俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

コステロ自伝 ANNEX Part 29

第29章は「喜びが痛みへと変わる時(That's When a Thrill Becomes a Hurt)」で、「That Day is Done」の歌詞から。
ちなみに「Flowers in the Dirt」というフレーズも「That Day is Done」から。

この章はポール・マッカートニーとの共作時のお話。後半の章では一番面白いんじゃないかと思うのがこの章。

ポールとコステロはそれ以前から何度か会っているが共作を申し込まれたのは1987年頃で、「Back on My Feet」がシングルB面で出たのが最初。
コステロはクレジットに「McCartney-MacManus」と書かれているのを見て興奮したそうだ。
「Flowers in the Dirt」のデラックス盤のライナーノーツによると、マネジメントからポールとコステロ双方にコラボに興味があるか、と打診が来て「興味がある」と答え、コステロは手ブラで行くのはマズイなと思い、作りかけの「Veronica」を持って行って仕上げた。その次に着手したのが「Back on My Feet」でこちらはポールが持ち込んだ曲、とある。
なので、「Back on My Feet」は基本的にはポールの曲。

マッカートニー=マクマナス作品は一つにまとまっておらず、複数のアルバムに跨っているので90年代に絞って纏めてみる。

Paul McCartney 名義

1987.11 - "Back on My Feet" (Single 'Once Upon a Long Ago' B-Side)
1989.5 - "My Brave Face" (Single 'My Brave Face' A-Side / Album 'Flowers in the Dirt')
1989.6 - "You Want Her Too" (Album 'Flowers in the Dirt')
1989.6 - "Don't Be Careless Love" (Album 'Flowers in the Dirt')
1989.6 - "That Day Is Done" (Album 'Flowers in the Dirt')
1993.2 - "Mistress and Maid" (Album 'Off the Ground')
1993.2 - "The Lovers That Never Were" (Album 'Off the Ground')

Elvis Costello 名義

1989.2 - "Veronica" (Single 'Veronica' A-Side / Album 'Spike')
1989.2 - "Pads, Paws and Claws" (Album 'Spike')
1991.5 - "So Like Candy" (Album 'Mighty Like a Rose')
1991.5 - "Playboy to a Man" (Album 'Mighty Like a Rose')
1996.5 - "Shallow Grave" (Album 'All This Useless Beauty')

かなり後になって以下も作品化された。

The Fairfield Four featuring Elvis Costello 名義

1997.9 - "That Day Is Done" (Album 'I Couldn't Hear Nobody Pray')

Elvis Costello 名義

2019.4 - "The Lovers That Never Were" (EP 'Pulse')

さらに、デモ音源が2017年の「Flowers in the Dirt」のリイシュー、デラックス盤に多数収録されている。
「Tommy's Coming Home」「Twenty Fine Fingers」「I Don't Want To Confess」が公式レコーディングされないままお蔵入りしている。

オフィシャルに出ているものでは全16曲。


www.universal-music.co.jp

このコラボは、まあ良いコラボだったとは思う。

レコード・コレクターズ的なビートルズ史観からすると、「80年代に低迷していたポール・マッカートニーを救ったエルヴィス・コステロとの大成功コラボ」ということになる。
しかし、コステロ史観からすると、「コラボアルバムでリリースすれば良かったのに中途半端に終わってしまったコラボ」と思ってしまう。

「Flowers In The Dirt」のデラックス盤の「1988デモ」を聴いてしまった今では、トレヴァー・ホーンとか呼ばずに「1988デモ」を完成形まで持っていくべきだったと本当に思うのだ。

www.youtube.com

この自伝を読んだ後だと、選曲にも力関係が出ているなぁと思う。

共作よりもアルバムを作る方が大変だったと書いているが、コステロはポールがどの曲をアルバム「Flowers in the Dirt」に入れるか分かっていなかった、という。
「Flowers in the Dirt」は完成に2年を要したと書いていて、1988デモだとコステロとのコラボの色が強い。
ライナーノーツに書いているがコステロは当時共同プロデューサーの権限を持っていたが、いつの間にか降りていた。
「Flowers in the Dirt」のデラックス盤には、初期の本当のデモ(Original Demo)と、最終アレンジっぽいデモ(1988 Demo)の二種類があるが、その間にも様々なアレンジが存在すると思われる。例えば、こんな動画がある。

www.youtube.com

このリハーサルセッションを見ていると「My Brave Face」のメインラインはコステロがずっと歌っている。
Bメロはの下降しているメロディはポールであとはコステロ、みたいな証言もあり、おそらくコステロ:ポール=7:3くらいの比率の曲だろうと思う。
こういうのを見てしまうと、ポールとコステロのダブルネームでのコラボアルバムとそれに伴うツアーがあっても良かったのでは?と思ったのだ。

