俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

コステロ自伝 ANNEX Part 10

第10章は「サラリーマンへようこそ(Welcome to the Working Week)」で、もちろん1stアルバムの1曲目のタイトルから。

デクラン・マクマナスが学校を出て、働いている頃の話。
最初に行っていたのは海軍の海図修正。しかし、実は左利きのデクラン・マクマナス青年は書いた字が読みづらいということでそこでの仕事は諦める。
今だとコンピュータで処理するので字の上手さはどうでも良い気がするが、この時代はそれが仕事に影響した。

余談だが、自分には二人子供がいるが、上の子は左利きで、下の子は右利き。下の子は字が綺麗で何度も賞を貰っているのだが、上の子は字が汚い。
兄弟なのに全然違う。なので、左利きで字が汚い、という話に妙に納得してしまった。
別に左利きで字が上手い人もいるとは思うけど。

それで、デクラン・マクマナスが選んだのがミッドランド銀行のコンピュータセンターでの仕事。
自分は知っていたのでさほど驚かないが、コステロがかつてコンピュータのオペレータだった、というのは結構ギャップのある話だと思う。
時代的には、ビル・ゲイツマイクロソフトを、スティーヴ・ジョブズAppleを設立した周辺のお話。

サッカー場ほどの広い場所でけたたましい音でパンチカードが吐き出されている、と書いてある。
今の時代はデータの保存にハードディスクやSSDを使うが、当時フロッピーディスクもない時代。80年代はカセットテープにデータ保存をしていたが、70年代はまだ普及していない。
この頃は厚手の紙でできたパンチカードに穴を開ける/開けない、でデータを保存していた。

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しかし銀行では上司と揉めてすぐに退職。その後にアメリカの化粧品メーカーであるエリザベス・アーデンで働き始めた。そこではIBM360という汎用機…これも説明が必要かもしれないが、その頃はパーソナルコンピュータというものは普及しておらず(Apple IIが1977年)、企業ではメインフレームという大型のコンピュータ(汎用機)を使っていた。
IBM360は1964年に製造開始、出荷終了が1977年。
マクマナスが使っていたIBM360にはモニタースクリーン、つまりディスプレイはなく、プログラムのエラーはプリンタを介して出力されていた。

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今現在、一般的に思い浮かべるPCは、本体とディスプレイとキーボードとマウスでワンセットみたいなイメージだが、IBM360はそうではないのだ。
メインフレーム自体は今でも使われている、が、シェアはどんどん減っている。IT界のサグラダ・ファミリアと呼ばれたみずほ銀行のシステムも未だにメインフレームを使っているが、前時代のシステムよりもメインフレームの台数は減っているそうだ。

エリザベス・アーデンでは、コンピュータが異常動作しないように空調管理されており、そのため1976年のロンドンを襲った猛暑を防ぐことができたそうだ。
ちなみに、その猛暑は27℃くらいらしい。新聞では世界の終わりのように騒いでいたらしい。
札幌だと毎年8月には30度になるので、それよりもだいぶ涼しい。ちなみにロンドンの緯度は宗谷岬よりも上である。
そういえば昔、6月の台湾に行ったが、台北はずっと36℃くらいでものすごく暑い。それに慣れた体で札幌に帰ってくると、札幌は26℃くらいで札幌にしてはまあまあ暑いのだが、肌寒く感じてしまった。
ロンドンの夏の平均気温は20〜23℃くらいらしい。その体でいると確かに27℃でも世界が終わるくらい暑く感じるかもしれない。

エリザベスアーデンは化粧品メーカーなので、アーデンのサロンで美顔術を受けるモデルを見たり、口紅がアウトレット品が金曜日にセールで販売されていたりする中で、外見はこういう道具でどうにでもなる、と思ったそうだ。
それに反発して作ったのが「(I Don't Wanna Go To)Chelsea」らしい。

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マクマナスはプログラマではなく、オペレータ。今はオペレータという職種はあまり聞かないが、ようするに操作する人ということだ。
コンピュータは常時動いているので止まったら動かす、そういう職種なので深夜業務もある。深夜業務の場合、基本的にトラブルがなければ何もしなくてもいいので、そういう時は曲を書いていたそうだ。
で、ギターを持ち込んで「Chelsea」を書いた。チェルシーはロンドンの高級住宅地でありオシャレな繁華街だそうだ。東京でいうと銀座、麻布、六本木のような場所。

「Chelsea」はザ・フーの「I Can't Explain」のリフから拝借した、とのこと。
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「ん?」と思ったが、リフというのはずっと鳴っているギターのオブリのことではなく、上に行ったり下に行ったりしているパワーコードのことのようだ。

