俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

サンダー Part11:「Their Finest Hour (and a bit..)」

 

ゼア・ファイネスト・アワー

ゼア・ファイネスト・アワー

  • アーティスト:サンダー
  • 発売日: 2005/03/30
  • メディア: CD
 

 

1995年の1月にリリースした「Behind Close Doors」のその後のお話になります。自分の耳には傑作アルバムでしたが、作品の出来とレコード会社における評価はそう簡単に連動しないようです。「Behind Close Doors」はアメリカ市場にフィットさせるような作風にしたにも関わらず、アメリカでリリースされず仕舞い。マーケットで評価する機会すら与えられない。

 

1995年の2月の「River Of Pain」のシングル・カットも振るわず。4月には「Castle in the Sand」がさらにシングルカットされましたが、30位。「Love Walked In」直系のマイナーコードのバラードで良い出来なんですが・・。

 

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アメリカにおけるサンダーは、もうどうにもならないので、彼らも1993年頃から諦めの兆候があったのですが、イギリスにおいても状況は芳しくなくなってきます。「Behind Close Doors」はイギリスでも5位だったにも関わらず、EMIからは契約を終了を匂わせる兆候が現れます。

 

それがベストアルバムをリリースするという案件で、オリジナルアルバムの枚数が少ないバンドがベストアルバムをリリースするというのは要するに契約枚数を消化するために枚数を稼ぐという目的で行うことがよくあります。バンド側はEMI側のベストアルバムを出したいという話に対して即座に契約を切りたがってると勘付いたそうですが、当時のビジネス面を取り仕切っていたマルコム・マッケンジーはそんなことを微塵も感じてなかったらしく、この辺りの話や、アメリカでの失敗がこのあとのマルコム解雇につながっているようです。

 

この頃の音楽シーンはグランジブームにやや陰りが見え始め、代わりにUKからはブリットポップと言われるバンド(オアシス、ブラー等)、USだとメロコア勢(グリーン・デイオフスプリング等)が出てきた頃で、ハードロック勢にとって、まだまだ冬の時代が続きます。そんなこんなもあって、いかにもオールドスタイルなサンダーを売っているような自体ではない、とEMIが判断したとしてもおかしくはありません。悲しいけど。

 

ただ、サンダーとしては、グランジメロコアよりはザ・フーを頂点とするモッズの系譜に連なるブリットポップのブームにはそれほど嫌悪感はなかったように思います。サンダーはザ・フースモール・フェイセズのカバーもやっていたので。グランジは「River Of Pain」の元ネタになったくらいなので音楽的にはそこまで離れてなかったにせよ、サウンドガーデンに対しては公然と批判してました。「Preaching From a Chair」なんてアリス・イン・チェインズのメンバーの発言に腹立てて書いた曲。

 

さて、契約消化のためのベスト盤ですが、三曲の新録を加えてリリースされます。

 

一つ目がアルバムに先駆けてシングルカットされたパイソン・リー・ジャクソン featuring ロッド・スチュワートのカバー「In A Broken Dream」で英26位。

 

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オリジナルはこちら。なお、パイソン・リー・ジャクソンはバンド名でこの曲はロッド・スチュワートがゲストボーカルの曲で、1972年10月に英3位。

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二つ目がイーグルス的ウエストコーストな6/8カントリーバラードの「Once In A Lifetime」で、これもとても良い曲。某B誌には、「チークダンスにもってこいのスローバラード」という謎評価が書かれてましたが・・・。ソウルバラードならともかく、カントリーでチークダンスってするのかな?ここまでレイドバックした曲はこれまでなかったように思います。

 

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 最も注目すべきなのは新録の「Higher Ground’95」で、オリジナルはギターリフから入りますが、これはいきなりコーラスから入っていたり、ギターソロ後のユニゾンリフが無くなってたり、ブレイクもなくなっていたりと、ハードロック的な要素を徹底的に排除したソフティスケートされたアレンジになっていて、この曲のアレンジがこの後の解散までの路線の基本形になったんじゃないかと思えるくらい、重要で象徴的なアレンジです。

 

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サンダーの曲、特に最初の5枚はメロディ重視というか、殆どが別のアレンジにしても成立する曲になっていて、だからこそアコースティックバージョンが多種存在するんですが、つまり骨格はそのままでアレンジを変えれば、ハードロックスタイルからメインストリームスタイルに移行できるくらいのポテンシャルを秘めているはず。初期のハードロックを念頭に置いた「Higher Ground」のアレンジから脱却して、メインストリームを狙っていくよ、という主張が「Higher Ground’95」のアレンジに現れている気がします。個人的にはこのアレンジバージョンの方が好きなんですが、なぜかライブでこのアレンジでは一度もやってないと思われます。コーラス始まりが難しい。