全曲ポール=コステロの曲になると、ポールの色が薄くなってしまうから、コステロ色を薄めたのかなという気がしている、と昔書いた。
shintaness.hatenablog.com

この前にマイケル・ジャクソンスティーヴィー・ワンダーともコラボしていたので、コステロともコラボアルバムを出しても良かったがそうはならなかった。
まあ、80年代後半、ポールもコステロもチャート的には低迷期だったから、そんなに話題にもならんでしょ、みたいな感じだったのかな?
事実はこのコラボを前後して両者ともに復活するわけだけれど。


以下、2017年のニューヨーク・タイムズの記事。

www.washingtonpost.com

McCartney: Thinking back to the time, I didn't just want to just make an Elvis Costello album. There were other things I was interested in. I also wanted to work with this fabulous arranger, Clare Fischer, which may not have happened if I had been working with Elvis. I think I wanted to work with Trevor Horn and Steve Lipson, and things like "Rough Ride" and "Figure of Eight" wouldn't have been there. I wanted some variety, and that led to the decision of writing some stuff with Elvis. And things like "Put It There," I think those were pretty successful.


Of the demos, though, he and Costello agree. They are, indeed, the best versions of their songs. That doesn’t mean McCartney has any regrets.


McCartney: Man, are you kidding? It's being reissued like a gazillion years afterward, and people are loving it. And the great thing is that we can now release these hidden treasures. It's actually worked out really well.



マッカートニー:当時を振り返ると、ただ単にエルヴィス・コステロのアルバムを作りたかったわけではありません。他にも興味があったんです。また、クレア・フィッシャーという素晴らしいアレンジャーと仕事をしたかった。トレヴァー・ホーンやスティーヴ・リプソンとも一緒にやりたかったし、「ラフ・ライド」や「フィギュア・オブ・エイト」のような曲はなかったと思うんだ。バラエティが欲しかったので、エルヴィスと一緒に何か書こうということになったんだ。そして「Put It There」のようなものは、かなり成功したと思う。


デモ音源については、コステロと意見が一致している。それらは確かに、自分たちの曲のベスト・バージョンなんだ。だからといって、マッカートニーに後悔があるわけではありません。


マッカートニー:おいおい、冗談だろう?あれから何億年も経ったようにリイシューされているし、みんな気に入っているんだ。そして、素晴らしいのは、こうした隠れた宝物をリリースできるようになったことです。実際、とてもうまくいっているんだ。

まあポールがとっ散らかりがちなクセはあるのは否めない。

要は、

だが、

  • コステロの曲の方が出来が良いのを気にしていたのでは?

ってのもあるのではないかな・・・?

共作のプロデュースを担当したミッチェル・フルームのインタビュー。
superdeluxeedition.com

Mitchell Froom: When I got there, to work on those four songs, I think pretty much everything had been recorded, if I’m not mistaken. I know that the thing he did with Trevor Horn was done. I got sent the original Elvis demos, the acoustic ones, just them in a room together, and there was some great stuff in there, great songs. At one point, I listened back to those acoustic demos and I thought Paul should just play some drums on this and just put this out, because they’re great.


ミッチェル・フルーム ミッチェル・フルーム:その4曲を作るために現地に行ったとき、私の記憶違いでなければ、ほとんどすべてが録音されていたと思います。トレヴァー・ホーンとやったものは終わっていましたね。エルヴィスのオリジナル・デモが送られてきたんですが、アコースティックなもので、二人が部屋に一緒にいるだけのもので、その中に素晴らしい曲が入っていました。ある時、そのアコースティックデモを聴き返して、ポールはこれにドラムを叩いて、これを出すべきだと思ったんだ。

1988デモをから完成に持っていった。4曲だけじゃなくて全部やるべきだったと思うけど。

Mitchell Froom: [Me working with Paul] didn’t come from Elvis Costello, but I think Elvis endorsed the idea. Once the original sessions they did together weren’t going to pan out, I think he just moved away from it.

