俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

コステロ自伝 ANNEX Part 6 前編

6章は「London's Brilliant Parade」で、もちろん「ブルータル・ユース」の中のタイトルから。

ところで、「London's Brilliant Parade」はメロディ、コード進行等、曲の秀逸さもさることながら、スティーブ・ナイーブの素晴らしい鍵盤捌きとブルース・トーマスのメロディアスなベースラインを堪能できるハイパーな一曲だと思ってます。

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さて、この章の前半は60年代になったばかりの幼少期、トゥイッケナムに引っ越した頃にいた奇妙な隣人のお話(ミス・マクベス)と祖母の話。

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後半からはその幼少期に触れた音楽の話。60年代になったばかりと書いてあるから4,5歳だろう。ビートルズと出会う前の話から始まる。

近所の子はクリフ・リチャードエルヴィス・プレスリーよりも好きだったらしい。
クリフ・リチャード&シャドウズは、英国ミュージシャンの伝記を読んでいたらかなり名前が出てくる。ビートルズ登場以前に英国を席巻したミュージシャンだが、ビートルズ登場で影が薄くなる。
(実はクリフ・リチャードジョン・レノンは同じ歳)

マクマナス家の近くにはヤードバーズのメンバーか関係者が住んでいたらしい。ジェフ・ベックなのかキース・レルフなのか・・。60年代初頭はクラプトンがギタリストで、その後65年にジェフ・ベック、66年あたりにジミー・ペイジなので、65年あたりの話なのだろうか。

さらに「メテオーズ」なるバンドもあったらしい。1980年代にサイコビリー系のバンドでそういうバンドがあったらしいが、それではなく、マクマナス少年が脳内で考えた架空のバンドだ。
当時の親友、ジョエル・ピーターソンとの間で結成されたらしい。ジョエルの父はラルフ・ピーターソンはオーストラリアで「Whiplash」という西部劇の脚本家をしていた。
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ジョエルの母はベティ・ルーカス(・ピーターソン)という女優。
Betty Lucas - Wikipedia

マクマナス家とピーターソン家はお互いショービジネスの世界にいたので、ライフサイクルが近かったとのこと。
メテオーズの楽器は段ボールやお菓子の空き缶で作られていた。この辺、日本だろうが英国だろうが同じですね。私もスペシャルなインストゥルメントを作ってましたよ。

やがてお話は9歳の頃に行ったNEMSレコードのパッケージツアーのお話に移る。
NEMS (North End Music Stores) レコードはビートルズの為にブライアン・エプスタインが作ったマネジメント会社で、シラ・ブラック、ビリー・J・クレイマー&ダコタス、ジェリー&ザ・ペースメイカーズが在籍。
ちょっとビートルズにハマった事がある人ならすべて聴いたことがある名前だ。

ジェリー&ザ・ペースメイカーズが一番有名なのかな。なんせビートルズが要らないといった「How Do You Do It」を歌ってヒットさせていることで有名。
ビートルズは「Please Please Me」を作ってヒットさせてお互いWin-Win

自分が高校生の頃に、中古CD店で「レノン&マッカートニー・ソングブック」というレノン・マッカートニーの曲を他のアーティストがカバーしているアルバムを見つけて買った時に、還暦くらいの店主に「あんた、若いのに良いの見つけるね」と声をかけられたことがあった。

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このアルバムに、ビートルズのオリジナル・アルバムにはない曲が数曲あって、その中にシラ・ブラック、ビリー・J・クレイマー&ダコタス、フォーモストがあってそこで覚えた。
シラ・ブラックの曲で「Step Inside Love」はコステロもカバーしていて、これを見つけた時は興奮しました。
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このアルバムは今でも思い出した時に手が伸びるけど選曲が抜群。特に好きなのがエミルー・ハリスの「For No One」でこれはオリジナルを超えている。
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サンディ・ショウの「Love Me Do」も良いし、
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ビリー・プレストンの「Blackbird」も素晴らしい。
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マイナーだが、(ミック・フリートウッドの在籍していた)Bo Street Runners の「Drive My Car」はより黒っぽくなり、
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オーティス・レディングの「Day Tripper」は完全にサザン・ソウルに料理されている。(※ Day Tripper はカバーされやすい、YMOホワイトスネイクetc..)
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なお、クリケッツの「抱きしめたい」はイントロが裏から入るのを(おそらく)わかってなくて微笑ましいアレンジ。

