俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

ブルース・トーマス自伝 21 A New Leaf(心機一転)


1994年、アトラクションズ再結成と「Brutal Youth」の頃。

CHAPTER 21 A New Leaf(心機一転)

キャニオン・ドライブの家にはソファ、ラグ、テレビしかなく、OJシンプソンの裁判の最新の騒動を追いかけながら、古いレパートリーの曲を再び覚え始めた。アルバムの後にはツアーが控えていたためだ。


ロンドンのスタジオに戻った時点で、「Brutal Youth」のベースパートの半分は既にニック・ロウによってレコーディングされていた。
おそらく、バックアッププランや保険があったのかもしれない。しかし、私がニックの弾いたいくつかのパートをアップグレードするよう求められた際、ニックが不満を抱いた*1
再結成したバンドが新しい曲のプレイバックを聴いた時、最終ヴァースの前の長い沈黙のあと、全員が一丸となって再入場した。
その効果は明白であり本能的に全員が飛び上がった。

「それはどんなにお金を積んでも買えるものではない、一緒に演奏できる人々としか得られないものだ」とミッチェルは言った。


アルバムは高評価だった。


NME(New Musical Express):9/10 (10点中9点)
Q:1982年以来の最高のポップアルバム
CR Review:アトラクションズは全てのトラックには登場しないが、昔のケミストリーは健在だ


「なあ、お前は上手いことを言っていたな」とエルヴィスは私に言った。
エルヴィスは私が「とうとう恨みの疲れに屈した」というインタビューを読んでいたのだ。
彼は私に歓迎のためにバッハのフーガのCDをプレゼントしてくれたし、彼とケイトと一緒に車でいくつかの旅行もした。
彼は自分のお気に入りのアートブックを見せてくれ、ジェームズ・エンサーの絵について熱く語ってくれた。
全てが順調に見えていた。
5月にバンクーバーでツアーを開始してから数週間後、全てが素晴らしい音になっていた。オースティンに到着する頃には、とても楽しくなり、ツアーを延長することに決めていた。


6月のグラストンベリー・フェスティバルでのヘッドライナーでの出演*2は、私たちが行った最高のライブショーの一つだった。
活気に満ち、力強く、とても素晴らしかったのだが、それだけにエルヴィスがチャンネル4に対して撮影拒否していたことは非常に残念だった。
ステージを降りる際、グレン・ティルブルックとジェイク・リヴィエラはオマージュを捧げるようにお辞儀をしていた。
半分冗談で、半分は誠実な気持ちだったと思う。
唯一の異論はエルヴィスから出た。
彼は「ボーイング747の翼に縛り付けられているようなものだ」と呟いていた*3



数週間後、私たちはアルバート・ホールでのコンサートを行った。
元妻、家族、友人、新旧の顔ぶれがそろっていた。ステージの向こう側のボックス席には、大きなホイールやホーンセクション、バッキングシンガーに邪魔されることなく、ポール・マッカートニーと彼のゲストが座っていた。
これは見逃せない機会であり、避けられない挑戦だった。
だから、ベースパートのセクションの度に、ポールのベースパートを曲に組み込むよう工夫した。
例えば、「So Like Candy」には「Come Together」を使い、また「The Beat」では「Rain」がちょこっと現れ、他の曲でも魔法のようにリフが出てきた。
エルヴィスの父、ロス・マクマナスはそれを完全に理解していた。

「こうやってやることもできるし、ああやってやることもできるんだ。この足で立つこともできるし、あの足で立つこともできる。逆立ちで演奏するのだけはやらなかったようだがな」とロスは言った。

最終的な称賛はポール本人からだった。バックステージでポールとリンダが近づいてきた。
彼が本気で言っていたのか、からかっていたのかどうかは分からない。
ただ、ポールは私にオペラチックなジェスチャーで腕を広げて、半分歌いながらこう言ったのだ。
ジーーーニアス(天才)」


当時、エルヴィスや私たちの誰もが知る由もなかったが、アルバート・ホールのショーは、ジェイクの、エルヴィスのマネージャーとして最後になるものになってしまった。

それは彼にとっても私にとっても驚きだった。
どうやら、私がステージ上で啓示を得ている間、ジェイクはケイトと激しい口論をしていたようだ。


が、具体的に何についての話だったのかは知らない。
一部では、ジェイクが、エルヴィス自身が商業的に自らを狭めている、とエルヴィス自身のキャリアの進む方向について不満を抱いていた、という話もある。

