俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

ブルース・トーマス自伝 27(最終章) ..for the Best Outfit(最高の衣装のために)


最終章。

CHAPTER 27 ..for the Best Outfit(最高の衣装のために)

7月の暑い土曜日、マールバラのハイストリートは賑やかだ。なぜなら、ジャズフェスティバルの週末だからである。
私が道路を渡っていると、突然不気味な静けさが町に広がった。
まるで動物たちが何か異常なことが起ころうとしていることを感じ取り、高い場所に逃げ出す前のような静けさだった。
私は歩き続けながら周りを見回し、何が起ころうとしているのかを不思議に思った。
ポリーティールームに到着すると、ビーチサンダルを履き、バギーショーツと「Hot Baked Potato」と書かれたTシャツを着た男が私に向かって歩いてきた。


「君に会える気がしていたんだ」とピート・トーマスが言った。
「ここで何をしているんだ?ジャズフェスティバルに出演しているわけじゃないだろ?」と私は言った。
彼らが出演していないことは知っていた。彼らはイギリスツアー中であり、グラストンベリーローリング・ストーンズをサポートしていたと聞いていたが、私が現れる意味はなかった。
「いや、ジュディの母親が川沿いのアパートに引っ越したんだ。私たちは彼女の落ち着くのを手伝っているんだ」とピートが言った。


お互い、20年間ほぼ毎日会っていたのに、気がつけばもう10年会ってないという事実を乗り越え、我々は親、妻、昔の彼女、子供たちのことなど様々な人の近況を話し合った。
ピートの娘、テネシーはLAでミッチェル・フルームの娘、シャーロットと一緒にオール・ガールズ・バンド*1を組んでいた。彼女たちはうまくやっていたようだ。
音楽業界についても話した。昔いた「ヘアドレッサーのロジャー」と呼んでいたエンジニアが、髪のほとんどを失ってしまったことを彼は面白がっていた。
そんな感じで話は行ったり来たりした。
ピートはまだセッションワークをしているのか?
ウィルトシャーでの生活は好きか?
そして、ついに「象(EL・・・エルヴィスのこと)」の話題になった・・・
「バンドはどう?」と私が言いました。
「ああ、ミュリエル*2は相変わらずさ、『スティーヴの音がミックスで聞こえない、キーボードはもっと大きくなくちゃ!』って」
「プラスアルファの変化だな・・・」


ピートが言った。
「なあ、ライブを再開する準備の段階で、セットリストの曲を練習しなければならないんだけど、昔のレコードをかけてみたら・・・俺たち結構いい仕事してたなと思うんだよな」
私はうなずき、ピートに話を続けさせた。
「正直言って、最近はエネルギーがないんだよ。今のエルヴィスのデフォルトは「のろのろ」さ。まあ、それは俺にとっては良いことだけどね」と彼は目を細めて「ちょうど二重ヘルニアの手術を受けたところだからな」と言った。
「三重バイパス手術と二重ヘルニアか。フルハウスだな*3」と言ったが、ピートは私の不可解な発言をスルーした。
「最近はまたモダンになったんだよ。ヒップホップのやつらと一緒に仕事していて、すべてがプログラムでドンドンドンって感じだよ・・・*4」とピート。
「ああ、説明しなくても分かるよ」と私が言った。
「それで、エルヴィスと一緒に車に乗らないで済むように、いつも同じ冗談を使ってるんだ。『ちょっと風邪気味で、君に伝染したくないんだ』ってね。・・・ただ実際、最近は少しマシになったんだ。再婚したからな*5。以前ほど不機嫌なことはなくなったけど、そこまで来るのに30年かかったよ」
彼はしばらくの間、立ち止まった。
「あの頃はすべてがちょっと馬鹿げてたよな。でも問題は、エルヴィスに何かを指摘する唯一の人間が君だけだったということだな。『ちょっと飲みすぎじゃないのか?これ本当に曲なのか?ただパーツをくっつけただけじゃないのか?』ってね。」


