俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

コステロ自伝 ANNEX Part 21

第21章は「愛されるためにするべきこと(What Do I Have to Do to Make You Love Me?)」、コロンバスの事件の話、かなり短め。
コロンバスの事件は1979年の3月中旬なので、前章の終わり1978年6月からなかなか時が進んだ。

この本は自伝なので、そこまで客観的な説明はなく、まあみんな知っているでしょ、的なスタンス。
もう風化してしまっていそうで、そこまで知られてないと思うんですが。

この事件での登場人物は、コステロ、スティーブン・スティルスバッファロー・スプリングフィールド/CSN&Y)、ボニー・ブラムレット(デラニー&ボニー)、とばっちりを受けたレイ・チャールズジェームズ・ブラウンエルヴィス・プレスリーバディ・ホリー等など。

ただし、この章ではスティーブン・スティルスの名前は出てくるが、最もこの事件をオーバードライブさせたボニー・ブラムレットの名前は出てこないあたり、ボニー・ブラムレットへの憎悪の念は残っているのではないかと思う。

コステロに関しては昔から一貫して、「結果的に差別発言をしてしまったが真意ではなく、飲みの場の口喧嘩で相手を怒らせるためにあえて言っただけ」というスタンスは変わっていない。
この本のレビューで、これを快く思っていないレビューもあったが、彼はそう思ってないのだからしょうがないだろうと思う。

この事件でアメリカでの人気は急降下し、大ブレイクのキッカケを逃した、ということらしい。
これがなかったらU2とかポリスくらいの人気になっていたんですかね?よく分かりませんが・・・。

確かに一般知名度で言うと、U2、ポリス(スティング)よりは下だと思うが、とは言え、2003年にはクラッシュ、ポリスと仲良く「ロックの殿堂」には入っている。U2は2005年なのでその後。
同世代だと、ピストルズはノミネートされたが拒否、ジャム(ポール・ウェラー)、ストラングラーズ、ダムド、XTCスクイーズあたりは入ってない(まあそうだろうな)。
ポール・ウェラーが入ってないのは少し意外ですが。


下記にそのコロンバス事件の釈明会見の全文があるが、Deeplで翻訳しながら流し読みしたけど長すぎてウンザリして途中で止めてしまった。

Uncut, June 1997 - The Elvis Costello Wiki

印象としては記者側がまた失言を引き出そうと誘導していてコステロがそれにウンザリしながら対応している、といった印象。
今こんな記者いたら逆に何様だと袋叩きにあってそうですが。

ここからしばらく、コステロはいくら叩いてもOK的な空気が醸成されたようだ。
まあ、一時期の川谷絵音のような感じですかね?今は普通に出てますけど、当時は異常な叩かれ方をしていましたね。

当時スティーブン・スティルスCSN&Y解散状態でヤク中、ボニー・ブラムレットもデラニー&ボニー解散後、アル中ヤク中でドン底状態。
時代的にはパンク全盛なので、世間的には「終わった人」状態だった。
コステロもこういう「古い」ミュージシャンが過去の遺産を食いつぶしていると思って一掃すべきだと思っていたようだ(この感覚は過激だが)。

で、あえて当時の事件の流れを掘り起こしてみる。

ティルスとブラムレットは当時一緒にツアーをしていて、コステロも同日ツアーでコロンバスを訪れた。
コステロはスティーブン・スティルスに誘われて飲みに行った。
ちなみにマクマナス青年は決してスティーブン・スティルスが嫌いだったわけではなく17歳の頃にはファンだったので、まあ断らないですね。

トラブルの発端は、そこのパブにいた地元のファンが、アメリカやアメリカ人についてどう思うか、をコステロに聞いたことらしい。

コステロは「金のためにここにきただけだ」と言ったようだ。
この後の流れが分からないが、おそらくコステロアメリカ批判をしたのだと思う。
コステロはさらにジェイク・リヴィエラが使っていたフレーズを用いて「俺たちは元祖白人、お前たちは植民地の人間」と言うとここからエスカレート。
ここでスティルスが怒って退席。

ブラムレットは、愛国心が強い人なのだろうか、アメリカ批判に気を悪くしたようで、だったらエルヴィス・プレスリーバディ・ホリーはどうなのか?と聞くが、コステロはここでもそれらを罵倒。
ブラムレットは、コステロジェームズ・ブラウンとかレイ・チャールズから音楽を盗んでいる、と非難すると、ここで例の「ニガー」発言が飛び出す。
正確には「おまえ(ブラムレット)もクソだ」と付け加えたようだ。
これに激昂してブラムレットがコステロに殴りかかるが実はパンチは当たらず。
実際はスティルスのスタッフ5人にボコボコに殴られたようだ。

怒りが収まらないブラムレットは、そのNGワードをマスコミ各社に触れ回って大騒動にした、というのがこの事件。


発言は確かに良くはないが、まあただの失言ですよね?という感想。
当のレイ・チャールズは「まあ飲みの場での話でしょ」と意に介さないのが救いだった。

結局、こういうことは時間が経たないと解決しない。その当時、いくら口で人種差別主義者ではないと主張したところでキャリアが浅く根拠が薄かった。
今であれば「Get Happy!!」のモータウン/スタックスへのオマージュ、アラン・トゥーサンとのコラボ、ザ・ルーツとのコラボもあり、納得感があるのではないだろうか?

当のコステロはこの事件を振り返って、この時にこういうことがあって結果的には良かったと思っていると書いている。
もしこれがなかったらどこかで殺されていたかもしれない(これ以上の事件を起こしていたかもしれない)とのこと。

しかし、それにしてもこの事件が1979年で、ようやくBLMが出てきたのが2013年。
この吊し上げはどれほどの意味があったのだろうか?