俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

コステロ自伝 ANNEX Part 33

第33章は「ア・ヴォイス・イン・ザ・ダーク(A Voice in the Dark)」、コステロの曲名から。

時は1990年。

この頃のマネージャーがまだジェイク・リヴィエラだったことに驚きだが(スティッフからの付き合い)、ジェイクのところにコステロを映画のカメオ出演させる気はないかと打診があったがキレながら断ったらしい。
実はこの映画はジュリア・ロバーツの「プリティ・ウーマン」だった。
この映画は全米興行収入第1位。当然自分もリアルタイムで知っている超有名な映画。
つい先日久しぶりに金曜ロードショーで放送されていたので見たが、ジュリア・ロバーツが綺麗で驚いた。ちょっとダレノガレ明美に似ているが。
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その9年後の1999年、ジュリア・ロバーツは「ノッティングヒルの恋人」の主演を務めるがこの映画の主題歌が大ヒットしたシャルル・アズナブールのカバーである「She」。
この曲は、エルヴィス・コステロにとって日本における最も知られた曲で、日本だと未だにコステロといえば「She」なのだと思われる。

「She」はUKシングルチャート最高19位。日本のチャートは探せなかった。洋楽チャートでどのくらいまで行ったんでしょうね。映画はそこまでヒットしてないと思うけど、曲の知名度は異常に高い。
これは日本だけでなく、コステロの名前も音楽も全く知られてない国でもヒットしたらしい。
自分の経験上でも、好きなミュージシャンを尋ねられ「コステロ」と答えると、「"She"は知ってます」と何度言われたか分からない。

時代は戻って、ウェンディ・ジェイムズに曲を書いた話。
コステロが10曲書いて、ケイト・オリオーダンが歌詞を付け足したので何曲かは、夫婦連名クレジットになっている。
曲を書く条件として、全曲をレコーディングすること、という条件を付けた。なんでなんでしょう。

ちなみにこの本にはひとつ間違いがあり「ロンドンのブリリアント・パレード」と書いている曲は「London's Brilliant」だと思う。「London's Brilliant」はウェンディ・ジェイムズに提供した曲で、「London's Brilliant Parade」は「Brutal Youth」の曲である。

ウェンディ・ジェイムズは「Now Ain't The Time For Your Tears」というタイトルのアルバムで全曲コステロ作曲でリリース。

ちなみに一番好きなのはこれ。

Basement Kiss

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このデモをパスウェイ・スタジオでピート・トーマスと2人で録音した。コステロとしては80年代後半から90年代前半は修行の時期であり、クラシックに触手を伸ばした時期。そんな中でラフなデモをピートと作って、モードはロックに傾いていく。これが「Brutal Youth」に繋がっていくわけだが、ウェンディ・ジェイムズからの依頼がなかったらおそらく「Brutal Youth」は作っていないだろう。

「Kinder Murder」はコステロ自身がベースを弾いているが、息子のマット・マクマナスが弾いているのもある。ニック・ロウが弾いたものもある。
で、結局ブルース・トーマスが現れてアトラクションズ再結成、その後「All This Useless Beauty」を作り、1996年の5月にリリースし、ツアーも行うがその後1996年9月の名古屋での公演の後、解散してしまう。

解散に至る顛末はブルース・トーマスが語っている。
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で、謎なのが「この時期にニール・セダカが何か言っているのを知っている人もいるかもしれない」と書いてある。「だが、彼の言っていたことは本当ではない」と。
これだけしか書いてないし、ググってもよく分からない。誰かご存知ですか?