それから30分ほど経って、彼は帰り支度をしているようだった。
私は言った。「聞いてくれ、喜んで受け入れてくれるすべての人に、喜んで最高の敬意を表するよ」

別れる前に握手をし、そして、気持ちよく抱き合った。


それまで幾度となく「おい!ピート・トーマス!ブルース・トーマス!、おまえたちは兄弟なんだろう?」と聞かれてきた*6
我々は憤慨して言い返していた。「いや、違う。兄弟じゃない!ただラストネームが同じなだけだ」と。
だが、「兄弟じゃない」と言い返している間もずっと「兄弟だ」と思っていたのだ。


* * *


その日の午後、ロンドンから来たデイヴ・ドーソンが訪ねてきた。
彼とは1年前、ウィルトシャーの野原で出会ったことがある。
デイヴは他のこともやっているが、ウィルフ・ターンブルとデレック・フィルポットという2人の年配者のためにウェブサイトを運営しており、彼らはさまざまなソングライターに手紙を書いて、歌詞の不一致や見落としを指摘することを好んでいた。
私の代わりに彼らにいくつか追求してもらった。
まあ、それはそもそもちょっと愚かなおじいさんたちがやるようなことではあったが。

ディア、ジャガー
Re:Paint it Black
もしあなたが赤いドアを黒く塗ろうと考えているのなら、質の良いダークグレーの下塗りをお勧めします。十分な準備なしに、赤い上に直接黒いグロスを塗ると、「にじみ」が出て、結果的に紫色の光沢が出てしまうからです。


ディア、ヘンドリックス
Re:Let Me Stand Next to Your Fire
お伝えしておきますが、適切なBS規格の「防炎素材」キットマークが付いた高品質のウィンシェットナイトウェアを着用していても、これは非常にお勧めできない提案です。言うまでもなく、などと指摘するまでもないでしょう...


ディア、コステロ
Re:Everyday I Write the Book
私のメガネの友よ、困惑しています。おそらく、あなたは毎日巨大な著作を執筆しているのか、あるいは何十年も同じ著作に取り組んでいるのでしょう。前者は質の疑わしい作品を示唆し、後者は執筆者のブロックの可能性があります。はっきりと説明してください。


「クラウズ」の話を最初に教えてくれたのはデイヴ・ドーソンだった。
彼の友人がレコードコレクター誌のためにクラウズについて記事を書いたそうだ。我々は私のキッチンで座っている間にその記事を読んだ。

「誰かがクラウズについての本やドキュメンタリーを作るべきだな」と私は言った。
「まあそうなんだけど、出版社に持ち込んだところで誰も彼らのことを知らないと言われる」とデイヴが答えた。
「・・・まさにそれこそが問題なんだよな」と私は言った。

私はデイヴに雑誌を返しながら、彼がまだページをめくっているところで再び湯を沸かした。

「おい、お前、これはもう読んだか?」と彼が言った。
彼は雑誌を私に返し、レビューを指差した。「エルヴィス・コステロ&インポスターズ:シェフィールド・シティ・ホール*7」。

私は「愛されるエンターテイナー」が機智のあるやり取りで観客と交流し、彼らの間に入って彼らに歌いかけ、45分ものアンコールを行ったことについて読んだ。
一番下に、ミュージシャンたちはわずかな言及しかされていなかった。名前も何もなく、おまけ程度の言葉だけで、ほめ言葉でもないような感じだった。


「・・・素晴らしい演奏も言わずもがな」と私は声に出して読んだ。
「わかるよ、それほど立派な遺産じゃないよな」とデイヴが言った。
「そうだね、仮に遺産って何だろう?しわ寄せの履歴書くらいだろう?」と私は答えた*8


* * *


エルヴィス&アトラクションズの初期の日々、私たちはハダースフィールドで盛り上がった演奏を終え、4人でホテルの部屋に座っていた。
飲み物も女性もマネージャーもいなく、無駄話もなく、ただ4人だけだった。我々は自分たちが各々の考えを理解しようと努めていた。

「なあ、知ってるか」とエルヴィスが言った。「私たちがやろうとすることは何でも、それは決して大したことにはならないんだ」

彼は正しかった。

しかし、もし遺産があるとすれば、それは一日8時間も楽器の練習に励んだ若い男のものであり、わずか8ポンドちょっと持って家を出る勇気を持っていた男のものだった。
それはまた、デイヴ・ポープという学友のものでもあった。「お前は偉大なベーシストになれる」と彼が言ったのだ。

