俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

コステロ自伝 ANNEX Part 30

第30章は「僕は消えたい(I Want to Vanish)」。

バカラックとのお話。

実はこの辺の話はバート・バカラックの自伝にも詳しく書いてある。こちらにはこちら側のまた別のエピソードがあるので合わせて紹介しようと思う。


まずはショービジネスの描写から。
1997年2月26日のグラミー賞授賞式。「God Give Me Strength」がノミネートされたので出席したが、バカラックと一緒にいると、まるで透明人間になったかのようだ、と言っている(つまり、コステロが無視されがち、ということ)。

つづいて1999年の1月(「それから3年後」って書いてあるが2年後)、アメリカン・ミュージック・アワードの授賞式で「Toledo」を歌うのだが、客席にホイットニー・ヒューストンがいることに気づき「エルヴィス、イエー」と騒ぎだしたそうだ。まるでメンフィスからの霊と話しているようだ、と言っている(つまりホイットニー・ヒューストンエルヴィス・プレスリーコステロを間違ってんじゃないの?ということ)。

TV 1999-01-11 American Music Awards - The Elvis Costello Wiki
youtu.be

実際、昔にコステロのコンサートに行った時に、絶対にプレスリーと間違っただろ?という服装の二人組を見たことがあるが、知っている曲がなかったのかまったくノッておらず、アンコール前に帰ってしまって笑った。

「Toledo」を聴いている観客は、そもそもコステロのことを知らないらしく、退屈そうにしていたなか、客席にいたアイザック・ヘイズだけ暖かく聴いてくれていたそうだ。

個人的に、バート・バカラックについては、恥ずかしながらコステロとコラボをするまで、名前だけはなんとなく知っていたが、どういう人なのかはよく分かっていなかった。
ただ、ビートルズの「Baby It's You」、カーペンターズの「Close to You」、B.J. トーマスの「雨にぬれても」は知っていた。
コステロも「Baby It's You」がジョンの曲だと思っていたが、クレジットを見てバカラックという名前を知ったそうだけど、バカラックの本職は歌手ではないので、大抵そういう知り方になる。


さて、時は1995年。ブリル・ビルディングをテーマにした映画「グレイス・オブ・マイ・ハート」のためにまずは1曲提供。
それが「Unwanted Number」で、歌っているのは「For Real」で、90年代のR&Bガール・グループ。
For Real - Wikipedia

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まるで本当に60年代のガールグループの曲のように聴こえる。この辺りの模倣というかパロディというか、本当に上手い。XTCの変名プロジェクト Dukes of Stratosphere は60年代後半のサイケバンドのパロディで、これもホンモノと区別がつかないが、Unwanted Numberも相当。

この曲は「Songs Of Elvis Costello: Bespoke Songs, Lost Dogs, Detours & Rendezvous」に収録されているが、2018年の「Look Now」でめでたくコステロバージョンが収録された。

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そしてここからさらにもう1曲、劇伴として壮大かつドラマティックなバラードを作って欲しい、という依頼があり、制作側からバート・バカラックと共作してはどうか、と提案があり二つ返事でこれに乗る。
この時に出来たのが「God Give Me Strength」だった。

バカラックコステロはLAのオーシャンウェイスタジオで「Spike」のレコーディング中に合っている。たまたまバート・バカラックが近くにいることを知ったコステロは、「Satellite」を聴いてもらった。
「Satellite」はメロディはバカラックっぽくはないけど、アレンジがバカラック風なので聴いてもらった。バカラック自伝に書いてあるが、バカラックは「おもしろかったよ、ありがとう」とだけ言って帰ってしまった。コステロ的にはもっと称賛してもらえるかと思ったがちょっと肩透かし。バカラックは「グレイス・オブ・マイ・ハート」の制作側からコステロと共作してはどうかと打診されOKしたものの、コステロに一度会ったことは覚えているが、どういう人なのかよく分からなかったそうだ。

しかし「God Give Me Strength」の制作は、2人のスケジュールが合わないため、まずコステロが曲の譜面と歌詞のドラフト版をFAXでバカラックに送りつけ、それにバカラックが細かい修正、ブリッジの追加、イントロのアレンジを加えてFAXで返信。インターネットがまだ普及していない時代なのでこういう方法で作られたらしいが、とんでもない完成度である。

