1993年の9月、ちょうど日本盤の「Like A Sattelite」がリリースされた頃にサンダーに一大スキャンダルが勃発します。それが、デヴィッド・カヴァーデイルを発端としたルークとダニーの大喧嘩というものです。
ことの顛末をざっくりと書くと、デヴィッド・カヴァーデイルがかねてからサンダーを気に入っていて、そもそも1990年のモンスターズ・オブ・ロックに呼んだのも彼。
それで、カヴァーデイル・ページのツアーのセカンドギタリストにルークはどうかというオファーがあったのだけれど、それをサンダーが多忙のため断ったわけです。にもかかわらず、ルークがカヴァーデイル・ペイジに参加する、みたいな噂が週刊誌に載り、それを読んだダニーが、「そう言えばある時期何故かルークと連絡が取れなかったけど、カヴァーデイルに会っていたのか?」と疑心暗鬼になって、どうにもならなくなってルークに問い詰めたところ「お前にそんなこと関係ないだろ」と返されて大喧嘩をした、という話。
ルークが言うにはハリーとゴルフに行ってた、ということみたいなんですが。ダニーに対しては「お前は俺を疑ってるのか?週刊誌を信じてるのか?」みたいなことなのかな?まあ、なんていうか、浮気を疑った夫婦喧嘩みたいな感じ。ダニーはどうしていいか分からず、音楽誌にことの顛末をぶちまけてしゃべりまくって大騒動になりました。ちなみに、サンダーを直前にクビになったスネイクはカヴァーデイル・ペイジのツアーメンバーになってます。この参加がいつ判明したかは定かじゃないけど、これを知ってたとしたらダニー側としては、お前はスネイク側に付くのか?って感じなのかなぁ。スネイクとルークはそんなに仲悪くなかったみたいなので。
まあ、こんな騒動がありながらも、結局解散せずに3rdアルバムを作ってツアーして、その後2度の解散と再結成を経て今も活動してるというのがファクトであり、この時点は確かに大騒動でしたが、今となっては過去にあった騒動のひとつ。
この騒動以来、パープル史観に染まった某雑誌が、ルークに何度もカヴァーデイルと一緒にやらないのか?と聞くんですね。これほんとやめて欲しい。そもそもルークはカヴァーデイルが欲するようなハイテクギタリストの類いではない。コンポーザーとして呼びたいんだったら、それはダニーにサンダーとして歌ってもらった方が絶対に良いと思う。僕にはカヴァーデイルが化学反応を起こすようなミュージシャンとは思えないんですよね。
自分はカヴァーデイルがいた頃のパープル3作も、ホワイトスネイクの1stもサーペンスアルバスも好きだけど、なんかそれは単に相方が凄かったんだろうなと(すまん)。この人は、ギタリストによって音楽性が大きく変わる人で、そういう意味で言うとオジーに似てる。なので、「あの」カヴァーデイルと仕事した、というステータスは付くけど、音楽的に何か生まれる気が全然しないんです。
あと、なんかこうカヴァーデイルのちょっと有名になったギタリストをつまみ食いする癖が何だか嫌なんだなぁ。金で選手集めてくる某球団みたいでイヤ。
さらに(前も書きましたが)サンダーをちょっと知っている人はこの話にフォーカスしがちな傾向にあるような気がします。中には、あたかもこれが解散の原因のように書いてる文章もありますが、どう考えても間違いなので信じてはいけない。解散ライブ・アルバムに「Just Another Suicide」が収録されてますが、ここで、ルークを紹介する時に「My very good friends」と紹介していたりしてますので。ついでにハリーを紹介する時にダニーが「David Coverdale on Drums」などと訳のわからないことを言っているのは謎(詳細求む)。被り物してたんだろうか。
さて、そんなイザコザもありながら、ニューアルバムをアメリカで作ることになります。制作は1994年3月から8月まで。ちょうどその頃にカート・コバーンが自殺するんですが、まだまだグランジブームが続いていました。
今月号のBURRNに「グランジ/オルタナティヴ再考」というなかなか良い記事が掲載されていますが、「Nevermind」の前にサウンドガーデン、パール・ジャムがグランジブームの先駆けになるアルバムをリリースしていて、「Nevermind」が出た途端に火がついた、ということらしいです。
ちょっと気になったのは、グランジを扱ってたレコード会社との関係性上、取り上げてなかったけど、そこからのプッシュがあれば載せてたかも(大意)と書いてるところ。