・・・そして、初めてのバンドであるトレマーズで私を見たパブの女の子のものでもあった。「あなた、良い演奏するわね!」と彼女が言ったのだ。
もちろん、トレマーズがそこまで大したことではないと思う人たちもいた。酔っ払いが立ち上がってバスドラムの皮に足を突っ込んでも演奏を続けたとき、彼らは笑っていた。
数十年後、彼ら自身も自分たちのブログでそれについて笑っていた。
そして、トレマーズが演奏を終えるまで学園ダンスのバーに居続けたことも。

ツアー中のミュージシャンの苦悩を私はしばしば吐露してきた。チャーリー・ワッツはそれを「20分の演奏と20年の待ち時間」と表現した。
しかし、長いフライトやツアーバスに詰め込まれる間にも、私は40以上の異なる国で夕日を見てきたのだ・・・。


「I Can't Stand Up For Falling Down」のビデオ撮影後の夕方、サン=ポール=ド=ヴァンスにあるレストラン「ラ・コロンブ・ドール」で夕食をとった。
我々は一日中、緑の丘やテラコッタの屋根を持つ藁色の家々の中で撮影に明け暮れた。
そして、手摘みの赤い花束で明るく彩られた白いテーブルに座り、ドメーヌ・オットを一口をすすり、パリッとしたバゲットのバターを口にした。
周りには銀器が陶磁器に当たる音、多言語の雑談、普遍的な笑い声が響いていた。ワインが流れ、時間がゆっくりと過ぎていた。

部屋を見渡しながら、ジェイクに言った。「この店にはとてもセンスのいいプリントが飾ってあるな」
彼は笑って言った。「センスのいいプリントだって?もっと近くでよく見てみろよ」

私は子供のように壁から壁へ、部屋から部屋へと、没頭して彷徨った。
ここには現代の巨匠たちの最も驚くべきコレクションがあったのだ。
ピカソ、デュビュッフェ、デュフィ、ミロ、シャガール、ブラック、マティス・・・さらにはレジェの壁画まで、テラスの壁の一部に描かれていた。
これらすべての作品は、まだ無名の頃にアーティストたちが食事代としてレストランのオーナー、ポール・ルーに提供されたものだったのだ。


では問題です。


もし無名の存在だった「ザ・トレマーズ」を私が無視していたら、何を逃していたのだろうか?


* * *


その夜、私はヴィレッジホールまで歩いて行き、ABBAのトリビュートバンドを見にいった。
バーであれば、トリビュートバンドでも十分に受け入れられるだろう。
会場に到着し、外で小さな人だかりに混じっていると、その場に集まっている人たちがほとんど地元の人々だということがわかった。
安価なレンタルのフレアの衣装がいくつかあったが、まだ箱に入ったままで深い横しわがついていたため、短いはしごのように見えた。
ライラック色のかつらや白いブーツもあった。それは男性用だった。
60年代なのか70年代なのかよく分からない編み物のパンツを履いた男性もいた。
最も素晴らしい衣装の人には最後に賞が用意されているそうだ。


バンドの紹介があったので中に入ったが、彼ら自身が着ていた高度に可燃性のある白い衣装は少々期待外れだった。
"アグネタ" は金髪のかつらをかぶった頼もしい女性だった。
もし私が小屋を建てる必要があったら、どこに行けばいいかわかるだろう。
本物のアグネタでさえ、この人の衣装の一部にもなりそうだった。
"ビョルン" は同じ金髪のかつらをつけていた。
"ベニー" と "フリーダ" も同じく黒いかつらを買っていたようだ。
ここにいる若い人たちの中には、マンマ・ミーアのミュージカルがなければABBAについて聞いたことがないかもしれない。
さらに子供たちはABBAがウォンブルズのような仮装バンドだとさえ思っているかもしれない。


彼らはドラムとベースのカラオケのバックに合わせて歌って演奏した。
衣装と同じく、インターネットを使えばカラオケをすべて手に入れることができる。
ABBAの「フェイク」はたくさん存在し、小さな産業を支えるには十分だった。
しかし、打ち込みで作られたベーストラックは、ルトガー・グンナルソンのフレットレスベースの繊細なスライドや美しいバウンスなどは全く存在しない。

