俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

ブルース・トーマス自伝 5 Barking and Howling


1970年頃、頭のおかしい人のレコーディングに付き合った話。

CHAPTER 5 Barking and Howling

「ちょっと手伝ってくれないか?」とテッド・ウォレスは言った。「少年たちがオリンピックスタジオでセッションをするんだ」
テッドはチェルシーにあるボダストの家の向かいに住んでいて、私たちの家の前の住人にだったバンド、「ファミリー*1」のために働いていた。
ファミリーは「カルト」バンドであり、なぜビッグにならないのか、誰も理解できないバンドだった。


レコーディング・セッションが始まった後、他のスタジオには誰がいるのだろう、私の知っている人、もしくは知り合いになりたいと思う人はいないかな?と思いながら、歩き回った。
上階のスタジオに続く広い階段を上っていき、頂上の角を曲がったとき、衝撃と畏敬の念で固まってしまった。

「あぁ・・・あなたは!」。
「あなた」とは、ブルース界の巨人であると同時に、人間としても巨人だったハウリン・ウルフ*2だ。
「おうおう」と彼は微笑んだ。
私は彼が歩き続けるのをニヤニヤしながら見ていた。
しばらく経ってから、彼が作業しているスタジオにこっそりついて行った。
ガラス越しには、コントロールルームがすでに満員であることがわかった。誰かがコントロールルームを出てスタジオに行き新たなテイクを録音するのを待っていた。
そして、こっそりコントロールルームに侵入して隅の方に座った。

誰も気づかない!
こうして私は、エリック・クラプトン、スティーブ・ウィンウッド、ビル・ワイマンチャーリー・ワッツといったオールスターキャストに支えられたハウリン・ウルフのロンドン・セッション*3(後にこの名前のアルバムで発売)の夜を一緒に過ごしたのだった。

レコード会社はこのオールスター・キャストに大喜びだったが、ウルフのレギュラー・ギタリスト、ヒューバート・サムリンの航空券を支払いを渋った。
いわゆる「バック・ミュージシャン」の多くは、チャック・ベリーのピアノ奏者やモータウンのベース奏者のように、サムリンはウルフのレコードのサウンドに欠かせない存在であった。
エリック・クラプトンはサムリンの価値を知っていたので、航空券を代わりに買ってあげたのだ。


私は決して、大物を探し、「ブルースマンのスパイブック」を持ち歩いて、経験を積もうとしているわけではなかったが、音楽のキャリアの初期に自分が見ていた人物が、キャリアの終盤に近づいているということはよくわかっていた。そして、私が聞いていたものの価値をよく知っていた。


* * *


私が初めてデイヴ・アトキンス*4とクライヴ・マルドゥーン*5(マドンナの「レイ・オブ・ライト」の作者)に会ったのは、オックスフォード・サーカスのすぐ裏、マーガレット・ストリートにある「スピーク・イージー」だった。
クラブのメインのホールは、おそらく200人ほど収容でき、さらにスクリーンで仕切られたレストランのエリアもあった。私は、「スピーク」と呼ばれていた場所に入るためにお金を払ったことはない(「イージー」をつけると難しすぎるかのようだ)。ピート・バーデンズやその仲間たちと一緒に何度かノッていたので、今ではスタッフも私を観客の一人としか見ていない。

ジミ・ヘンドリックスザ・フーのメンバーが隣のテーブルに座っていたこともあるし、ロック界の著名人のほとんどが一度は足を運んだことがある。
そこで演奏するバンドは新進気鋭のバンドで、その業界の人々にとって関心のあるバンドだった。ビター・スウィート、ボダスト、ヴィレッジはすべてそこで演奏していた。
ビッグなバンドが、まるでプライベートなパーティーのように演奏する感じでもあった。最前列でデレク・アンド・ザ・ドミノス、マディ・ウォーターズボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズなどを見たことがある。
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのベーシストには、ロックンロールらしくない名前がついていた: アストン "ファミリーマン "バレット...


