俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

コステロ自伝 ANNEX Part 6 後編

shintaness.hatenablog.com


前回の続き。

「Accidents Will Happen」は、アリゾナでタクシー運転手との情事の後の罪悪感でモーテルで書いた、とコステロは書いているが、これに大きな謎がある。

1978年でアリゾナにいたのは1978.5.29で、これはハリウッド・ハイでのライブの約1週間前であり、これは一致する。
Concert 1978-05-29 Phoenix - The Elvis Costello Wiki

だがしかし、「Elvis Costello Wiki」によると、この曲が最初に演奏されたのは1978.4.16とある。すると計算と合わない。
Concert 1978-04-16 London - The Elvis Costello Wiki

次に出てくるのは、1978.5.6で、これまた作曲したとされている日より1ヶ月も前だ。
Concert 1978-05-06 New York (early) - The Elvis Costello Wiki

ということで、1978.4.16の音源が Elvis Costello Wiki にアップされているので聴いてみた(聴きたい人は自己責任でお願いします)。

結果、ハリウッド・ハイとは微妙に違うアレンジだった。ドラムは入ってないが、キーボードはチープなオルガンでベースもほぼ完璧な形で演奏されている。
歌詞も最終版と同じだろう。ブリッジの部分もあるし、曲の断片をちょっと披露したという感じではない。
要するに、アレンジこそアルバムに入っているものではないが、曲としてはほぼ出来上がっている。

ということは、アリゾナ云々というのは、どういうことなんだ?と疑問に思ったわけです。

ひょっとするとElvis Costello Wiki 側の、何かの間違いなのかもしれない、と思った。

この当時、この曲は稀に披露されるだけであり、セットリストの常設されていたわけではなく、1978年11月の(あのトラックに乗って演奏した)日本公演、オーストラリア公演ではセットリストに入ってない。
その後の12月のロンドン7連続公演からセットリストの常連入りしているようだ。

ということでこの時の音源もあったので聴いてみた。ひょっとすると、同じロンドンでも4月と12月の公演と取り違えているのではないかと思ったからだ。

すると、この時の演奏はバンドアレンジで、「Armed Forces」でのアレンジとほぼ同じ。
1978年の夏に「Armed Forces」をレコーディングしているのだから、当然バンドアレンジになっている。

不思議に思い、色々調べていたらそのことについて触れていた記事があった。記事はWSJ
この記事が出た時期は2020年の10月末で、ちょうど「Armed Forces」のボックスセット発売の直前の時期だ。

www.wsj.com


WSJでは有料記事だが、実はこれまた Elvis Costello Wiki に転載されているので引用する。

Wall Street Journal, October 28, 2020 - The Elvis Costello Wiki

I wrote “Accidents Will Happen” in early 1978, just prior to my U.S. tour that spring. For the lyrics, I couldn’t bring myself to invent an honest narrative for the life I was living at the time. As a song, “Accidents” has a romantic sound, but it also has this moral dilemma baked in. I’ve had to make peace with my own failings during that time as a husband and a father. All of those years ended in a painful divorce.

The song wasn’t inspired by a romantic encounter with a female cab driver in Tucson, Ariz. as I wrote in my 2015 memoir. In the book, I needed to construct a single episode in print to stand in for the truth, which was much less funny and much more embarrassing.

Back in ’78, I was young and newly famous, and I didn’t have any sense of responsibility. Temptation came along, and I gave in to it more than I should have. That’s what this song is really about.

I did indeed try to run away to Mexico, as I hinted in the book, but that was just used as a comic way of telling the story. In truth, the song was about several dalliances gone wrong, only to realize after that I shouldn’t have done that.

