプリプリが流行っていたのでそればかり聴いていたと思います。

 

このアルバムを初めて聴いたのも、多分1990年の後半(10月くらい)だと思います。

1stはあまり聴きませんでしたが、こっちは結構聴いてました。アレンジもサウンドも前作よりも洗練された感じがします。

 

シングル「君の中で踊りたい」はTMの正統後継者って感じですね。「Hurry Up!」も「Be Together」みたいですし。

 

一番聴いたのは「Oh!Girl」でしょうね。これ多分このアルバムで一番人気ありますよね?当時から人気曲だったと思います。

このアルバムから青山純さんが参加してるようです。このアルバムでも自分が好きな曲は青純が叩いてますね。青純はTMネットワークのスタジオアルバムでも叩いているので、その流れなのかな。   

TMネットワークは、スマイルガレージという山下達郎の事務所が持っていたスタジオでレコーディングしてて、そのせいなのか、山下達郎のバックバンドがTMのスタジオアルバムに参加してます。TMがスマイルガレージを使ってたのが謎だったんですが、山下達郎直系の村田和人さんのバックバンドにTMでデビューする前の小室哲哉がいて、その流れなのかなと。(推測)

 

「Guitar Kids Phapsody」も好きですね。この頃はTM NETWORKをメインで聴いていた頃なので、バンドの花形はキーボード、と思ってたんですね。産まれたてのヒヨコが、初めて見たものを母親だと思う、みたいなアレです。なので、「へぇ、ギターが好きなんだね、この人たちは」みたいな第一印象だったんですね。

世間的には、ロック誕生からずっとギターが花形だった、という歴史がこの頃の僕は知らなかったので、この時代の人はこういう感じだったんだなぁと。昔のこち亀を読んだときみたいな感じです。

 

 

ブレイク前夜

BAD COMMUNICATION(1st ミニアルバム 1989年10月21日 12位)

 

BAD COMMUNICATION

BAD COMMUNICATION

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当時意識していなかったけど、後から聴いたら知っていたので無意識にどこかで聴いていたんだと思います。

この曲でブレイクした、と書いてあったのを見たことがありますが、ブレイクってほどのところまで行ってないんじゃないかなぁ。なぜなら知らなかったから。コアな音楽好きの人の間ではブレイクしてたのかもしれませんが。

 

これも1990年の10月頃に、弟が買ってきたのを聴いたんだと思います。

みなさんご存知の通り、リフはZeppelinの「Trampled Under Foot」に似ているのですが、Zeppelinなんて知らない中学生なので、そんなこと気にせずかっこいい曲だなと思って聴いてました。

しかし、洋楽を聴き始めてZeppelinに手を出した人がかならずこの曲をパクリだと言い出すんですね。

まあリフだけ見ると確かに似てるけど。ミクロでは。マクロでは全然似てない。ちなみにオレンジレンジロコローションも全然ロコモーションじゃない。

曲の完成度としてはこっちの方が上だし、ZeppelinだってPurpleだってパクりパクられの歴史なので、なぜB'zだけそんなに言われるんだという感じです。

 

LADY-GO-ROUND(3rdシングル 1990年2月21日 39位)
BREAK THROUGH(3rdアルバム 1990年2月21日 3位)

 

 

LADY-GO-ROUND

LADY-GO-ROUND

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この頃はまだマイナーでしたが、テレビにはちょこちょこ出てたのかな?やっぱりTMフォロワーの雰囲気がありますね。やたらギターが上手いTM。

 

これで、ようやくシングルがトップ40に入ったようですが、しかしながら39位だとなかなか耳に止まることはないですね。

 

「BAD COMMUNICATION」の後なのでもうちょっと売れても良さそうですが、このくらいに留まりました。ただ、アルバムは3位で、ブレイクはまもなく、という感じです。

 「LADY-GO-ROUND」はもうちょっと売れても良かった気がしますが、なんででしょうね。同時発売だったからみんなアルバム買ったのかな?カップリングもアルバムに入っちゃってるし。

 