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以下は、バート・バカラック自伝「Look Of Love」263ページから引用。

エルヴィス・コステロ:音楽スーパーヴァイザーに「バートと曲を書いてくれないか?」と言われたときには、思わず「なんだって?」となったし、答えるまでに、まるまる10秒かかってしまった。信じる気にもなれなかったからさ。電話ではじめて話したとき、 曲を共作できないだろうか?と訊くと、バートはいいよと言ってくれた。いったいなんに取りつかれてあんなことを言ったのかわからないけど、言ってよかったと思うよ。けっきょくは先にゲートを出たぼくが、最初のヴォーカルのラインからフックラインまで、全部書き上げた状態で彼に曲を送れたわけだから。

バートからはすぐに反応があって、いくつかラインを伸ばしたり、コードのヴォイシングを変えたりしていたけれど、メロディは基本的に同じだった。そのあと、彼がイントロのフレーズをつけ足した。そこですばらしかったのは、彼が「そこはマイナー6にしよう」とかなんとか言って、ベースの音を決めたことでね。曲の最初のパートにはイレギュラーな小節がいっさいふくまれていないけれど、終わりのほうにはちょっとフレーズを詰めこみすぎている部分があった。すると彼は一部のセクションでメロディを2倍の長さに伸ばし、そのフレーズのテンポを半分に落としたんだ。

そのあと、ぼくは彼に「ああ、ところでブリッジを書いたんだけど」と言った。当時はeメールなんてなかったから、このやりとりは全部ファクスでおこなわれ、楽譜を書いたファクスが、ぼくらのあいだを何度も行き来していた。ぼくはトップのラインを書き、録音して彼の留守番電話に吹きこんだ。するとそれを譜面に起こした彼から、「これだけ?」というファクスが届いた。

そして彼の書いたブリッジが送られてきたんだけど、それが曲のまんなかで聞ける、スケールの大きいシンフォニックなパートなんだ。 ぼくはそこに歌詞をつける羽目になり、そのおかげで3番目のヴァースを書く手がかりができた。で、リプライズとタグもできて、するといきなり、この壮大な曲ができあがっていたわけさ。

これがあの曲ができるまでのあらましだ。もし「わかりました。ぼくは作詞をやります」と言って、彼がなにか送ってくれるのを待っていたら、まるっきりちがう曲になっていたかもしれない。〈ゴッド・ギヴ・ミー・ストレングス(God Give Me Strength)〉 というタイトルがどこから来たのかは覚えていないけど、たぶん、どこからともなくだったと思う。

バカラックの証言。

わたしはフロリダ州のパームビーチでストリングスのアレンジを書いた。その後、ニューヨークに向かってエルヴィスに会い、イントロとエンディングの意図を説明した。翌日、わたしたちはリズム・セクションといっしょにスタジオに入ったが、どうにもピンと来なかった。するとエルヴィスが「シンセ奏者をはずして、代わりにあなたがピアノを弾いたらどうですか?」と言いだした。 初対面のバンドだったし、だれかを傷つけるような真似をするのは気が進まなかったが、わたしは 「わかった」と答え、けっきょくは昔取ったきねづかで、ピアノを弾くことになった。

すると上々のオケが録れ、次の日にはストリングスとホーンを入れた。その場には『グレイス・オブ・マイ・ハート』を監督したアリソン・アンダースも立ち会い、すっかりわれを忘れていた。エルヴィスとわたしは「うまく行ったぞ。いつか、いっしょにアルバムをつくれるといいな」と語り合った。

これでコラボが終わるのは勿体ない、ということで1年後にアルバム制作をした、というのが「Painted From Memory」なのだけれど、巷にちょっとした誤解が蔓延しているようです。

以下はバカラック死去の少し前のコステロのインタビュー(2023年)。

variety.com

It’s good that you have a booklet of 10,000 words of liner notes in the deluxe edition of the new set, because you do go into some of who wrote what on the “Painted From Memory” songs. That’s always been a puzzle to some of us, because the melodies do sound very consistently Bacharach-esque, but we don’t always know if that tags it as his handiwork or whether you had absorbed his unique conventions so thoroughly.


