イギリスでのシングル・カットは1991年2月の「Love Walked In」が最後で、そこからアメリカでの再デビューや、ライブ活動がありましたが、1992年の2月にようやく2ndアルバムの制作に取り掛かります。
1年半リリースブランクがありましたが、1992年の8月に新曲「Low Life In High Places」がリリースされます。英22位。
アルバムからの先行シングル。曲調もシリアスなら詩の内容もシリアス。まあ前回もシリアスな曲調はなかったわけじゃないので、突然変異というわけではないんですが、先行シングルがこれ、というのはそういう意思表示だと捉えるべきですね。バラードと紹介されることが多い曲なのですが、バラードなのかなんなのか分からない曲調ではあります。
そして同月の8月後半についに2ndアルバム「Laughing On Judgement Day」がリリースされます。
このジャケット結構好きなんですが、これまた1stとは違うぞ、って感じがします。デザインはヒプノシスの中心メンバーだったストーム・ソーガソン。
この頃すでにヒプノシスは存在しておらず、ストーム・ソーガソン個人に依頼したとのこと。ライナーノーツによれば、この頃、2大レトロ・バンドはサンダーとブラック・クロウズだと雑誌に書かれていたのを読んで、レトロならいっそのことジャケットも70年代の名盤みたいなデザインにしようと思いたったとのこと。この頃、ブラック・クロウズは「Shake Your Money Maker」リリース後で、余談ですが個人的にはオーティス・レディングの「Hard To Handle」のカバーが大好きなのです。
これなんか、サンダーがカバーしても超ハマりそうです。英米の違いはありますがどちらもルーツ寄りのバンドではあります。
プロデュースはルークとアンディ・テイラーですが、アンディは最初の一週間だけでクビになりました。メンバー曰く、他の仕事で気が散っていたから、とのこと。ただアンディそれを認めていて、わだかまりはないようです。現にその後、パワーステーションのツアーにルークが参加したり、一緒にEP作ったり、アンディの子供のアンディ・テイラー(同じ名前!)と共作したりと交流は続きます。
ちなみにアンディはずっとサンダーの2人目のギタリストになりたかったらしいです。そうなるとベンの代わり?ベンはキーボードも上手いので、外し難い。するとトリプルギターか…。最近のアイアンメイデンじゃないんだから。ただ、アンディが入ってたらかなり華やかなバンドだったなぁとは思います。
さて、2ndアルバムの内容ですが「元気で明るくポップなロックバンド」のイメージだった1stを一新しようとした感のある、全体的にはシリアスなムードの2ndアルバム。もちろんバカ曲(失礼)もあるにはありますが。
これはなんとUKチャートで2位だったんですね。ジワジワ2位とかじゃなくて初登場2位ってのは、イギリスのマーケットがサンダーの新作を渇望していたということ。それはつまり、前作の評価がものすごく高かった、ということです。
これは日本でのチャートでも同じなんですが、初登場で上位に来る作品ってのは、大抵その一つ前の作品の出来が良かったからなんですよね。
ちなみにこの時の1位はカイリー・ミノーグのベスト盤。
Official Albums Chart Top 75 | Official Charts Company
ロック専門チャートじゃなくて、オールジャンルのチャートで2位ってのはなかなか凄いです。(余談ですが私が敬愛するエルヴィス・コステロも2位が最高位です。こちらは3回チャートインしてますが)
日本でもこのアルバムは英国から4日遅れでリリースされましたが、そこにはビートルズの「With A Little Help From My Friends」のジョー・コッカーがアレンジしたカバーのカバー(ややこしい)がボーナストラックが入って、さらに初回限定の特別なブックレットがついて、特殊パッケージという豪華仕様でリリースされました。
一方アメリカでは一応このアルバムリリースされますがほとんどヒットせず、結局アメリカでリリースされたサンダーのアルバムはこれで最後になります。
ただ、アルバム全体の個人的な感想としては、悪い曲はないんだけどパンチ力に欠けるなぁ、という印象で、最初の解散前の5枚のオリジナル・アルバムの中では一番印象が薄いアルバムではあります。その要因としては、長すぎること。当時、CDがメインフォーマットに移ったばかりの頃で、収録できるだけ収録しよう、みたいなノリはサンダーに限らずと言うか、国内外であった傾向で、この頃長いアルバムが多かった印象。
ルークが言うには、30曲くらい作ってそこから2回も削ったのでこれ以上削れない、ということでこの曲数になったとのことですが、数年後には2,3曲削れば良かったと言っています。これには完全に同意。そして、個人的にはトラックオーダーも変えたほうが良いと思いました。
というわけで、勝手にオーダーを変えてみたの巻。
オリジナルはこんなオーダー。
- Does It Feel Like Love?
