俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

コステロ自伝 ANNEX Part 20

第20章「アイ・ラヴ・ザ・サウンド・オブ・ブレイキング・グラス(I Love The Sound Of Breaking Glass)」、これはニック・ロウの曲名から。

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1977年末のアメリカツアーの翌年、ラウンドハウスというライブハウスでコンサート。
Concert 1978-01-20 London - The Elvis Costello Wiki

コステロは1970年にこのライブハウスで「ジ・インクレディブル・ストリング・バンド」を見ている。この時のショーは詩の朗読、ダンス、演劇などを含んだものだったらしい。
なんか米米CLUBを思い出しましたが。
その筋の方では有名なのかもしれませんが、全く知らないバンドです。サイケデリック・フォーク・バンドとのこと。UKチャートでは5位まで行っているので
ここのシンガーのリコリス・マッケンジーという女性のファンだったそうだ。Wikipediaによると90年以降は消息不明で元メンバー曰く「すでに亡くなっている可能性が高い」とのこと。
「All Writ Down」はマクマナス青年が15歳の時に聴いた曲だが今聞いてもホンモノだ、とのこと。
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「Hand In Hand」はニック・ロウの為に質の悪い取り巻きがいるパラノイアのロックスターを風刺して書いたそうだ。
結局ニック・ロウは歌詞を嫌って歌わなかったのでコステロがレコーディングする。

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ニック・ロウデイヴ・エドモンズロックパイルというバンドを組んでいたがその頃の揉め事にインスパイアされたようだ。
ここで、一見さんにはよく分からないロックパイルの歴史について。

1976年頃、ブリンズリー・シュワルツが解散したあと、ニック・ロウ(Vo/B)、デイヴ・エドモンズ(Vo/G)、ビリー・ブレムナー(Vo/G)、テリー・ウィリアムズ(Dr)でロックパイルを結成。
ロックパイルは1980年に出たアルバム「Seconds of Pleasure」が一枚しかなく、活動期間の割に寡作だと思われがちだが、実はレーベル問題が関係していて、実質ロックパイルのアルバムがエドモンズとロウ名義でリリースされている。
(そう考えると、ナイアガラ・トライアングルVol.2は凄いなぁと思う)
実質マイルス・デイヴィスのアルバムだけど、キャノンボール・アダレイの「Somethin' Else」を思い出してしまいましたが。

とは言え、ロックパイルが数曲みたいなアルバムもあり、これもまたややこしさに拍車をかけている。
まとめると以下のような感じ。

1977年 Get It (デイヴ・エドモンズ名義/スワンソング)

※ 一部演奏のみ、かつRockpileのトリオ編成(ブレムナーがいない)

1978年 Jesus of Cool (ニック・ロウ名義/レイダー)

※ 一部演奏のみ

1978年 Tracks on Wax 4 (デイヴ・エドモンズ名義/スワンソング)
1979年 Repeat When Necessary (デイヴ・エドモンズ名義/スワンソング)

コステロ作大ヒット「Girls Talk」収録

1979年 Labour of Lustl (ニック・ロウ名義/レイダー)

※ 大ヒット「Cruel To Be Kind」収録

1980年 Musical Shapes (カーレーン・カーター/F-Beat)

※ 一部演奏のみ

1980年 Seconds of Pleasure (ロックパイル名義/F-Beat)
1981年 Twangin... (デイヴ・エドモンズ名義/スワンソング)

※ 一部演奏のみ

ちなみにエドモンズの「Rockpile」というアルバムはロックパイルではないのもややこしさに拍車をかけている。

ルールみたいなものはあって、エドモンズ名義のアルバムは演奏はロックパイルだがメインボーカルはエドモンズ、ロウの場合も同様。
ロックパイル名義はボーカルをエドモンズ、ロウ、ブレムナーで分け合っている。

