俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

コステロ自伝 ANNEX Part 2

第2章は「労働階級の英雄(Then They Expect You to Pick a Career)」で学生の頃のお話と母親のお話。


前半はトニー・バーンという交通事故で亡くなってしまった友人の話がメイン。

17歳の頃、デクラン・マクマナス青年の親友トニーが事故で亡くなってしまいます。

トニー死後、トニーが「労働階級の英雄」の歌詞を書き写した形見をマクマナス少年は受け取り、その数ヶ月後にラスティを結成するアラン・メイズとあるバンドのサポートを行う。
その場所がクオリーバンク・スクール。つまりジョンとポールがいた学校で、クオリーメンというバンド名がそこから取られた(知らんかった)。
事故で亡くなった親友と交わした論争がジョン・レノンの「イマジン」は傑作か駄作か、だったそうな。
今だとジョンが死んだこともあって、あまり駄作と言うのは憚れる空気があり、これがわからないやつは音楽が分からない、みたいな空気は正直あるが、この頃は異論もあったんだなぁと。
自分が聴いたのは1994年頃だったと思うけど、良さが分かるまで結構聴き込んだ記憶があり。ただ、今ではほとんど手を伸ばさないアルバムの一つ。
高校生の頃に散々聴いたからもういいかという気持ちもある。
で、クオリーバンク・スクールが結構裕福そうな人が多かったのでジョンが「労働階級の英雄」を書いたのは欺瞞じゃないのか?ということだと思う。
マクマナス青年にも歌う資格はないと思っていたとのこと。

この頃は1972年なのでちょうど音楽が一番盛り上がっていた頃。当時はピンク・フロイドみたいなアート・ロック、プログレッシヴ・ロックに夢中な子供と、ソウル・ミュージックに夢中な子供で二分されていた(しかし後者は少ないらしい)。

この話で思い出したのが、日本の某メタル雑誌がグレン・ヒューズの音楽のルーツに触れて「イギリスで黒人音楽を聴くと言えばブルースで、ソウルは少ない」と言っていたのを思い出した。自分の感覚だとモータウン、スタックスに始まってソウルやらなんやらが好きなミュージシャンが多い気がするんだけどなぁ。自分がそういうのばかり聴いているからかもしれないけど。アイズレー・ブラザーズをカバーしている英国人ミュージシャン多くない?
メタル雑誌だからソウルがルーツにあるミュージシャンがそもそも少ないだけじゃないの?と思っていた。
そもそもリッチー・ブラックモア信者はディープ・パープル脱退の経緯からソウルをバカにしがちな傾向があるし。


この頃、コステロが好きだったコンピが、これらしい。

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リバプールに来てからはこういう音楽が普通に聴かれていたとのこと。ロックステディ系はあまり聴かないのでよく分からないが、モータウンのコンピは今でも通用するナイスな選曲に見える。

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特にアイズレー・ブラザーズの「This Old Heart Of Mine」は昔からザ・モータウン的でかなり好きな曲で、なんとコステロはフリップシティ時代に1974年のE1フェスティバルでこの曲を演奏している。

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おそらくこのコンピレーションで聴いて気に入ったのだろう。

本にはこの頃のコステロの趣味が書かれているが、EL&Pは気に入らなかったようだ。要するにプログレには興味がない。

キャロル・キングジェイムズ・テイラーには興味がある。
ローリング・ストーンズは見たかったが、寝坊してチケットが取れなかったので一転興味を失う(というか興味がない素振りを見せる)。
実際、70年代以降のストーンズコステロは興味がないだろう。個人的な趣味を書くと、自分もあまり興味がない。ストーンズは1964年〜66,67年くらいまでなら好きだが。

ザ・バーズも好きだったらしい。まあ分かる。
ザ・バーズの前身のグループのビーフィーターズが初期にレコーディングした曲を安売りレコード棚から見つけたりしていたようだ。

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ちなみに「Mr. Tambourine Man」は1965年リリースで、この曲は半年前の1964年リリース。

これはブートだが、マクマナス青年がフェスで見たザ・バーズはこの時だろう。
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1曲目が「So You Wanna Be A Rock And Roll Star」だが、実はこれはインポスターズ + チャーリー・セクストンで2022年にカバーしている。

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ところで1972年までマクマナス青年はミュージシャンとサッカー選手のどちらかになりたかったらしい。
やはり英国人といえばサッカーなのだろうか。リバプールアーセナルに負けただけですごい落ち込んでいたがバーズの演奏で救われた、と書いてあるところ、かなり入れ込んでいたのだろう。

少々意外だなと思う。
サッカーが好きなのは分かるが、贔屓チームが負けたことで落ち込むような人とは思ってなかった(まあ青年の頃の話だが)。

後半はマクマナス青年の実の母リリアンのお話。
リリアンレコード店で働いていた。しかもマニアだったようだ。おそらくコステロ本人のミュージシャンとしての素養は父から、マニアックな素養は母からのものなのではないかな。
父であるロス・マクマナスはリリアンが働いている店の常連で、そこから発展したようだ。

リリアンはちょっとグレーな方法で米国の輸入盤を仕入れていたようだ。リー・コニッツのレコードはマニアックで売れないので友人のノーマン・ミルンに頼んで買ってきてもらって、それを売っていたようだ。通常は関税がかかるが個人購入という体裁で仕入れていた。そのノーマン・ミルンは後にマイケル・ホリディとしてデビューする。

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この曲はバート・バカラックの作で1957年に全英No.1になったらしい。

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その後、マイケル・ホリディは1963年にステージ・フライト&ノイローゼでオーバードーズで死去。

ちなみにリー・コニッツコステロの2003年の「North」に参加している。

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