俺の記憶ストレージ Part 1&2

寂しさは琥珀となり密やかに輝き出す

追悼:インフルエンザ

 

 週別型別インフルエンザウイルス分離・検出報告数、過去4シーズンとの比較、2016/17~2020/21シーズン

 

このグラフを見る限り、季節性インフルエンザはお亡くなりになったようです。自分が子供の頃によく聞いたAソ連型の株が2009年の新型インフルエンザ登場により退場したように、今回も消えてしまうのでしょうか。

 

というわけでインフルエンザを追悼してみよう。もちろん今後復活する可能性もあるけども。

 

人生でインフルエンザに罹ったのは2回。

 

幼少期にはおそらくインフルエンザに罹ってない。多分ないと思う。風邪はよく引いていたけど40度が数日続いたって記憶がない。

 

これがインフルエンザか、と思ったのは受験を前にした高校3年の冬休み。1995年のこと。かなり昔なのであまり覚えてない。センター試験の前だったのか、二次試験の前だったのかさえ記憶にない。40度近くの高熱が数日続いたのが初めてで、「これがあのインフルエンザだったんだ」と思った記憶がある。

 

次にインフルエンザに罹ったのは2002年の正月休み。

2000年に社会人生活をスタートしてからというもの、連日の残業休出やたまの徹夜などで疲弊していた頃。年末になりようやく仕事が落ち着いて、長期連休になるなと楽しみにしていた。

その頃いた会社は、一応全国展開していた会社(ブラックだが)で、離職率は高いが事務所には100人くらいいた大所帯で、納会はホテルの大広間を借りて円卓テーブルで中華料理をつつきながら食べる、というスタイルだった。しかし、納会の中盤になると妙な寒気がしてきて、こりゃまずいなと。風邪引いたかなと思いながら納会の最後まで残って、二次会は行かずに帰った。いつもは最寄り駅からバスで帰るが流石に無理だと思いタクシーで帰ったが、家につく頃には悪寒でフラフラになっていた。

家に着いてからはあまり覚えてないが、多分この時には、これインフルエンザだな、と思っていたと思う。

自分のインフルの症状は40度近くの高熱が5日ほど継続し、それに伴い頭痛と関節痛と倦怠感が襲ってくる。感染初期には腹痛と嘔吐もあった。吐いたら少し楽になるんだけど、数時間後にまた嘔吐で1日くらい続いたと思う。

で、本当は駄目なんだけど、持病のために保管していた座薬が大量にあったのでそれを使って解熱。座薬が効いている時は割と動けるんだけど、切れるときに物凄い悪寒が襲ってくる。もう地獄なんじゃないかと思うくらいの強烈な悪寒。後日、マイルス・デイヴィスの自伝を読んだときに、麻薬の禁断症状の描写があったけど、これと同じだなと思いました。禁断症状、コールド・ターキーってやつですね。座薬入れないと死んじゃうんじゃないかというくらいキツかった。

ただ、座薬が効いていると、それなりに動ける。 

こういう時に何をして過ごしていたかは割と覚えていて、頭ぼーっとしながら、めちゃイケの中居くん日本一周特番を見ていた。あと、ちょうど注文していたデスクトップパソコンが届いたのでセットアップしていた。

座薬切れては悪寒というのを数日繰り返すと、「俺、この高熱のまま一生過ごすのかな」なんてことを思うようになる。インフルも2回目だったので、1週間くらいで治るってのは分かっているはずなんだけど。5日目くらいになるとようやく平熱に近い体温になったけど、衰弱しきってかなり疲れやすくなっていた。リハビリのためにちょっと外に出てみても、すぐ疲れてしまう。そんなこんなで正月休みが終わり出社したものの、やっぱり体力が戻らず、以前と同じような状態に戻るのに2週間弱かかった。

 

自分の場合のインフルエンザってこんな感じです。インフルエンザはかなりキツい。

 

ちなみに、納会で集団感染しているんじゃないかと思って、周りの人に聞いたらみんなインフルエンザになっていた。すごい感染力だなぁと。当時隣の席に座っていた先輩が言うには、向かいに座っていた別の先輩Tが納会の前日にゲホゲホ言いながらも出社して咳をしまくっていたらしく(自分は気づかなかった)、「あいつなんで休まなかったんだよ」と怒っていた。

ただ、2002年当時はインフルになったら○日間出勤停止みたいなルールがない時代だったはず。その辺りは個人の判断に委ねられていた。なので、インフルエンザっぽいけど仕事が忙しいから出勤する、みたいな人もいた。今では考えられないけど。

 

 学校保健安全法 | e-Gov法令検索

そういうルールが制定された時期はこれより少し後で、学校保健安全法で「インフルになったら休みましょう」という事になったのがってのが2002〜2004年頃(施行されたのが2002年で、2年以内に施行する、とある)なので、企業もそれに倣って出勤停止ルールを各社で定めたんじゃないかな。これ以降、インフルエンザになった時のルールが割と明確になった気がする。

 

 

診断と治療

このサイトを見ると、インフルエンザの迅速検査キットが1999年に、リレンザタミフルが2000年、2001年に、とありますが、実際の普及はもうちょっと後だったと思います。タミフルで異常行動が起こると話題になったのが2007年頃。この時点でタミフルとかリレンザとかそういうものの存在を知らなかったしメジャーではなかったんじゃないかな。インフルエンザの検査キットについても知らなかった。