ロックパイル関連のヒット曲としてはまず、ニック・ロウ名義の「I Love the Sound of Breaking Glass」が1978年2月リリースで4月には全英7位のヒット。
コステロ側としてはちょうど「Chelsea」がチャートを駆け上った頃(最高16位)。

その後、エドモンズ名義、コステロ作の「Girls Talk」が1979年5月リリースで7月には全英4位まであがる大ヒットになった。
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ちなみにエドモンズは1970年に「I Hear You Knocking」で既に全英1位、全米4位の大ヒットを記録しているので、日本での知名度だとそうでもないが欧米ではそれなりに有名なアーティストだったのだろう。
私のフェイバリットなハードロックバンドのサンダーがこの曲をカバーしていたので、有名な曲だったのだろうと推察。

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「Oliver's Army」が1979年の3月に最高位2位まで行ったので、その余波もあったのかな?
「Girls Talk」はコステロロックパイルのセッションに参加したときに酔っ払って見せびらかして披露していたらエドモンズに盗られた(もちろん両者合意の上で)、と言っている。
こんなにヒットするならあげなきゃよかったと冗談交じりに言っていた。
コステロのアレンジとエドモンズのアレンジは全然違うが、コステロのアレンジだとここまでヒットしていかは微妙。

さらに、ロウ名義の「Cruel to Be Kind」が1979年8月のリリースで10月には全英全米共に12位。ニック・ロウの楽曲で全米チャートが最も高い曲で最も有名な曲だと思われる。
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もともとブリンズリーのための曲だったが、リリースされなかったのでソロ(というかロックパイル)用に転用。
前の2曲よりもイギリスでのチャートアクションは低いが、全米でもヒットしたためか、日本での人気が高い気がする。
佐野元春の1980年の「ガラスのジェネレーション」はプロデューサー伊藤銀次から「佐野くん、ニック・ロウで行こう!」という助言でアレンジが固まったらしく、念頭にはこの曲があったのではないかな?

こんな珍盤もあります。
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山下達郎のサンソンでオンエアされてから知名度が増したそうな。サンソンはオールディーズの番組なので70年代後半の曲はあまりかかりませんが、ニック・ロウはたまにオンエアされている気がします。

この頃、こういう感じの曲やバンドが多く、これはいわゆるパワーポップの代表的な感じの曲だけど、ここから先パワーポップは一旦先細ってしまう。
70年代のパワーポップのハシリはスウィートの1975年「Fox on the Run」と「Action」かなと思っている。スウィートは一般的にはグラム・ロックだが、この曲は僕の感覚だとパワーポップ

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USのバンドだが、1978年のチープ・トリック「Surrender」が大ヒット、1979年にはナックの「マイ・シャローナ」が全米1位の特大ヒット。

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全然有名ではないけれど、私のお気に入りでコステロオープニングアクトだったUSのルビナーズもこの頃のバンド。
コステロだって2nd, 3rdはパワーポップと呼んでOKだと思う。

1970年代末期はブラック・ミュージック界からディスコブームが発生して、ディスコビートを取り入れるバンドが多かったけど(KISS、ストーンズ、クイーン、ウイングス等など)、実はパワー・ポップのブームに敏感だったアーティストもいる。
それがリッチー・ブラックモアで、レインボーで「Since You Been Gone」という、それまで城とか魔法とかドラゴンとかを歌っていたバンドとは思えないくらいのぱパワー・ポップに挑戦したのも1979年のことだった。
レインボーのファンは当時阿鼻叫喚で、ネガティブな意見が多かったそうだが、結局全英6位の大ヒット。その後もレインボーは1981年に「I Surrender」が全英3位、全米19位まで上がる。
「Since You Been Gone」を誰もパワーポップと呼んでないけど、これはパワーポップです!