マディ・ウォーターズがそこで演奏した夜、最前列のセンターテーブル2つはストーンズに占領されていた。マディは交通事故から回復して間もない頃でまだ松葉杖をついていた。
しかし、彼は松葉杖を腕の下に挟み、独特の刺すような泣きの音色でテレキャスターを演奏する方法を見つけていた。ストーンズは曲の合間に、シャンパンの入った銀のトレイをテーブルからステージまで数フィート運ぶ女の子を登場させる。モーガンフィールド氏はそのグラスを一口飲んでトレイに置き、新しい曲に取り掛かっていた。


ある晩、デイヴとクライヴと一緒にスピーク・イージーにいた時、ミッキーとその知り合いが私たちの横の席に滑り込んできた。

彼は「明日セッションしないか、マーブル・アーチのパイ・スタジオなんだけど」
「オーケー、誰のセッションなんだ?時間は?いくらだ?」
「朝7時からだよ」とミッキーは当然のように答えた。
「朝の7時......?」3人が同時に反応した。
「なぜだ?」
「わからない、スタジオ代が安いんじゃないのか?俺はドラマーを探しに行かなきゃいけないから、行ってきてくれよ」とミッキーは言葉を濁した。

なるほど。ということは、その日は寝ることができないわけだ。


角を曲がってカンバーランド・プレイスに入ると、レコーディング・スタジオに入ろうとしている大勢の人たちがいた。

彼らは、薄毛の男性を中心に広い半円を描くように立っていた。その男は、不格好なナショナルヘルスのメガネをかけ、サイズの合わないシャツを着ていた。
彼は牛乳瓶を空中に放り投げ、それが舗道でぶつかるのを見ながら、半分歩き、半分行進しながら、ぎこちない足取りで移動していた。
彼の目はまっすぐ前を見つめ、顎にはヨダレが付着し光っていた。

「あの男は何をやってるんだ?」と、私は到着したばかりのミッキーに訊いた。
「ああ…どうやら、私たちが伴奏するために雇ったアーティストのようだよ」と彼は答えた。

ボルトが開けられ、スタジオのドアが開いた。地下のスタジオには既に機材が設置されていた・・・ドラム、アンプ、マイク。
見たことのない知らないドラマーがドラマーらしい感じでドラム・キットをたたき始めた。
ミッキーはさまざまなエフェクトペダルをオン/オフにしてテストしていた。バッキング・シンガーらしき3人がボーカルマイクの周りに集まっており、誰かが私たちに何をすべきか尋ねた。

そして「ビデオクルー」と呼ばれる人たちが現れた。それは、カメラを持った男性で、ロングコートとベレー帽を着用し、ひげをたくわえていた。
彼の後ろには、リードに繋がれたような似たような若者がいて、彼はキャリアバッグの中にある電池に接続されたアンビリカルケーブルを持っていた。その袋には電気工事用のテープで「IV」と書かれていた。

誰かが彼らの家が「チェ・ゲバラ」って呼ばれているかどうか尋ねた。



プラスチック製の小さな風車を振りながら、3人目の男がついてきた。彼はひげを生やしていなかったので、クルーの一員ではないように見えた。

「オーワイト!」と牛乳瓶を割った男が甲高い声で叫んだ。
「オーワイト!」と彼はもう一度叫び、皆に注文をつけた。
「オーワイト!音楽だ。演奏だ!」

人々は不安そうに足を踏みならしながら横目で顔を交わし、困惑した表情を浮かべた。誰かがコード表があるか尋ねた。
「音楽だ!音楽だ!演奏しろ!演奏しろ!」


すぐに私たちは気付いた。この「教授」(そう呼ばれていた)は完全に気が狂っており、準備された音楽も組織もないのである。

ドラマーがシンプルで鈍重なビートを刻み、ギターが簡単なコード進行に合わせて演奏し、やがてT-REXのバッキング・トラックのような基本的なポップのルーティンが生まれた。

そしてバック・シンガーたちが私たちのヘッドフォンに現れ、泣き叫んだ。私は正しく聞こえていたのだろうか!?
「..only gong, only gong..!(ゴングだけ、ゴングだけ)」
「それはダメだ!」と教授はマイクに叫んだ。
「イヤホンを付けろ!イヤホンを付けないと自分の声が聞こえないぞ」と誰かが説明しようとした。
そう、間違いなく「only gong(ゴングだけ)」だった。
教授が調子の外れた独り言を始めると、私たちはすぐにそれを知ることになる。


ハイジャック犯のレイラが何を間違えたのか?
お前ができることはただゴングするだけだ(ただただゴング!)
君の空中乗っ取りのトリップは理解できる
でも、クールでいたいなら、ヒップでなければならない


このやりとりが2回続くと、音楽はほとんど演奏者たちの咆哮をかき消すことができず、誰もが真顔を保つことができなかった。ただし、バッキングシンガーの3人を除いて。

彼らは教授のチームの一員であり、この信じられない歌詞の創造に何らかの役割を果たしていたことが明らかになった。
彼らは私たちの反応を熱意と受け取ったかもしれない。というのも、3回目の歌詞のラウンドでは、彼らはさらなる不条理な高みに駆り立てられていたからだ。
「..only gong, only gong..!(ゴングだけ、ゴングだけ)」

