俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

ブルース・トーマス自伝 24 End Cycle


アトラクションズ再解散後のいざこざ。

CHAPTER 24 End Cycle

次の春(1998年)、私はセッションの仕事で滞在するために、ミッチェル・フルームの借りている家に向かった。
到着した翌日、ジュディ・トーマスから電話があり、ピートが緊急手術(三重心臓バイパス手術)を受けたと知らされた。
数年前、ピートがチジックの隣の通りに引っ越してきたとき、私は彼に厳しい指示を出した。
誕生日とクリスマスの時以外は私のドアをノックしないでくれと言ったのだ。
彼はいつでも仲間を連れまわしていた。その中にはプリテンダーズのギタリストもいたが、彼らは30歳と26歳で亡くなっている。

私は彼の快気祝いのカードにこう書いた。
「・・・三重心臓バイパス手術だって?四重にしなかったのはお金がもったいないからか?*1


家の所有者が突然、シロアリの駆除をすることを決めたため、数日間家を出ることになった。
建物全体が巨大な防水シートで覆われ、有毒なガスで充満される予定だった。
私はウェストハリウッドのホテルに移ってから3日後、早くも家に戻ったものの、まだテントは解体中で、少なくともまだ2〜3時間はかかるとのことだった。
そこで、本屋に向かい、車を側道に駐車し、2時間分のコインをパーキングメーターに入れた。
そして車に戻ると、全てのロックが壊され、ノートパソコン、ギター、アドレス帳、パスポート、そしてほとんどのクレジットカードがなくなっていた*2
私は3年もの間、家を持っていなかったので、所有していたものは全て持ち歩いていた。
手元に残っていたのは、まだミッチェルのガレージにあった鍵がかかったままの自転車だけになってしまった。


まるで私がさらに大きな円を描いて、かつてミュージックストアの窓にベースギターを見に自転車で通った少年と向き合っているかのようだった。
今はベースがなく、再び私と自転車だけになった。
私は大使館に行って緊急パスポートを取得し、イギリスに戻らなければならない。
自転車は最後に一回乗った後、誰かに譲るつもりだった。


* * *


ロサンゼルスは自転車に乗る場所としては最初に思い浮かぶ場所ではないが、フリーウェイばかりではなく、モルホランド・ドライブの尾根線まで上り詰める峡谷があり、その先には海まで続く自転車道がある。
海岸沿いにはビーチの長さにわたって続くコンクリートのリボンで自転車に乗ることもできる。あるいは、私が計画していたように、内陸の山間部へ向かうこともできる。

最初にロサンゼルスに来たとき、レンタカーのラジオではレイナード・スキナードの「Freebird」とドゥービー・ブラザーズの「Long Train Running」が流れていた。
そして今、渋滞を待っていると、メルセデスのオープンカーが私の横に停まり、今の時代のサウンドトラックが流れていた。

「All I wanna do is have some fun ...and watch the sun come up on the Santa Monica Boulevard(私はただ楽しみたいだけ サンタモニカ通りの上に太陽がのぼるまで)*3

サンタモニカ大通りに太陽が昇るのを何度も見たが、それが100万ドルのヒット曲になるなんて、一瞬たりとも思わなかった。
今見ても、ハンバーガーショップやコピーショップ、ネイルショップが四角い黒い影を落としているのは同じだった。
しかし、深夜にはラ・カニャーダ・フリントリッジの丘陵地帯に入り、道路は8マイルにわたって蛇行し、ゆっくりとした長い上り坂が続き、曲がるたびに景色が広がる。


* * *


www.youtube.com

強盗に遭ったことで、いざこざが終わった最後のツアー後の感情がすべて蘇ってきた。
ロンドンに戻り、銀行の取引明細書を見ていたら、エルヴィスのオフィスからの支払いが週ごとの間隔通りには行われていないことに気付いた。
支払いが8〜9日離れているものもあり、ツアーの終わりまでに1週間分の支払いが何らかの理由で抜け落ちてしまっている。
それまでこんなことはなかった。
私は他の二人、ピートとスティーヴに電話し、同じようなことが起きているか聞いてみたが、彼らも同様だという。
私は彼らにその件についてどうするつもりかを尋ねた。
もし電話で肩をすくめることが可能であれば彼らはしていただろう。