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パワーポップの進化系がメロコアだと思っているのだけれど、Hi-STANDARDも「Since You Been Gone」をカバーしているあたり、よく分かっていると思う。

実はリッチー・ブラックモアは1976年の様式美メタル一直線の頃にスウィートのステージに飛び入り参加し、フリーの「All Right Now」を演奏していて、交流はあったようだ。
リッチー・ブラックモア自身はアバが好きだと言っていたがパワーポップ系のバンドも耳に入っていたに違いない。
これがパワーポップとの接点だったかどうかは分からないが、他ジャンルのハードロック界に影響を与えるほど当時のパワーポップには力があったと言えるのではないか?
クイーンは元々パワーポップ気味だったので除外したとして、ハードロック系でここまで急激にパワーポップに擦り寄った例は少ないと思う。

ただ、「マイ・シャローナ」の特大ヒットの後は潮が引くように一旦ブームは影を潜める。まあ沢山出てきたので飽きたってことでしょうね。


ロックパイルのレーベル問題と言うのはデイヴ・エドモンズスワンソングと契約していたから。
スワンソングレッド・ツェッペリンプライベートレーベルみたいなもので、プリティ・シングスバッド・カンパニースワンソングだった。
ツェッペリンは「フィジカル・グラフィティ」からスワンソングになる。
大昔、バドカンの1stのリマスター盤CDを買ったときに、レーベル面にレッド・ツェッペリンと同じマークが書いてあって不思議に思ったものだが、あれはスワンソングのシンボルマークだった。

どちらかというと、レッド・ツェッペリンとは距離の遠そうなデイヴ・エドモンズが在籍していたのが不思議だが、ロバート・プラントがスタジオにフラッとやってきて曲を聴いたあとにスワンソングと契約しよう、と言ってきたらしい。
ロバート・プラントが気に入っていたんだろう。ちなみにロバート・プラントの方が4歳年下である。
ロックパイルはバッド・カンパニーとツアーを行ったりしていたが、音楽的な接点はほぼなく、各々のアルバムのゲストもツェッペリン、バドカンの人脈はなく、ヒューイ・ルイスなどのクローヴァー人脈、ロウ、コステロと同じスティッフのグレアム・パーカー&ルーモア、ブリンズリー・シュワルツの人脈やらが総動員という感じだ。
ロックパイルの曲の中には、グレン・ティルブルックとクリス・ディフォードのスクイーズコンビや、グレアム・パーカー、コステロの曲もある。

今考えると、コステロの曲「Girls Talk」が、「天国への階段」のヘビロテにウンザリしていたレッド・ツェッペリンのレーベルから出ていたというのがなんとも不思議である。


「This Year's Model」は当初1stと同じパスウェイスタジオで録音されていたが、途中からエデンスタジオになる。エデンは24トラックレコーディングが可能だったそうな。
とは言え、このアルバムに24トラックは多すぎる気もする。
1978年頃のアルバムのサウンドは結構特徴的で、中低域がかなり強めにミキシングされていることが多い気がする。タムの音が大きすぎるというか。ドラムもデッドな感じ。
このアルバムもその傾向が多少あるがあまり気にならない。音はかなり良いと思う。

この章では「This Year's Model」の楽曲の種明かしをしている。お気に入りの曲を引用してアレンジしたとのこと。

「Chelsea」はザ・フーの「I Can't Explain」、ジミヘンの「Fire」が元ネタ。
「You Belong to Me」はストーンズの「Last Time」。
「This Year's Girl」もストーンズの「Stupid Girl」と、ドラムパターンがビートルズの「Day Tripper」。個人的には「Ticket To Ride」かなと思っていたけど。
2008年のHip-Oリイシューだとこの曲の超高速アレンジのバージョンが収録されている。

「Pump It Up」はディランの「Subterranean Homesick Blues」が元ネタ。

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コステロチャック・ベリー「Too Much Monkey Business」(1956)→ディラン「Subterranean Homesick Blues」(1965)→コステロ「Pump It Up」(1978)→U2「Get On Your Boots」(2009)と引用された系譜がある、と説明する。

