俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

サンダー史 Part5:テラプレイン2nd「Moving Target」

サンダーのヒストリーは、何故か次々と障害が現れて、でもそれを何とか乗り越えてみたいなストーリーがあって、そういうのが判官贔屓な日本人の琴線に触れる感じがあって、それが狭い界隈ではあったけど日本で割と人気があったのかなと思わなくもない。

さて、その最初にして最大の障害がテラプレインのセカンドアルバム「Moving Target」である。これが問題作になったのは、まあなるべくしてなったのでは?と思わずにはいられない。

いわゆる黒歴史アルバムの類である。サブスクにもない。
ディスクユニオンでもこのアルバムはなぜか「メタル」のレア盤扱いだし(聴いたことないのだろう)、このアルバムについてこんなに書いてる記事はここ以外にないだろうなと思う。


Moving Target

Moving Target

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エピック側はテラプレインを「ハードな曲も演奏するポップなバンド」だと思っていて、テラプレイン側は「ポップな曲も演るロックバンド」と思っていました。軸足を何処に置くか、という問題だが、そもそもその頃のエピックは前者のようなバンドがほとんど。


エピックにその頃所属していたのはワム!だが、ひょっとすると、テラプレインをワム!の代わりにしたかったのではないかと思わずにはいられない。1985年にテラプレインの1stアルバムがリリースされたが、翌年ワム!アパルトヘイトを理由に解散してしまう。それで、次なるワム!を作らねば、とエピック側がテラプレインの2ndをポップ路線になるように誘導したのではないか、という気がしてならない。なぜなら、1984年頃のテラプレインのCDジャケットは、こんな感じでバンドを押し出していた。
(これはダサい・・・なんとなく聖闘士星矢を思い出すのは自分だけ?)

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これが、黒人ギタリストであるルディ・リヴィエラが入った途端に、こんなジャケットになる。

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ダニーとルークなら分かるが、後からレコード会社のゴリ押しでエクスキューズのように加入したルディがなぜジャケ写に載るんだろう?もう完全にアパルトヘイトへのポリコレ対策にしか思えない。
そもそもこれだと2人ユニットに見えてしまう。ホール&オーツとか、ワム!とか。うーん、やはり第2のワム!を作りたかったんじゃないか?と思わずにはいられない。

こんな感じで。(Wham! / Freedom)

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エピックは、おそらくダニーをジョージ・マイケルにしたかったのでは?歌も上手いし見た目も良いし。 

ワム云々は確証があるわけじゃなくて私の予想ではあるが、ポップ路線へシフトチェンジするために、エピックはカルチャー・クラブの「カーマは気まぐれ」の作曲者のフィル・ピケットという人をプロデューサーとして召喚する。

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私はこの頃小学生なのでカルチャークラブは微妙に知らない。今は流石にこの曲くらいは知っているが、昔は「カーマは気まぐれ」と言われてもピンとこなかった。80'sのポップソングは現代での再評価もあまりされてないので耳に届きにくい。「A-ha」「オリビア・ニュートン・ジョン」とかレンタルCDによく行っていたから名前は知っているが手に取ることはなかった。今はYouTubeがあるので気軽に聴けるが、当時は少ないリソースをわざわざそのあたりの音楽に割くことはなかったのである。


そのフィル・ピケットとルークが共作したりと、今だとなかなか不思議なコラボレーション。ただ、ルーク自身も失敗作だったとはいえ、フィルからは学んだことも多いとのこと。


リリース履歴としては、1987年1月にシングル「If That's What It Takes」のリリース。
実はこの曲はロックでこそないが全然悪い曲じゃない。1stは性急な感じがしたけど、こっちはテラプレイン本来のリズムが生きている感じがする。
再結成後のサンダーが忘れてしまったとしか思えないフックのあるサビメロも良い感じである。
ルークもこれが一番良いという自己評価。アレンジ変えたら普通にサンダーの曲でありそう。
4thアルバムあたりに。

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なおこの曲には、19th Nervous Breakdown Mix というこの時代ならではのオリジナルよりも遥かにしょうもないアレンジのバージョンも存在する。


半年後の1987年7月にシングル「Good Thing Going」がリリースされるが、これも悪い曲ではない。
メディアからボロクソに言われた曲だが、B.J.トーマスを80s風にした感じのなかなか良い曲。
山下達郎の「永遠のフルムーン」にたメロディが出てくるし。
アメリカのファミリー向けドラマのオープニングに使われそうなポップなAORである。

これのエクステンドバージョンも作られてて、ダニーは「一体この曲の何をエクステンドする必要があんねん」とセルフツッコミしていた。

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翌月1987年8月にシングルの「Moving Target」のリリースがある。これは曲としてはまあまあの出来。
80'sのクイーンをトレヴァー・ホーンがアレンジしたみたいな曲。

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1987年9月に満を持して2ndアルバム「Moving Target」がリリース。(3ヶ月連続のリリース)

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間が空いて、1988年の2月にシングル「If That's What It Takes」のリイシューがあり、これがテラプレインとしての最後の公式リリース。

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この一連の作品群、売れ線を狙って作ったはずが、これがかなりの不評で、人気は急降下。テラプレインは坂道を転げ落ちる。1stは日本でもリリースされたのに、2ndアルバムは見送られた模様。


この頃には長かった髪を全員短くされて、服装もスタイリッシュにされた。まあファッションに関してはこっちの方が良いとは思う。ちなみに2020年になると、サンダーのメンバーはルーク以外はショートヘア。ハリーはサンダー加入時からずっとスキンヘッド。ダニーは1996年ごろにショートへ。クリスは加入後すぐにショートへ。ベンも近年ショートへ。