これも1990年の後半(10月くらい)に聴いたと思います。これも結構聴いたアルバムではあります。サウンドも前作よりもかなり洗練されました。エコーは強めですが。曲によっては久保田利伸みたいに聴こえたり。好きな曲は結構多いです。

 

「SAVE ME!?」はパープル・ヘイズのリフがそのまま入っているんで、これもパクリと言われてましたが、まあお遊びで入れたってことですね。

ちなみに自分の基準で完全にパクリでしょ、ってのはシブがき隊の「ZOKKON命」とかその辺。この曲はふざけて入れたの分かるでしょ?という感じ。

 

ブレイク

BE THERE(4thシングル 1990年5月25日 7位)
太陽のKomachi Angel(5thシングル 1990年6月13日 1位)
WICKED BEAT(2ndミニアルバム 1990年6月21日 3位)

 

BE THERE

BE THERE

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太陽のKomachi Angel

太陽のKomachi Angel

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ここからリアルタイム。このシングルでB'zの存在に気づきます。やはり10位以内に入ると世間の耳に留まります。

「BE THERE」から 「Komachi」までは3Wありますが、当時はえらく早くリリースしたなぁと思ったものです。「この前出たばかりだよね」みたいな。

大体シングルのリリースのインターバルは3ヶ月くらいかなと思っていたので。

「Bad Communication」でブレイク寸前だったのに、次の一手が遅かった(LADY-GO-ROUNDは4ヶ月後)ことの反省があったのかなと思ったり(知らんけど)。

 

太陽のKomachi Angel」は今でこそ耳が慣れてしまっているけど、当時はすごいインパクトで、なんだそりゃ?って感じでした。この頃、最先端のバンドが「小町」みたいな古めかしい単語を使うということが驚きで。小室哲哉もこのタイトルを聞いて驚いたようで、TMはBOOWYがライバルだと思ってやってたけど、B'zはさらに超えてきた、みたいなことをどこかで言ってたような。 

 

ただ「小町」の布石は少しあって、「Lady-Go-Round」はサビの歌詞が「こひしかるべし わがなみだかな」なんですよね。なにやら稲葉さんがこの頃万葉集からヒントを得てたとかなんとか。椎名林檎は大正時代をモチーフにしてましたが、B'zは奈良時代ですか。

 

そして、そういや初の大ヒットってこれだったよな、と改めて聴くと不思議な感じ。曲調もB'zっぽくないので。今のB'zのステロタイプなイメージとは全然違いますよね。ラテン系ダンスナンバーみたいな。強調も歌詞も異色で、B'zの初の大ヒットがこれだったというのは今考えると不思議な感じではあります。

 

で、全編英語のセルフカバーというかリミックス?のWICKED BEAT は、当時もすぐに出たなとは思ったんですが、「Komachi」から一週間後に出たとは驚き。

 

Easy Come, Easy Go!(6thシングル 1990年10月3日 1位-3週連続)
愛しい人よGood Night...(7thシングル 1990年10月24日 1位)
RISKY(4thアルバム 1990年11月7日 1位)

 

Easy Come, Easy Go!

Easy Come, Easy Go!

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「RISKY」周辺のリリース。シングルカット2枚とアルバム。「Easy Come, Easy Go!」はめちゃくちゃヒットしてたなぁという実感。ここから数年のB'zのパブリックイメージはこの曲になってると思います。前作からのインターバルは4ヶ月なので、小町はかなり短命ですね。この曲はいわゆるJ-POP的な曲(とうじそんな言葉はなかったが)で、デビューから継続していたダンサブル路線は前作で最後となり、TMフォロワー感はこの辺りから薄まっていきました。

 

「RISKY」は初めてリアルタイムで聴いたフルアルバムになります。

前アルバムから8ヶ月でリリースしているところを見ると、ここが勝負だから畳み掛けようという感じにも見えますが、実は1stアルバムの頃からリリース間隔は8ヶ月くらいなので大体同じなんですね。多作です。デビューから数年間のビートルズみたいです。