Elvis’s instincts were pretty strong, but not necessarily for the time period that we were in. That was the eighties, and the rough-and-ready kind of thing was not part of the culture, and Paul was always very interested in doing whatever he is doing of his time. And I think Elvis was trying to lean it more in a direction that would recall the sixties, which 20 years later, if that would have happened, would have been a very good idea. But at that time, I think Paul thought “I have done that before”, I want to be current, I want to do something that sounds like this time.

And also, Paul ended up playing on Elvis’s new record at the time – Spike – and so he was thinking well, Elvis’s record sounds more modern, so he wants me to sound old fashioned, and it just didn’t feel right to him. And I can understand it, I understand that instinct very well. In retrospect, the eighties is one of the worst times to be produced – aesthetically, it’s one of least pleasing periods, musical periods of time in popular music. And so it was difficult in that era, to do anything that just sounded good at all, but you wanted it to sound ‘current’, so it had all these contradictions just built into it.

The first sessions were Olympic, and I think it was two or three weeks working on them. And then there was a little break and he came to the United States and we worked on it for another week or so, and then we went back for the mixing. I think Neil [Dorsman] may have mixed the whole record, or most of it. So probably the whole thing was over a four month period of time, something like that, but yes. Also a lot of those sessions, as I think you know, but with things like That Day is Done and Don’t Be Careless Love, we just worked on what was already done from the original sessions with Elvis, those two.



ミッチェル・フルーム: [ポールとの仕事は)エルヴィス・コステロから出たものではありませんが、エルヴィスはそのアイデアを支持したと思います。一緒にやったオリジナルのセッションがうまくいかなかった時点で、彼はそこから離れていったんだと思う。

エルヴィスの直感はとても強かったのですが、私たちがいた時代には必ずしも合っていなかったようです。 あれは80年代で、ラフアンドレディのようなものは文化の一部ではなかったし、ポールはいつも、その時代のやっていることを何でもやることにとても興味があった。そして、エルヴィスは60年代を想起させるような方向に傾けようとしていたのだと思います。20年後、もしそうなっていたら、とても良いアイデアだったと思います。でもその時、ポールは「前にやったことがある」「今風にしたい」「この時代らしい音を出したい」と思ったんだと思います。

そして、ポールは当時、エルヴィスの新譜「スパイク」で演奏することになったんですが、エルヴィスのレコードはもっとモダンなサウンドだから、僕はオールドファッションなサウンドにしようと考えていて、それが彼にとってはしっくりこなかったんです。私は、その本能をよく理解しています。振り返ってみると、80年代はプロデュースするのに最悪の時代のひとつで、美的にも、ポピュラー音楽の中で最も喜ばしくない時代、音楽的な時代のひとつなんだ。 だから、あの時代には、いい音を出すのは難しいし、かといって "今 "の音にするのも難しい。

最初のセッションはオリンピックで、2、3週間は作業していたと思う。 その後、少し休みがあって、彼がアメリカに来て、さらに1週間ほど作業した後、ミキシングに戻りました。ニール(・ドースマン)が全曲、あるいは大半のミキシングを行ったと思う。 だから、おそらく全部で4カ月間、そんな期間だったと思うけど、そうだね。また、セッションの多くは、皆さんもご存じだと思いますが、「That Day is Done」や「Don't Be Careless Love」のように、エルビスとのオリジナルセッションですでに出来上がっていたものをそのまま使ったんです、この2つは。

ポールはモダンなサウンドにしたかった。コステロは枯れた(つまり時代に左右されない)サウンドにしたかった。
ポールはビートルズ時代から常に最先端で実験的だったから、昔やったネタをやることに消極的だった、という擁護もあるが、ちょっと違うような気がする。この頃のポールのやったことは、ポールにとっては新しいかもしれないが、巷の流行りモノ(その時代の音)を取り入れようとしただけに過ぎないわけで、ビートルズ時代のように自らが時代の音を作ろうとしていたわけではない。
結果、どうなるかというと、今聴くと古びたサウンドになってしまった。