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この本には書かれていないが、1977年10月にダムドの「Neat Neat Neat」をアトラクションズでカバーしている。
ダムドバージョンとは全然違う曲に聴こえるがこの時のアレンジが「Pump It Up」の元ネタになったと思っている。サビのところなんてほぼ同じ。


「Little Trigger」のイントロ、「Lipstick Vogue」のアトラクションズのレベルの高い演奏は、1977年当時の他のバンドでは真似できなかった、と自画自賛している。

ちなみに「Lipstick Vogue」のBPMは150である。この当時、まだスラッシュ・メタルは出てきていない。スラッシュ・メタルよりは遅いが、この曲のテンポはかなり速いと思っていた。

メタリカ最高速は1984年の「Fight Fire With Fire」だが(たぶん)、これがBPM184。
1980年のモーターヘッドAce Of Spades」でもBPM140。
1978年より前のハードロック系で探してみた。

1971年 ディープ・パープル「Fireball」BPM121
1973年 クイーン「Stone Cold Crazy」BPM120
1978年 レインボー「Kill The King」BPM119
1978年 ジューダス・プリースト「Exciter」BPM130
1978年 クイーン「Dead On Time」BPM145

とまあ、こんな感じ。やはり超高速の部類だろう。しかもベースラインが凄すぎる。

ところで、自分が最初に手に入れた「This Year's Model」はコロムビア盤CDで、米盤だった。つまり、「Chelsea」と「Night Rally」が削られ「Radio Radio」が収録されていた。
当時はインターネットもなかったのでそのことにしばらく気づいてなかった。気づいたのは大分経ってからで、コステロのベスト盤をレンタルCD屋で見ると、「Chelsea」という曲が初期の曲で必ず入っていて、これは何だ?と思っていたのだ。ただ、当時は気づいていても他に興味が移っていたので聴くことはなかった。初期の5枚は高校生の頃に聴き倒していたのに「Chelsea」だけどんな曲が分からなかったのだ。
なので「Chelsea」と「Night Rally」を初めて聴いたのは再度興味を持った2001年頃になる。ヤフオクで「2 1/2 Years」というボックス・セットを買った時だった。
このボックス・セットも当時タワレコの店頭にあったのは見ていて、いつかお金を貯めて買おうと思っていたら店頭から消えていた。高校生にボックス・セットはキツい。

1978年の3月には北米ツアー最終公演のエルモカンボでのライブが行われる。ご存知の通り、これはライブ・アルバムになったが、それはラジオ放送の海賊盤リリースがあったためのようだ。
しかし正式リリースと言ってもしばらくプロモオンリーで300〜500枚程度しかプレスされていなかったようだ。
その後、1993年にCDで単体リリースされるが、すぐに廃盤になり、「2 1/2 Years」同様、高校生は潤沢にお金があるわけではないので書いそびれてしまった。
これも「2 1/2 Years」に収められているのでそれで初めて聴いた。
今となってはYoutube、サブスク等ですぐに聴きたい曲を聴けるわけだけれど、当時はインターネットなどないし、高校生でバイトもしていないので、安く聴く方法と言えばレンタルする、友達に借りる、中古CDを漁る、くらいのものだった。しかしコステロはそもそもレンタルの流通量も少ないし、おなじ高校で聴いていた人など誰もいなかったのでなかなか聴くのが大変だった。

そんな「Live at El Mocambo」にはそんな思い入れもあり、初めて聴いた時はアトラクションズのあまりのテンションに高さに感動してしまったのだ。
2009年に再々リイシューされて希少価値は薄れてしまったけど、ライブの出来と音源の希少性には何も関係がない。

前年の1977年にストーンズがエルモカンボでライブをやっていて、世間的にはそちらの方が有名のようだが、個人的にはエルモカンボと言えばコステロ一択。

このライブのあとイギリスに戻ると「Chelsea」がチャートを駆け上っていて、コステロはポップスターの一員とみなされるようになる。
「Chelsea」は1978年の4月に最高位16位まで上がる。