B'zのアルバムで個人的にメチャクチャ聴いたのはこれと、「IN THE LIFE」と「Brotherhood」の3つです。特にこのアルバムは中2の頃に聴いたので思い出とガッツリ結びついているので、イントロの「Risky where do you go」という語りを聴くと、「アイルトン・セナ」「夏祭り」「壊れかけのRadio」「真夏の果実」「TMNのリニューアル」「浪漫飛行」「最後のニュース」「初恋」などなどが、渾然一体津波のようにフラッシュバックしてしまう。

 「Gimme Your Love」が一番好きですね。この曲はモトリー・クルーの「Live Wire」がよく引き合いに出されますが、曲全体としてはファンク・ロックで、多分スティーヴィー・サラス・カラーコードの1stからインスパイアされているんじゃないかな。「Harder They Come」あたり。 その後、稲葉さんとバンド組むとは。

 

ヒット連発

LADY NAVIGATION(8thシングル 1991年3月27日 1位-2週連続+1週)

 

LADY NAVIGATION

LADY NAVIGATION

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「Risky」から4ヶ月後にリリース。これもめちゃくちゃヒットした実感あり。

もうこの頃になると、TM云々関係なくB'zから入ってくる人が多かったんじゃないかな。「B'zとTMってなんか関係あるの?」みたいな。

 

ちなみに、1992年にaccessがデビューする頃には、TMのフォロワー感はaccessが持っていきましたね。その頃にはB'zがTMフォロワーだったことをすっかり忘れてました。そういえば昔TMっぽかったなぁ、みたいな。

 

ただ、この曲に関しては結構TMっぽいサウンドですね。TMの「Dive Into Your Body」とか小室哲哉の「Runnning To Horizon」に近い。

しかしこの頃のTM NETWORKTMNにリニューアルしていたし、サウンドもハードロック路線に移行していたので、オリジナルなTMサウンドを埋めるように担っていたのはこの頃のB'zだったんじゃないかなと。

皮肉にもこの曲の大ヒットで、TMはB'zに大差付けられたな、みたいな感じでしたね。本家超えしたみたいな。 

  

MARS (3rdミニアルバム 1991年5月29日 1位)

 

これも売れていました。個人史だと、中3なので、まもなく修学旅行というタイミングですね。ただ自分はこの頃、既に解散していたBOOWYにハマっていた頃で、そこまで熱心には聴いていません。全然聴いてないとかじゃなくて、熱量としてBOOWY関連への比重が強かったということです。

B'zはかなりメジャーになったので、当然クラスでも何人かが持っていました。

一方、TMNは、ハードロック路線への転向に伴い固定客離れがあったことに日和ったのか、「Love Train」という原点回帰の保守的なシングルをリリースしましたが、これが1991/5/22。カップリングが「We Love The Earth」で、これが「Love Train」からさらに遡る回帰路線。TMが元に戻ったタイミングで、B'zは若干ハード寄りになります。このハード路線は次のアルバムでも継続します。(ただ、本人たちはJ-POP風と言っていますが)

 

チャート上位の常連へ

ALONE(9thシングル 1991年10月30日 1位-2週連続)
IN THE LIFE(5thアルバム 1991年11月27日 1位-2週連続)

 

Crazy Rendezvous

Crazy Rendezvous

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この頃はすっかりBOOWYにハマっていた頃ですが、このアルバムはかなり聴きました。弟は既に B'z を集めてなかったので、友達に借りてカセットテープで聴いてたんだっけな。

 

このアルバムもフラッシュバックしますね、色々と。「受験」「模試」「プラモデル」「失恋」などなど・・・。

「RISKY」は今聴くと、いかにも90年代初頭の音って感じがしますが、このアルバムは今聴いてもそんなに古くは感じないですね。このアルバムが一番聴いたかもしれないです。

「Wonderful Opportunity」「Crazy Rendezvous」などなど。「TONIGHT」は山下達郎を意識したそうですが、これもドラムが青山純さんですね。

 

熱心に聴いてたのはここまでで、ここから先は惰性で聴いてました。なので、自分とB'zの物語はここまで。ここから先はエピローグということで。

 

BLOWIN'(10thシングル 1992年5月27日 1位-2週連続)

 

