俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

コステロ自伝 ANNEX Part 14 & 15

第14章は「シーン・アット・6.30 (Scene at 6.30) 」というタイトルで、これは英国グラナダテレビジョンの昔の番組名。

グラナダテレビジョンという名前はたまに聞く。自分が知ったのはディープ・パープルの1970年代のスタジオ・ライブで知っていた。
要するに英国の民放放送局ということだ。ITVというテレビネットワークの中の一つでマンチェスターにあり、今は組織再編により名前は消滅している。
「Scene at 6.30」というのは、18:30から始まった番組で、ニュースとかエンタメとかいろいろ放送していたらしい。要するに夕方のワイドショー。
どさんこワイドの短縮版みたいなものだな。

グラナダテレビジョンは、特別な放送をすることがあり、ビートルズ駆け出しの頃に突然出演して「From Me To You」を演奏したことがあったという。

Youtubeでは見つけられなかったが「Twist And Shout」ならあった。音源はレコードで当て振りだが。
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グラナダテレビジョンでは「So It Goes」という番組が1976年から1977年にかけて放送されていて、その第一期放送の最後に出演したのが「セックス・ピストルズ」だった(1976年8月28日放送)。
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コステロもソロでギターとアンプだけで「Alison」を披露した。
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wikipediaを見てみたら「Mystery Dance」「Watching The Detectives」「Lip Service」「No Dancing」も放送されている。このうちいくつかは「Right Spectacle」に収録されている。

「So It Goes」はパンクムーブメントを後押しした番組として有名らしい。
その司会をしていたのがトニー・ウィルソンという人で、マンチェスターブームの仕掛け人。

ちなみにコステロが最初に所属したレーベル、STIFFの最初のシングルがニック・ロウの「So It Goes」で、この番組にニック・ロウも出演しているのだが何か関係あるのだろうか。
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ニック・ロウの自伝には当時のテレビ番組と同じタイトルになってしまった、とか書いていた

その後、疎遠になってしまったが、この頃コステロトニー・ウィルソンは懇意にしていたそうだ。マンチェスターで彼にとって重要な人はホリーズとこの人、そしてジョン・クーパー・クラーク、バズコックス(意外)、ジョイ・ディビジョン、スミスらしい。

1979年にマンチェスターでライブがあった後、楽屋にトニー・ウィルソンと、グラハム・ナッシュがいたらしい。

ホリーズも日本人にはそこまで知られている感じはない。「Bus Stop」くらいかな有名なのは。
60年代の英国の所謂ブリティッシュ・インヴェイジョン系だと、ビートルズストーンズが二大巨頭、その2つよりは落ちるが知名度が高いのが、ザ・フーキンクス。日本だとザ・フーの方が有名かな?
ヤードバーズ、アニマルズ、スモール・フェイセズ、スペンサー・デイヴィス・グループ、ゾンビーズホリーズが同じくらいの知名度ですかね。

米英圏でのランキングがこれ。
centraljersey.com
digitaldreamdoor.com

そうか、バンドじゃないけどダスティ・スプリングフィールドも入るのか。

スモール・フェイセズ、スペンサー・デイヴィス・グループは結構低い。でも曲は有名な気がする。

デイブ・クラーク・ファイブ、マンフレッド・マン、ハーマンズ・ハーミッツ、ムーディー・ブルース、サーチャーズ等などは日本だとちょっと知名度的に低そうな感じ。ビートルズ以外のブライアン・エプスタイン直系も一応入るんですね。

4大バンドビートルズストーンズ、フー、キンクスは日米英で違いはないですね。

ヤードバーズが4大バンドの次点ってのは、三大ギタリストを排出しているからかな。曲はどうも弱い気がする。
ヤードバーズは「Shapes of Things」「For Your Love」など好きな人には悪いがちょっと質が落ちる感じがする。歌モノっていうか楽器メインなのかな?
サーチャーズの方が良い曲ある気がするなぁ。「Love Potion No.9」とか「Needles and Pins」とか。まあオリジナルではないけれど。

アニマルズはコステロもカバーした「悲しき願い」「朝日のあたる家」がある。ちょっと歌謡曲っぽい。日本だと尾藤イサオのおかげで有名なのかな。
スモール・フェイセズは「Ichicoo Park」「Lazy Sunday」があるが、どちらかというとフェイセズの前身ということで有名なのかな。
スペンサー・デイヴィス・グループは「Gimme Some Lovin'」がある。これはナックの「My Sharona」の元ネタでしょうね。
ゾンビーズが「ふたりのシーズン」、ホリーズは「Bus Stop」とメガヒットがあるが、やっぱりヤードバーズってなんだっけ?といつもなってしまう。
エアロスミスが「Train Kept A Rollin'」をやっているけど、なんかこれも地味っていうかなんていうか。


実はコステロはグラハム・ナッシュに会うのが2回目、1度目は9歳の頃に父と一緒に会ったという。
「パンクの申し子」「怒れる若者」の代表だったエルヴィス・コステロ、実は日本風に言うと二世タレントに近いところがある。