「Accidents Will Happen」を書いたのは1978年初頭、その春の全米ツアーの直前だった。歌詞については、当時の自分の人生を正直に物語る気になれなかったんだ。曲としては、「Accidents」はロマンティックなサウンドですが、この曲には道徳的なジレンマが焼き付けられています。私は、夫として、父親として、その間に犯した自分の失敗と和解しなければなりませんでした。それらの年月すべては、最終的に痛ましい離婚に終わった。

この曲は、2015年の回顧録に書いたように、アリゾナ州ツーソンでの女性タクシー運転手とのロマンチックな出会いがきっかけではありません。本の中で、私は真実の代わりに、印刷物で一つのエピソードを構成する必要があり、それはずっと面白くなく、ずっと恥ずかしかった。

78年当時、私は若く、有名になりたてで、責任感もなかった。誘惑がやってきて、必要以上にその誘惑に負けてしまった。それがこの曲の本当のところだ。

本の中でほのめかしたように、確かにメキシコに逃げようとしたのですが、それはあくまでもコミカルな表現として使われたものです。本当はこの曲は、何度かダレて失敗して、後になってから「あんなことするんじゃなかった」と気づくことを歌っているんだ。

とカミングアウトしていた、つまり創作、フィクションだったのだ。

簡単に言うと、ビビ・ビュエルとの一連の出来事を書こうとしたけど、なんか書きたくないなぁ、と。それで、別の物語を創作した、ということ。

中略して続き。

But I didn’t falsify the story in my memoir. I simply romanticized it to illustrate the dilemma and tragedy I found myself in. It’s the same with the song. If you relayed the details of an important life event precisely in the lyrics, they’d be crushingly boring. You’d also be thinking of your moments of indecision and prevarication. The moment where you wanted to escape but didn’t and found yourself in some compromise. Anybody can make that kind of mistake. It’s also not the end of the world. That’s why the song is called “Accidents Will Happen.” In life, there are happy accidents as well as tragic ones.

しかし、私は回顧録の中でその物語を改竄したわけではありません。私が陥ったジレンマや悲劇を説明するために、単にロマンチックにしたのです。それは歌でも同じです。人生の重要な出来事の詳細を正確に歌詞に託したら、砕けたつまらないものになるだろう。また、優柔不断で前途多難なあなたの瞬間を思い浮かべてしまうでしょう。逃げたいのに逃げられず、気がついたら何か妥協していた、という瞬間。そういう間違いは誰にでもある。また、それは世界の終わりではありません。だから、この曲は "Accidents Will Happen "というタイトルなんです。人生には、幸せな事故だけでなく、悲劇的な事故もある。

※ サンキューDeepL

本人は、改ざんではなく、話を分かりやすくするためにロマンチックな表現にしたと言っているが、これはちょっと苦しい(笑)
歌詞ならともかく、自伝と称した本でこんなこと書かれて、メタファーだなんて誰が思いますかね・・・?
分かる人は、おそらく本人とビュエル以外いないのでは(笑)。
しかもタクシーの運転手は一夜で終わっているが、ビュエルは一夜ではないでしょう・・。


そして、ビビ・ビュエル。

醜聞、ゴシップ的な話なので、バイオやディスコグラフィーなんかでは、ほぼ名前が出てこないビビ・ビュエル。
2018年にシンコーミュージックから発売された、DIGのムックでも「ビ」の一文字も出てこない。

自分もビビ・ビュエルとの一件のことは知っていたが、深追いしたことはないし、そもそも忘れてしまっていたが、今は実はかなり重要な女性だったのではという気がしている。

ビビ・ビュエルは、伝説のグルーピーとも呼ばれている、コステロの不倫相手であり、リブ・タイラーの母親である。
スティーブン・タイラーどころかミック・ジャガーロン・ウッドキース・リチャーズトッド・ラングレンコステロの次くらいに関係が長い)などとも色々あった人だが、コステロとは1978年から1979年にかけて、そして中断を挟んで1982年から1985年あたりまで愛人関係にあったようだ。ちなみにコステロよりも1歳年上、いわゆる「年上のお姉さん」である。

しかし、確かに男性遍歴はド派手だが、伝説のグルーピー扱いで終わらせてしまって良いのだろうか?