EC: I think most people assume that Burt wrote everything, musically. I don’t think anybody thought I wrote any of it. The truth of it is, I did. I wrote quite a lot of “God Give Me Strength,” the original draft, but the song wouldn’t be the song it is without Burt getting within the mechanism of what I drafted, and the way in which things are phrased, and sometimes one note change or one interval change would really redefine the melody. And that happened repeatedly. And of course he added the introduction and the bridge to that song. So that’s the way I feel like I learned from watching him do that, even with something I’d already put on the page.
Or the fact that I wrote a draft of a bridge for “This House Is Empty Now,” which we didn’t use, but Burt then recognized that the song really actually needed a bridge. Up until then, it just was three verses. And that bridge is pretty knockout; that’s one of the most dramatic moments on the album. So that’s the way collaboration works: You listen to the other person. It’s not like a battle of wills, but it’s hopefully spurring the other person on to do the best they could.



新譜のデラックス・エディションには、1万字に及ぶライナーノーツが掲載されていますが、「Painted From Memory」の曲について、誰が何を書いたかについて、少し触れているのが良いですね。メロディーは一貫してバカラック風ですが、それが彼の手によるものなのか、それともあなたが彼独特の慣習を徹底的に吸収したのか、私たちにはわからないことが多いからです。


EC: 多くの人は、バートが音楽的にすべてを書いたと思い込んでいるのではないでしょうか。誰も私が書いたとは思っていないと思います。でも、本当は僕が書いたんです。でも、バートが私の書いた曲のメカニズムの中に入ってきて、フレーズの付け方や、時には音符の変更や音程の変更でメロディーを再定義してくれたりしなければ、この曲は成り立ちません。そしてそれは繰り返し起こった。そしてもちろん、彼はその曲にイントロとブリッジを追加した。そういう意味では、私がすでに書き上げたものでも、彼がそうしているのを見て、学んだような気がします。
また、「This House Is Empty Now」のブリッジの草稿を書いたのですが、これは使わず、バートがこの曲にはブリッジが必要だと認識しました。それまでは、3つの詩があるだけだったんだ。このブリッジは、アルバムの中で最もドラマチックな瞬間のひとつで、かなりノックアウトされました。このように、コラボレーションはうまくいくものなのです: 相手の意見に耳を傾ける。意地の張り合いとは違いますが、相手がベストを尽くせるように後押ししてあげたいですね。


はい。


今年になって、萩原健太さんがこんなことを書いている。
kenta45rpm.com

コステロが歌詞と歌唱、バカラックが作曲/編曲を手がけた作品だけれども、なんでもお互い多忙なスケジュールを縫っての共作だったため、時にはコステロバカラックの自宅の留守番電話に歌詞を吹き込んだりしながらの作業だったとか。

健太サーン!

大鷹俊一さんも先日発売された「Songs of Bacharach & Costello」のライナーノーツに間違って書いてしまっている。

基本的にコステロが歌詞と歌、バカラックが作曲オーケストレーションを担当したわけだが、

大鷹サーン!

このアルバムは「コステロ作詞、バカラック作曲」というわけではない。「コステロ作詞、コステロバカラック作曲」ですよー!!

以下、「エルヴィス・コステロ自伝 」578ページから引用。

その後、アルバム「ペインテッド・フロム・メモリー」に収録された曲の多くで、バートと僕はメロディを共作している。「マイ・シーフ」や「ホワッツ・ハー・ネーム・トゥデイ」のように、壮大で音域が広い曲があるかと思えば、 音域二オクターブくらいの曲もいくつかある、というふうにまちまちなのは共作をしているせいだ。

共作とはいっても、どの曲もかならずどちらか一方が先導することになった。一方がまず、きっかけとなるメロディを提示する。それは一連分くらいの短いメロディかもしれないし、リフレインまでを含む長いメロディの場合もある。また、ブリッジの細かいところまでを含め、はじめから曲のメロディ全体ができあがっていることもあった。お互いの間のアイデアの交換は一曲作るごとにだんだん速くなっていった。二人でピアノに向かい、一方がメロディの断片を思いつくと、もう一方がそれを完成させる、という具合にして作業は進んでいった。

