俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

コステロ自伝 ANNEX Part 28

第28章は「ザ・リヴァー・イン・リヴァース(The River in Reverse)」。

アラン・トゥーサンとのお話がメイン。

ハリケーンカトリーナについては、当時たくさんニュースで見たがもう忘れかけている。

2005年8月末に発生し、ニューオーリンズの堤防システムが決壊し街が壊滅状態へ。

コステロアラン・トゥーサンはその4ヶ月前、4/30にニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジフェスで久々に会っており、また何か一緒に仕事をしよう、と別れた。
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アラン・トゥーサンニューオーリンズが被害にあった後、バーミングハム経由でニューヨークへ。
コステロは9/1、アラン・トゥーサンの消息を知りたくて友人のジョー・ヘンリー経由で情報を仕入れ、無事ニューヨークへ行ったことを知る。

9/4、アラン・トゥーサンの「Freedom For The Stalion」を演奏
Concert 2005-09-04 Seattle - The Elvis Costello Wiki

9/17、今度はアラン・トゥーサン本人と「Freedom For The Stalion」を演奏
Concert 2005-09-17 New York - The Elvis Costello Wiki

2005年の11月、アラン・トゥーサンコステロは被災したニューオーリンズへ。
アラン・トゥーサンはそれまで2回しかツアーをしたことがなかった。1958年、シャーリー&リーと、1974年、リトル・フィートと。
ちなみに鈴木茂の「バンドワゴン」は1974年にリトル・フィートと作っているのでちょうどこの頃だろう。

コステロは勇気を振り絞って、アランにニューオーリンズの自宅やスタジオはどうなっているか聞いたが、とても良くない知らせだったとのこと。
70年代のパブリック・イメージだと、失礼なことを平気で聞きそうだが、かなり気を使う人だなと思う。(テレビ番組「スペクタクル」を見ていたら分かるのだけれど)

話は1983年に遡り、オノ・ヨーコの「Walking On Thin Ice」をアラン・トゥーサンのプロデュースで作成した時のお話。
「Walking on Thin Ice」を聴いたのは2000年代に入ってRykoのリイシューを手に入れてからだけれど、このタイトルだけは知っていた。
オノ・ヨーコはその頃、「ミルク&ハニー」のミックス中。「Nobody Told Me」を聴いて感激したという。この頃、未発表ですからね。

「Every Man Has a Woman」というオノ・ヨーコのトリビュート・アルバム?の収録曲についての打ち合わせ。
コステロが歌うことになったのは、ジョンが射殺された日にミキシングしていた「Walking on Thin Ice」。
これのプロデュースがアラン・トゥーサン。ツアースケジュール上、ニューオーリンズでレコーディングしないと間に合わない、ということで、アラン・トゥーサンの名前を出したらレコード会社が真に受けてアラン・トゥーサンをブッキングしてしまった、ということらしい。
ファースト・テイク(Youtubeじゃないよ)、が一番出来が良かったようでアラン・トゥーサンからもOKが出ていたが、ファースト・テイクで終わるのはどうも・・ということで数テイク録ったが結局最初のテイクが採用された。

これをファーストテイクマジック、と呼ぶことは山下達郎に教えてもらった。

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この後、1987年には「Spike」に収録される「Deep Dark Truthful Mirror」をアラン・トゥーサン、ダーディ・ダズン・ブラス・バンドと演奏。これが2回めの共演。


時は飛んで2005年9月。何度も書いているが、この本は突然時代が飛ぶし、飛んだかどうかが分かりづらくなっている。
Concert 2005-09-20 New York - The Elvis Costello Wiki

途中まで読んでいて「妻のダイアナが」とか書いているので「ああ、2000年代の話か」と気づくのである。

ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで、コステロダイアナ・クラールアラン・トゥーサン、ダーディ・ダズン・ブラス・バンド、デイヴ・バーソロミューとの共演。

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ちなみにデイヴ・バーソロミューはこの時86歳で、2019年に100歳で大往生している。デイヴがバンドを率いていたのは1940年代〜50年代のこと。

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この頃は、演奏を終えて楽器から手を話すと、レコードが出来ていた時代、と書かれている。
いわゆるダイレクト・カッティングというやつ?と思ったけど、マスタリング用のアナログテープレコーダーっていつ頃普及したんでしょうね。
ビートルズの初期は2トラックレコーダーだったけど、その前は?

このライブの翌日にコステロが書いたのが「River in Reverse」で、初披露が9月24日(早い)。

Concert 2005-09-24 New York - The Elvis Costello Wiki

そしてこの曲「River in Reverse」をアラン・トゥーサンと録音するというアイデアを思いつき、持ちかけたら快くOKしてくれたという。

2005年11月から12月にかけてハリウッドのサンセットスタジオで録音を始めたが、ニューオーリンズのパイエティ・ストリート・スタジオが営業再開すると、そちらに移動して録音。
ニューオーリンズに移動した日にタクシーに乗り街を視察してからスタジオ入りしたが、三ヶ月経っていても復興しておらず、とんでもない被害状況だったようだ。
堤防決壊で家が流されているので、東日本大震災後の津波被害と似たような状況だったのだろう。東日本大震災はそれに加えて原発の問題というのもあるが。
パイエティ・ストリート・スタジオは高台にあったので比較的早くに営業再開できたようだ。

アルバム中で最も出来が良かったと自画自賛するのが「Who's Gonna Help Brother Get Further」とのこと。
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個人的に好きなのは「Near To You」、これは未だにイヤホンやスピーカーのサウンドチェック用に使っている。
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「On Your Way Down」も非常に好きな曲。
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リリースは2006年の春で日本では5月リリース。

これは当時よく聴いていた作品で、社会人7年目、転職して2年ちょっと経った頃で、車に乗ってブックオフ巡り(何やってんだ)していた光景とこのサウンドがセットになって記憶に刻まれている。

この本には書いていないが、2006年の6月にはアラン・トゥーサンと共に来日してミュージックフェアに出演。確か中島美嘉も出ていた気がする。Youtubeだと見つからないが、どこかに録画したVHSがあると思うが・・・。

日本のテレビに出たのはこれが最後だった気がする。

その前に出たのもミュージックフェアで、この時はコステロから遠ざかっていた時期なので見ていないが2000年の1月。
佐野元春と共演したようだが、ホーボーキングバンドを見て、焦ったらしいとの記載が以下のサイトに書いてあった。まあ、上手いですからねあの人達。
Now & Then vol10-07

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