そういえばプリプリの「世界でいちばん熱い夏 平成レコーディング」はコーラス始まりですが、これもリアレンジバージョンでしたね。プリプリは平成レコバージョンもライブでやってますが、結構大変そう。

 

この時期のルークのインタビューがあり、興味深いので引用します。

おもしろい統計があるんだけど、僕達はトップ40チャートに4枚のシングルを立て続けに送り込んだ'94年最初のバンドなんだ。現在に至るまでにシングルは13枚連続でトップ40に送り込んでるしね。これだけの成績を挙げているアーティストは、そうはいないと思うよ。僕達をチャートに押し上げているのはファンの力だ。ロケット化学じゃないんだ。だけど、「BBC」や「キャピトル・ラジオ」にはそんなのどうでもいいらしい。マスコミの受け止め方に対して僕達は常に戦っているし、イギリスの業界の中でも僕にとって一番欲求不満の元になっているのはそれだよ。


夏にBON JOVIとツアーをしたんだけど、最大限へりくだって言っても僕達は毎晩VAN HALENの息の根を止めていたんだぜ! 最近のBON JOVIの観客は非常に多岐にわたっている。中道をいく、主流派の観客なんだ。そこで毎晩大受けしたんだから、「まだ接していないかもしれないけれど、こっちから出向いていけば受け入れてくれる観客層があるんだ」と考えるようにもなるよ。だけど僕達はいっつも「ああTHUNDERね。MOTORHEADやIRON MAIDENと同じ山へ積み上げておけ」という扱いにぶつかるんだ。別にMOTORHEADやIRON MAIDENを見下してるんじゃないよ。でも、このバンドはそういうバンドじゃないんだよ。もっとちゃんとした評価を求めている、曲の書ける楽しいロックン・ロール・バンドなわけで、ヘヴィ・メタルじゃないんだ!

 

BURRN 1996年3月号より

 

ルークのこのスタンスは2000年の解散まで続きます。ただこのスタンスで行く時に足枷になるのがバンド名でして、MOTORHEADやIRON MAIDEN的なものと勘違いされるのはこのバンド名にあるわけです。2007年頃のダニーのインタビューではこんなことを言ってます。

 

ーなぜか日本では、サンダーはハード・ロック/ヘヴィ・メタル系メディアを中心に紹介されることがほとんどですが、あなた自身、サンダーの音楽が届くべきところに届いていないと感じることはありますか?

ダニー:そうだね。悲しいことだと思う。サンダーというバンド名もいい選択ではなかったかもしれない。こんな名前だから、教会に放火したり、動物を頭から丸かじりするような連中だと思われてるかも......。いや、実際にそう思う人たちもいるんだ(笑)。でも、本当はとてもノーマルな人間だよ。洗濯だって自分たちでやっている。教会には行かないかもしれないけど、全然暴力的じゃないしーいい人たちなんだよ〜。

 

ストレンジ・デイズ No.91 (2007年) より

 

ただ、ここで、テラプレインの時と同じようにサンダーという名前を変えてリスタートしていたらどうなったでしょうか。テラプレインは無名だったから新人バンドとして受け取られるけど、サンダーがバンド名を変えたとしても、ZIGGYSNAKE HIP SHAKESにしてからまたZIGGYに戻ったり、ハーレム・スキャーレムがラバーになってまたハーレム・スキャーレムに戻ったり、という事例があるので、結局またサンダーというバンド名に戻ったことでしょう。

 

そして、1995年の9月に「Their Finest Hour (And A Bit)」という自虐的なタイトルでベスト盤がリリースされ、これがサンダー在籍時のEMIでのラストリリースになります。

 

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時を戻そう。

 

1995年はサンダーにとっては激動の年でした。

 

5月にはSKINと一緒にツアーします。SKINというのは一時期サンダーに音楽性が似ていると言われていたバンドで、確かに「House Of Love」なんかはフリーの「All Right Now」感があるのでそう言われてもおかしくはない。

 