60年代風のアレンジは確かに古いが、古いまま生き延びているということは、スタンダードになっているということ。

山下達郎がよく言ってますね、「元々古いんだから古くなりようがない」って。
「クリスマス・イブ」を作った後にワム!の「ラスト・クリスマス」がヒットしたが、コンテンポラリーなアレンジだったので耐用年数は低いな、と思ったそうな。結果、1983年に作られた「クリスマス・イブ」は今でも冬になるとチャートインする。

なので、これに関しては結果的にコステロが正しかった。コステロには、おそらく80年代に作ったサウンドが貧弱な2つのアルバム「Punch The Clock」「Goodbye Cruel World」への反省があったと思う。
バカラックとの「Painted From Memory」がそれを証明していると思う。バカラックのアレンジメントのパワーもあるけど、あのアレンジって往年のバカラックアレンジそのもので、50's〜60's。でも全然古くならない。

ついでにミッチェル・フルームの各曲に対するインタビュー。

My Brave Face

Mitchell Froom: Well it seemed like it could be a hit. It’s a bit of an odd song in some ways, but it was really hooky, it had a great bass line, it was positive and a really cool lyric, great melody, it sort of had all that stuff. To be honest I have a hard time with the aesthetic of the period, it just sounds wrong to me. I would give anything to be able to remix it with somebody [laughs]. I remember hearing the music in a more raw form, and it sounded really good to me, and [at the time] when I heard this mix it sounded good to me because it was the eighties.


ヒットしそうな感じでしたね。ちょっと変わった曲だけど、フックがあって、ベースラインが素晴らしくて、ポジティブで、歌詞がかっこよくて、メロディが素晴らしくて、そういうものを全部持っている曲だったんだ。正直なところ、私はこの時代の美学が苦手で、どうしても間違って聞こえるんです。誰かと一緒にリミックスできるのであれば、何でもしますよ(笑)。当時、このミックスを聴いたときは、80年代ということもあって、とてもいい感じに聴こえたんです。

トレヴァー・ホーンが手掛けたもの程ではないが、これもサウンドプロダクションが80's的ではある。曲調は60'sだけど。

That Day is Done

Mitchell Froom: I did a horn arrangement on on That Day Is Done, but Paul had already sung it, the drums were done, I think the backing vocals were done, some guitar – yes, we just fleshed it out a little more. I had this idea of doing kind of a silver band, a factory band English horn arrangement, and he just let me do it, you know? He had a few comments while we were doing it, but he said, “go ahead try it”. He is very open, and it was part of the thing, he already knew how to do all the stuff he had done before, and it was a different time. He is open for input and he just sees if he likes it, it’s that simple.


でも、ポールはすでに歌っていたし、ドラムも終わっていて、バック・ボーカルとギターもあった。シルバーバンドやファクトリーバンドのイングリッシュホーンのようなアレンジを考えていたんだけど、彼はそれをそのままやってくれたんだ。でも、彼は「やってごらん」と言ってくれました。彼はとてもオープンで、それは、彼が以前にやったことのあるすべてのもののやり方をすでに知っていて、違う時代だったということもあるんだ。彼はとてもオープンで意見を聞いてくれるし、自分が気に入るかどうかを判断してくれる、とてもシンプルな人です。

You Want Her Too

Mitchell Froom: Elvis Costello sang on it when they originally did it, but then came the notion of like “well, what if Paul does both parts, but we treat it in such a way where it’s like the voice in his head?” But when we tried it, it didn’t sound as good, so I think he finally just said “Let’s just get Elvis to do it, it sounds better”.

Elvis wasn’t around at all [during my work on the album] except for that day he did the vocal on You Want Her Too. But it was very friendly. There was no strangeness. Elvis understands as well as anybody that you make your record, you want to be happy with what you do.

He just sang his arse off for a half hour, it was just amazing. MItchell Froom

The little intro part of this was from the original session, we just re-cut the song, except for the intro part. So that was a really good idea, that intro part, and I didn’t have any desire to try to recreate it or redo it, so we just used it, which was fine. I just remember that that was the one moment where I felt like I was working with The Beatles. There is about a half hour where Paul’s voice … we were tracking it live, and there was about a half hour in which his voice just hit that incredible raspy state, you know? And he just sang his arse off for a half hour, it was just amazing. But [we didn’t get it], for whatever reason – it was one guy messing up, or another guy – and those weren’t the Pro Tools days, and I don’t think we were doing it to a click. So it’s like if someone messes up it has gone. And so eventually his voice just kind of blew out

I was getting pretty angry, because I was [thinking] this is a simple song and we have got this guy singing and playing like this, can’t we please get this song, you know? But he was really easy going, he was just like ‘okay, well we’ll just get it tomorrow’. What is amazing for somebody else, isn’t to him because he is himself. We got the track I think the next day, but I’ll never forget that half hour.


