俺の記憶ストレージ Part 1&2

寂しさは琥珀となり密やかに輝き出す

サンダー Part6:米ブレイク寸前からの足踏み状態へ

30歳の新人バンドの 1st アルバムが21位にランクインし、ヒット状態のまま、フェス出演が決まります。それが1990年夏のモンスターズ・オブ・ロック。

 

 

今でこそ日本で夏フェスがそこらかしこでやってますが、この頃はフェスって言ったら欧米でやっているもので、例えば一番伝説的に語られているウッドストックとか。ワイト島フェスティバルとか。そしてハードロック界隈で有名だったフェスがモンスターズ・オブ・ロック。第1回はグラハム・ボネットの頃のレインボーがヘッドライナーってことでも有名だったフェスです。

 

個人的にはフェスに行くのはあまり好きじゃない。近くまで行かないと小さすぎて見えないし、ラグはすごいし、音楽を楽しむというよりは雰囲気を楽しむ感じ。そもそもセトリ自体も短いし、大定番曲中心の選曲ってのも面白みに欠けます。音楽をじっくり聴きたい派としては、フェスにそんなに魅力は感じない。でも、フェスの映像を見るのは好きなんですよ。すごい量の観衆だなぁと。フロントマンが大観衆を操っているシーンを見るのは爽快です。

 

例えばアイアン・メイデンのこんなシーンとか。

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さて、サンダーは1990年デビューですが、この年のモンスターズ・オブ・ロックのオープニング・アクトとして出演することになります。ヘッドライナーはホワイトスネイク。その他、エアロスミス、ポイズン、クワイアボーイズ。

 

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これは当時のポスターですが、写真にサンダーがいない・・・と思ったら、一番下の写真ってひょっとしてベン・マシューズ?

 

それで、ウッドストックまでのウォームアップギグと称して、出演の数日前からツアーを行っていました。プロ野球で言うとオープン戦みたいなものかな?

そのウォームアップギグの途中で、ツアーバスの運転手がエアコンをつけっぱなしにしたせいで、ダニーはなんと喉を潰してしまいます。

失意のテラプレインからドラスティックな方向転換を経て、30歳にしてようやくスターダムに上り詰める寸前までたどり着いてからの、最悪のアクシデント。

ダニーは本番まで声を出してはいけないと医者に言われて、ぶっつけ本番で挑むことになります。

 

1曲目は「She' So Fine」でした。ルークは8万人の大観客に背を向けてリフを弾きますが、その直後に割れんばかりの大歓声を受けます。自分たちの他に誰かビックな奴がステージに上がったのかと思って客の方を向いたら自分たちに向けられた歓声だとわかり驚いたそうです。自分はつい最近まで「全く無名の新人バンドが現れたけど、1曲目のすごい演奏で観客が盛り上がった」と思い込んでいたんですが、「実はアルバムもシングルもそこそこヒットしていたブレイク寸前の新人バンドのライブがようやく見れる」という感覚だったんじゃないかと思い直しました。

 

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そして、ダニーの一声目は、無問題と言ってもいい程の絶好調。本当に直前まで故障していたのか?と思うほど。

 

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「ハローチーム」という呼びかけで観客を操りだすダニー。 

 

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この日のヘッドライナーのホワイトスネイク/デヴィッド・カヴァーデイルのお得意の曲調を本家以上のパフォーマンスで圧倒するダニー。

 

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そして最後は「Dirty Love」。演奏前に客を煽りまくる。「セクシー・アンダー・ウェアァァ!!!」。マジ歌選手権か。歓声がもの凄い。

 

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※ 2013年リリースのCDにはボーナスDVDとして「Dirty Love」の演奏が転調前の箇所まで見ることが出来ます。

 

ライヴ・アット・ドニントン 1990&1992

ライヴ・アット・ドニントン 1990&1992

  • アーティスト:サンダー
  • 発売日: 2013/11/20
  • メディア: CD
 

 

サンダーのライブの上手さは、モンスターズ・オブ・ロックで知れ渡ったんじゃないかなと思います。

だけど、このバンド、別に派手なプレイがあるわけじゃないんですね。ヴァン・ヘイレンとかポール・ギルバートみたいなプレイは存在しない。そういえばサンダーのライブにはハードロックバンドにありがちな長尺ソロコーナーは存在しませんね。だけどライブの演奏時間は結構長いんです。ボーカルが引っ張るんですよね。このバンドはそういう意味で言うと、この界隈では珍しくボーカル主体のバンドだったとも言える。ダニーの驚異的な歌唱能力をガッシリとサポートするバンドだったと言っても良いんじゃないかなと。実際、メンバーみんな「俺が俺が」って人たちじゃない。多分そういう態度をとった人はクビになっている。スネイクとか。

このチームプレイを重視する「One For All」な感じが、ちょっと日本的でもあって、それで日本人気が高かった要因でもあった気がします。

 

この時のライブはBBCラジオでオンエアされていたようで、会場に向かうエアロスミスのメンバーが移動車の中でこのライブを聴いていて、ジョー・ペリーがゲフィンA&Rのジョン・カロドナーに「な、サンダーすごいだろ?」と言ったとか。エアロスミスはこの前年にサンダーが前座を務めていて、その時にエアロスミスのメンバーのお気に入りになって、契約すべきだと推していたようです。

さらにガンズ・アンド・ローゼズアクセル・ローズも「お気に入りのバンドだから契約したほうが良い」とゲフィンに進言していたとのこと。

 

そしてモンスターズ・オブ・ロックから1ヶ月後に米ゲフィンと契約するわけですね。もう完全に成功コースです。この当時のゲフィン所属のバンドはホワイトスネイクガンズ・アンド・ローゼズエアロスミス。ここにサンダーが加わったわけです。

 

ちなみにこの日のヘッドライナーはホワイトスネイクですが、全曲Youtubeで見ることが出来ます。

 

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この頃はスティーブ・ヴァイがいた頃ですね。個人技の応酬が過ぎる。最も自分の趣味に合わない時代。ホワイトスネイクはこの年の年末に一旦解散します。

 

エアロスミスの映像もありました。この時、ジミー・ペイジもゲストで出てたんですね。カヴァーデイル・ペイジはこの時に話が出たんですかね?