その頃、マンチェスターではブルース・トーマスがビール瓶でケガをしてしまう。この時にはニック・ロウがサポートで入っている。
なんと4/15のロンドン公演ではフィル・ライノットが「Mystery Dance」を弾いている。
またニック・ロウロックパイルで忙しい時は代わりにクローヴァーのジョン・シアンポッティが弾くこともあった(激レア)。

この本に書いてあるエルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズのプレイスタイルの分析が面白い。
自分が思っていたことと同じことが書かれていた。
通常のバンドのリズムセクションはドラム、ベース、サイドギターだが、このバンドの場合、コステロのギターとピートのドラムがリズムセクション、メロディを奏でているのがブルースのベースとスティーブのキーボードだという点。
キーボードはないけれど、ザ・フーもこれにちょっと似ている。ザ・フーの場合はドラムもリズムセクションと言っていいか怪しい面があるが。
さらに、アメリカのバンドは拍よりも少し遅らせて演奏する。ユニコーン解散直後にニューヨークでレコーディングした時、奥田民生も同じことを言ってました。
しかしアトラクションズを始めとしたイギリスのバンドは前に突っ込む。前のめり、というヤツですね、いわゆる。
ニック・ロウはイギリス人だけど、ニック・ロウが弾くことで少しバランスが変わって前と同じような演奏ができなくなったとのことだ。

コステロのアルバムでも顕著に出ていて「King Of America」なんかは特に分かりやすい感じがする。「Suits Of Light」は前のめりではないけれど、拍ジャスト。他のアメリカ人ミュージシャンの演奏はジャストではない。少しだけ拍から遅れている。「My Aim Is True」もそうですね。特にスワンプ系の曲なんかに顕著。
こういうのってやっぱりDTMとかだと再現しづらいんだろうなという気がする。
そういう意味では、アトラクションズは上手いのだけれどグルーブ感という点ではちょっと弱いのは確かなところ。
イギリスだとレッド・ツェッペリンジョン・ボーナム)なんかはやっぱりグルーブ感ではずば抜けている気がする。
昔はアメリカのミュージシャンは演奏が大雑把だなと思って、イギリスのミュージシャンの方が好きだったのだけれど、単にアメリカ人の上手い人を聴いてなかっただけなのかもしれない。

1978年4月には三度目のUSツアーへ。
そこでブルース・スプリングスティーンにあったり、デヴィッド・ボウイボブ・ディランのショーを見たりといった話が続く。
6月にはハリウッド・ハイがあり、最後は6/7のウインターランドの公演でUSツアーは一区切り。

ウインターランドは1976年にザ・バンドが解散した場所であり、1978年1月にセックス・ピストルズが解散した場所だった、とのこと。
なので、コステロも少しよぎったようだが(本当か?)、結局何もしなかった。
一方でこれから何が起こるか楽しみにもしていたようだ(こっちが本当だろう)。

ところで、この頃の映像がある。

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ボストンでのプロショット(1978年4月22日)、ブルース・トーマスが怪我から復帰した直後。
ライブ映像だけでなく、楽屋でのオフショットもあり、その怪我の痕をブルースがメンバーに見せていたり、
グレッチのホワイトファルコンを見ながらコステロとブルースが仲良く話していたり、
ピート・トーマスがコステロジャズマスタージェームズ・ボンドのテーマを延々と弾いていたり、
アーバスの中でラトルズの「I Must Be in Love」をみんなで歌っていたり(ちょうどリリース直後で流行っていたのかな)、
デイヴ・エドモンズニック・ロウらとスーパーマーケットでアルコールを買う姿などがある。
こういう時のコステロの姿は最近の雰囲気と変わらなく、普通の優しそうな兄ちゃんという感じだ。
ステージだと殺気立っているんですけど。

ちなみにこの映像は海賊版で私も持っていました。