- Everybody Wants Her
- Low Life In High Places
- Laughing On Judgement Day
- Empty City
- Today The World Stopped Turning
- Long Way From Home
- Fire To Ice
- Feeding The Flame
- A Better Man
- The Moment Of Truth
- Flawed To Perfection
- Like A Satellite
- Baby I'll Be Gone
自分が考えたオーダーがこれ。
- Empty City
- Laughing On Judgement Day
- Low Life In High Places
- Everybody Wants Her
- Today The World Stopped Turning
- A Better Man
- Gimme Shelter
- Feeding The Flame
- Long Way From Home
- Fire To Ice
- Like A Satellite
- Baby I'll Be Gone
最大の問題はオープニングトラックです。
「Does It Feel Like Love?」は決して悪い曲ではないんですが、特段インパクトがない曲で、これをオープニングトラックになぜ持ってきたんだろうか?と初めて聴いたときからずっと思ってます。ただ、これに代わる曲があるかというとない。ですが、ひょっとしてめちゃくちゃ長くて重い曲でも行けるんじゃないかと思って「Empty City」を1曲目に据えました。
我ながら、なかなかの英断。1曲目が大作って意外とあって、ジャミロクワイの2nd「The Return Of The Space Cowboy」は「Just Another Story」のような重厚プログレ・ファンクを1曲目に持ってきてかなりのインパクトがありました。それを狙ってます。ということで、「Does It Feel Like Love?」はちょっと中途半端なので思い切って削りました。
あと、「Everybody Wants Her」と「Flawed To Perfection」は、Bon Joviで言うところの「Bad Medicine」的な曲で、似すぎているのでどちらかは削るべきかと。曲の出来でいうと、「Everybody Wants Her」の方が良いと思うので、「Flawed To Perfection」はオミット。
「The Moment Of Truth」も悪い曲ではないがこれはB-Sideでもおかしくない。ただルーク以外のメンバーが共作した、というところで、ルーク的には削りにくかったんじゃないかと。で、オミット。
あとはバラードが続かないように等、細かいオーダーを変えましたが、もう一つのポイントはカバー曲ですね。1stもスペンサー・デイヴィス・グループのカバーが入っていたので、2ndに入れたって良いだろうと。5thにもワイルド・チェリーの「Play That Funky Music」があった。ブラック・クロウズだって入れてた。
ということで、ここはビートルズ/ジョー・コッカーの「With A Little Help My Friends」でも良かったんですが、それだと全体的なバラードの比重が高すぎるのでローリング・ストーンズの「Gimme Shelter」にしました。このバージョン、出色の出来ですよ。
自画自賛ですが、このトラックオーダーで聴くと結構良いアルバムです。好みのアルバムになりました。そもそも曲自体クオリティが高いはずなんだけど、別の要因で損していたなと思います。
1992年8月には2年ぶりのモンスターズ・オブ・ロック出演。
1990年よりもラインナップとしてはヘヴィメタル寄り。これが原因なのかよくわかりませんが、2年前ほど話題になってなく、アンコールの声もなかったとのこと。
そして、1992年9月末に「Everybody Wants Her」のシングル・カット。英36位。