私はホールの後ろに立ち、3分間の奇跡の連続、永遠に続く可能性のある曲を聴いた。
ここでもABBAは不滅で、知ったかぶりでも冷笑的でもなく、私たちの生活の一部であり、『Happy Brithday to You』と同じくらいの存在なのだ。

最初のセットの終わり近く、私は「Thank You for the Music」に合わせて踊っている人々の輪に巻き込まれた。
それは生き生きとしたブリューゲルの絵画の現代版、農民たちの祭りの様子のようなものだった。

ここには定年退職した教授、MBE受章者や、CEOたちと彼らの妻たちがいた。
そして、ストラトキャスターレスポールのギターを勉強部屋の壁に飾っていたり、家の隅に立てかけていたりする人たちも、私のような農場労働者や雑用係と一緒に笑いながら踊っていた。
私は内心、最初の人工関節置換手術の失敗はいつ起こるのだろうと思った。

「私は豚のように汗をかいてるわ」と隣にいる紫のワンピースのレンタル衣装の女性が言った。
「それにこの衣装、まだフェブリーズの匂いがするわ」
「そうだね」
一周終わった後に「前の20人も同じことを言ってたよ」と私は言った。


私が、「本物」のベニーとフリーダに最初に出会ったのはスウェーデンのフォークフェスティバルだった。
ABBAが解散した後、ベニーはルーツに忠実となり、古い友人たちと一緒にアコーディオンを演奏していた。
しかし、ABBAの音楽は実際のところ、みんなのためのフォーク音楽ではないだろうか。
私たちのような人々のための音楽・・・みんなのための音楽だ*9
一日おきに会い、政治家や天気や道路工事のことで一緒に文句を言っていた人たちでも、今夜ここにいる人たちはみんな「笑顔で楽しむ」スーパー・トルーパーなのだ。


トリビュートバンドが休憩を取っている間、周りを見渡すと、ここにいるすべての人に自分の物語を話すことができることに気づいた。
私の隣人の1人で、大手IT会社のトップである人は、学生時代からレッド・ツェッペリンの大ファンだった。
ツェッペリンの初めてのライブでジミー・ペイジのギターをマーキーまで運んだ話をまだ彼に伝えていなかった。

ちょうどその時、数村離れた場所に住んでいる男性が私の近くにやってきた。
「私は知っているよ・・・」と彼は神秘的に言った。
「・・・何を?」と私は言った。
「あなたが見たことや経験したことをするために、私は右腕を捧げる」と彼は言った。
「私は両利きになるために右腕を捧げる」と私は彼の後を追いかけて言った。

いつか、その一部を書き留めることができかもしれない。
しかし、音楽を書くことは、建築について踊るようなものだとよく言われる。
もし、私が見聞きしたものを、ほんの少しでも彼らに見せることができたならどうなるか。
もし、1時間だけ、魔法の劇場を作り上げる力があるとしたら。

ABBA!...ラカダブラ!」


再びカーテンが開く。ただし、ステージはスピーク・イージー・クラブの様相を帯びてきた。
「自分で自分を奮い立たせるんだ・・・」

ボブ・マーリーがバレットブラザーズと一緒に登場し、カリブの夕涼みの風のようにクールに演奏している。
「おい、このバンドはいいね!」「地元のバンド?」と誰かが私の耳元で叫ぶ。
私は微笑んで頷く。

曲が終わり、カーテンが閉まって再び開くと、スティール・スライドでテレキャスターを鳴らすマディ・ウォーターズが登場した。
ウィリー・ディクソンがベースで、素晴らしいブルース曲を数多く書いた作曲家だ。
「ブルースは赤ん坊を産んだ、そしてその赤ん坊をロックンロールと名付けた…」
誰かが温かいシャルドネのプラスチックカップを差し出し、彼はそれを観衆に向けて持ち上げる。
みんな歓声を上げた。

それからヴェルヴェレッツが登場し、「Needle in a Haystack」を歌う。
ダスティは真っ白な天使のように見える。
そして素晴らしいカメオ出演が次々に続くが、あっという間に終わってしまった・・・