有名どころも沢山参加していて、マジでおすすめのコンピです。
ジョー・コッカーエルトン・ジョンアレサ・フランクリンウィルソン・ピケット、アイク&ティナ・ターナー、スリー・ドッグ・ナイト、マリアンヌ・フェイスフル、ディープ・パープル、ヴァニラ・ファッジ、トッド・ラングレン等など。

脱線しました。
このパッケージ・ツアーのヘッドライナーはビリー・J・クレイマー&ダコタス。しかしダコタスがまずステージに上ってつまらないインストを数曲、その後、ビリー・J・クレイマーが現れて女性たちが金切り声で大騒ぎ。マクマナス少年は頭痛を抱えたまま家路に着く。

ここで1978年にハリウッド・ハイのライブでも同じような大騒ぎがあったと回想。この話の飛び方がこの本らしいが、ここから1978年にジャンプする。

おそらくラモーンズの「ロックンロール・ハイスクール」のテスト撮影のために「やらせ」の観客がいたのだろうとのこと。
なぜそう思ったかというと、その数日前にラジオから自分たちの曲が流れているのを聴いて、近くにいた女性に「自分たちの曲だよ」と言っても怖がられて見向きもされないのに、ハリウッドハイに行ったら大歓迎で迎えられたから、だそうだ。

ハリウッド・ハイでのコンサートは2010年に「The Costello Show」というシリーズで音源化されている。(しかしこのシリーズはここで終わってしまうが)

Concert 1978-06-04 Los Angeles - The Elvis Costello Wiki

ここで、同じ会場にいたニール・ダイヤモンドとの逸話。その頃、ザ・バンドの「ラスト・ワルツ」でゲストで出てきたニール・ダイヤモンドがあまりにも場違いでビデオを見ながら野次っていたらしい。なので、失礼な態度を取ってしまった。

数十年後、BBCで再会したらしい。おそらく2010年のジュールズ・ホランドの番組だと思う。
http://www.elviscostello.info/wiki/index.php/TV_2010-10-26_Jools_Holland

「お目にかかれて光栄です」と言うと「前に一度会っているじゃないか」と言われたが失礼な態度はあまり記憶してなかったようだ。

日本だとニール・ダイヤモンドは殆ど無視されているような感じで音楽雑誌でも取り上げられてるのを見たことがない。個人的には第1期ディープ・パープルの「Kentucy Woman」がニールのカバーだということくらいしか知らないが、このカバーバージョンは結構好きでよく聴いていた。

さらに、「ラジオから自分たちの曲が聴こえてきた」繋がりでまた話が飛ぶ。自分たちの曲がラジオでオンエアされているのを聴いたのは2回しかないらしい。

その2回目がそれから1年後くらいに「Accidents Will Happen」が地元でライブの前に、飲食店のラジオから流れてきた、というお話。

「Accidents Will Happen」は、1979年の4月リリースなので、地元(ってリバプール?)だということは、この頃かな?
Concert 1979-05-22 Liverpool - The Elvis Costello Wiki


「Accidents Will Happen」は1978.6.4にハリウッド・ハイで演奏されているが、この本によると、実はその1週間前に作曲した曲したばかりだったようだ。

なるほど、だからピアノだけのアレンジなのか、とい妙に納得。バンドアレンジは、この後行うことになる。

作曲の経緯が説明される。

コステロにしては珍しい情事のお話。

ひどいことに全く名前は覚えていないが、タクシーの運転手が女性で、魅力的でムラムラしてしまい、結局ワンナイト。しかしなんやかんやで揉めてケンカして別れ、モーテルに戻ったあとに陰鬱な気分で書いた、とのこと。

そのモーテルで「ベースラインは下がっていくがメロディは上がっていく」曲を書いたと。

ずっと、バート・バカラックの「any one who has a heart」みたいな曲を書きたくて書いたとのこと。
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歌詞はこの時の出来事がモチーフになっている。

ちなみに、「Armed Forces」のライノ盤リイシュー(2002年)だとこんな風に書いてある。

Most of this record was written in hotel rooms or on a tour bus. I recall working on "Accidents Will Happen" in a stifling motel room in Arizona. In my mind I was writing something styled after the Burt Bacharach song "Anyone Who Had A Heart", even though I understood little of the mechanics of such a composition.


アリゾナの息苦しいモーテルの部屋で"Accidents Will Happen"を作ったことを思い出します。私の頭にあったのは、そのような楽曲の構造を少しも理解していなかったにしても、バート・バカラックの"Anyone Who Had A Heart"のスタイルでした。


しかしながら、この話には大きな謎があり、それにちなんで近年明らかになった事実がある。

かなり長くなるので次回へ持ち越しします。