エルヴィスとアトラクションズと働いていた20年間、私たちは契約書や文書を交わしておらず、すべては信頼と握手で済ませていた*4
そして、それは常にうまくいっていた。
ジェイクの攻撃的な態度や威圧的な態度にもかかわらず、不公平だったり不正直だったりすると思ったことは一度もなかった。
エルヴィスは寛大な人間で、クリスマスにシャトー・ラフィットのワインを送ってくれたり、時にはトランスアトランティックのフライトでスザンヌのチケットをアップグレードするためにお金を出してくれたこともあった。
さらにエルヴィスは私にお金を貸してくれて、住宅ローンなしで最初のアパートを購入することができた。
後に全額返済し、同様に寛大な利息も払った。


我々はレコードへの参加についても特に契約を結んでいなかったが、いつも何割かは受け取っていた。
また、最後のツアー、それは数ヶ月にわたってヨーロッパ、アメリカ、日本を巡る長いものだったが、それについても特に契約を結んでいなかった。
スケジュールの半ばほどで、いくつかのショーがキャンセルされ、結果的に突然1週間休暇ができた。
もしエルヴィスが我々に対して、「ショーがキャンセルされたので1週間休んでほしいが、その分の給料はない」と言ってきたとしても、もちろん我々はそれを受け入れただろう。


そこで、エルヴィスのオフィスの中にいる誰かが、話し合われていない「調整」に関与しているのではないか?という私の疑念が生まれた。
その人物は、自分の立場をアップグレードしようとしている管理職を目指している人物かもしれない。
いずれにせよ、私が正しいかどうかに関わらず、エルヴィスからは嫌味な手紙が届いた。
手紙には、「ツアー中、ファーストクラスでの移動や五つ星のホテルで我慢を強いてしまったことを申し訳なく思っている*5」と書かれていた。


最終的に、私は弁護士に相談して裁判に持ち込み、未払いの支払いを取り戻すことに成功した。
ただ、小額訴訟裁判所に行く代わりに、私は法的通知(米国のChapter 11に類似)を提出してエルヴィスの問題に対処した。
彼が私に支払いをしなかったのは、彼が破産しているためだと非難する形式のものである。
もちろん破産というのは事実ではないが、その前年にもマイケル・ハッチェンスが姿を消した後、私に支払うべきお金を手に入れるためにこの方法を使っていたのである。


しかし「お金は話すのではなく、罵詈雑言を浴びせるものだ」とディランがかつて言っていたことがある。
私は訴訟に勝ち、控訴の余地なしで全額の支払いを認められたが、高額な弁護士を通じて反訴が起こされ、私が法的通知の手続きを悪用したと判断された。
今や元の判決は何らかの形で覆され、一方的に私は「相手側」の費用負担の責任を負うことになった。
そしてそれは最初に私が請求していた額の数倍になった。
・・・よく言われるように、訴訟では常に一つの勝者しかいないと言う。そして我々は皆、その勝者が誰かを知っている。

もし、単純明快なものであったとしても、この騒動の是非については、人それぞれ意見があるだろう。
しかし、あなたの意見、私の意見がどうであれ、この関係はもう完全に終わってしまったということだ*6


* * *


音楽を演奏することと自転車に乗ることに共通しているのは、リズムが現在に引き込んでくれるということだ。
音楽ではテンポと呼ばれ、自転車ではケイデンス*7と呼ばれる。
今では、ダウンタウンやセンチュリーシティのレコード会社のビルや会計オフィスは、ビデオゲームの風景と同じくらい非現実的に見える。
高地に向かって進むにつれて、空気はますます澄んでくる。
私がすることはただ進み続けて呼吸することだ。今は何の義務もなく・・・恨みもなく、過去もなく、野心もなく、恐れもない。

*1:言葉選びに芸人的なセンスを感じる

*2:さすがアメリ

*3:シェリル・クロウの「All I Wanna Do」、ところでシェリル・クロウがもう還暦過ぎていることにビックリ

*4:数年前の吉本の闇営業問題で、欧米は全て書面を交わす文化であり、日本のような紙の契約書が存在しないのはありえない、と何人かのコメンテーターが言っていたが、少なくともこのバンドに関しては全然違う事実が存在している

*5:芸人同士のやりとりにしか思えない

*6:Chapter 11は悪手だったかもしれないですね

*7:1分間のペダルの回転数、rpm