俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

コステロ自伝 ANNEX Part 7

7章は「愛は面影の中に (The First Time Ever I Saw Your Face)」で、これはジェイムズ・ミラーが書いたペギー・シガーの曲。

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コステロが初めて人前で歌ったライブハウスに観客としてジェイムズ・ミラーがいた(が、寝ていた)。
初めて書いた曲が「ウィンター」というタイトルのもの。これは1999年6月のレコード・コレクターズのインタビューに書いていた。

一番最初に曲を作ったのは13歳の時だった。
その年頃はとてもナイーブな時期だからね(笑)。
最初に作った曲は「ウィンター」というEマイナーの曲だ。
それは覚えている。
どんな曲だったかは忘れたが。

ギターを始めたばかりの時に一番押さえやすいのがEマイナー。4,5弦の2フレットを押さえて、後は6弦全部弾けば良い
Eマイナーセブンスはさらに5弦2フレットだけで良いのでこっちの方が簡単だが、セブンスはそれほど出番がない。

この章は1961年(7歳の頃)のスペインへの家族旅行が書かれている。そこでスパニッシュギターを手に入れてそれでステージに上がったそうだ。
ただ、そのスパニッシュギターはケースにしまったまましばらく放置し13歳頃から使い始めたという。

ところで、一口にアコースティックギターと言っても大まかに、いわゆるフォークギターとクラシックギター2種類ある。
フォークギターがエレキギターと同じスチール弦(ただしエレキよりも太いゲージの弦を張ることが多い)で、クラシックギターはナイロン弦で優しい音がする。
クラシックギターはガットギターとも呼ぶ。
学校の音楽室にあったのがクラシックギター。一方、誰かが勝手に教室に持ち込みがちなのがフォークギターである(知らんけど)。
形状もクラシックギターの方がネックが太くてボディも大きい。フォークギターの場合、ネックはエレキとあまり変わらない。
これに加え、エレアコというものもあるが、これはフォークギターをギターアンプに繋いで、音を増幅できるようになっている。

通常、ステージでアコギを弾くとなると大半がフォークギターであり、クラシックギターを使っている人はあまり見たことがない。

で、スパニッシュギターとは何かということ、クラシックギターとほぼ同じだがボディ形状などが少し違うらしい。
基本的にはクラシックギターと同じだけど、フラメンコ用に音の立ち上がりが良くなって、パーカッシブな感じらしい。

コステロがスペイン旅行に行ったのは幼少期だが、その頃は監視が厳しかったと書いている。
ヨーロッパで独裁と言えば、WW2の頃のドイツ、イタリアのイメージがあり、もちろん冷戦時の東側でもソ連ルーマニアは独裁のイメージが強いが、実は戦後、西側のイベリア半島も独裁体制だったというのは、あまり日本人には意識がないところなのかなと思う。
スペインは1939年から1975年までフランコ独裁体制、その後王政復古運動があったが結局1978年に民主化ポルトガルは1933年から独裁体制だったが1974年のカーネーション革命により集結。
WW2ではスペインは枢軸国寄りの中立国的な立場だったので、戦後も独裁体制が維持された、とかそんな感じらしい。ポルトガルも中立国だったのだけれど、スペインとはイベリア同盟を結んでいるので、ちょっと枢軸国寄りかな?
って、枢軸国って言い方があまり好きじゃないけど。
WW2の時はイベリア半島は比較的平和で、特に大規模な戦闘はなし。さらに一応中立という立場だったので、独裁が維持された、という見方がある。

個人的に、スペインが独裁だったのは、昔見た映画で知りました。

通常、WW2と言ったらドイツが中心で、ポーランド、フランス、イギリス、ソ連、みたいなイメージなので、イベリア半島は影が薄い。
枢軸国なのにイタリアも影が薄いけど。

話を戻して、1969年、マクマナス青年には再びギターを取り出したくなる曲があった。それがフリートウッド・マックの「Man of the World」。
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フリートウッド・マックはなかなか謎のバンドだ。世界的にはメガヒットバンドであるにも関わらず日本ではそこまで人気もないし、雑誌でもそこまで見かけない。

