俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

コステロ自伝 ANNEX Part 9

9章は「リヴァプール8区の家(Almost Liverpool 8)」で、この章は割と短め。前半はポール・マッカートニー、後半は母リリアンの祖先の話。

2010年にガーシュウィン賞を受賞したポール・マッカートニーのお祝いのためにホワイトハウスに来た、というお話。

で、ポール・マッカートニーオバマ大統領(当時)の前で「Penny Lane」を歌う。
www.youtube.com

これは当時リアルタイムで追っていたので覚えてますね。当時そこそこのアーリーアダプターだった自分はTwitterをやっていて、コステロのコメントを和訳して少しだけバズった記憶。
※ 既にアカウント消したので読めない

そのパーティ?に来ていたのは、ハービー・ハンコック、フェイス・ヒルフー・ファイターズ、ラン・ラン、エミルー・ハリス、ジャック・ホワイト、ジョナス・ブラザーズ等など。
コステロオバマハービー・ハンコックと親しげに話すのを見て、あるべき姿だ、と感動したらしい。
ニクソンセロニアス・モンクに同じようなことをするだろうか、と書いている。

まあ、確かに共和党の大統領がそういうことはしなさそうではある。
ただ、カントリー・ミュージックは好きそうな気はするけどね。

ステージは奥行きがなく、さらにテレビ局のライティングもあり、目の前にオバマとポールが座って聴いているという状況なので、コステロ以外の出演者は緊張してMCは殆どしなかったらしい。
そこでスタッフがコステロに、歌う前にスピーチをしてくれと依頼する。歌う曲は「Penny Lane」なので、その曲に因んだ話をする。

ペニー・レインというのはリヴァプールにあった、普通の通りの名前ですね。
www.google.co.jp

ビートルズが1967年に発表したポール・マッカートニーの曲で、両A面シングルでジョン・レノンが作った「Strawberry Fields Forever」と一緒に発表された。
ストロベリー・フィールドというのも場所の名前で、孤児院の庭の名前。
なので、このシングルは故郷をテーマにしたコンセプト・シングルと言っても良い。

ちなみに札幌の二十四軒という場所に「ペニー・レイン24」というライブハウスがあり、私もたまに行きますが、ビートルズを知る前にこのライブハウスで「ペニー・レイン」という単語を叩き込まれていました。
ペニー・レイン24は500人くらいのキャパで、割と小さいハコですが、チャットモンチーとかSuchmosを見に行ったことがあります。
あと、ここは奥田民生のお気に入りらしく、ユニコーンの「Springman」の一部はこのライブハウスでレコーディングされていたり、2010年の「OTRL」も一部ここでレコーディング。

話が逸れました。

コステロの母はリヴァプール出身で、ペニー・レインもすぐ近くだった。1967年に「Penny Lane」がリリースされた時は「僕と父、母、そして猫がこの曲を聴いていた」とスピーチ。
しかし、これはちょっと話を盛ったらしい。その頃、父と母は別れていたし、猫も飼っていない。猫がいたことはあるが、その頃は行方不明だったとのこと。
「Accidents Will Happen」のエピソードの後だと、このくらいはかわいい盛り方だと思います。

shintaness.hatenablog.com
shintaness.hatenablog.com

そして、後半はリリアンの父母、つまりコステロにとっての祖父母の話が続く。
それほど面白い話でもないので以後割愛。