俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

補足:ブルース・トーマス自伝 9 Pebbles on the Beach(浜辺の小石)

shintaness.hatenablog.com


第9章の補足。

エルヴィス・コステロ自伝の第16章では、ブルースについてはこんな事が書かれていてなかなか面白いので引用。

267〜268ページから引用

残り二人のメンバーを探すため、 「メロディ・メーカー」紙にミュージシャンの求人広告を出した。 「ベース・プレイヤー、オルガニスト/シンセサイザー・プレイヤー。ロッキング・ポップ・コンボ結成のため。 年齢不問」と書いたのだ。その後、一日がかりのオーディションを経て、僕らは望みどおりのメンバーを手に入れることができた。


マネージャーが同じということもあって、グレアム・パーカーのリズム・セクションからベーシストのアンドリュー・ボドナーや、ドラマーのスティーヴ・ゴールディングを借りることはできた。ただ、実際に自分が想定している種類のバンドで演奏をしてもらい、それを聴かなければ、彼らが僕らの求めるミュージシャンなのかはまず評価できない。スティーヴとアンドリューは、まだリリース前の「マイ・エイム・イズ・トゥルー」から二、三曲を覚えて演奏してくれた。 オーディションの日、僕らは午後の長い時間、ベースの演奏を聴き続けた。 次から次へと、これは違う、これはだめだ、という演奏ばかり聴く時間は苦しかった。ブルース・トーマスが現れるまでそれは続いたのだ。 流行遅れの裾の広がったズボンを穿いていたにもかかわらず --- もちろん、 服装で演奏の良し悪しが左右されるわけではないが --- 彼は年齢より若く見えた。実際には、僕やピートよりも五歳も上だったのだ。ブルースとピートは姓が同じで、二人は兄弟と間違われやすい。 そして、 年下のピートの方をハンサムな兄と思う人が多い。


ブルースは、フリー、そしてバッド・カンパニーのヴォーカリスト、ポール・ロジャースとともに、ティーンエイジャーのR&B バンドにいたことがあるのだと後に話してくれた*1。その頃のニックネームは「プリックリー・ウィルフ(とげだらけの愚か者)」だった。 若い時から毛深かったからそういう名前になったらしい。 ブルースは、クゥイヴァーというグループのメンバーとしても知られている。クゥイヴァーは、サザーランド・ブラザーズと活動をともにしたこともあるグループだ。 サザーランド・ブラザーズのうちの一人は、ロッド・スチュワートの世界的ヒット曲 「セイリング」を書いたことでも有名だ。


クゥイヴァーとサザーランド・ブラザーズのジョイントはある程度の成功を収めたが、 ブルースは兄弟の一人と仲違いしたため*2にグループを抜け、キース・ウェスト率いるムーンライダーのメンバーとなる*3。キース・ウェストは六〇年代に「エクサープト・フロム・ア・ティーンエイジ・オペラ」というとても変わった曲の歌詞を書いた人だ。 これは 「ジャック」という名の年老いた食料雑貨店主の死を子供の聖歌隊が嘆くという内容になっている。僕の父も 『ザ・ジョー・ロス・ポップ・ショー』という番組でこの歌を歌ったことがある。


ブルースはもう何度もレコーディングに参加し、経験を積んでいたが、そのせいで、 音楽ビジネスに対し皮肉な見方をするようになっていたのも事実だった。 僕は子供の頃からその周辺にいたにもかかわらず、まだ直接はさほどひどい体験をしていなかったが、彼はその点で違っていたのだ。


昔のブルースは、とても面白い人間だった*4。彼はミドルズブラのアクセントで話したが、リヴァプール訛りに近く聞こえることもあった。イングランド北西部でよく聞かれる、ノルウェー語を変形させたような話し方とはまた違っていた。彼がバンドのベーシストの最有力候補であることは間違いなかった。 まず曲を事前に完璧に覚えてきていたし*5、さらに少しアクセントを加え、時々、メロディックに1オクターブ上げるという技も使っていた。この技は後に彼のトレードマークとなった*6

*1:ロードランナーズのこと

*2:イアン・サザーランドのこと

*3:ムーンライダーのことはオーディションの時の電話では伏せていた

*4:部屋も同室だし、一緒にスティーヴン・スティルスを罵倒したり・・・

*5:その場でアレンジした体だったはずだが・・・さて

*6:これは確かに曲のアレンジを豊かにしているのだと思う。ただ、これを嫌う人もたくさんいたようだ。クリッシー・ハインド、ビリー・シェリル、トム・ウェイツ等など。