俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

コステロ自伝 ANNEX Part 31

第31章は「プット・アウェイ・フォービドゥン・プレイシングス(Put Away Forbidden Playthings)」で、「My Flame Burns Blue」収録の曲名から。

コステロは1985年、アラン・ブリーズデール(1946年生まれ、存命)の脚本家が書いた「ノー・サレンダー」という映画に出たという話から始まる。

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アラン・ブリーズデールとコステロは80年代からずっと友人で、とくに政治的、社会的な歌詞についてのアドバイスは貰っていたという。

コステロの作品にリチャード・ハーヴェイとの共作で「G.B.H.」というサントラがあるが、これは1991年のテレビドラマのサントラで脚本がアラン・ブリーズデール。
(持っているがほとんど聴いたことがないアルバム)

ドラマのエンディングに「Couldn't Call It Unexpected No.4」(相変わらずこのタイトル覚えづらい)のインストゥルメンタルバージョンが使われていると書いてあったので探してみたら見つけた。
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サントラには「Closing Titles」というタイトルで収録されている。

「Mighty Like A Rose」は1991年5月のリリースだが、G.B.H.はその年の6月〜7月に英 Channel 4 で放送された。
ここで少しだけ「Mighty Like A Rose」に触れられているが、個人的にこのアルバムは結構聴いた。まず「Mighty Like A Rose」というタイトルが良い。ジャケットも良い。
「Spike」の音像は80'sの名残がある(特にリヴァーブ)が、このアルバムは今聴いても古く感じない。
特に冒頭のビーチ・ボーイズフィル・スペクター風の「The Other Side Of Summer」は90年代のコステロでも屈指のポップソング。
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布袋寅泰の「Radio Pleasure Box」というぴあ刊行のムックで、コステロに関しては見開きで特集されていて、初期のアルバムの紹介と当時の最新作だったこのアルバムが紹介されていたので、割とリアルタイム気味にこのアルバムの存在を知ってはいたけど、きちんと聴いたのはもっと後になってから。

さて、ポールとコラボしていた1988年頃、ライブ活動をしていなかったコステロは今まで聴いてこなかった音楽を吸収する時期だったという。まあ充電期間ってやつですかね。
ポール側がふわふわしていたせいで結果的にそうなったんだと解釈してますが・・・。
週に何度もクラシックコンサートに通ううちにブロドスキー・カルテットと知り合いになる。

コステロはこの時期まで、意地になって楽譜の読み書きをしてこなかったが、自分では再現できないけど頭の中に鳴っている音を他人に伝える必要性に駆られ、やむなく楽譜の読み書きを習得するが、思ったより難しくなかった、という。
ここでの経験がなければバカラックにFAXで楽譜を送りつける、ということも出来なかったわけだから、かなり重要な充電期間だったと思う。

ブロドスキー・カルテットとは「ジュリエット・レターズ」を作る。これは「G.B.H.」とか「Jakes Progress」「恐怖と壮麗」「イル・ソーニョ」あたりのインストアルバムに比べるとボーカルものなので随分聴きやすいと思う。

「ジュリエット・レターズ」の後に音楽スクールの講師になったりしたこともあったという。
このアルバムでの経験が後に「Favorite Hour」「London's Brilliant Parade」「I Want to Vanish」などのクラシカルなメロディの曲に繋がっていった。
90年代中頃から後半にかけて、クラシック色が強い曲がいくつか出てきた。
「Deep Dead Blue」、「Painted From Memory」、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターとの「For the Stars」などクラシック色の強いアルバムもあり、それらはすべてこの時期に培われたものだろう。

正直書くと、このアルバム自体はコステロファンにそこまで評判が良いと思えないのだが(普段聴いている音楽とかけ離れているため)、このアルバムには根強いファンがおり、全曲カバーしたアルバムやジャズアレンジのものが存在する。

The Birds Will Still Be Singing - Norma Waterson
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「The Birds Will Still Be Singing」はコステロの父、ロス・マクマナスのお気に入りの曲だったようだ。ここからロスの死の話になだれ込む。
ロスは2011年11月24日に84歳で亡くなった。ここまで生きれば大往生と言えるだろう。
実はこの直前に介護していた妻、サラが大動脈瘤破裂で亡くなっている。サラの葬儀の日にロス・マクマナスが亡くなった。
サラはコステロの実の母ではないが、身内を2人、二週間以内に亡くしているのである。
津川雅彦朝丘雪路も同じ年に亡くなっていたり、こういうことはたまにあることだけれど、ここまで近いのは聞いたことがない。