以下、バート・バカラック自伝「Look Of Love」267ページから引用。

バカラック
そのおよそ1年後、エルヴィスとわたしはいっしょにアルバムをつくりはじめ、 これは数か月がかりの大仕事となった。〈ゴッド・ギヴ・ミー・ストレングス〉をのぞくと、エルヴィスとわたしの共同作業はなにひとつスムースに進まなかった。わたしたちはサンタモニカにあるわたしのコンドミニアムの一室で作業を開始した。キーボードやアコースティック・ピアノやシンセサイザーの前に座ったわたしが曲のモチーフを何度か弾き、そのあとは個々に作業を進めていったのだが、あきらめの悪いところはふたりとも共通していた。朝の4時に電話をかけても、エルヴィスはまちがいなく起きている。それは彼もわたしと同じところで引っかかっているからだった。


エルヴィス・コステロ:それでバートに電話をかけて、「どうです、いっしょにレコードを1枚つくってみませんか?」と訊いたんだよ。ぼくが彼がサンタモニカとヴェニスの境目に持っていた作曲用のアパートに向かい、その一室で彼と作業に取りかかった。 彼が曲を共作した人間はほかに、ニール・ダイアモンドしかいないことに気がついたのは、もっとあとになってからのことだ。 ぼくらはどっちも曲のオープニングやパーツのアイデアを出し、場合によっては補足用のセクションやブリッジを書き足すこともあった。なかには完全に出来上がってる曲もあったけど。

どっちが曲のどのパートを書いたかなんてことを知っても、別になんの足しにもならないと思うし、実際、ほとんどの人には見分けがつかないんじゃないかな。たぶん、クレジットを読んだ人の大半は、曲は全部バートが書いたと思いこんでいたはずだ。でも実際に彼が全部書いた曲は、3曲しかない。そのうちの1曲が「ディス・ハウス・イズ・エンプティ・ナウ (This House Is Empty Now) 」 で、ぼくが書いたブリッジはけっきょくボツになった。唯一役に立ったのは、長さは別として、この曲にはブリッジが必要だと証明したことだろう。そこで彼がレコードでも聞けるブリッジを書き、それほど出来がよくなかったぼくのブリッジと差し替えたんだ。「ザ・ロング・デヴィジョン (The Long Division)」 は完全に彼の曲。 「サッチ・アンライクリー・ラヴァーズ (Such Unlikely Lovers)」も完全に彼の曲だ。

それ以外の曲は全部、割合はまちまちだけど、なんらかのかたちでの共作だよ。 共同作業はぼくらが気安くなっていくにつれて深みを増し、変化を遂げていった。一度この言語のリズムに乗ってしまうと、ぼくがイメージするバートふうの曲に、彼が訂正を加えている---なにかすごく奇天烈で難解な試験を受けているぼくのまちがいを、彼が正しているという感じはいっさいしなくなった。 それは一種の対話になった。ぼくらがすっかり調和してたからじゃない。 「アイ・スティル・ハヴ・ザット・アザー・ガール (I Still Have That Other Girl)」 のような曲では、文字通りおたがいの文章を完結させることができたからなんだ。 フレーズから共作したセクションもあったし。

大半の曲はふたりでピアノかシンセの前に座っていっしょにプレイしたり、でなきゃぼくが立って、「それだ!」って感じで腕を振りまわしたりしながら書いた。ぼくが曲のフレーズを提案すると、彼はそのなかに入り
こみ、もっと長い枠組みにそってそれを伸ばしていく。 「ペインテッド・フロム メモリー (Painted from Memory)」をピアノじゃなく、ギターでやることにしたのは彼のアイデアだった。 「マイ・シーフ (My Thief) 」では、ふたつのセクションを別々に書き、それをバートが驚くべき手腕でひとつにつなぎ合わせてくれた。