これと「Flawed To Perfection」が前作のパブリックイメージを引きずった曲ですね。ホーンセクションが良いですね。前述した「Bad Medicine」と雰囲気は似てますが、その曲は1988年の曲で、これはそれから4年後。この頃にはグランジブームが来はじめていて、たった4年でアメリカでの流行はここまで変わったのかと驚かされます。
1992年の秋にはエクストリームと一緒にヨーロッパをツアー。この頃エクストリームは「III Sides to Every Story」をリリースした頃。
エクストリームはファンクな曲も多くて、この時の共演がその後のファンク路線の多さにつながっているんじゃないだろうか、という勝手な予想。ただ、勝手な感想ですが、エクストリームのファンクはカッコいいんだけど、リズムが硬い気がするんですよね。機械が叩いているみたいな。多分これを聴いて、サンダーは「俺たちの方が上手くやれるんじゃね?」と思ったんじゃないだろうか。という勝手な予測。「Play That Funky Music」もお互いカバーしてますが、サンダーの方が上手いと思う。
1992年末には初の来日ツアーが行われますが、そこで事件があって、スネイクがクビになります。あまりインタビューでは語られませんが、サンダーのストーリーによると、真相としてはこういうことらしいです。
日本で写真撮影があったのだが、グループショットではなく、ルークとダニーだけのショットだったので、スネイクがイラつく→そのことで写真家ロス・ハルフィンとスネイクが口論になり、近くにあったハリーの誕生日ケーキをロスに投げつける(※ハリーの誕生日は12/14で、その日は東京五反田の簡易保険ホールでの公演だった模様)→このケーキ事件後もスネイクのイライラは止まらず、過去のことを蒸し返してダニーを挑発→イギリスに戻ってからクリスマスあたりにクビ宣告。
ケーキ事件等は直接的な原因であって、もともと気分にムラがあり、ムードを悪くすることが多くなってきて、それがバンドのテンションを下げる、ということだったようです。今ではまたサンダーの面々と交流があるようですが、脱退から数年はインタビューなどでメンバー(特にダニー)にはボロクソ言われてました。
そのルークとダニーの2ショットがこれだったのかな?
スネイク脱退の原因がBURRNの表紙だったりして。さて、日本でもサンダーの人気が出てきたらしく、この頃BURRNの表紙を飾ります。これで最初で最後でしたが。
英断ですね。BURRNには功罪ありますが表紙、巻頭でのライブレポート、ダニーとルークのロングインタビューなど、メインの読者層とは明らかに異なるのによく載せたな、という。ロングインタビューで、どんな音楽に影響を受けましたか?という質問にルークは、ビートルズとモータウンという回答。ダニーは僕のカバンの中の90%はスティーヴィー・ワンダーとプリンスだ、と。そんなバンドを巻頭に持ってくる勇気。
さて、スネイクをクビにしたサンダーですが、このユニットはある時点までベーシストが流動的でした。実はここでテラプレインのベーシストだったニック・リンデンがオーディションを受けていて最後まで残っていたのですが選考されず(かわいそうなニック)。
1993年には元グレイト・キング・ラットのスウェーデン人ベーシストのミカエル・ホグランドがオーディションで加入。クイーンに「グレイト・キング・ラット」って曲がありますが、そこからバンド名を取ったらしいです。当時BURRNはスウェーデン版のサンダー、みたいなことを書いてましたが音楽性は全然違うと思った。
そして、1993年の3月には「Better Man」がシングル・カット。これのPVにはまだスネイクがいます。英18位。このアルバムからのカットだと最高位。
1993年の9月には「Like A Satellite」がシングル・カット。英28位。
素晴らしいですね。これはもうちょっとヒットしてもおかしくなかったかな。ライブではこのフルバンドバージョンで演奏されることはほとんどなかったはず。ライブ音源も最初はアコースティック(ギターorエレピ)で、途中からバンドが入ってくるアレンジがほとんど。
サンダーのバラードって、映画とタイアップとかすれば結構ヒットするんじゃないかと思ったりするんですが、そういうタイアップとか全然ないですね。
おまけ:ちなみに、日本ではこのアルバムのバンド・スコアも出てます。どういうわけか曲順が間違ってますが。