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俺の記憶ストレージ (Part 1 & 2)

Stay Tuning 札幌 Friday Night

そもそも論

 

shintaness.hatenablog.com

 

 

なぜ自分がこの記事を書いたか、数年後に見返すと訳が分からないかもしれないので、忘備録も兼ねて書き記しておこう。

 

祭というのは本来、宗教的な起源を持っています。日本での祭は本来、神を祀るものです。祭を英語にするとフェスティバルです。カトリック教会だとミサという祭儀があったりしますが、キリスト教圏でもフェスティバルは宗教的な行事を起源にしています。

内地から札幌に来た人は大抵驚きます。札幌では神を祀るという本来の目的が余りにも希薄化しているそうです。自分もそうですが、祭りというのは露天が出てわたあめとチョコバナナを食べながらくじ引きと金魚すくいと型抜きをするものだと思ってました。大抵の札幌の人はそう思っている。それの究極系がよさこいソーラン祭りで、そこに宗教的な色合いなど全く無く、集団ダンスのコンテストイベントになっています。別にそれが悪いと言っているのではなく、本来の祭のあり方からは離れてしまっている。

ちなみに相撲も本来は神の前で行う奉納であって、ただのスポーツではありません。なので、ガッツポーズしたりダメ押ししたりするような行為が批判されるのは祭祀だからなのです。

松本人志の映画処女作である「大日本人」におもしろいシーンがあります。松本人志演じる「大日本人」は要するに、獣と呼ばれる外敵から民を守る巨大守り神なのですが、大日本人に変身する前に神聖な状態になる必要があり、宗教的儀式をやるわけです。だけど昨今ではそれが簡略化され適当になっていき、その理由が、最近はそういう流れだから、という釈然としない理由を告げられる、というシーンがあったりします。宗教的な伝統が軽んじられつつある現代社会への風刺になってるわけです。(ちなみに僕は公開当時、「大日本人」が酷評されていたことに今でも納得がいってません)

  
さて現在、日本でフェスティバルとか、フェスと言えば音楽フェスのことを言うことが多いです。日本の音楽フェスは何を参考にしたかというとおそらく海外のフェスでしょう。ウッドストックフェスティバル、モントレー・ポップ・フェスティバル、ワイト島フェス等々。もちろんこの段階で既にで宗教的な色合いは消えており、カウンターカルチャーとしての音楽イベントになっています。これを日本に輸入したのが、フジロック・フェスティバルやロックインジャパンフェスだったりライジングサンロックフェスティバルだったりするわけです。

 

そこで「ロックはそもそも反体制」という「そもそも論」が巷で流行ってますが、それを言い出すと「フェスはそもそも宗教的祭祀」となってしまうわけですね。宗教的な意味合いが希薄、というか無くなってしまっているイベントとしての「フェスティバル」に、「そもそも論」を持ち込んでしまうと、宗教的な行事を盛り込まないと辻褄が合わないわけです。しかも西洋音楽自体、ルーツを辿ると宗教に行き着いてしまう。でも今やフェスなんてただのイベント。そんなのに宗教を持ち込まれると何だかな、と大抵の人は思うんじゃないだろうか、と思ったわけです。政治の話も同じです。

 

ちなみに余談ですが三波春夫の「お客様は神様です」は、「お客さんはお金払ってくれて、まるで神様のようだ」というへりくだった意味ではなく、最高の芸・パフォーマンスを披露するためにお客を神に見立てて奉納するつもりで芸・パフォーマンスを行う、という意味です。

 

 『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。だからお客様は絶対者、神様なのです』

 「お客様は神様です」について

 

だから三波春夫と同じスタンスでフェスに出てパフォーマンスを披露するなら宗教的とみなしてもOKかもしれない。でも大抵誰もそういうふうに思ってやってないですよね。

 

フェスティバルは原初は宗教的なものだというのは書きました。さらに古代日本においては祭政一致で、政治と祭祀は密接に絡んでたわけで、政治のことを「まつりごと」と呼んでいたわけで、そもそも体制的なものとして始まっているわけです。だから「そもそも論」を持ちだして話を初めてしまうと、こういう所まで行き着いてしまう。

 

意味合いは時代の流れで変容していくものです。演歌だって元々は、大正デモクラシーの頃の反政府運動の演説が当局の取り締まりを受けたのでそれを歌にして、演歌になります。これがルーツ。だけど今は和風なメロディと伴奏に乗せて、日本の心を歌うというのが演歌のパブリック・イメージ。これはもう覆せない。今から「そもそも論」を持ち出して演歌をポリティカルソングにすることは誰も望んでないですよね。ちなみに大正の頃の演説歌はラップみたいなものでメロディなどありません。どこかの政治団体が言っている「演歌は日本の伝統」は間違っていると思いますが、だからといって「演歌はルーツを忘れている、反体制でラップやるべき」と言ったところでHAHAHAと一笑されるだけだと思います。

 

最近の曲は能天気だ、みたいな批判を聞くこともありますが、半世紀前の60年代で既に大衆消費文化としてのロックだったわけですよ。英米の某有名ロックバンドの歌詞だって「アメリカでサーフィンしようぜ~、イッサイガッサイUSA!」とか「彼女はお前が好きなんだって、イヤイヤイヤー」とか「俺は稲妻人間、あ、ウソですウソです」ですよ。(さて、何の曲でしょう?)ジョン・レノンの「イマジン」より昔の曲ですけどね。

 

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※コーラス&サウンドアドバイザー山下達郎って知ってました? 

 

70年代のハードロックバンドの超有名曲の歌詞だって「フランク・ザッパとマザーズ見てたら、火事になったよ~、湖から煙がモクモク出てるよ~」ですよ。ただのルポルタージュ

 

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英語が分からなければ昔懐かしの王様でも聴いてください。