クラッシュの「Clash City Rockers」も「I Can't Explain」から拝借しているとのこと。こちらの方が分かりやすい。
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「Chelsea」の方がレゲエ風なのでちょっと分かりにくいかもしれない。
「Chelsea」はエルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズ名義での初のシングルになる。1978年3月3日のリリース。
アルバム「This Year's Model」はそれから2週間後にリリースされた。
「This Year's Model」は英国チャートで4位にまでなっているのでかなり売れたアルバムだろう。
それにより、雑誌などのメディア露出が増えてしまい、自分が書いたこととの矛盾が生じてしまった、とのこと。

ところでこの、俗に言う「パンクムーブメントが吹き荒れていた英国」の主要なパンク/NW系のバンドがどのようなチャートだったかが気になっていたので調べてみた。
対象は、1977年から1978年までで、5大パンクバンド(クラッシュ、ピストルズ、ダムド、ザ・ジャムストラングラーズ)、に加えて、パンクではないが周辺新興ミュージシャンのエルヴィス・コステロXTC、ポリス、スクイーズ

【アルバムチャート】
4位 1977/4/15 ストラングラーズ / STRANGLERS IV (RATTUS NORVEGICUS)
2位 1977/9/23 ストラングラーズ / NO MORE HEROES
1位 1977/10/28 セックス・ピストルズ / Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols
4位 1978/3/17 エルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズ / This Year's Model
2位 1978/5/12 ストラングラーズ / Black and White
7位 1978/11/2 ポリス Outlandos d'Amour
6位 1978/11/3 ジャム / All Mod Cons
2位 1978/11/10 クラッシュ / Give 'Em Enough Rope

【シングルチャート】
8位 1977/05/21 ストラングラーズ / Peaches
2位 1977/05/27 セックス・ピストルズ / God Save the Queen
6位 1977/07/02 セックス・ピストルズ / Pretty Vacant
9位 1977/07/22 ストラングラーズ / Something Better Change
8位 1977/09/01 ストラングラーズ / No More Heroes
8位 1977/10/14 セックス・ピストルズ / Holidays in the Sun
7位 1978/06/30 セックス・ピストルズ / No One Is Innocent/My Way

意外だったが、ストラングラーズがかなり強い。日本だとあまり人気があるイメージがない。

日本だとパンク=ピストルズで、やはり一番有名。クラッシュが次点。次がポール・ウェラー人気でジャム。ダムド、ストラングラーズは同じくらいかな。あまり知名度は高くない。
一方、ポリス/スティングは一般の人でも知ってるくらいで一番知名度が高い。
ピストルズ/クラッシュ/ポリスは一般教養レベルですね。

高校生くらいだったと思うけど、ロックの名盤ランキングでピストルズの唯一のアルバムが1位で、どれだけ良いのかと思って借りて聴いたらガッカリしてしまった。
声がヘン、演奏下手、これが名盤?と思ったのだ。まあ今では良さも分かるけど。

まあでもパンク=ピストルズ、というイメージはかなり強い。ついでにモーターヘッドもパンクだと思っている。クラッシュの初期とダムドもパンク。

それ以外、ジャムやストラングラーズ、中期以降のクラッシュはパンクというよりはニューウェーブというほうがしっくり来る。

XTCは、英チャートはそれほどでもないにも関わらず日本での人気が異常に高い。ムーンライダーズ奥田民生の影響だろうか。ムーンライダーズの「カメラ=万年筆」なんて歌い方からアレンジまでほぼXTCそのもの。
高校生の頃、XTCの「Nonsuch」がリリースされたが、高校では同学年に2,3人くらいはXTCのファンがいたと思う。
一方、その頃コステロを聴いていたのは私ただ一人だった。密かに聴いていた人はいたかもしれないけど。

スクイーズも日本だと知名度ストラングラーズと同じくらいだろう。

グレン・ティルブルック&クリス・ディフォードとコステロは友達で仲が良い&布袋寅泰スクイーズ好きなので、個人的な趣味としては身近なバンドではあるんですが。

で、コステロは「She」のイメージが強いバラードシンガー。しかし1999年以前はパンクの文脈で紹介されることが多かった。1st聴いて、これがパンク??と困惑した記憶がある。XTCと同じようにミュージシャンズミュージシャンのイメージがある。しかし自分が高校生の頃は、ほぼ誰も知らない感じ。「This Year's Model」を貸してあげたら、めちゃくちゃ良い、と評判ではあった。
「Armed Forces」を貸したら、何曲かは良いけど何曲かは気持ち悪い、と言われた。
「Senior Service」とか「Green Shirts」だろうな、気持ち悪いのは。

この時期から1979年にかけてコステロは飛ぶ鳥を落とす勢いで、そのままアメリカツアー。それでコロンバスの事件があって世間に叩かれたことで大ブレイクのキッカケを逃した、と言われている。
とはいえ、コロンバス事件がなかったとして大ブレイクしたかどうかなんてのは誰も分からないことではある。