また、ジェイクの強引なマネジメントスタイルが、エルヴィスが新しく受け入れ始めていた文化的なパーソナリティには合わなくなっていた、とする意見もある。
グラストンベリーでの私たちの荒っぽい演奏がそうだったように。
しかし、ジェイクはケイトと真っ向から対立することは避けるべきだったはずだ。そこには敗者は一人しかいない。
次のショー、リバプールに到着した時にはジェイク以外のみんなは何が起こるかは知っていた。
エルヴィスのエージェントがジェイクを引き連れて話をするまで、みんながチラチラと視線を送っていた。
ジェイクは20年以上にわたりエルヴィスのマネージャーを務めてきたのだが、我々は彼を二度と見ることはなくなってしまった*4


ジェイク・リヴィエラにはよく言っていた言葉があり、彼はそれを繰り返し何度も言うことを好んでいた。

「昔の良い日々を覚えているかい?」と言った後に、劇的な効果を狙って溜めて沈黙し、その後、それまで何千回も聞かされたパンチラインを放つ。
「昔の良い日々を覚えているかい?・・・・・・・そんなものはとっくに過ぎ去ったんだよ!」
そんな彼のことだから、この事件は特に気にしていないだろう。彼は感傷的なタイプではなかった。


彼はまた、倉庫も持っていた。そこには、将来の退職金のために、長年にわたって厳選された品物がミントコンディションで保存されるように忍ばせてあったのだ。
例えば、電池で動く死のトラップ、シンクレアC5などである。デロリアンも入っていたかもしれない。
噂では、私たちが限定版シングルやその他のコレクターズアイテムを出すたびに、ジェイクは数枚の別個のコピーを作り、そのすべてに非常に望ましいシリアルナンバーである「001」を付けていた等など・・・。
個人的には、そんな中傷的な告発を真に受けたことはなかったのだが。


7月末に、我々はアイルランドのカシェルでフェスティバルを行った。
ショーの後、バンドはホテルのバーの一角にある小さなスナグに集まった。
それはしばらくの間、あらゆる面で私たちが最も近づいた瞬間だった。
その夜、私たちはエルヴィスが後に事務所のギルに話したような「非常に魂のこもった演説」をした。
誰もがそれを止めようとしなかった。
クリント・イーストウッドが映画界でキャリアを積んできたように、尊厳と信頼をもってこの先もずっとやっていけるはずだ、と語り始めた*5
我々は、日本へのツアーの後、翌年にもう1枚アルバムを作ることに同意していた。


広島には、終戦時に広島を襲った原爆をテーマにした博物館があった。
原爆投下後の写真で、広島で唯一認識できるのは、川の馬蹄形のループだけである。
あの運命の朝を象徴するもの、つまり、針が同じ時刻に溶接された時計や腕時計、融合した縫い針のパックなどがケースに収められていた。
しかし、広島は今、明るい近代都市になっていた。
何がそこで起こったのかは決して推測できないだろう。
ただし、記念のために触れられずに残された地域がある。この壊滅的な地域の中央には、ほぼ爆風を耐え抜いた孤立した建物があった。
その鋼の梁はねじれて歪んでいて、焼け焦げた小さな木があった。その黒ずんだ枝の一つに、一枚の緑の葉が芽吹き始めていた。


「これ見てくれよ、ファイロファックスくらいの小さいケースに、12枚のアルバムが入るんだよ!」と私は言った。
東京では、ミニCDプレーヤーとスピーカーを買って、小さなバッグの中にきちんとしたステレオシステムが入るようになった。
しかしこの頃の私は、デジタル革命がその流れの中で何をもたらそうとしているのか、その全容を知らないのだ*6


一つの時代の終わりが近づいていた。

米VH1で放送されたアトラクションズ再結成時のドキュメンタリー。
www.youtube.com

*1:実際にこのアルバムで弾いたのは、13 Steps Lead Down, This Is Hell, You Tripped At Every Step, Sulky Girl, London's Brilliant Parade と、5曲しかないのだが、どの曲のベースプレイも出色の出来である

*2:http://www.elviscostello.info/wiki/index.php/Concert_1994-06-25_Pilton

*3:まあ、コステロは一つのスタイルに縛られたくない人だからしょうがない、今のインポスターズのように、バンドスタイルの期間とそうでない期間を作ればわざわざ再解散しなくても良かったかもしれない、再結成後のユニコーンのように

*4:1994年7月12日、ジェイク・リヴィエラ、クビになる http://www.elviscostello.info/wiki/index.php/Concert_1994-07-12_Liverpool

*5:演説までしておいて、どうしてすぐ再解散するのか・・・ケイトのせいだな

*6:この頃はやっとMDプレイヤーが市場に出るか出ないかの頃、その後どうなるかなんてブルースに限らず誰も知らないだろう