俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

コステロ自伝 ANNEX Part 19

第19章は「アクシデント (Accidents May Happen)」、Will ではなく May。

アクシデント、とは有名なSNLでの事件のことを言っていると思われるが、例のごとくこの章の中でも話が飛びまくりエピソードがとっ散らかっている。

話はあまり関わりがなさそうなデヴィッド・ボウイの話から始まる。
1977年の初のUSツアーの時、ラジオから流れてくるのは同じ曲ばかりで、レッド・ツェッペリンの「天国への階段」とリンダ・ロンシュタットの「Blue Bayou」とイーグルスの「New Kid In Town」ばかりだったという。
他はともかく「天国への階段」は1971年の曲なのになぜ?と思ったら1977年に大規模なUSツアーを行っていたからのようだ。1980年にジョン・ボーナムが死んだのでこの時が最後のUSツアーになったようだ。
それにしても「天国への階段」以外にも色々曲があるのにこればかりかかるとは・・・。
時代的には「Presense」の後なので「アキレス最後の戦い」でも良さそうだけど、ZEPの曲といえばこれなのかな?。
ちなみにUSだと「Whole Lotta Love」が最高4位だそうだ。
日本ではライバルバンドとみなされているディープ・パープルも「Hush」と「Smoke on the Water」がUSで最高4位。
もう一つのライバル、ブラック・サバスは「Iron Man」が最高52位。まあサバスはこんなものでしょう。
一般的な日本人としては「Smoke on the Water」のリフはなんか知っているけど、他は知らない、みたいな感じかな。

意外にもこの本にはツェッペリン、特にロバート・プラントの話が出てくる。
ロックパイルがスワンソング・レーベルにいたのでその辺りの話とか、ですね。
ただ、プラントの実力は凄いとは思っているものの、基本的にはあまり良い書かれ方ではないなという感想。
この章の描写もそうですね。ラジオが同じ曲流す、とは書きつつも「天国の階段」にウンザリしてたという。
そんな中、ツアー中の車移動ではカセットテープでデヴィッド・ボウイのベルリン三部作の最初の2枚(「Rodger」は発売前なので「Low」と「Heroes」)をずっと聴いていたようだ。

デヴィッド・ボウイ、といえば、私の世代だと「Let's Dance」辺りはお兄さん達が聴いていたのでリアルタイムでは全然ない。
どちらかというとBOOWY経由で「ジギー・スターダスト」を聴いていた世代。
1990年あたりにCDでリイシューされていて、ちょっと緑がかった透明のプラケースに入っていた記憶がある。
BOOWY経由でデヴィッド・ボウイを聴いていた人はかなり多いと思う。身近にも数人いた。
氷室京介布袋寅泰のソロでカバーしているミュージシャンで被っているのがデヴィッド・ボウイだった、というのもあるのかもしれない。
自分も聴いていたし、ベスト盤に入っているような曲は知っているけど、そこまでハマらんなぁという感じだった。

さて、この章で書いているのは1977年のUSツアーだけど、その前にUKツアーを2回こなしている。
その内にバンドはどんどん良くなっていったそうだ。

1977年10月3日〜11月5日までは有名なパッケージツアー、スティッフ・ツアーを敢行。
約1ヶ月で25公演というなかなかのもの。
出演はニック・ロウズ・ラスト・チキン・イン・ザ・ショップ、ラリー・ウォルスズ・サイケデリック、レックレス・エリック&ザ・ニュー・ロケッツ、イアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズ、とエルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズの5組。
しかし、ラリー・ウォルスがニック・ロウのバックを務めたり、レックレス・エリックのドラムがイアン・デューリーだったりとメンバーの貸し借りがたくさんあって、軽音楽部みたいなノリだなと思いました。

当初、イアン・デューリーがメインアクトの予定だったが、これを変更させてエルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズがメインアクトに昇格。

スティッフの中でコステロが一番の傑作だと言っているのがイアン・デューリー作、俳優マックス・ウォールが歌った「England's Glory」とのこと。
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「Sunday's Best」はイアン・デューリーのスタイルを真似てバスの中で書いたとも書いている。
こういう曲、かなり英国的な感じがする。スモール・フェイセズとか初期のザ・フーもこういう感じ。

コステロイアン・デューリーのバックバンド、ブロックヘッズを凄いバンドと評する。チャズ・ジャンケルの弾くジャズとファンクの中間のような演奏は好みではないようだがそれでも凄いバンドだと。
ただ、それが仇になっているのかロックの模倣の様に感じられる、とも書いている。ロック的な?ロック風の?みたいな感じかな。

この章、かなり長いので、個人的に興味のあるエピソードを抜粋する。

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全米ツアーのニューヨーク公演が終わり、ピストルズの代役で1977年12月17日放送サタデーナイト・ライブに出演するという話がこの章の最後に出てくる。

このエピソードは彼のキャリアの中でもかなり有名なエピソードで、エルヴィス・コステロ入門のようなところで必ず出てくる。
これと、日本公演でトラックに乗って演奏したエピソード、これが2大巨頭。

ただ、この本を読んで知ったことがあって、1曲目に「Watching The Detectives」を演奏して、2曲目が「Less Than Zero」という予定だったということ。
「Watching The Detectives」も演奏されていたことを知らなかった。大抵、「Less Than Zero」〜「Radio, Radio」の所しか流れない。
それとテレビ局が「Radio, Radio」を演ってはいけない、と言っていたのかと思ったら、むしろ、コロムビア・レコードが「Less Than Zero」を演奏しろ、と強行に言ってきた、ということらしい。
よく知られている話としては「Radio, Radio」がメディア的には挑発的な歌詞なので「Less Than Zero」を演奏しろ、とテレビ局側からの要請があったいうのが定説だが、そうは書かれておらず、コロムビアの要請と書かれている。

アメリカでシングルカットされているわけでもないのになぜ「Less Than Zero」なのか?という疑問は残るので、NBCからコロムビアに要請があったのかもしれないが、よくわからない。とにかく「Less Than Zero」を演奏しろということみたい。

コステロとしては「Less Than Zero」の歌詞があまりにも英国的でオズワルド・モズレーって誰よ?となるし、そもそもその頃には2ndアルバムの曲も出来ていたので、古い曲を演奏したくなかった。
それで、1969年にジミ・ヘンドリックスが「Hey Joe」をすこし演奏した後に解散したクリームへの思いを口にして「Sunshine Of Your Love」を演奏した、という演出を模倣したということらしい。

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この後、SNLとはギクシャクするが、1989年に和解して出演。
1991年にはビースティ・ボーイズとそのエピソードをパロディにする。

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サタデーナイト・ライブは映像作品をリリースしているせいか、Youtubeにアップされてもすぐ消されてしまうようであまり見つかりません。

結局、この後にアメリカでも「This Year's Model」がリリースされるが、英国オリジナル盤には入ってなかった「Radio, Radio」は米国盤に収録されている。このSNLで話題になったからそうなったらしい。
コロムビアの「Less Than Zero」はフリだったという説もある(笑)。