前出の「Armed Forces」のライノ盤リイシュー(2002年)ライナーノーツの最後はこんなことが書いてある。

On the eve of recording this album a girl arrived on my doorstep from America.
At best we were strangers with a coy and theoretical entanglement.
I thought that she might be coming for a short visit and that I might at least satisfy my curiosity about her.
However, she turned up with eight pieces of luggage like a mail-order bride and moved in. I was too stupid and vain to resist.
She'd later claim to have inspired most of the songs on this record ? all of which were already written when we met.
This was also said about the previous release ? a chronological impossibility ? and many other of my compositions to this day.

このアルバムのレコーディングの前の日に一人の女性がアメリカからやってきた。
せいぜい、コワモテで理論的な絡みのある他人という程度だった。(※ 訳があやしい、そこまで親しいわけではなかった、ということかな?)
私は、彼女が短期滞在で来るかもしれないので、少なくとも彼女に対する好奇心を満たすことができるかもしれないと思った。
ところが、彼女は通販の花嫁のように8つの荷物を持って現れ、引っ越してきた。私はあまりに愚かでうぬぼれが強かったので、抵抗できなかった。
このアルバムに収録されている曲のほとんどは、彼女がインスパイアしたものだと後に言うのだが、それらはすべて、私たちが出会ったときにすでに書かれていたものだった。
このことは、時系列的に不可能な前作や、今日に至るまで私の作曲した他の多くの曲についても言われている。

「Armed Forces」の歌詞の多くは、ビュエルとの関係のことを書いたとビュエル本人が言っているが、そんなことないぞ、と言っている。
なぜならアルバムレコーディングの前にビュエルが来て、そこから不倫関係なったけど、曲はその前に出来ているからだ!という主張だ。

「What’s the story with Bebe Buell? Are Elvis Costello’s late-70s albums really about her?」という記事によると

rulefortytwo.com

Costello, for his part, addressed Buell, although not by name, on the liner notes to a reissue of Armed Forces: “She turned up with eight pieces of luggage like a mail-order bride and moved in. I was too stupid and vain to resist. She’d later claim to have inspired most of the songs on this record–all of which were already written when we met. This was also said about the previous release–a chronological impossibility–and many of my other compositions to this day. It is a tragic delusion about which I wish I could say: ‘I shall not dignify that with a response’ but ‘dignity’ doesn’t come into this story.”

Buell called me up to object that she’d never claimed to be the inspiration for the songs on Armed Forces—which appears to be true. Although she’s written about Costello using her life for inspiration in that period, and on the Get Happy! and Blood and Chocolate albums in particular, she seemed perfectly sane about where her influence upon him began and ended. Buell dismissed Costello’s liner notes as more psychological gamesmanship. (And Costello’s carefully crafted comment was not actually a denial of her influence on his life and music, although it certainly was intended to give that impression.) For all that, Buell has seemed overeager to find any trace of her influence, to validate herself as muse rather than groupie.

コステロは、『Armed Forces』のリイシューのライナーノーツで、名前ではないものの、ビュエルのことを取り上げています。「彼女は通販の花嫁のように8つの荷物を持ってやってきて、引っ越してきた。私はあまりに愚かでうぬぼれが強かったので、抵抗できなかった。彼女は後に、このレコードに収録されている曲のほとんどにインスピレーションを与えたと言うのだが、その曲はすべて、私たちが出会ったときにすでに書かれていたものだった。このことは、時系列的に不可能な前作や、今日に至るまで私が作曲した他の多くの曲についても言われている。これは悲劇的な妄想であり、「それに対して威張ったりはしない」と言いたいところだが、この話には「威張る」ことは出てこない。