エルヴィス・コステロが歌ったのですが、「ポールが両方のパートを担当し、彼の頭の中にある声のように扱ったらどうだろう」という考えが生まれました。でも、実際にやってみると、あまりいい音にならなかったので、最終的には「エルヴィスにやってもらおう、その方がいい」となったんだと思います。

エルヴィスは、『You Want Her Too』のヴォーカルを担当したあの日以外、(アルバム制作中は)まったくそばにいなかったんだ。でも、とてもフレンドリーだった。変な感じはなかった。エルヴィスは、レコードを作ったら、その出来栄えに満足したい、ということを誰よりも理解している。

彼は30分間、ただひたすら歌い続けたんだ。ミッチェル・フルーム

この曲の小さなイントロ部分は、オリジナルのセッションで、イントロ部分を除いて、曲をカットし直したものです。イントロの部分は本当にいいアイデアで、それを再現しようとかやり直そうとかいう気持ちは全くなかったので、そのまま使いましたが、それはそれでよかったです。ただ、ビートルズと一緒に仕事をしていると感じた瞬間だったということは覚えています。ポールの声は......ライブでトラッキングしていたのですが、30分ほど、彼の声が信じられないほど荒れ狂った状態になったことがありました。30分間、彼はただひたすら歌い続け、それは本当に素晴らしいものでした。でも、何らかの理由で、一人の男が失敗したのか、別の男が失敗したのか、そして、当時はPro Toolsの時代ではなかったし、クリックでやっていたわけでもなかったと思う。だから、誰かが失敗すると、それが消えてしまうようなものだった。それで、最終的に彼の声は吹き飛んでしまったんです。

というのも、この曲はシンプルな曲なのに、この人がこんな風に歌って演奏しているんだ、この曲を手に入れることはできないのか、と思っていたからです。 でも、彼は本当にあっさりしていて、「わかった、じゃあ明日にしよう」みたいな感じだったんです。他の誰かにとってはすごいことでも、彼にとってはそうではない、彼自身だから。でも、あの30分は忘れられないね。

1988デモだと元々完成版と同じパート割だったが、それをポール一人でやろうとして結局上手くいかなくて、コステロを再び呼んで客演させた、ということのようだ。

Don't Be Careless Love

Mitchell Froom: It’s an incredible vocal. The same with That Day is Done. There is a big reason why I didn’t want to even think about redoing those, because they were so good, those vocals. But yes, it’s a really quirky song, and I was surprised he ended up using it, but I liked it, for whatever reason.

I added drums to it, and don’t think this is credited correctly, but that actually was Jerry Marotta that played drums on that [credited to Chris Whitten]. I played keyboards; the Wurlitzer piano and organ. And I think we just worked on it, just added some extra guitar. It’s more like fleshing them out so that they fit in with everything else.


信じられないようなヴォーカルです。That Day is Doneもそうです。あのヴォーカルはとても良かったから、やり直そうとは思わなかったという大きな理由があるんだ。でも、この曲は本当に風変わりな曲で、彼がこの曲を使うことになったのは驚きでしたが、理由はどうあれ、私は気に入っています。

私はこの曲にドラムを加えた。これは正しくクレジットされていないと思うが、実はこの曲でドラムを叩いたのはジェリー・マロッタだった(クリス・ウィッテンにクレジットされている)。私はキーボード、ウーリッツァーピアノとオルガンを弾きました。それに加えて、ギターを追加しただけだと思う。他の曲と調和するように、肉付けをしたんだ。

ちなみにこのインタビュー内で、トレヴァー・ホーンは「My Brave Face」より「Rough Ride」の方が良いと言っていて、なぜ「Rough Ride」がシングルではないのだ?と言っている。これに関してはポールがゴリ押ししたらしく、「ポールの間違った感覚を正すのは難しい」と言っている。それはそうだろうが、「My Brave Face」をシングルにしてヒットしたのだから、それが間違っているというのは言い過ぎだろうと思う。
トレヴァー・ホーンとしては、自分がプロデュースしたアルバムという意識がある。にも関わらずこのアルバムの話はコステロとの共作の話ばかりにスポットが当てられてしまうことに憤りを感じているのだとは思う。