最後のカーテンが閉まり、再び開く。
ドクター・フーのターディスの内部のように、突然村のホールが物理法則に反し、我々はグラスゴーに飛んだ。
ザ・フーが「Won't Get Fooled Again」を演奏し始め、ロックで最もシンプルなコードのリフを使っているにもかかわらず、どんな交響曲にも勝る壮大さを感じさせる。
中盤の長いシンセサイザーのブレイクダウンの後、物事は次第に盛り上がっていき・・・盛り上がっていく・・・どんどん盛り上がっていく。
ドラムがアトミックで長い「イェーイ」という音を爆発させ、最後のコーラスをスタートさせる。
ホールの中の誰もが本能的に上を見上げる。建物の屋根が溶けて透明な夜空が現れ、星でいっぱいになる。
Mr. エントウィッスルの威厳あるベースが曲を最後のコードへと駆り立てる。
最後のコードが鳴り響くと、私はすでにステージの横にある短い階段を上ってカーテンの後ろにいた。


* * *


地元の人々に、昔の私のバンドが最高の状態で演奏する姿を見てもらえたら嬉しかったが、今はご存知の通りだ・・・。
通常、もっと望まれるように去るべきだと言われる。
しかし、実際には、私にとって最も魔法に満ちた音楽の夜は、プロのミュージシャンになって数年しか経っていない時に起こった。
長いキャリアの早い段階でそんな経験をするのは奇妙なことではあるが・・・。


ロンドンに最初に到着して間もなく、私はマーキー・クラブの裏に回り込んでトイレに隠れ、そこからこっそりと中に忍び込んで素晴らしいミュージシャンたちの演奏を無料で見る方法を発見した。
それから2年後、その中の1人のミュージシャンが当時の私のバンド「ヴィレッジ」のゲストで出演することになった。


ある週を通じて、私たちのオルガニストだったピーター・バーデンズは、前のバンドのギタリスト、ピーター・グリーンに頼んだ。
この時点で、ピーター・グリーン率いるフリートウッド・マックはイギリスで最も優れたブルースバンドとなり、アルバム「Albatross」や「Need Your Love So Bad」などのヒット曲を通じてビートルズを上回る売り上げを記録していた。
彼らはまた、「Man of the World」のような心に残る曲や、「Oh Well」のような革新的な曲でも知られていたのだ。
ピーター・グリーンはステージに登場し、私の隣に立った。
「Aでシャッフルだ」と彼は皆に言った。そして、私の耳元で頭を寄せながら、「・・・特に華やかなプレイはいらないから」と囁いた。
そして・・・


後にも先にも、こんなにもの優しさ、情熱、目的、正確さ、知性、抒情性、音色、味わい、魂、力を持って演奏するのを聞いたことがない。
彼の心の中に燃えるような情熱と指先に権威が宿っていた。

直後、私は彼にそれを伝えようと試みた。後になって他の人に話そうとしたが、いつも言葉に詰まってしまう・・・それは今でも変わらない。
しかし、音符に込められた思いの深さに触れることは、謙虚ながらも高揚する経験でもある。
たった1つの音で、これだけのことができるのだろうか。驚くべき透明感を持つ音符群に至ってはなおさらのことだ。
ピーターは「半分くらいは自分が何を弾いているのかわからない」と言っていた。
もしそうなら、それはただ神々が彼のために演奏していたからに他ならない。

もちろん、ピーター・グリーンはブルースを発明したわけではない!
しかし、私のカンフーの師匠であるデレク・ジョーンズがかつて私に教えてくれたように、彼は学んだ人たちよりも優れた存在になっていったので、「巨匠の肩の上に立つ」ことができるようになったのだ。
もちろん、ピーター・グリーンの演奏にはフレディ・キングやオーティス・ラッシュなどの影響が残っているが、彼は彼らをも凌駕していた。
あのキングことBBも「ピーター・グリーンは首の後ろの毛を逆立てることができる唯一のギタリストだ」と語っていたそうだ。


それとは対照的に、私は年月を重ねるごとに、とても多くの下手なギタリストたちを聴いてきた。
そして、本当にひどいギタリストもいた。ピロピロ・・という「速くて多ければ良い」というタイプの人々。ハワイアンシャツを着た太った人、レザーパンツを履いた細身の人たち、感情より音の数だ、という人たち・・・。
中にはピーター・グリーンを模倣しようとする人もいた。彼の曲をカバーしながら、歯を食いしばり、目を細めて、魂を感じているように見せようとしていた。
弦を過剰に曲げ、音符を過剰に持続させ、すべてを過剰に演じ、自分自身を(そして他の多くの人々を)欺くが、表面にはかすりもしない、という人もいる。

