俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

コステロ自伝 ANNEX Part 3

3章は「Oliver's Army」の出だしの一節から「Don't start me talking」で、「Oliver's Army」をめぐるストーリー。

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時代は前章から飛んで1977年、エルヴィス・コステロという芸名でデビューした直後の話から始まる。
このようにこの自伝は急激に時代が行ったり来たりする。自伝的というよりは自伝的エッセイみたいな感じなのかなと思ったりもする。

クラッシュと一緒にツアーしていた時の話。ジョー・ストラマーコステロの黒縁メガネをかけさせたら似ているらしい。

https://m.media-amazon.com/images/I/71ZbrLnrnqL._AC_SL1500_.jpg
※ 確かに少し似ている

クラッシュのミック・ジョーンズは「Pump It Up」でギターを弾いてもらったが、これによりクラッシュからミック・ジョーンズを引き抜こうとしているのでは?という噂が立ってしまい、それからマネージメント同士でギクシャクしてしまったのだとか。

ここから本の内容には書いてない余談。

アトラクションズ、インポスターズはどちらもキーボード(スティーブ・ナイーブ)とベース(ブルース・トーマス/デヴィ・ファラガー)とドラム(ピート・トーマス)という布陣で、これにコステロ自身がギターという構成で、コステロのバックバンドには長年リードギターがいなかった。
正確に書くとクローヴァーの時にはジョン・マクフィー(ギタリスト、ペダルスティール)がいたが、そもそもツアー用にアトラクションズを組んだのでクローヴァーでライブはしていない。
(ジョン・マクフィーはその後ドゥービー・ブラザーズへ加入し、解散後は長年矢沢永吉のツアーのバンマスをやっていた)

その後、2021年頃からチャーリー・セクストンがツアーに帯同し、ギターが2本になっている。
チャーリー・セクストンを迎えた経緯は以下に書いてあるが、スティーブ・ナイーブがライブに来れなかったので、チャーリー・セクストンにギターを弾いてもらったらそれが良かったので、そのまま帯同しているようで、2023年現在も同様のラインナップでツアーをしている。

www.udiscovermusic.jp

そのトリガーとなった時のライブが以下ですかね。
http://www.elviscostello.info/wiki/index.php/Concert_2021-08-27_Kansas_City

ティーブなし、チャーリーありのインポスターズはインポスターズではないということで、「The Layabouts」というクレジットでライブをしたようだ。
ここまで数年に渡ってサポートで入っているメンバーはかなり珍しいのでは。もしかするとインポスターズの新メンバーになるかも?

個人的にチャーリー・セクストンの全盛期(というかメジャーになった時期)はまだ小学校低学年だったので全く知らないが、1988年の氷室京介の「Angel」でリードギターを弾いているのはこの人だった。その後、ボブ・ディランのバックバンドのメンバーになったようだ。

1999年にボブ・ディランバンドだったころのチャーリーとコステロが共演しているのでこの頃に知り合ったのだろうか?
www.elviscostello.info

1994年に布袋寅泰東大寺でライブをやったが、その時の「Fly Into Your Dream」を袖で見ていたボブ・ディランに「I Like Your Guitar」と言われた話は有名だ。つまり氷室京介ボブ・ディランに認められたギタリスト二人と共演していたということになる。

ちなみにアトラクションズにはまともにコーラスができるメンバーがいなかったが、インポスターズのデヴィ・ファラガーは歌が上手い。

下の動画で、キンクスの「Victoria」をベース弾きながら歌っているのがデヴィ・ファラガー。インポスターズ加入時はロン毛で顔が丸かったが、今は短髪でスリムになっている。
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ちなみに、1976年にファラガー・ブラザーズという兄弟バンドで19歳でデビューしているのでアルバムデビュー自体はコステロより早い。
デビューアルバムに顔写真が載っているが右から2番めがデヴィだろう。今のルックスはこの頃のルックスに戻ったとも言える。

