1987年の全米大ヒット、サーペンスアルバスの1曲目*1は「Crying In The Rain」だったが、これは実は5年前の曲のセルフカバー。
この間にジョン・サイクスが加入する。そのサイクスの手によるアレンジでこの曲がどのような変遷を辿ったのか。曲の構成自体がドラスティックに変わったわけではないが細部が徐々にブラッシュアップされ、「アルバムの中の地味な一曲」から「ハードロック界を代表する名曲」にどうやって変わっていったのか?を見ていきたい。
ところで、サイクス加入前からホワイトスネイクはドタバタしていた。
ミッキー・ムーディーによると、アルバムはヒットしていたけどバンドは常に借金で苦しんでおり、マネジメントに問題があると告発したらカヴァーデール以外全員クビになった。この当時のミュージック・ライフは古本で持っていたが、雑誌も何が起こってるか分からんけど全員クビ!みたいな取り上げ方だった。
しかし、アルバムを完成させるためにミッキーを呼び戻し、その他のメンバーは入れ替え。ギターは元トラピーズのメル・ギャレーという地味な人だが、ドラムは何故かコージー・パウエル。コージーを呼んだということで、バンドをどう変えたかったかが分かる。
その後ミッキーは再度脱退し、サイクスが加入する。ホワイトスネイクとシン・リジーが一緒にツアーを回った時に目をつけたそうだ。オジーとツアーしたりしていたので、ギターヒーローがホワイトスネイクにいないと思ったのだろう。そんな経緯がありありと見えたのでサイクスに対する風当たりも強かった。
クラシックなホワイトスネイクが好きな保守派はサイクスが気に食わなかったようだ。カヴァーデールがスターなので他は地味でOKという思想。
サイクスは確かに加入当初は曲を作ってないわけだから、客演という感じで、頼まれたので弾いてます感があった。それでも凄い演奏だけどね。
X にBURRNの創刊号をアップしてくれた人がいたがサイクスは全否定されていた。
84年BURRN!創刊号
— 80'N Life (@80andLife1) 2024年6月22日
懐かしく読んでいて1番驚いたのはホワイトスネイクの当時の扱い
Jサイクスを全否定
WSはDカヴァデール以外スタープレイヤーは要らないのが本当の白蛇ファン
ファン念願のソロアルバム実現か♡
3年後のサーペンス・アルバスでこの記事を覆してしまう
編集部の好き嫌いもBURRN名物です pic.twitter.com/H1ixyXxOvm
両頭の蛇、分裂!?
WHITESNAKE Forever!?ジョン・サイクスが弾く“シャドウ・オブ・ザ・ブルーズ”や“ドント・ブレーク・マイ・ハート・アゲイン”だけは聴きたくなかった!が、どうやらそれも今回の『キングス・ジャム』だけになりそうな雰囲気だ。というのも、ホワイトスネイクがやっと現在のいまわしい姿をなくしてくれるらしいからだ。勿論、あくまでも噂だが・・・・・。
コージー・パウエルは彼のニュー・ソロ・アルバムのプロジェクトに関する希望をチラッともらしていたが、それによると、ゲスト・ギタリストには、ジェフ・ベック、ゲイリー・ムーア、そしてジョン・サイクスを参加させるそうだが、これと同時に、彼はジョン・サイクスとニュー・グループを結成するらしい・・・。
ホワイトスネイクのスター、シンボルはあくまでもデイヴィッド・カヴァデールであり、他にスター・プレイヤーはいらないというのが本当の白蛇ファンが思っている。デイヴイッド自身もジョン・サイクスが大嫌いだそうで、ファン念願のデイヴィッドのソロ活動実現か・・・・♥
そのサイクスがぐうの音も出ない程の傑作を作って実力で黙らせたのは爽快である。そして時を経て、サーペンス・アルバスがハードロックの王道となったわけで、BURRNはその後サイクスを王子と呼んだり手のひら返しが凄いわけだが、こうやって本流とされているものが徐々にシフトしていく現象は面白いと思う。
ちなみに、コージー・パウエルはこの時点でもスーパースターだったと思うがコージーは批判されない。これはパープルファミリーだからであり、パープルファミリーに批判しない当時の雑誌のスタンスが表れている。カヴァーデールのみがスターで良いという思想もパープルファミリーだからである。悪しきパープル史観だなと思う。
ちなみにコージーは全くホワイトスネイクには合ってなかったと思う。コージーはリズムが突っ込みがちで、クラシックなホワイトスネイクとはスタイルが全然違う。伝説のドラマーとされているけど、個人的にも実はあまり好きなタイプではない。イアン・ペイスの方が数倍上手いと思う。
では時系列で見ていく。
1981年
1981年末 「セインツ・アンド・シナーズ」のレコーディング開始
1981.12 創設メンバーのミッキー・ムーディが脱退
1982年
1982.1 バーニー・マースデン、ニール・マーレイ、イアン・ペイス解雇
1982.8 ミッキー・ムーディ復帰、メル・ギャレー加入、コージー・パウエル加入
1982.10 呼び戻したミッキー・ムーディの協力で録音したままだった「セインツ・アンド・シナーズ」を完成させる
1982.11.15 「セインツ・アンド・シナーズ」リリース
オリジナル・スタジオバージョン
1982.12.14 英・ニューカッスル
1983年
1984年
1984.1頃 ジョン・サイクス加入、ニール・マーレイ復帰
1984.1.30 「Slide It In」リリース(UK)
1984.3.3. 英・ウェンブリー・アリーナ
1984.4.4 英・ノッティンガム
- ジョン・サイクス、メル・ギャレー、ニール・マーレイ、ジョン・ロード、コージー・パウエル
- この頃のギターソロ・セクションはまだ長尺でジャムのような雰囲気。
- メル・ギャレーはまだ在籍しているが怪我で弾けない状態だったのか?