政治的に加入させられた疑惑のある黒人ギタリストのルディも、本当はテラプレインよりもさらにメタル寄りのギタリストなので、この路線大変だったように思う。パッと見、この路線にピッタリのギタリストに見えてしまうんだけど、実はそうでもない。
真偽は定かじゃないが、ルディはこのアルバムでは弾いていないという噂もある。だとすれば、ルディがアルバムで弾いたのは1stの「Talking To Myself」だけということになるし、シングルバージョンの「Talking To Myself」は、エンディングのルディのギターソロはバッサリカットされているわけで、音楽的な貢献はほとんどない。
どう考えてもレコード会社に利用されたとしか思えない。


だいたいこういうポップなアルバムは、ジョージ・マイケルボーイ・ジョージ、デヴィッド・シルビアン、サイモン・ル・ボンなどなど、みんな声が軽やかだが、ダニエル・ボウズは暑苦しい。ブルージーでマッシブな声と、軽いポップスが合うのかと言われたら、まあそんなに合わない。上手いことは上手いだが合ってないような気もする。実はルークが歌った方が合っているのかもしれない。

また、サウンドもかなり時代を感じる。いかにも80'sなゲートリバーブ全開のサウンド。まあ、この時代にゲートリバーブ使ってなかったのはほとんどいないのでしょうがない。

アレンジとサウンドはそんなに良くはないけど、曲自体はそんなに悪くない。エルヴィス・コステロの「Goodbye Cruel World」にも通じる話だが、時代と寝たサウンドのせいで台無しになっちゃったけど、曲自体は悪くない。

「Promised Land」だって、ボウズ&モーリーでやってもおかしくないくらいの鈴木雅之の雰囲気。

「Hostage to Fortune」はホワイトスネイクの「Here I Go Again」のリメイク版にちょっと似てる。時期的に同じだが、ルークは作曲に絡んでない曲。80'sサウンドと一括りにされがちだけど、この頃は割と年単位でサウンドのトレンドに変化がある。これは'86〜'87特有のサウンド

「Heartburn」みたいにガチでしょーもない駄曲もある。

ただ、今自分はこのアルバムの再評価みたいなことを書いているが、1997年にCD化されて初めて聴いた時はこんな感想ではなかった。
「甘ったるいわー、なにこれ?本人たちの言う通りイマイチなアルバムだなぁ」なんてことを思っていた。今はAORも普通に聴けるようになって、ようやくこれが受け入れられるようになった。


エピックが悪者にされがちなこのアルバムだが、そもそも既に大人のテラプレイン側も合意して作ったアルバムだし、ルーク本人も自分で決めて自分で作ったから自分の責任、と言っている。ルークのこういうところは好感が持てる。実際のところ、エピック側もテラプレインに対しては決して消極的だったわけではなく、1stでも何枚もシングル切っているし、2ndも3枚シングル切ってるわけで、頑張って売ろうとしていた。ただ、バンドへの理解が足りないとか、安直で強引な変更が何をもたらすかがわかってなかった、ということだろう。

これ以降、ルークとダニーはレコード会社の言うことをあまり聞かなくなるが、これには当然功罪あるわけだが、功としてはサンダーデビュー直後は、この時の反省が生かされる。


 1987年に再度レディングフェスティバルに出演するが、観客の反応はイマイチ。ダイレクトに客のリアクションを聴いたテラプレインは落ち込んだことは想像に難くない。

この頃彼らは27〜28歳くらいで、そこそこいい年齢である。B'zだと松本孝弘がそろそろ自分のバンドで独り立ちしないと、などと思うような年頃である(そういえば年齢も近い)。

1987年頃はちょうどボン・ジョヴィホワイトスネイクエアロスミスが復活して大ヒットしたりとか、ガンズ・アンド・ローゼズのデビューとか、モトリー・クルー等のLAメタル勢がブレイク。そんな彼らを横目に、トレンドを追った挙句にトレンドから転がり落ちるテラプレイン。一体彼らはどこへ向かうのか。

88年にルークとダニーは市場調査のためにアメリカに旅立つ。そこで彼らはある決断をすることになるのである。

一応、後年になりこのアルバムについて話しているインタビューもあるので引用する。

BURRN増刊メタリオン2001年5月号よりルークのインタビュー。

TERRAPLANEはもう1枚「MOVING TARGET」(1987年)を出したけど、アルバムとしては最低だね!いろいろ勉強になったよ。アルバム作りの時は、周りの人間を有用しちゃいけないってことも判ったし。プロデューサーのフィル・ピケットはいい人だったけど、僕達の音楽を理解していなかった。なのに愚かにも僕達は彼にアルバムを作らせてしまったから、酷く甘ったるいアルバムに仕上がってしまったんだ。フィル・ピケットはCULTURE CLUBの“Karma Chameleon"を書いた優秀なソングライターだけど、僕達を手掛けるべき人ではなかった。完璧な失敗だったね。このバンドらしさはまるで出ていなかった。
他人のアルバムに参加しているような気分だったし、20枚ぐらいしか売れなかったのがそれを証明しているよ!(笑)でも、THUNDERを始めるためには、これで怒って気持を奮い起こす必要があったんだ。これのおかげで、自分達が本当にやりたいのはこんなのじゃなくて、LED ZEPPELIN や FREE のようなブルーズ・ベースのブリティッシュ・ロックだと判ったし、こういうものはもう二度と作るまいと心に誓った。そしてそれが、THUNDERを結成する目的とエネルギーを与えてくれたのさ。

次回に続く。