音楽性はソフト・ロックAORブルー・アイド・ソウル、ウエストコーストというか、そんな感じ。1stアルバムはヴィニー・ポンシアのプロデュース。
ちなみに2018年の「Look Now」に、お兄さんのトニーがバックボーカルで参加している。

チャーリー・セクストンも自分のソロアルバムではリードを取っている。これだけでもかなりのアドバンテージだと思う。昔は自分も音数が少ないソリッドな音像が好きだったが、山下達郎バンドを見て考えを改めた。パートが多いほうが表現力が広がるのは確かだと思う(もちろんロケストラみたいに多すぎるのは問題だけど)。

最近のライブがYouTubeにあったので見ていたらセンターにコステロ、向かって右サイドのフロントにチャーリー・セクストンがいてかなり推されている感じに見える。まあ、過去のほとんど曲がワンギターでアレンジされたものなので、上モノがスティーブのキーボードであることには変わらないのだが、「Hetty O’Hara Confidential」みたいな最近の曲では大暴れしている。

これからチャーリー込みでのバンドアルバムが出た時にどういうアレンジになるかなというところに期待が高まります。


さて、「Oliver's Army」は北アイルランドに行った時の体験が元になって書かれた曲で、完成前に捨てようとしたがニック・ロウに促されて最後まで書いてリリースしたら大ヒット。
しかし英国では2位どまりでした。


oliver's army | full Official Chart History | Official Charts Company

ブロンディ、ボニーM、ビージーズなどに阻まれたのでBから始まる名前に変えようかと思ったらしい(笑)
ちなみにブロンディとは2019年に一緒にツアーをしている。

英国の正式名称は United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland であり、日本語だと、グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国、という。
中1の頃にイギリスの正式名称がグレートブリテン及び北部アイルランド連合王国だと知ってからはひたすらこの単語を連呼していた。
これと、「スリジャヤワルダナプラコッテ」は中学生の頃の友人内での共通言語だった。

なので、イギリスという国が実はイングランドスコットランドウェールズ北アイルランドだというのはなんとなく昔から知っていた。
さらにU2(Sunday Bloody Sunday)、ウイングス(Give Ireland Back to the Irish)、ジョン・レノン(Sunday Bloody Sunday)が「血の日曜日事件」を題材に曲を作っていたのでなんとなく紛争があるんだなくらいの感覚は持っていた。

そこで、長年ぼんやりとしか知らなかったアイルランドグレートブリテンの歴史的な経緯だが、今流行りのChatGPTに聞いてみた。

イギリスとアイルランドの歴史的な関係性を教えて下さい

イギリスとアイルランドの歴史的な関係性は非常に複雑であり、何世紀にもわたって様々な要素が絡み合ってきました。以下に、その歴史的な概要を簡単にまとめてみました。

1169年:アイルランドイングランドのヘンリー2世によって征服され、イギリスとの関係が始まりました。
17世紀:イギリスによるアイルランド支配が強化され、プロテスタントプランテーションが進められます。これにより、アイルランドの土地や権力がプロテスタントの手に集中し、カトリックアイルランド人は社会的、経済的な不利益を被るようになりました。
19世紀:アイルランドはイギリスの植民地となり、継続的な抵抗運動が発生します。この時期には、アイルランド独立運動家たちが台頭し、イギリスからの独立を求めるようになりました。
1916年:アイルランド独立宣言が発表され、アイルランド共和国が成立します。しかし、イギリスはこれを認めず、内戦が勃発します。
1922年:アイルランド自由国が成立します。北アイルランドはイギリスに留まり、イギリス領北アイルランドとなります。
1960年代〜1990年代:北アイルランド問題が発生します。この時期には、カトリックプロテスタントの間で対立が深まり、IRAなどの共和主義組織やウルスター防衛協会(UDA)などの愛国主義組織が暴力行為を行い、多数の犠牲者を出しました。
1998年:グッドフライデー合意が締結され、アイルランドとイギリスの関係が改善されます。これにより、北アイルランド問題は一応の決着を迎えました。
以上が、イギリスとアイルランドの歴史的な関係性の大まかな概要です。しかし、これはあくまで簡略化された説明であり、実際にはより複雑で、多くの事件や出来事がありました。