90年代は割とこの雑誌読んでたんですが、その時の印象はとにかく編集者がグランジ嫌いなんだなぁと。一人だけ好意的な人がいたような気がするんだけど、その人はいつの間にか書かなくなってました。この雑誌のグランジ嫌いはレビューにも現れてて、少しでもダークでヘヴィな曲調があったらそれだけで低評価になってた。そもそも正統派の定型から外れると点数にダイレクトに反映されるレビューなので、まあしょうがないんですけど。
でも80年代の「正統派」から、それを逸脱していたスラッシュメタルとか、パンテラみたいなやつが出てきてそれは取り上げてたのに、グランジだけに敵意剥き出しだったのは、レコード会社との関係性だった、ってのはレビューの信憑性に疑問が。まあ元々ほとんど参考にしてなかったけど。冷静に考えるとロックというジャンルの外から見るとメタルもパンクもグランジも小さな差異で、何争ってるんだろうみたいな感じだとおもうんですけどね。
「Nevermind」のリリースはちょうどサンダーがアメリカ進出した1991年でしたが、じわじわ売上を伸ばし、翌年の1月にはビルボードで1位をマークします。「Smells Like Teen Spirit」も最高位6位をマーク。
皮肉なのはこのアルバムをリリースしたのがゲフィンだったこと。ゲフィン内部でもグランジの波が来ているからそっちに注力しようということもあり、サンダーへの比重は少なくなります。一説によるとゲフィンのA&Rで有名だったジョン・カロドナーとか、ゲフィン所属だったミュージシャン、アクセル・ローズとかスティーブン・タイラー、ジョー・ペリー、デヴィッド・カヴァーデイルはサンダー推しだったにも関わらず、財務担当者がサンダーのことが嫌いでプロモーションする気はないと言われたとかなんとか。このグランジブームは、サンダーの「Dirty Love」とは対局にあるもので、成功を掴みかけていたサンダーは、グランジブームにより一瞬でオールドスタイルなものとみなされ、アメリカでのブレイクの夢は短期間で消えてしまいました。2ndも一応アメリカでリリースされましたが、ほとんどプロモーションされないまま。
そういう背景があったので、できるだけアメリカで売ってもらおうと、ゲフィンの意に沿ったムードのアルバムになっている模様。この頃はいろんなバンドが次々とダークでヘヴィな作品を発表していた頃でして、サンダーもご多分に漏れず、ということです。サンダー側としては、テラプレイン2ndの頃にレコード会社の言いなりになって大失敗した過去もよぎったとは思います。そんなこともあり、バンド側としては最も好みでないアルバムとのこと。当時のダニーとルークのイザコザもフラッシュバックして、さらに印象が良くないんだろうなと。
時系列で言うと、1994年の12月に先行シングル「Stand Up」がリリース。英23位。先行シングルは次に控えるアルバムの縮刷版です。2ndのようなゴチャゴチャした感じではなく、非常にシンプルなロックで、次はこういう感じでいくぞ、ということなんでしょう。未だにライブで演奏される超定番の曲になりました。
そして翌年、1995年の1月末についに3rdアルバム「Behind Closed Doors」のリリース。
アルバム・ジャケットは前作同様ストーム・ソーガソン。なんかわからないけど、加トちゃんケンちゃんごきげんテレビを思い出します。いや、「Band On The Run」かも。
このアルバム、全英5位となかなかの好成績を残しますが、結局アメリカではリリースされず仕舞い。ゲフィンの言うことを聞いて作ったものの、肝心のジョン・カロドナーがエアロスミスと一緒にソニーに移籍し、ゲフィンを離れたため、宙ぶらりんになったようです。ただ、ジョン・カロドナー自身はこのアルバムを非常に気に入っていたとのこと。
さて、メンバーの思いとは裏腹に、このアルバムが非常に完成度の高い傑作であることは疑う余地はありません。XTCの「スカイラーキング」のように、いくら制作過程でゴタゴタがあったとしても、その作品をメンバーが気に入ってなくても、リスナーにとって傑作になりうることはある。
マイク・フレイザーが手掛けたサウンド面で言うと、メリハリが聴いて非常に現代的なサウンドになりました。1stもマイク・フレイザーてましたが、ドラムにちょっとリバーブがかかっていて、まだ80年代感があったし、2ndはなんかのっぺりした音像でメリハリがなかったけど、3rdは非常に音圧の高いサウンド。今聴いても全然古くない。実際にカーオディオでこれ聴くと、サンダーの初期5枚のアルバムでこれだけやたら音圧高くて、うまく調整しないとスピーカーが音割れする。(まあこれはデメリットか)
曲も粒揃いで完成度が非常に高いです。1曲目から5曲目までが特に自分の好みで、もう非の打ち所がない。当然ルーツロック路線は捨ててないので、ロックの歴史を変えたみたいな革命的サウンドではないし、全部の曲に〇〇風と形容することも出来るんだけど、そんなことはどうでもいいくらい曲がとにかく良いのです。
