俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

コステロ自伝 ANNEX Part 4

第4章は「Ask Me Why」、もちろんビートルズの曲名で、ビートルズのお話。この章は短い。

幼い頃、ディック・ジェイムズと交流があったと書かれていたが、あまり良い書き方で書かれてはいない。
ディック・ジェームズは悪名高きノーザン・ソングスの筆頭株主だった人だが、実はミュージシャンでもあり、子供の頃に見ていたロビンフッドのドラマのテーマソングで歌声を聴いていたそうだ。

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1960年代の英国ではBBCと演奏権保護協会、音楽家組合との間で、ニードルタイム・アグリーメントという協定があり、これは商用レコードをラジオで流すことができる時間が1日あたり5時間まで、という協定だ。

「ニードル」はレコード針の針のことらしい。
これはシンガー・ソングライターが出てくる以前の、純粋な演奏家の食い扶持をなくさないための措置で、5時間以上音楽を流したければ、生演奏することが必要だった。
この頃のバンドの「Live at The BBC」が近年大量にリリースされているのはそのため。海賊ラジオが盛んだったのもこのためで、ここからザ・フーの「Sell Out」が出てくる。

ちなみに2004年の「Delivery Man」に「Needle Time」という曲がある。

で、この協定は本来は純粋な演奏家のために作られた協定なので、商用レコードを売っているミュージシャンがわざわざ生演奏したところで純粋な演奏家に何のメリットもない。もちろん商用レコードを売っているミュージシャンにもない。

こういう制度のために余計で意味のない作業を行う、というのは日本だけなのかと思ったら英国でもあったことに少し意外な感じがしてしまったが、そういえば不合理なルールは、つい最近見たF-1のドキュメンタリーでも散々でてきたな、ということを思い出した(ネトフリで「アイルトン・セナ 〜音速の彼方へ」を見た)。

ただ、もちろん、コステロの父のバンド、ジョー・ロス・オーケストラは(レコードも出していたが)基本的には演奏で食い扶持を稼いでいたため、この協定は役に立ったようだ。
それで、ここからは割と有名な話だが、ジョー・ロス・オーケストラは当時のヒット曲を演奏するためにレコード会社から販売前のアセテート盤を大量にもらってきて、父ロス・マクマナスはそれを使ってひたすらメロディと歌詞を覚えていたそうだ。
やがて、1963年(コステロ9歳)、ビートルズの「Please Please Me」を父が練習するのを聴いて一気にビートルズにハマる。父が覚えた不要なレコードは今までどこに消えていたかは分からなかったが、マクマナス少年はそのレコードを父から譲り受け、その後は目ぼしいレコードはチェックしてもらっていたそうだ。要するに好きなレコードが自動的に手に入る環境にあったということだ。
ちなみにそのレコードには「Dick James Music」と書いてあったらしい。

ジョン・レノンの「宝石ジャラジャラ」発言でおなじみの1963年のロイヤル・バラエティ・パフォーマンスには、ジョー・ロス・オーケストラも出ていたとのこと。

ビートルズの面々。ジョンは当時22歳。
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ジョー・ロス・オーケストラと、父、ロス・マクマナス(当時36歳)。曲は「天使のハンマー (If I Had a Hammer)」
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マレーネ・ディートリッヒ(当時62歳)もバート・バカラック(当時35歳)を帯同し出演していた。
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つまり、コステロが後に共作・共演することになるポール・マッカートニーバート・バカラックコステロの父と同じステージにいたということだ。

で、父はビートルズ4人のサインをもらってマクマナス少年に渡したのだが、9歳だからしょうがないが、マクマナス少年は4人分のサインをハサミで丁寧に切り抜いてサイン帳に貼ってしまい、ビートルズを解散させたのは自分だったかもと、英国流のユーモアで締める。お後がよろしいようで。