ビュエルは私に電話をかけてきて、『Armed Forces』の曲のインスピレーションは自分だと主張したことはないと異議を唱えたが、それは事実のようである。彼女は、コステロがあの時代、特に『ゲット・ハッピー!』と『ブラッド・アンド・チョコレート』のアルバムで、自分の人生をインスピレーション源にしていると書いているが、彼に対する自分の影響の始まりと終わりについては、至ってまともなようだ。ビュエルは、コステロのライナーノーツは心理的な駆け引きに過ぎないと断じました。(コステロは、自分の人生や音楽に対する彼女の影響を否定しているわけではないのだが、確かにそのような印象を与えようとしたのだろう)。それにしても、ビュエルは、彼女の影響の痕跡を見つけ、グルーピーではなくミューズであることを証明しようと、過剰なまでに躍起になっているように見える。

※ サンキューDeepL

つまりビュエルは「歌詞は私(ビュエル)のことを書いているのに、違うと言い張っているよね?」と言っている。

実際のところ、コステロのパブリック・イメージとしては「怒れる若者」であり、アルバムのタイトルも曲名もかなり政治的であるようなイメージがあり、ディスコグラフィーなんか読んでてもそんな感じで書かれている。

コステロには色恋沙汰の歌詞が多くないというイメージがあるが、実は不倫関係をカモフラージュしてややこしい歌詞になってしまっているという説をビュエルは唱えているわけで、確かにそのロジックだと妙に難解でメタファー多用の歌詞も納得いく気がする。

でもコステロ的には「なんだよ結局色恋沙汰が根底にあるのかよ」とは思われたくはないだろうなと。少なくとも自分もその立場ならそう思う。

2002年のライナーノーツで、歌詞にビュエルとのことなんて関係ないよ、と書いた手前、それを証明しようと2015年の自伝で出来事を創作せざるを得なかった、というのが真相ではないのかな?

コステロがビビ・ビュエルと最初に色々あったとされるのは1978年だが、では実際のところ、いつ頃出会ったのか?は、この本の17章に書いてある。ただし、ビュエルの名前は伏せているが。
「僕はある人と会った。会うべきではなかった人だ」「男は皆、僕と同じように彼女に惹かれてしまうのだと思う」と書いている。
なんせ、ビュエルの見た目はこんなである。

「男は皆、僕と同じように彼女に惹かれてしまうのだと思う」と、全男性を味方に付けようとしている様子が微笑ましいが、「確かに」と納得せざるを得ない美貌であるのは確かなところ。
ましてこの美女が自分(コステロ)に興味があることが分かったら平静ではいられないだろう。
コステロのパブリック・イメージとしてちょっと気難しいインテリ兄さんみたいなイメージがあるが、結局美女にやられてしまう俗っぽいところがちょっと人間くさくてホッコリしてしまう。

ビュエルと会ったのは、プレスリー没2週間後と書いてあるので、1977.8.31 だろう。
TV 1977-09-01 Top Of The Pops - The Elvis Costello Wiki

この日、BBCではRed Shoesを歌っている。
www.youtube.com

ということで、これをキッカケに「Little Trigger」を作る。
「Little Trigger」はアルバムリリース前にライブで演奏されており、初披露は 1977.10.15 なので計算は合う。

ちなみに17章でビュエルの名前は伏せているので、名前を出したくないのかなと思ったら23章では普通にビュエルの名前が出てくる。
なんか、葛藤があったのかな、という気がする(笑)。

6章でビュエルを隠蔽して物語を創作、17章でビュエルの名前は出さずに匂わせ、23章で流石に避けるのは不自然かなと思い名前を出した、のかなーと。
なお、13章にはビュエルのことではないかと噂された「Party Girl」の解説が出てくるし(ビュエルのことを書いてない、とは言っている)、ビュエルとのことを書いたのではと思わせる「High Fidelity」の解説もある。


ところで、2000年刊行の「マイ・エイム・イズ・トゥルー - エルヴィス・コステロバイオグラフィー」という本には、1978年以前にビュエル側がコステロ(デクラン・マクマナスの頃だが)を見かけているという記述がある。