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そしてモンスターズ・オブ・ロック後、ランク圏外になっていた1stアルバムは再度チャートインします。そしてわずか一ヶ月後の1990年9月にジャケットをモンスターズ・オブ・ロックのものに差し替えた「She's So Fine」を再リリース。

 

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この後、アルバムのツアー第2弾を行い大盛況。イタリア、ベルギー、オランダ、フランス、ノルウェースウェーデンデンマーク、オランダ、ドイツ、そしてイギリスに戻り、ハマースミス・オデオン(ハマースミス・アポロ)の2Days。

 

翌年、1991年2月、英EMIから「Love Walked In」がリリース。これはヒットし、22位まで上がります。それにつられてアルバムも再度チャートイン。

 

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1991年3月にはついに米ゲフィンから「Dirty Love」がリリース。リリースから3ヶ月遅れでビルボードのHot100にランクインし、7/13の週にピークの55位をマーク。

 

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The Hot 100 Chart | Billboard

(ちなみに15位にはエクストリームの「More Than Words」が付けています)

  

4月にはアルバムカバーをアメリカ仕様に変更して「Backstreet Symphony」が発売。

 

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最高位は114位(6/29の週)。

 

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Billboard 200 Chart | Billboard

(この時の1位はスキッド・ロウの「Slave To The Grind」だったんですね)

 

米仕様ジャケットはまあ写真はカッコいいんだけど、好み的にはEMI盤の方が好きかな。EMI盤の方は「Very English」な感じがするので差し替えられたのでしょう。ちなみにやる気がなかったCapitolでもリリースされていたので、アメリカ市場では同じアルバムが2回リリースされていることになります。

 

「Dirty Love」と「BSS」の順位の推移はこんな感じ。

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「Dirty Love」のピークアウトを待ってたのか、1991年8月に米で「Until My Dying Day」をリリース。ただラジオ用にエディットされてしまいます。この頃、重要な3枚のアルバムがリリースされてます。ガンズの「Use Your Illusion」とメタリカのブラックアルバム、そしてまだ無名だったニルヴァーナの「Nevermind」。

 

10月には「Love Walked In」をリリースしますが、これもヒットせず。ちなみにこの曲はアクセル・ローズのお気に入りで、彼女とケンカした時にこの曲を流して和解したんだとか。

 

ただ、勢いに次第に陰りが見え始めます。 

1991年の夏に、デイヴ・リー・ロスと一緒にツアーをやるはずだったのに、土壇場で中止に。

 

スネイクはこの頃、一人だけロサンゼルスに住んでましたが、ドラッグ中毒になっていたようです。一応書きますが、この頃のハードロックバンドにありがちなクスリの噂はサンダーの場合、スネイク以外のメンバーにはありません。サンダーは大酒飲みではあるけどクリーンだったと、アンディ・テイラーが言ってましたし、ルークはインタビューで「音楽を長く続けるには健康でなければならない」と言ってます。最近のTwitterによると、このコロナ禍の中でもサイクリングに勤しんでいます。

 

ルーク・モーリー:誰もがいずれは死ぬけれど、やはり不摂生は身体に良くないね。ステイタス・クオーのリック・パーフィットが去年亡くなったけど(2014年12月24日、68歳)、彼を知っている人だったら誰も驚きはしなかったと思う。彼はとてつもないパーティー好きで、浴びるほど酒を飲んでいた。ギリギリの一線を乗り越えそうなライフスタイルだったんだ。俺はステイタス・クオーを聴いて育ったし、リックとは友達だったから、とても残念だったよ。ロバート・パーマーとはザ・パワー・ステーションのツアーで18ヶ月を一緒に過ごしたけど、彼もクレイジーだった。とんでもない量の酒を飲んで、タバコを吸ってコカインもやって…何でもアリだった。「健康な人生ほど惨めなものはない」って言ってたな。彼は54歳で亡くなったけど、それは彼自身の選択によるものだった(2003年9月26日、54歳)。彼らの生き方は批判しないけど、俺は健康でいることが好きなんだ。ライヴは重労働だから、ベストな状態でステージに上がりたい。さっきも1時間前までジムで運動してきたところだよ。どうせなら長生きしたいし、体力が続く限り音楽を続けていきたいからさ。

 

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後にスネイクは、バンドのムードを悪くするということで「悪貨は良貨を駆逐する」的な感じでクビになりますが、その遠因にはクスリ問題があったんじゃないかと思います。

 

そんな感じで順風満帆だったはずが、たった1年そこらで暗雲が立ち込めてきます。

 

それで、結局アメリカで一番ヒットしたのは「Dirty Love」で、ビルボード55位が最高位。これがアメリカでのサンダー唯一のヒット曲となり、アメリカでこれ以上ヒットすることはありませんでした。サンダーがアメリカでデビューした頃はLAメタル勢は既に下火になっていました。その一方でニルヴァーナ起爆剤になった新たなムーブメントが彼らを苦しめていきます。

 

続く。