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6月には先程のインタビューにもあった、ボン・ジョヴィヴァン・ヘイレンとのUKツアー。ハイライトはシェフィールドのドン・ヴァレイ・スタジアムでのコンサートで、バンドとしてはノッている状態だったようで、ヴァン・ヘイレンのメンバーから呼び出しを食らって「お前ら良すぎるから今すぐヤメロ!」というパワハラ(もちろん冗談の中での話)を受けたり、ジョン・ボン・ジョヴィが近づいてきて「素晴らしかった」と言ったとか。ライブには定評があるので一緒にツアーしたくない、というバンドもいたとか。個人的にはこの頃のサミー・ヘイガー期のヴァン・ヘイレンが最高だと思っているので、そのバンドに褒められているというのが凄いなと。このライブの映像がないのが残念。ボン・ジョヴィはあるんですが。ヴァン・ヘイレンは俺らがボン・ジョヴィの前座なの?とブーたれてたとかそうでないとか。

 

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すごい観衆。

 

ただ、ライブは最高だったそうですが、「The Thrill Of It All」の伊藤政則氏のライナーノーツによると、マネージメントの問題で楽屋裏は重苦しい空気だったようです。

 

ちなみに、一緒にツアーしたSKINのメンバーはこのツアーの後、「サンダーのメンバーは人間的に最悪であんな人間にはなりたくない」などと猛烈なバッシングをします。一体何があったかは定かではありませんが、契約上で揉めていて雰囲気が悪かったのもあったんだろうか。ちなみにSKINのマイク・グレイの最近のインタビューを読むとダニーと交流があるようなので既に和解している可能性が高い。さらにマイクは「サンダーはずっと同じスタイルで飽きられる可能性がある、俺らは違うんだ」なんてことも言っていて、確かにSKINは残した3アルバムのテイストが全部違うけど、だからこそSKINとは何か?というアイデンティティが確立しないまま解散してしまった。ダニーがかつて、EXTREMEについて、「QUEENのようになりたくていろんなことやろうとしてるけど、まずはアイデンティティを確立してからやるべきじゃないかな?」なんて言ってたけど、サンダーはソフト路線にシフトチェンジする際もドラスティックにやるのではなく、まず既存曲のソフトアレンジから着手したわけです。

 

個人的な意見だけど、サンダーの場合、トラッドとトレンドのバランスでいうとトラッドの方が比率が高いけど、SKINはトレンドのバランスを高くしすぎて暴走した感があります。3rdの「Big Fat Slice of Life」なんかは日本オンリーで発売されましたが、それにしては日本市場を全く意識しないサウンドで、あまりにもオルタナへ行き過ぎたし、前作との継続性が無さすぎて、最初に聴いた時、今自分は何のバンド聴いてたんだっけ?と思ったくらい。曲の出来は悪くないんだけどね。結局「飽きられる」と批判されたサンダーは結成30周年を迎えて今も活動し、SKINは今はもうありません。マイク・グレイも最近になって「HOUSE OF LOVE」が重要な曲だったことに気づいたと言ってましたが。

 

 そして7月にマネージメントで旧友だったマルコム・マッケンジーは1995年7月に解雇されます。友達だったので辛かったそうですが、友達と仕事した場合、仕事で揉めると友達関係じゃなくなってしまうんですよね。これは日本でも普通の仕事でも同じことですね。

 

8月には来日公演を行いますが、実はこの後に解散することが決定していたようなんです(伊藤政則氏のライナーノーツ情報)。しかし、来日公演はソールドアウトで大盛況。

 

9月にイギリスに戻りさらに大盛況で、ここで解散を撤回します。撤回と言ってもオフィシャルにアナウンスはされていなかったので、内部的に決定した事項を取り消しただけですが。

 

ライブが大盛況で解散を取りやめたといえば、日本でもブランキー・ジェット・シティが野外ライブで解散が決まっていたのに取りやめた、ということがありましたが、奇しくも同じ1995年8月の出来事です。まあ、両者に接点は全くありませんが。

 

10月には再結成レインボーとのツアーが予定されてましたが、ビジネス上の問題がありキャンセル。

 

で、今度はベーシストのミカエル・ホグランドが脱退することになります。ただ、ミカエルの脱退は仲違いではなく、スウェーデンにいる奥さんに「私と仕事どっちを取るの?」的なことを言われて、家庭を取った、というお話。なので、実質的な脱退は1995年でしたが、形式上はPendingのまま1996年の8月に脱退が公表されました。

 

ということでレコード契約とベーシストがいない状態で1996年へ。解散は回避したものの、これから彼らはどうなってしまうのか。

 

続く。