1984.4.5 メル・ギャレー脱退、メル・ギャレーはドイツでのツアー中(3/17〜3/20)の怪我で離脱し、この日に脱退している
1984.4.14 スウェーデン・ストックホルム
1984.4.16 ジョン・ロード脱退、その後ディープ・パープル再結成に参加
1984.4.16 「Slide It In」リリース(US Remix)
1984.8.4 名古屋
1985年
1985.1.19 ブラジル・リオデジャネイロ
- 声出てなくて酷い。アレンジは前年8月頃から変わっていない。
1985.1頃 コージー・パウエル脱退(解雇)、実は、サイクスとマーレイも解雇する予定だったが、レコード会社に引き止められたとのこと
1985年の月日不明 エインズレー・ダンバー加入
1985年日時不明 デモ録音 Crying in the Rain (87 Evolutions Version)
- バッキングのアレンジがまだこなれていない。ライブでやっていたギターアレンジをそのままデモにしている雰囲気。ギターソロも長尺のまま。
1985年日時不明 Crying in the Rain (Lil' Mountain Alternate Take) (Ruff Mix) (87 Evolutions Version)
- Lil' Mountain Alternate Takeってのが良く分からないが、サーペンス・アルバスのバージョンに近づいてきた。ギターソロは入っていないが、別録音の予定だったのだろう。アドリブパートがなくなりコンパクトなアレンジ。バッキングのアレンジは完全に同じではないが完成版に近くなっている。ボーカルの歌いまわしも完成版とは異なる。
1987年
1987.3.23 「Whitesnake(サーペンス・アルバス)」リリース
1987.3.23 1987バージョンリリース
- 結果、これが決定版となる。オリジナル・バージョンはヘヴィなリフ以外は(言葉は悪いが)ルーズに弾かれていたが、このバージョンはBメロの裏もアレンジされた(決められた)ギターリフ、Cメロの裏でもハーモニクスを使った粋なアレンジ。サビ前の繋ぎも新規のリフで構成されている。サビ裏でも時折ブリッジミュートの16分のリック(ジェイク・E・リー風)が入ったり、ピッキングハーモニクスを入れたりとエディ・ヴァン・ヘイレン並みに芸が細かい。
- 長尺ジャムのギターソロは廃止している。そういうソロ自体70年代的だし、スタジアム・ロックを目指すなら蛇足、という判断だろう。再結成したディープ・パープルも長尺インプロビゼーションはあったけど70年代程の長さではなくなっていたし、時代に合わせたのだと思う。その結果、2コーラス目の終わりと共に、ライブバージョン後半で披露されていたドラマチックなギターソロに突入する。これが名演中の名演でただの速弾きハイテクギタリストではないと唸らせられる代物。
これ以後、カヴァーデイル主導でのリミックスなどはあるが基本的には同じアレンジとなる。正直、リミックスはギターが大きすぎたり、あまり好みではないアレンジ。
サイクス他、1987年のメンバーは全員クビになり、いわゆるハイテクギタリストばかりをメンバーにし続け、一応今でも第一線で活動しているが、一般的知名度で言うとホワイトスネイクはかなり低い。
同時期にヒットしていたボン・ジョヴィ、エアロスミス、ガンズ・アンド・ローゼズは一般の人でも名前を知っているくらいのバンドにも関わらず、ホワイトスネイクはビッグヒットしたにも関わらず普通の人は名前も聞いたことがないくらいのバンドになってしまった。
サイクスが在籍したままの世界線だったら一体どうなっていただろう?
*1:米盤・日本盤のみ、英盤は別