しかし、最終的にトラックは崩壊し停止した。
教授は缶から一口飲み、「テープを回し続けろ」と言った。「...テープを回し続けろ。さあ!B面の音楽だ!演奏しろ!」

彼が即座に2回目のテイクを求めているのだと思い、演奏者たちは同じリフを再び始めた。しかし、教授はすでに新しいヒットを打ち上げる準備をしていた。
「もし国があってそれを奪われたら...何と言うだろう?」
彼は旋律やリズムを無視して狂ったように叫びました。彼の目は突き出し、顔は血の勢いで赤くなり、唾液が彼の唇から泡立ち、飛び散った。首には静脈が浮かび上がっている。
「もし国があってそれを... あーーーーーーっ!!」
私はオーギュメンテッド・コードもディミニッシュ・コードも知っていたが、これが初めての狂気の音楽だった。
「何と言うだろう... 何と言うだろう?」
「略奪と焼き討ち!」「略奪と焼き討ち!」「略奪と... ぶぁーーーーっ...」

ボーカルのスクリーンが倒れ、マイクが転がった。エンジニアが制御室から現れ、何が起こっているのか急に心配そうに見て回った。



教授がどんな大義名分を掲げていようと、それは狂気の暴言だった。
彼の足の裏から始まり、脊椎をほぐすほど激しく髪の根元を引き裂き、眼球を突き破り、喉を切り裂いていく原始的な怒りによるものだった。

彼は床にうずくまって「略奪と焼き討ち」と叫んでいたが、突然彼は正気に戻り、私たち全員を「マイナス1の平方根」だと宣言し、灰皿として使用されていた別の飲み物の缶から一口飲み、そして、エンジニアが現れたコントロールルームの中に消えていった。


ミュージシャンたちは恐る恐る集合した。
「あれは一体なんだったんだ?」「わかんないな」とミッキーがためらいながら言った。
「たぶん、あのアラブの女性、テロリスト・・・、レイラ*6って名前のイーリング刑務所に監禁されてるやつのことだろう。彼は何か関係があるんじゃないかな…」

ミッキーの言葉を遮る形で、息を切らせた赤い顔の若者が駆け込んできた。


「ファーカソンを見なかったか?」とアイルランド訛りで聞いてきた。
「誰だ?」
「ロビンだよ!やつはここにいるのか?今朝、部屋に入ってきて、メガネを取っていったんだ。メガネなしでは何も見えないってのに、彼にメガネを持っていかれちまって・・」
「あいつはコントロールルームにいるぞ」とミッキーは指差した。

まもなく、目を細めた若者が戻ってきた。
「誰もいないよ」と彼は言った。
エンジニアは顔色を変えた。
「ちょっと待てよ!」と言って飛び出して行った。
エンジニアはさらに早く戻ってきた。

「いない、いなくなってしまった! テープもない! 誰も何も払ってない!」
「俺たちはお金もらってない!誰も何ももらってないんだ!」とミッキーが言った。「俺たちもだ」と私が切なく付け加えた。

顔が赤い若者に向けられた。
「おい、お前ら、俺の方を見るな、俺は関係ない。彼は俺と同じ家の部屋に住んでるだけで、あいつはいつも動き回っているんだ。シャツとメガネを盗まれたんだ!」
「わかったが、じゃああいつは一体何者なんだ?」
「知らないよ!」


* * *


レジナルド・ロビン・ファーカソン(1930-1973)*7 は、数学と政治に興味を持ち、ゲーム理論に取り組んだ学者である。彼の主な功績のひとつは、若き日のプリニウスが提起した「コンドルセパラドックス」の解説である。また、投票制度に関する博士論文は、その質の高さから単行本として出版された。双極性障害躁鬱病)を患い、大学での定職に就くことが難しく、営利目的の仕事を失うことになった。

後年、彼は主流社会から完全に脱落し、ロンドンで著名なカウンターカルチャーの人物となった。1968年に出版した『ドロップアウト』には、ロンドンでホームレス生活を送っていたときのことが綴られている。
この本は、マシュー・アーノルドの詩の一節で始まる。

"私たちは、心の中に宿る火を、自分の意志で燃やすことはできない"
1973年、ロビン・ファーカソンは放火による火傷で死亡し、その件で2人が殺人で有罪判決を受けた。

ヤバい教授の謎のレコーディングにつきあわされた、というちょっと脇道に逸れたようなお話でした。
ちょっと訳が難しく、わけの分からないところがありました。ご了承ください。