とはいえやっぱりアルバムを分けるべきだと思います。コステロコラボのアルバムと、トレヴァー・ホーンのコンテンポラリーなアルバムと。
ポールの良いアルバムは迷ってない。「McCartney」とか「Chaos & Creation In The Backyard」とか。

ところで、「Flowers in the Dirt」と「Spike」は「Spike」の方が4ヶ月ほどリリースが早い。
このコラボのキラーチューンはビートリーな「Veronica」「My Brave Face」の2曲だと思うが、あまりにも私的な「Veronica」を是非自分のアルバムでリリースしたいとコステロは思ったに違いない。
最初のセッションでほぼ完成形の「Veronica」をポールに見せているし、自分の曲、という自負があるだろう。

実際、「Flowers in the Dirt」のデラックス盤ライナーノーツのヘイミッシュ・スチュワートの話によると、最初にアレンジに取り掛かったのは「My Brave Face」、次が「Veronica」(その次が「We Got Married」)だったという。つまりポールは「Veronica」も入れようとしていた。
コステロが「Veronica」のレコーディング時にわざわざポールを呼んでベースを弾いて貰ったのは、この曲は自分のアルバムに入れるよ、という牽制だったのではないか?と思う。
これが牽制だと取られないようにアリバイ作りに「...This Town...」も弾いてもらった、というのが自分の説です。


「That Day Is Doneに ポールがチープなシンセを入れようとした」という件がこの章で一番おもしろかった。
それにキレそうになったコステロが、一旦外に出て気持ちを落ち着かせて、「Don't Be Careless Love」を聴いたら「ま、いっか」となったというエピソード。
コステロとしては生のブラスを入れたかったが、ポールはヒューマン・リーグのようなチープなシンセを入れたがったらしい。コステロは憤慨してポールに危険な言葉を言いそうになったが、一旦外に出て落ち着いた、とのエピソードが書いてある。

www.youtube.com

時代的には「Human」のようなサウンドでしょうかね。80'sド真中のサウンドコステロが言う通り、これは全然違うでしょうね。
まあ、自分も80'sは通ってきてはいるので、稀にこういうサウンドを聴きたくなることはあるけど。
結局、「Flowers in the Dirt」のバージョンはシンセがなくなっており良かった、とは書いてある。

これ以外にも多少揉めたところはあるようだが、コステロの自伝にわざわざこのエピソードを書いているのでこれが一番腹立ったのだろうと思う。
「That Day Is Done」も、「Veronica」と同じように祖母のことを歌ったもの。コステロにとっては思い入れのある曲。
この曲は当時未発表だったにも関わらず、コステロのライブでのクロージングナンバーにしていたというくらい気に入っていた作品。
それを台無しにされそうになり・・・まあ、こういうのもあって共同プロデュースを降りたんだろうなと。

このエピソードはまあ納得というか・・・。ポールならやりそう、ポールってそういうとこあるよね、みたいな。

この曲は、The Fairfield Four featuring Elvis Costello 名義のコステロのバージョンも存在しているが、これは「Flowers in the Dirt」から8年の時を置いて発表された。あまりに早くリリースすると角が立つと判断したのかな?
www.youtube.com

この曲もそうだが、ポール側のアルバムに入っている曲の方が出来が良く、こういうのにも力関係が出るなぁと思う。
コステロ側にあてがわれた「Pads, Paws and Claws」や「Playboy to a Man」みたいなロックは、正直この2人で作る意味がない・・・まあよくある曲で平凡なレベルの曲だと思う。

まあ、そんなこともあって、名盤のポテンシャルがあったはずが「数曲良い曲がある80年代的なサウンドのアルバム」になったのもポールっぽい。
いやいや、名盤ですよ、という人もいるかもしれないけど、大名盤になり得るポテンシャルがあっての名盤なので歯痒い。

「My Brave Face」については、コード進行、メロディ共にコステロ色がかなり強い曲。ポールはこの曲をリードトラックにしてヒットもしたけれど、その後ほとんど歌っていないし(まあ、それはこの頃の曲全般そうなのだけれど)、ポール自身もデラックス盤をリイシューするまで聴き返すことはないアルバムらしい。しかも、2016年に4枚組のベスト・アルバムをリリースしたが、その中にも1曲も収録されておらず、かなり不自然。
一説によると、「Flowers in the Dirt」のデラックス盤のリリースが控えていたのでベスト盤に入れるのをやめたというのがあるが・・・ちがうでしょう、多分。

ポールとしてはやはり「これほぼコステロの曲だし」という思いが強いのではないだろうか。
コステロとポールはその後、数度共演しているので、決して人間関係は悪くはないのだろうが、その後共作の話に至らないのはそういうことなのではないか?