オープニングトラックの「Moth To The Flame」は、ルークとハリーとミカエル・ホグランドが共作したヘヴィな曲。僕はサンダーを初めて聴いたのはこれだったのでアレですが、従来のファンは驚いたんじゃないでしょうか?ここにもグランジの影響が…と。いやグランジじゃなくてブラック・サバスだよ、という人もいるかもしれないけど、ブラック・サバスがそもそもグランジだから、グランジなのですよ。
2曲目「Fly On The Wall」は、ヘヴィなムードから一転ファンク・ロックへ。この展開の幅の広さがまた良い。自分がサンダーを好きになったのはこの曲の影響も大きいです。前作にもギターカッティングがファンクっぽいとか部分的なものはあったにせよ、曲全体としてファンク寄りになったのはこれが初めてで、ある時期までのサンダーはR&B/ファンクに寄せて行きましたが、その発端がこの曲でした。これ、ホーンが入っているせいもあって、なかなかライブ演奏されないですが、解散ライブで時間差でセトリに入りました。結構人気のある曲なので、ライブでやってくれというリクエストがあったはず(記憶がおぼろげですが、当時そんな話があった気がする)。歌詞の内容はゴシップ誌への批判で、例の事件から出来たのかなと。山下達郎の「Hey Reporter!」みたいなものです。そういえばあっちもド・ファンクですね。
3曲目の「I'll Be Waiting」は必殺ソウル・バラード。ルークがライナーノーツでアイズレー・ブラザーズに言及してますが、そういうヤツです。「Summer Breeze」とジミヘンの「Little Wing」が結婚したみたいなやつ。サンダーのバラードは大体どれも素晴らしいですが、どれか1つ選べと言われたら迷わずこれを選びますね。ライブバージョンは、スタジオバージョンにはないハモンドソロが入っていて、それがまた良いんだな。この曲は本当にソウルファンにも聴いて欲しい。
4曲目。これが日本での人気を決定づけた名曲「River Of Pain」。この曲は書くことがたくさんあって長くなるので次回書きますが、簡単に言うと、キラーチューン。
5曲目は、東洋風でZEPみたいと言われることが多い「Future Train」。僕はXTCっぽい気がしましたが。ここでようやくサンダーの明るいサイドが出てきました。この曲って4つくらいの異なるバージョンがあってダニーが気に入ったバージョンが入ったらしいんですね。ルークが気に入ったバージョンは後にコンピレーションに入りましたが、僕は断然このアルバムに入った方が好きです。
その他、「Ball And Chain」なんかも好きです。これが唯一1stアルバムのパーティアルバムな路線に近い雰囲気。ライブだとELPの「ナットロッカー」とか「ハワイ・ファイブ・オー」とメドレーでやってたりしました。
JB風のガチファンクの「Too Scared To Live」も好きだな。大学の軽音でこの曲やってみようってなって、雰囲気コピってたら「何これ?JBなの?」って言われて、いやサンダーだよ?って言ったら驚いてたな。
ブルースな「Preaching From A Chair」も良き。
とか書いていくと、全部良い曲なんで困るんですが。どの曲にも自分の好きなメロディが、フッと入ってくるんですよ。フッと。メロディが日本的なのかもしれない。そういやメジャーキーの曲が一曲しかないなぁ。誰かがハードロック演歌って書いてたけど言い得て妙です。
自分とサンダーとの出会いはこのアルバムからになります。とは言え、発売直後に聞いたわけじゃなく、リリースから1年後くらいに聴きました。このアルバムのリリース時は高校3年生だったんですが、その後、一浪して大学に入ったの1996年の春先に同じ部活(軽音楽部)の友人に貸してもらって聴きました。
このアルバムの後に「Live Circuit」というミニ・アルバムが出ていて、それは酒井康がやっていたHMシンジケートというラジオで確か何曲か流れていて、ちょっとだけ聴いたことあったけど、基本的には名前のイメージからして、パワー・メタル系だと思ってて、まったく期待してなかったんです。
今でも初めて聴いた時のことをなぜかよく覚えていて、このアルバムだけはなぜか自室じゃなくて居間で聴いていて、「あれー、思ってたのと全然違うぞ、これ良いじゃん」と驚いたのを今でも覚えてます。このアルバムに限らずですが、衝撃を受けたアルバムって初めて聴いた時のことを結構覚えているものだなぁと思います。
長くなってしまったので、後発シングル・カットの「River Of Pain」等については次回へ。