おそらく1976年あたりだと思うが、ビュエルがロンドンで撮影中に、当時エリザベス・アーデンという米化粧品メーカーの従業員だったデクラン・マクマナスが小包を届けたことがあり、ビュエルはその男が誰かを尋ねたことがあったらしい。
これはビュエル側の「Little Trigger」だろう。

しかし「マイ・エイム・イズ・トゥルー」によると、1978年にロサンゼルスでビュエルがバックステージパスを入手してコステロにアプローチしたことがキッカケと書いてある。その数時間後二人はどこかに消えたらしい。
ロサンゼルスということはハリウッド・ハイで「Accidents Will Happen」を披露した日なので、もちろん二人が会ったのはこの日が初めてではない。
この日、コステロ貞操を守ったとビュエルは言う。泥酔しすぎて何も出来なかったという説もある。
そして英国に戻ってからは彼女に大量の手紙を書きまくったそうだ。それでビュエルが「Armed Forces」の前の日に大量の荷物と共にロンドンに来ることになる。
ビュエル談だと、コステロ側が呼び寄せたらしい。
何度か会ってて、ロサンゼルスでも手を出さない。
これが本当なら、一般論として書くと、すぐに手を出さないコステロはかなり本気だったということだろうなぁ、という気がする。

また、前出の「What’s the story with Bebe Buell? Are Elvis Costello’s late-70s albums really about her?」という記事によると、ビュエルが生理が来るとキャンディバーを欲しがったので、「Blood & Chocolate」というタイトルのアルバムが出来た、と書いてある。
そう言われると、なるほどなぁと思う。今風に言うと「匂わせ」かな。
ただ、この頃は既にビュエルとの関係は精算しているし、ケイト・オリオーダンと事実婚関係にあったからそこはちょっと話半分ではあるが。


というわけで、コステロの曲にビュエルが影響しているのは間違いない。
「Little Trigger」で、いつしか「Accidents Will Happen」となり、最終的には自己嫌悪から「Goodbye Cruel World」になる。
にも関わらず、バイオやディスコグラフィーでは完全抹殺されてしまっているように感じられる。

そもそも、「Accidents Will Happen」という、彼が尊敬するバート・バカラック風のメロディを拵え、3rdアルバムのオープニングトラックにしてシングルカットされた超名曲の歌詞のモチーフがビビ・ビュエルという時点で、ビュエルは、やはりただのグルーピーじゃないのですよ。

www.youtube.com
※ 「A Case For Song」のDVD版ではオミットされていて悲しい。

コステロという人は、ミック・ジャガーとかスティーブン・タイラーのような、いかにもロックスター然とした出で立ちではないため、ビュエルとの関係はちょっと不思議な感じがする。
ミック・ジャガーとかスティーブン・タイラーは「沢山いた女のうちの一人だよハハハ」とかって笑ってそうな気がするし、歌詞にするにしてももうちょっと性的な、言ってみればどうでもいい歌詞にしてしまいそうな感じがしてしまう。
コステロの場合は、もうちょっとインテリ的というかそういう作品として昇華しているし、そのビュエルとの関係を「背徳」や「黒歴史」のように捉えているのが、所謂「ロックスター」のスタンスとは違うような気がする。


個人的に、ミュージシャンの色恋沙汰やゴシップを追うことに特に興味もなく、この自伝を読むまでビュエルとのことは完全に忘れていたけど、作品の成り立ちに一枚噛んでいるのかなと思えば、触れざるを得ないな、と思っています。

一つ明らかになったのは、この本にはある程度の脚色はあるということが分かったこと。
別にそれが良いとか悪いとかではないけれど「本人がこう書いているから絶対に真実」とは思わない方が良いなとは思った。

しかし、それにしてもコステロ、いろんな意味でやりよるな。