北アイルランドは何故独立しなかったのですか

北アイルランドが独立しなかった主な理由は、北アイルランドがイギリスの一部であることを望む多数派が存在したためです。北アイルランドの住民のうち、主にプロテスタント教徒がイギリスに帰属することを望んでおり、カトリック教徒がアイルランド共和国と統合することを望んでいました。

北アイルランドには、1920年に制定されたアイルランド自治法に基づき、アイルランド島全体がイギリスから分離され、北アイルランドはイギリスの一部として残りました。この自治法は、北アイルランドアイルランド共和国から分離し、イギリスの支配下に置かれることを決定しました。

その後、北アイルランドプロテスタント教徒は、イギリスへの忠誠心を強く表明し、イギリスとの連帯を望んでいました。一方、カトリック教徒は、アイルランド共和国との統合を求め、北アイルランドを独立させることを望んでいました。

このような状況下で、北アイルランドは分断されたまま、イギリスの一部として残りました。ただし、1998年のグッドフライデー合意により、北アイルランドにおける政治的な和解が進み、自治政府が設立されたことで、状況は改善されました。

IRAの多くはカトリック教徒なのですか

はい、IRAアイルランド共和軍)の多くのメンバーはカトリック教徒でした。IRAは、アイルランドの統一を目指すカトリック教徒の組織であり、北アイルランドプロテスタント教徒の支配からの解放を求めていました。そのため、IRAは主にカトリック教徒の地域で活動し、カトリック教徒の支持を得ていました。

IRAの活動は、北アイルランドにおけるプロテスタント教徒とカトリック教徒の対立を激化させ、暴力的な事件を引き起こしました。この紛争は、30年以上にわたり、多くの犠牲者を出すことになりました。しかし、1998年にグッドフライデー合意が締結され、IRA武装解除を宣言し、紛争は収束に向かいました。現在、IRAは政治的なパーティーとして活動しています。

IRAは1998年のグッドフライデー合意以来、武装解除を宣言し、テロ活動を停止しているとされています。実際、2005年以降、IRAが主張する正当性のあるテロ攻撃は報告されておらず、IRAは政治的手段での問題解決を模索しています。

しかし、個人的な暴力行為や、非公式なグループによる暴力行為は報告されており、IRAとの関連性は確認されていません。また、IRAは2019年に、自分たちのテロ活動について公式に謝罪する声明を出しました。

総じて言えることは、IRA武装解除を宣言してから、公式にテロ攻撃を行っていないとされていますが、暴力的な事件に関連する疑いがある場合もあります。

ChatGPTはたまに嘘を言うので(特に日本のことには疎い)、本当かどうかは知りませんがこんな答えが返ってきました。


で、戻って、「Oliver's Army」のリリースから1年後にあえて有名な街を外し地方を回るツアーをしたらしい。この辺、山下達郎と通ずるところがあります。
ツアー中に「I Cant' Stand Up For Falling Down」が発売され、チャート4位へ(1980年3月頃)。

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この頃、「I Cant' Stand Up For Falling Down」の後に「Oliver's Army」へなだれ込むと大盛りあがりになったらしい。

代表的なセットリストが以下だったと思うが、彼の場合、同じセットリストがほぼないので、上記のような流れに必ずしもなるわけではない。
www.elviscostello.info

ところで、この1980年周辺「Get Happy!!」の頃ブートがかなり少ない。セットリストの情報も結構歯抜けだ。なぜだろうか。
「Get Happy!!」は全英2位なので人気が落ちていたわけではなさそうだが・・。