全曲の歌詞を受け持った立場から言わせてもらうと、ぼくは自分がかかわっていようといまいと、メロディのなかで言われていることに耳を傾ける必要があったし、「まいったな、ここはなんと言ってるんだ?」となってしまうようなセクションでは、なおのことそうだった。 曲の一部をインストゥルメンタルの形態でぬきとり、作曲のスケールに見合ったバロックな歌詞をつけようとして、しばらくは本気で頭をかきむしる羽目になった。

そこで気がついたのは、自分が曲を補強するんじゃなく、それに張り合おうとしていたことだ。ほんとうなら曲のなかの声と、それがなにを言わんとしているのかに耳を傾け、そのフィーリングに到達するべきだったのに。
ぼくらの書いてる曲がバートとハルの曲に太刀打ちできるなんてことは、一瞬だって思ったこともない。 あの場にいられるだけで満足だったけど、おかげでハルの驚異的なテクニシャンぶりを再認識することができた。彼はメロディに即して展開し、しかも単にうわっつらだけじゃない、本気で聞き手を感動させる歌詞を、聞きなじみはあっても常套句じゃない言葉を使って書いていた。これは本当に、本当にむずかしいバランスなんだ。



バカラック
「ディス・ハウス・イズ・エンプティ・ナウ」では、わたしがピアノであるパッセージを弾きながら、 「忘れないで (remember)」という言葉を何度もくり返しうたっていたので、エルヴィスはそれをもとにして、全体の歌詞を書き上げた。 あとでエルヴィスは、わたしたちの書いていた曲に見合う歌詞がつくれるかどうか不安だったと話してくれたが、あの曲の歌詞を書いたことでひとつの壁が打ち破られ、それからは次々に言葉が流れて出てくるようになった。

テーマ的には、《ペインテッド・フロム・メモリー》は失恋を扱っている。エルヴィス好みの言い方をすると、メランコリーを楽しむ人たちに向けて、悲しい曲を集めた傷心のレコードだ。わたしたちはふた月ごとに、4、5日ぶっつづけで作業に当たっていたが、それでもアルバムの全曲を書き上げるまでには、2年の歳月が必要だった。

ということです。


引用の通り、「This House is Empty Now」「The Long Division」「Such Unlikely Lovers」のようにバカラックオンリーの作曲になっている、というケースもないではないが、両方のエピソードでもはっきりと共作と書いているので、ライナーノーツの間違いは是非どこかで訂正してほしい。

25年も経ってまだ間違われてるんだから、いったん人の頭にインプットしたものを修正するのは大変なんだなぁ…

Amazonレビューに同じようなことを書いてる人を見つけました。この人が完全に正しいです。
バカラックとコステロの完全なる共作 !!

ちなみに、ミュージック・マガジンコステロのアルバム評が載ることがあるが、毎回事実関係が少しづつ間違っているのはどうにかならないのだろうか。

しかしながら、最も重要なことは、実際のところこのアルバムが「コステロ作詞、バカラック作曲」に聴こえてしまう、ということ。
特にバカラックの作風がどんなものか知っているはずの音楽評論家が間違えている、というのはそういうことでしょう。
アレンジメントがそうさせるのか、コステロバカラックが憑依したのかは分からないが、とにかく、バカラックが書いているように聴こえる。

清水ミチコのネタで「作曲法シリーズ」というのがあり、いろんなミュージシャンの作曲のクセを見抜いてオリジナル風の曲を披露する、というネタがあるけど、コステロはまるでバカラックの作曲法が分かっているかのよう。

バカラックの自伝によると、このアルバムのオーケストレーションデヴィッド・フォスターとかクインシー・ジョーンズに頼もうとしていたようだが、コステロはバートが書くべきだと提言。
なんとなくだけど、ポールがデヴィッド・フォスタートレヴァー・ホーンに頼んでチープになった「Flowers In The Dirt」のことや、自身のアルバムで、ランガー/ウィンスタンリーを起用して時代性丸出しのサウンドになってしまったことが脳裏にあったのではないだろうか。
「Flowers In The Dirt」は、1989年の作品なのに、90年代中頃にはもう古いサウンドに聴こえていた。10年経たずにサウンドがチープになっていた(自分の感覚では)。
いかにも時代的なサウンドでアルバムを作るよりは、バカラックのアレンジで60年代風に作ったほうが歴史に残そうとしたのではないか?そのことはこのアルバムが証明したと思う。
アルバムのリリースから25年も経過したが、古さを全く感じさせないのはそういうアレンジにある。