意図的かそうでないかは分からないが、エルヴィス・コステロという、日本だと、なんだろうな、長嶋ひばり、とか植木裕二郎みたいな芸名は二世というのをうまく隠せたと思う。

今だとインターネットで音楽配信ができるのだが、60年代当時のイギリスは米英同時リリースなんてことはできなかったので、アメリカでリリースされた曲をイギリスのミュージシャンを使ってリリースすることがあったという。

まあこれは日本でもそうですね。日本の場合は歌詞を日本語にするという目的もあったとは思うけど。

英国ではバカラックの曲にそういうのが多かったそうだ。確かに、バカラックのコンピを聴いてると別の歌手が歌っている複数のバージョンに遭遇して不思議ではあった。
日本だと日本語にするので理由は分かるが同じ英語なので不思議ではあった。

例えば、「Anyone Who Had a Heart」は1963年の11月に米国でディオンヌ・ワーウィック版がリリースされて翌年の1月に英国でシラ・ブラックのバージョンが出ている。
そういえばビートルズの「Baby It's You」も同じパターンだった。英国でバート・バカラックの曲がよく知られているのはそういう理由なのではないかとコステロは言っている。
この章では本筋から飛んで、バカラックの曲についてのコステロの分析が書かれているが、僕には難しすぎて分からないので解説できません。

ちなみに、コステロは初期に「I Just Don't Know What to Do with Myself」をカバーしたことで「あえてイージーリスニングというパンクとは真逆のものを演奏して茶化している」のかと思われたそうだが、本当に好きだったというのは特に有名な話ではあるけれど、パンク系だとストラングラーズもほぼ同時期(1978年)に「Walk On By」をカバーしていたりする。

コステロの父、ロス・マクマナスもジョー・ロス・オーケストラで元々カバーをやっていたが、フランキー・ヴァリの「君の瞳に恋してる」がリリースされた時に、ジョー・ロス・オーケストラを抜けてソロになったタイミングでいち早くカバーしてリリースした。途中までは調子よくチャートを駆け上がっていったが、別のミュージシャン(アンディ・ウィリアムズ)のバージョンにチャートを奪われてしまった。

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ところで、80年代初頭の日本でもスーパーマーケットに行ったらワゴンに謎のカセットテープが売っていたが、それはオリジナルとは異なるカバーバージョンが入っていることがあった。あれは何だったんだろう?
これ系の話は、宮川大輔がすべらない話でもしていたが(宇宙戦艦ヤマト)、自分が子供の頃にはまだそういうのがあったなと。結構グレーな商売ですね。

ロス・マクマナスがジョー・ロス・オーケストラに在籍していた頃もこっそり「ハル・プリンス」「フランク・ベーコン」などの変名でシングルをリリースしていたそうだ。まあ小遣い稼ぎなんですかね?
仮にヒットしていたらその名前のまま独立、ってことだったんですかね?
これを読んでいたらデクラン・マクマナスも「エルヴィス・コステロ」もちょっと変わった名前で一枚リリースしてみたらヒットしてしまったので戻せなくなったんじゃないかという気がしてならない。
コステロがすぐに変名でリリースしたがるのもこの影響があるようだ。
「The Imposter」「The Costello Show」「Declan MacManus(本名)」「The Little Hands Of Concrete」「Napoleon Dynamite」「The MacManus Gang」等など。
私がコステロを「英国の大滝詠一」だと思っていたが、そういえば大滝詠一も変名がかなり多い。
大滝詠一」「大瀧詠一」「多羅尾伴内」「イーチ大滝」「ちぇるしぃ」「笛吹銅次」「イーハトヴ・田五三九」「Jack Tones」、最近では「冗談ぢゃねーやーず」等など、書いていくとキリがない。「ちぇるしぃ」はちょっとコステロとリンクしてニヤッとしますね。


この章はなんだか目的を定めないまま気の向くままに書いたと思われる。良く言えば自然体、悪く言えばとっ散らかっている。

序盤はテレビに出た時の話、途中グラハム・ナッシュの話、バカラックの話、ビートルズの話、最後はマクマナスが13歳だった頃のパーティの話で、父ロスの友人で歌手のローズ・ブレナンとの逸話。

ローズ・ブレナンは13歳のデクラン・マクマナス少年に、父ロスの女性関係の話をベラベラ話すような感じだったようだ(デクラン困惑の巻)。
ちなみにローズ・ブレナンは女性です。こういうのは男友達が言いそうですが。
2011年にロスが亡くなる直前にもお見舞いに来て、ロスが一番愛していた人の名前をコステロに告げたらしい。
それは実母でもなく、腹違いの弟の母親でもないらしい。

と、この章は唐突にここで終わるが、なんてデリカシーのない女なんだと読んでて思いました。

で、15章は「父の人生 (Unfaithful Servant)」で、かなり短い章です。物語としては前章の続きで、なぜ独立した章になっているのかイマイチ分かりませんが、父が愛していたのはコステロの実母に違いない、と言っています。