同じようなウエストコースト系でもイーグルスの方が日本だと有名な気がする。

個人的にはフリートウッドマックというバンドがあって、ピーター・グリーンがいた事は知っている。初期はブルースバンドだったことも知っている。これはハードロック雑誌で仕入れた知識。

その後、紆余曲折あって、女性ボーカリストスティーヴィー・ニックスが加入し、音楽性もウエスト・コースト、AOR、ソフトロックでメガヒット。
ただ、この音楽性だとハードロック雑誌では取り上げられないので、この辺の知識がずっと欠落してしまっていた。

自分がフリートウッド・マックの曲を聴いたのは「Go Your Own Way」だった。ブルースロックのバンドだと聞いていたので、驚いた。これフォークロックじゃん、と。
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コステロのようにアルバム毎に音楽性を変える人はいても、時代によってここまで音楽性を変えたバンドはあまり多くないのでは?
近いのはザ・フーかな?モッズのイメージからハードロックへ。
ジャムとスタイル・カウンシルも脳裏に浮かんだけど、あれはバンド名が違う。
フリートウッドマックの方はボーカリストがそもそも変わっているのもあって、同名異バンドのような感覚でいる。

しかし、マクマナス青年が聴いていた頃のフリートウッド・マックは、ウエスト・コーストのフリートウッド・マックではなく、ピーター・グリーンがいた頃のフリートウッド・マック
マクマナス青年は、その年、「Albatross」できれいな女性とスローダンスを踊ったそうな。

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この曲は1968年リリース。ちなみにビートルズアビーロードに収録されている「Sun King」はこの曲を元ネタにしている。雰囲気がそっくり。

この章では、マクマナス青年が青年期に「とても真似できない」と驚愕したミュージシャンが紹介される。
レディ・ステディ・ゴーでのモータウン特集に出てきたアーティストたちには驚愕したそうだ。
ちなみにその頃はモータウンとは言わず、「タムラ」だったそうな。

ちなみに、タムラはもちろん田村ではなく、Tammy という曲から「Tammy Records」にしたかったらしいがこれをちょっと変えてタムラにしたそうな。
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マーヴィン・ゲイのこの曲を聴いていると、自分が部屋で弾き語りをしていることと別次元と思えたらしい。
You Ain't Livin' Till You're Lovin' - YouTube

しかし、ピーター・グリーンはなんとなく、身近な感じがした、と。
「Need Your Love So Bad」のイントロのギターは初めて完コピしたいと思ったらしい。
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個人的な話をすると「Need Your Love So Bad」という曲を予備校生くらいの時に聴いて、なんて良い曲だと思ってひたすら聴いていた時期がある。
ゲイリー・ムーアではなくて、ホワイトスネイクのバージョン。
この頃、たぶんCD化されていなくて、中古レコード屋で発見した「1987バージョン」という名の日本規格版のEPでホワイトヴァイナルだった。

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これをレコード・プレーヤーにかけて部屋を真っ暗にして聴いていた。今気づいたけど、これリミックスだったんだな。
1984年の「Slide It In」のアウトテイクがリミックスされて1987年に再リリースされたってことか。
この曲が好きすぎて、大学卒業間際に組んだバンドでコピーした記憶がある。
Skin という割とマニアックなバンドもこの曲をカバーしていて、英国人に人気の曲なんだろうなとは思っていた。

で、この章の最後はコステロの最初の妻であるメアリーの名前が出てくる。1年以上前からこの子と結婚するはずだ、と思っていたようだ。
しかし声を聞いたことはあっても、話したことは無かったらしい。

で、この章の最後が良くわからない。
メアリーと話そうとしたけど、うまく行かなくてバーに行って酒を飲んだのか、はたまたメアリーと会う前に酒を飲んだのか。
メアリーは全く関係ないのか。
「涙と悲しみをこらえるためのビール」と書いているから振られたってこと?