グリーンは単に音符を演奏するのではなく、それらを磨き上げ、息を吹き込むような演奏をした。
すべての音にそれぞれの良さがあり、それなりの注意を払い、それぞれのストーリーを語っていた。しかし私がそれを言葉で一言一句説明することができないのと同じように、彼は一音一音、音符ごとに演奏していたわけではない。
彼の演奏は単にブルースを聴くことであり、そこから純粋な喜びを見いだすことだった。


ピーター・グリーンは、最も成功したバンドに所属し、容姿も才能も素晴らしかったのに、何が彼を台無しにしたのだろう?
その答えは、ヴィンス・テイラーを破滅させたのと同様の野郎どもだが、今回はフランス人ではなくドイツ人だった。
具体的に何が起こったのかは誰も正確には知らない。
彼のバンドの他のメンバーさえも知らない。
ただ、陰険な人物たちは、世界で最も美しく感情的なギタリストにアシッドを与えればさらに素晴らしい演奏をするかもしれないという考えに取り憑かれたようだ。
彼は拉致され、薬物を盛られ、週末の間、地下室に閉じ込められた。
その後の彼の衰えは、ヴィンス・テイラーほど早く劇的なものではなかったが、必然的で完全なものであった。


彼の曲は陰鬱で不安定になった。
彼が貴重なギターを無償で配り始め、バンドにもロイヤルティーを全て寄付するよう要求したとき、彼らは別れることになった。
その後、グリーンはピーター・バーデンズと私と一緒に、バーデンズのソロアルバム「The Answer」で演奏した。
それは半ば焦げ付いたアイデアや弱い曲の自己陶酔的なプロジェクトだったが、それでもギターの演奏は輝きを失うことはなかった。
その後、私はライブに行くと、彼が「スーパー・ジャム」を企画し、ギターを正しく持てるバカなら誰でも、時には30~40人まとめてステージに上がり、形のないホワイトノイズの中をのたうち回ることを知ることになる。
私は後ろに立ち悲しい気持ちで見ていた。
しかし、ピーター・グリーンのソロ・アルバム「End of the Game」が最後の言葉を述べた。
それは、心細く、蛇行し、迷い、傷ついたことを語りながらも、時折、強烈な輝きの爆発がある。


幸いなことに、ヴィンス・テイラーはやがて回復し、スイスで航空機の整備士として働くようになったが、それは彼の人生で最も幸せな日々だったと彼は語っている。
しかし、ピーター・グリーンはしばらく姿を消し、世捨て人となり、髪を伸ばし、爪も何十センチも伸ばしてギターを弾くことができなくなった。一時期、彼は墓掘り人や病院のポーターとして働いていた。
BBキングのコンサートのバックステージで彼を見かけることがあったが、病気で腫れているように見えた。最終的には、彼はより控えめな方法で演奏を再開するようになった。


一方、ミック・フリートウッドとジョン・マクヴィーは、米国版のフリートウッド・マックを作り、プラチナ・セールスを達成した。
それはその基準となるプロダクションとアレンジ(そして基準となる妻のスワッピングとコカインの乱用)を備えていた。
しかし、その後、今やミック・フリートウッドがピーター・グリーンについて話すとき、彼の声から悲しみと諦念を感じることができる。そして同時に愛と敬意も感じられる。
もちろん、私はミック・フリートウッドほどピーター・グリーンに近づくことも、彼の音楽に精通することもできないが、彼の気持ちには共感している。

先に述べたように、長い音楽のキャリアの中、こんなに早い段階でこんな経験をするのは珍しく、予想外のことだった。
しかし、心の底から言えるのは、若きピーター・グリーンは単に私が聴いた中で最高のギタリストというだけではなく、最も栄光に満ちた感銘を受けるミュージシャンであったということだ。