なので、わざわざ病院も行ってません。行ってどうなる?みたいな感じ。どうせ解熱剤もらって寝るだけだし、家に解熱剤あるし、病院行くのも辛いし、どうせ病院行っても死ぬほど待たされるし、みたいな感覚。結局寝て、自分で治すしかないでしょ、みたいな感じ。今でもこの感覚は変わらないっちゃ変わらないんですが。

 

ということで、人生で2回しかインフルエンザに罹らなかったわけですが、自分が罹ったという事実も含めて、肌感覚的にこの2002〜2003シーズンはとてつもなく流行ったなという思いがあり、実際統計的にどうだったかを調べてみたので書いておく。

 

インフルエンザ 2002/03シーズン

患者発生状況:感染症発生動向調査では、 インフルエンザ定点全国約5,000医療機関(小児科3,000、 内科2,000)から、臨床診断されたインフルエンザ患者数が週単位で報告される。2002/03シーズンは、 過去10シーズンと比べて、 ピークの高さは4番目であったが(http://idsc.nih.go.jp/kanja/weeklygraph/Influ.html)、 定点当たり患者数(シーズン全体の累積)は259.5で、 1994/95シーズン(288.3)、 1992/93シーズン(276.1)に次ぎ3番目に多かった。2002年第50週に全国レベルで定点当たり 1.0人を超えた後、 急激に増加した。2003年第4週をピークに減少し、 第15週には定点当たり1.0以下になった(図1)。都道府県別にみると(図2)、 九州で早く、 東北・北海道で遅れて患者報告が増加した。青森、 秋田では第17週、 鳥取では第18週まで定点当たり1.0以上の報告が続いた。年齢群別でみると(表1)、 3~5歳をピークに0~9歳の患者が約6割を占めていた。

 (余談だが、初めて感染した1994/95シーズンもやっぱり流行ってた模様)

 

定点当たり患者数(シーズン全体の累積)は 259.5 とのことですが、これだとよく分かりません。定点が5,000なので、単純に 259.5 × 5,000 = 1,297,500 で 130万人ほど。ただ、これは受診した人の合計であって、自分なんかは受診してないのでここに含まれません。

 

そこで、翌年2003〜2004シーズンのレポートを参照してみます。

 

インフルエンザ 2003/04シーズン

2003/04シーズンのインフルエンザ定点報告患者数は約79万人、それから推計される日本全国の患者数は約923万人で、最近10シーズンでは中規模の流行であった。(中略)感染症発生動向調査では、全国約5,000のインフルエンザ定点医療機関から、臨床診断されたインフルエンザ患者数が週単位で報告されている。2003/04シーズンのピークの高さは、過去10シーズンで6番目とちょうど中間に位置し、シーズン全体の累積患者数は定点当り166.0で、2000/01(65.6)、1995/96(138.2)、2001/02シーズン(143.7)に次いで4番目に少なかった。

  

とのことです。

923 ÷ 79 = 11.68 なので、定点報告数の 11.68倍が実際の感染者とすると、

130万人 × 11.68 = 約1500万人!!

 
この頃の人口は1億2700万人程なので約12%。10人いれば1人くらいは罹っていたということです。

 

なので「流行っているなぁ」と思うのは10人中1人感染者がいるくらいなんだろうなと思います。

 

ちなみに、このときの死者数については 1171人とのこと。

第5表 死因簡単分類別にみた性別死亡数・死亡率(人口10万対)

 

ただし、超過死亡という概念があり、それによると2002〜2003年シーズンの死者数はおよそ11,000人とのこと。

 

インフルエンザ超過死亡「感染研モデル」2002/03シーズン報告

2002/03シーズンのインフルエンザによる超過死亡は、 1994/95、 1996/97、 1998/99、 1999/2000シーズンに次いで多く、 2001/02シーズン同様の二峰性を示している(図)。ちなみに、 超過死亡数は1999/2000シーズンは13,846人、 2000/01シーズンでは913人、 2001/02シーズン1,078人であるのに対して、 2002/03シーズンは11,215人であった。また、 2002/03シーズンも、 過去に超過死亡が明らかに見られたシーズンと同様にA/H3N2型とB型との混合流行であった。

 

つまり、このシーズンはインフルエンザで12,000人近く亡くなっていたということになりますね。

 

このサイト見ると、インフルエンザでめちゃくちゃ死んでいたんだなと。

honkawa2.sakura.ne.jp

 

ちなみにインフルエンザ直接死を厚労省の人口動態調査の統計データから抜粋してみたらこんな感じでした。

人口動態調査 結果の概要|厚生労働省


1996年 166人
1997年 815人
1998年 528人
1999年 1382人
2000年 575人
2001年 214人
2002年 358人
2003年 1171人
2004年 694人
2005年 1818人
2006年 865人
2007年 696人
2008年 272人
2009年 625人
2010年 161人
2011年 574人
2012年 1275人
2013年 1514人
2014年 1130人
2015年 2262人
2016年 1463人
2017年 2569人
2018年 3325人
2019年 3575人

2012年あたりからジワジワと上がってきてましたが、2020年から先はどうなるんでしょうね