さて、アトラクションズ解散前に「All This Useless Beauty」の曲を演奏する方法がなくなる可能性があったため、スティーヴ・ナイーブと2人でツアーに出る。

一度目のアトラクションズ解散後に一番行動を密にしていたのがピート・トーマスで、スティーヴ・ナイーブとは共演していなかったが、この2人きりのツアーでスティーヴ・ナイーブは盟友と言える関係になったのだと思われる。

最初にコステロの名前がオーケストラの隣に載った時、一部の人が恐怖や警戒心を抱いたという(イル・ソーニョのこと?)。
しかし、コステロはデビューからずっとスティーヴ・ナイーブというオーケストラと共にいた、と主張する。
ティーヴにはVOXコンチネンタルとインスタピアノというエレピしか武器がなかったにも関わらず、他のバンドよりも有利だったという。

ちなみにVOXコンチネンタルは1962年から1971年まで製造されたキーボード。今はKORGが商標を買い取ってVOXコンチネンタルの名前で売っている。
「Radio, Radio」などの初期のコステロの曲で聴こえるチープでイカしたサウンドはこのキーボードの音。
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自分が最初期に見たのはビートルズの「I'm Down」でジョンが肘で弾いているシーンだと思う。
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「インスタピアノ」はおそらく、イタリアの楽器メーカー Galanti(ガランティ)の作ったエレピと思われるが、こちらはほぼ情報がなく、歴史に埋もれた楽器なのだと思う。
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動画ではハープシコードのような音が鳴っている。

この2人でツアーしたモノが限定盤ボックスとなって発売された。
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時系列的におかしくなりそうだが、これらのライブはアトラクションズ解散前の1996年の5月のもの。アトラクションズ解散が9月で、このボックスのリリースが12月。
2人の間にトラブルがあったと思われるのが7月で、それが直接のキッカケで解散ということになるのだと思うが、スティーヴと2人ツアーを計画して遂行したということはその予兆はあったのだと思う。
ブルースも再結成して1年ほどは楽しかった、と言っているが、裏を返せば1年経ってからは何かギクシャクしたものがあったのだろう。

さて、2001年4月にはアンネ・ゾフィー・フォン・オッターとのコラボアルバムがリリースされるが、これのオーケストレーションもスティーヴが担当した。
コステロアンネ・ゾフィー・フォン・オッターの歌を初めて聴いたのは1989年頃。

コステロがこのアルバムの中の「For The Stars」のメロディは自分が書いた中でも10年に1曲と言っていいほど出来のよいものだ、と書いている。
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コステロ自身(たぶん)が選んだ100曲の中では65位。
ElvisCostello.com, April 30, 2013 - The Elvis Costello Wiki

さて、この章の主題はダイアナ・クラールとの結婚である。
ダイアナとコステロは数回顔をあわせていたが懇意になったのは2002年のグラミー賞で2人とグウェン・ステファニーでプレゼンターを務めたことがキッカケだそうだ。
コステロはノー・ダウトに曲を書いているが、そんなことそっちのけでダイアナ・クラールに夢中だったそうだ。
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で、コステロは初めてグラミー賞で永続的で価値のあるものを持ち帰る、と書いてある。(ダイアナのことね)

その後にダブリンでハワード・テイト向けに「Either Side of the Same Town」を書く。プロデューサーのジェリー・ラゴヴォイがメロディに手を加えたが、基本的にコステロの作品。
Howard Tate – Rediscovered (2003, CD) - Discogs
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個人的に2000年以降のコステロのフェイバリットアルバムに「The Delivery Man」を挙げているのはこの曲と「Country Darkness」が大好きだからです。

コステロのこの時代周辺の歌詞には自分の環境が影響しているという。
「I Want to Vanish」「My Dark Life」「This House is Empty Now」「The Name of This Thing is Not Love」と「Either Side of the Same Town」。
つまりケイト・オリオーダンとの関係は1996年あたりには破綻しかかっていたということだろう。

当初、コステロダイアナ・クラールの親友になろうとしていた。
数ヶ月後にロイヤル・アルバート・ホールでダイアナ・クラールを見たら「Almost Blue」を演奏しだしてひっくり返ったという。
チェット・ベイカーといい「Almost Blue」は人気ですね。

ダイアナ・クラールとのことはコステロの家族とも相談し結婚に至った。
で、「North」が作られると。

ノース (DVD付初回盤)

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このアルバムは発売日に買った。まだiPodとか使う前だったので引っ越したばかりのリビングで聴いた映像が頭に鮮明に残ってる。
ダイアナ・クラールの「The Girl in the Other Room」は2004年の秋口にタイに旅行に行った時、なぜかバンコクのCDショップで買った思い出。