* * *


DJがレコードで村のホールの観客を盛り上げていた。私は彼にノーザン・ソウルやダプトーンの曲を頼んだのだが、彼は「Happy」を流している。
公平を期すと、それはウィガン・カジノで聴かれるどんな曲よりも良い音がしている。
それが終わる頃、私は彼に合図をして、私のヴィンス・テイラーとマドンナのマッシュアップクロスフェードしてもらった。
それは素晴らしいサウンドだ。
「・・・真新しい一筋の光(..a brand new ray of light)」
私が最初にそうであったように、あなたもそれを想像することができるかもしれない。
すべてが完璧なハーモニーを奏でる。ここマジックシアターでは何でも可能なのだ。


後ろの非常口に向かおうとしていると、翼の外から長身で細身な男性が現れた。
きちんとした髪型にクールなモヘアスーツを着ており、フィッシュテールの袖口、5インチのポケットフラップ、反転したプリーツがある。

「おおっと!・・あっ、失礼。サー・ブラッド、一体ここで何をしているんだい?」と私は言った。
「ああ、良く気づいたね」と彼は言った。


私にとって、最も素晴らしいスポーツの瞬間の一つは、ブラッドリー・ウィギンス*10(既に2012年のツール・ド・フランスのイエロージャージを着用)が最終ステージのホームストレッチで先頭に立ち、マーク・カヴェンディッシュ*11(世界チャンピオンの虹の輪を身に着けて)をリードし、シャンゼリゼ通りで4連勝を達成する姿だった。

私は興奮して飛び上がり、喜び勇んで声を上げた。
イギリス人はもはや失望した野望に特化しているわけではなく、大声で叫びながら勝利していたのだ!
翌年のツールドでは、クリス・フルームを擁して優勝を果たしたのだ。
そして、ウィギンスとフルームは同じスカイチームのメンバーでありながら「スターは一人で十分だ」のような緊張感があった。これ以上のロックンロールがあるだろうか?
ハハハ!・・・今、自転車のベルが鳴りましたか?


ブラッドリー・ウィギンズのように、私の父も若い頃はタイムトライアルの選手で、時には250マイルの「反時計回り」レースに出場していた。
ウィギンズは自分のタイムトライアルのウォームアップをするとき、いつもヘッドフォンでザ・フーを聴くそうだ。
特にジョン・エントウィッスルのベースプレイに集中すると、自分自身を最高の状態に入れることができると言う。

私は予期せぬ、しかし歓迎すべきゲストに話しかけた。
「それで、ここで何をしているんだい?永遠のミスター・エントウィッスルの見事な演奏を楽しみに来たのかい?・・・いや、まさか、抽選券を引きに来たとか!?」

「おいおい、別にそういうわけじゃないよ」とウィギンズは言いながら、前に進んでカーテンを開け、舞台に出る準備をした。


「最後に何のイベントが用意されていたか覚えてるかい?この中で最も素晴らしい衣装の賞を授与するためにここにいるんだよ」

*1:The Like(2001-2011) https://en.wikipedia.org/wiki/The_Like

*2:ティーヴ・ナイーヴの配偶者

*3:普通にうまいことを言う、ブルースは笑いのセンスがある

*4:2012年あたり、Wise Up Ghostの頃だろうか?

*5:ダイアナ様々だが、しかしケイトと事実婚だった頃は不機嫌だったということか

*6:イアン・デューリーとのやり取りにもこういうのがあった気がする

*7:おそらく2013/6/8のライブのこと https://elviscostello.info/wiki/index.php?title=Concert_2013-06-08_Sheffield

*8:ブルース・トーマスの立場上、インポスターズは認め難いのだろうが、もちろんインポスターズも良いバンドであることは言うまでもない

*9:実際のところ、日本で想像しているよりも欧米圏でのABBAの人気は高いようだ。U2 ボノ、オアシス ノエル・ギャラガー、なんと様式美ハードロックの権化と言われるレインボーのメンバー、リッチー・ブラックモアコージー・パウエルもみんなABBAのファンだった。https://www.barks.jp/news/?id=1000233135 エルヴィス・コステロも、この本の著者ブルースもファンだったのである。こんなグループあるだろうか?ビートルズ以来ではないのか?

*10:ブラッドリー・ウィギンス https://en.wikipedia.org/wiki/Bradley_Wiggins

*11:マーク・カヴェンディッシュ https://en.wikipedia.org/wiki/Mark_Cavendish