ただ、その後のキャリアで冷遇されてしまった「My Brave Face」には、個人的にかなり思い入れがある。高校生当時、ビートルズを一通り聴いて、次は何聴こうかと思って中古盤屋で買ったのが「Tripping the Live Fantastic: Highlights!」というライブ・アルバム。

ビートルズの曲のライブ・アレンジの中にソロで良い曲があるなぁと思って聴いていたのが「My Brave Face」で、正直スタジオ盤よりこっちの方を良く聴いていた。

www.youtube.com

当時、作曲クレジットを頻繁に確認するようなことはあまりしていなかったけど、ふと目をやると、誰かとの共作だということに気付いた。
でも「MacManus」なんですよ、このクレジット。これがコステロって人だと分かったのはライナーノーツを読んでから。
コステロって名前を聴いたことあるなと思って思い出したのが氷室京介の「Accidents Will Happen」。
そこからコステロ熱に火が付いた、ということで自分にとってはかなり重要度の高い曲です。

こんなこと書いたらポールファンに怒られるかもしれないが、ポールのソロ曲で一番の名曲はこの「My Brave Face」だと思う。

そして、ヒットしたにも関わらず、ポールが「My Brave Face」を冷遇してきた結果、歴史的に残っているのは「My Brave Face」ではなく「Veronica」になってしまった。

www.youtube.com

特に日本人には長年「とくダネ」のテーマソングだったお陰もあり、この曲は結構日本でも有名な曲になった。
THE HIGH-LOWSの「青春」はこの曲が元ネタなんじゃないかと思っている。

あと興味深かったのはメロディに対する思想。ポールは一度決めたメロディを歌詞によって動かそうとはしないらしい。メロディ主、歌詞従、だそうだ。
要するに、メロディを崩すくらいなら歌詞をメロディに合わせる。バート・バカラックはポールよりも更に強固な拘りがあるらしい。
コステロは歌詞のためにメロディを平気で変えるので1番、2番で異なるメロディになることがある。
個人的にはコステロの様に微妙にメロディが変わるのは全然嫌じゃない、むしろアクセントがついて良いんじゃないかと思っている。

もう一つ面白かったのは、ポール・マッカートニーのツアーメンバーを決めオーディションにコステロが同席した話。
(この辺りからもただの作曲パートナーではなく、一緒にツアーしたりとかそういうことも目論んでいたのでは?と思わずにはいられない)

なぜかその場に、その頃袂を分かっていたはずのピート・トーマスが現れ少々気まずかった、という話。
ピートとしては、お前が勝手にアトラクションズを解散させたからこっちは就職活動してるんだぞ、みたいなところかな。
そのオーディションの場に元シン・リジーのギタリストがいた、ということも書いてあるが、誰なのか非常に気になる。
まさかホワイトスネイクをクビになったばかりのジョン・サイクスじゃないよね?(合わなさすぎるからないか)

スパイクのジャケットはてっきりワーナー・ブラザースのパロディかと思っていたがどうやら違うらしい。むしろ、デザイン酷似で訴えるとまで言われていたらしい。
いやいや、ワーナー・ブラザースからリリースしてワーナー・ブラザースに訴えられるってどういうこと?みたいな話ですが・・。

このアルバムを作ったあと、ルード・5(ファイブ)というバックバンドを結成。
このメンバーに、ポールのバックバンドで鉢合わせたピート・トーマス(Dr)、ジェリー・シェフ(B)、マーク・リボー(G)、ラリー・ネクテル(Key)、スティーヴン・ソールズ(色々)が参加。

多少のメンバーの入れ替わりはありながら、1989〜1991年までこの面々で活動する。
1990年にレコーディングされ、1995年にリリースされた「Kojak Variety」は、このメンバーとコンフィデレイツの混合チームでレコーディングされている。