映画「グレイス・オブ・マイ・ハート」は結局ヒットせず、「God Give Me Strength」もほとんど聴いてもらえなかった、とコステロは語っているが、この曲は聴くべき人のところには届いていると思う。

バカラックが今年2023年2月に亡くなった時、佐野元春が12曲の最後に選んでいる。

https://www.facebook.com/motoharusano/posts/737063721118320/?paipv=0&eav=AfZV1xvj3uT8mccaJai9Nh13XYDt62JiT2CnNyR22MXkhrrbVtj_rvNiSq8ZQQkN5e8&_rdr

《訃報》バートバカラックが2月8日、ロサンゼルスの自宅で亡くなった。享年94歳。
元春からの追悼:
 バート・バカラックが亡くなった。バート・バカラック & ハル・デビッド。最高のソングライターチームだった。多感な頃、彼らの音楽をよく聴いた。ロマンティックな気高さに胸打たれた。
 バカラックの作るメロディーは器楽的で美しかった。後に自分も曲を作るようになって、転調や変拍子を多用した高度な作曲技術に影響を受けた。
 彼の音楽を聴けた僕は幸運だった。感謝と敬意を込めて。ご冥福をお祈りします。 佐野元春
NBC News
《GO URL》—>https://youtu.be/XeMQ_U2N_EE
佐野元春が選ぶバカラック曲12選
(They Long To Be) Close To You - Paul Weller (Live)
Raindrops Keep Fallin' On My Head - Manic Street Preachers (Live)
Baby It's You - The Beatles
This Guy’s In Love With You - Oasis (Live)
You'll Never Get to Heaven - The Stylistics
The Look Of Love - Jos Stone & Burt Bacharach (Live)
Walk On By - The Beach Boys
(There's) Always Something There To Remind Me - Naked Eyes
What The World Needs Now Is Love - Jackie DeShannon
Make It Easy On Yourself - Jackie Trent
Alfie - Burt Bacharach
God Give Me Strength - Burt Bacharach And Elvis Costello

ベーシスト伊藤広規さんも、自身のラジオ番組のバカラック追悼特集でこの曲をチョイス。

kokiradio.net


ちなみに先日発売された「Songs of Bacharach & Costello」だが「In the Darkest Place」の冒頭から音圧違うし、細かい楽器も聴こえる。リマスターでここまで音のバランスが変わるはずないと思ったがやはり、ニューミックス(リミックス)のようだ。

さてこの章では歌詞の内容からケイト・オリオーダンの話へ展開する。ケイト・オリオーダンは長らく、1986年から2002年頃まで16年程、コステロの妻として認識されていた人で、この時期のコステロの作曲クレジットにもいくつか出てくる。

Lovable
Tokyo Storm Warning
Baby Plays Around
Broken
My Mood Swings
I Throw My Toys Around
You Stole My Bell
The Judgement
あとウェンディ・ジェイムズの一連の曲

元々ポーグスのベーシストで、コステロがポーグスのプロデュースをしていた頃に知り合った。この本にはポーグスのメインソングライター、シェイン・マガウアンのついても少しだけ書いてある。

彼は僕のことを完全に軽蔑していたが、それにもかかわらず僕は彼を尊敬していた。

これだけだとよく分からないが、シェイン・マガウアンはコステロのアレンジの提案に納得いかなかったりそういうことがあったようだ。

ケイトとコステロは2002年に離婚(というか事実婚なので離婚なのか分からないが)するが、この本によるとコステロ側の家族と上手く行ってなかったような感じで書いてある。
嫁姑問題みたいなものだろうか。

この後の章に出てくるが、ダイアナ・クラールコステロ側の家族とも懇意にしているようだが、コステロとしては今や最長の結婚期間。
「North」がリリースされてからも、かれこれ20年も経っている。(時間経つのが早くて怖い)