これ、こんなに売れてたんだなぁ。これ、高1になったばかりの頃で、まだあまり周りと仲良く無かったころなのでレンタルCDで借りたんだっけな。高1はあまり良い思い出がなく、暗い思い出ばかりがフラッシュバックします。さらに曲としてもそんなに好きじゃないんですが、結構売れたようです。ビーイングブームはこれよりちょっと先ですが、ビーイング臭がする曲調ではあります。

 

ハード路線への挑戦

 

ZERO(11thシングル 1992年10月7日 1位-2週連続)
RUN(6thアルバム 1992年10月28日 1位)

 

ZERO

ZERO

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シングル「ZERO」はかなり賛否両論でした。なんせTMの派生だと思っていた人たちからすると、ディストーションギターが耳につく、かなりのハードロックだったからです。TMから入った人からすると、歪みが強いディストーションギターってかなり刺激が強いんですよ。

ただ、自分に関して言うと、TMNのリニューアルを経ていたので免疫があって、全然抵抗なかったし、布袋寅泰のGUITARHYTHM III もこの頃の作品ですが、それも割とハード。

自分はビーイング臭のする前の曲より全然良い、と思ったのですが、僕の友人ははっきりと嫌悪感を示してました。カップリングがバランスを取ったのか、爽やかな「恋心」でこれは人気がありましたね。ただ、2週連続1位だったので一般的には受け入れられて大成功のシングルだったみたいです。自分も初期B'zの最高傑作だと思います。

 

ただ、アルバムまで聴こうとは思わなかったんですよね。なので「RUN」はほとんど聴いてなかったんで思い入れはないんですが、結構ハードですよね。「Out Of Control」とか。

 

ちなみに、世間的なビーイングブームは、ちょうどこの頃に起こっていて、WANDSやらZARDやらT-BOLANやらがヒットを飛ばすのを尻目にハードロックをリリースするのはなかなかパンクな人たちです。

 

FRIENDS(4thミニアルバム 1992年12月9日 1位)

 

これは友達が貸してくれたので一回だけ聴きました。「いつかのメリークリスマス」だけ知ってます。

 

ビーイングブーム

愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない(12thシングル 1993年3月17日 1位-4週連続)
裸足の女神(13tシングル 1993年6月2日 1位-2週連続)

 

1993年は高2の頃。ギターを始めた頃。

 

B'zは、もちろんビーイングだったのですが、しかしビーイング系と一括りにするにはちょっと毛色が違う雰囲気がありました。しかし、この頃は巷のビーイングブームに乗ったのか、ビーイングっぽさが強い時期ではあります。

個人的にビーイング的なものに嫌悪感がかなり強かった時期。BOOWY的なものを探しにビーイングにたどり着いたら違う大陸についてしまった、みたいな感じで、「見た目だけじゃ駄目なんだよ」とビーイング系を一切受け入れない耳になってました。

 

なので、この辺になると、曲は知っててもまるで聴こうともしませんでした。前作がかっちょいいハードロックでビーイング臭が極限まで薄まったのに、次のシングルがこれかよ、って感じでした。これが4週連続一位なの?って感じでした。「愛のままに」はカラオケで歌う人が多くて、他にもっと良い曲あるのになぁ、と思ってました。

 

「愛のままに」よりは「裸足の女神」の方が好きですが、まあめちゃくちゃ好きってわけでもないですね。

 

この後が「Don’t Leave Me」になるんですが、サビしか分からないのでこの辺りからリアルタイムで聴かなくなってしまいました。個人史としては、ビーイングのブームにより、邦楽が終わったんだなと思って、古い曲を聴きはじめた頃で、ひたすらビートルズの曲を聴いてた頃。

 

で、時を経て6年後。僕は大学4年になってました。軽音学部の後輩が「ギリギリchop」を弾いていて、「なにそれ良いじゃん」と。同時期に全然違うルートで仲良くなった後輩が「Deep Kiss」をカラオケで歌ってるのを聴いて「なにそれ良いじゃん」と。で、「最近のB'zは結構良いんだな」と思って聴き直したんですね。それが「Brotherhood」の頃で、そこから2年くらいは聴いてたんですがまた疎遠になりました。

 

以上