俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

サンダー史 Part4:テラプレイン1st「Black And White」

前回書いた通り、1981年に3つのバンド、ナッシン・ファンシーとムーン・ティア、ホワイト・ノイズからメンバーを選抜してテラプレインが結成された。内情は引き抜き・強奪に近いものがあったようでルークがかなり悪者になったようだ。

ラインナップとしては

ダニエル・ボウズ(Vo)ex. ナッシン・ファンシー
ルーク・モーリー(Gt)ex. ナッシン・ファンシー
ニック・リンデン(B)ex. ホワイト・ノイズ
ゲイリー・ジェイムズ(Dr)ex. ムーン・ティア

である。


ちなみにテラプレインというバンド名は車の名前から取られたが、ロバート・ジョンソンの曲に「テラプレイン・ブルース」というのがあり、ここから20年後にサンダーが「ロバート・ジョンソンズ・トゥームストーン(墓石)」という曲をリリースするのは、意味深。


75%がサンダーのメンバーだが、その後、サンダーに至るまで何故かベーシストはなかなか固定出来なかった。
サンダーの初期はマーク・スネイク・ラックハースト、その後は元グレイト・キング・ラットのミカエル・ホグランド。
テラプレイン結成から16年の時を経て、ようやく1997年にようやく今のメンバーのクリス・チャイルズになり、固定できた。
個人的な趣味で言うと、R&Bの素養があるクリスが一番好みのベーシストである。  


テラプレインとして再編成してからは、なかなか精力的なリリースを行っている。
1983〜1985年までで、シングルは6枚という大シングル攻勢である。


とっぱじめは1983年、独立レーベル City Records から「I Survive」がリリース。これが記念すべき処女作。
まあインディーズなので、インディーっぽい音がする(要は音が悪い)。

ルーク・モーリー談:

「俺にとって、この曲はかなり“サンダーっぽい”よ」 とモーリーは言う。「キャッチーなポップ・ロックの曲だし、サビも大きくてエネルギッシュだ。今でも気に入ってる。」

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その後、メジャーレーベルであるエピック(CBS)と契約し、1984年12月に「I Can't Live Without Your Love」をリリース。メジャーでのデビューシングルがこれになる。曲のイントロはザ・フーの「Won't Get Fooled Again」がちょっと拝借したと言っていたが、言われてみれば、である。そういえば、ドラムの入り方はいかにもハリー・ジェイムズ(キース・ムーンへのリスペクトが感じられる)だし、イントロは「Backstreet Symphony」にも似ている。ただキーボードの音色はいかにも80’s中盤っぽい。

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1985年3月にエピックからの要請で「I Survive」をリレコしてリリース。
一般的に聴ける音源はほとんどがこれである。
単にリレコしただけではなく、アレンジも大幅に変わっている。2コーラス後のリフのパートはこのバージョン用に作られた。

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1985年7月に「When You're Hot」をリリース。これまたかなりポップな曲である。

「録音はエンジェル・スタジオで行ったんだけど、リアムはこれをライブっぽく聞かせたかったらしくて、ハリー(ドラマー)の背後にPAシステムをセットアップして、そこからサンプルを鳴らしてたんだ。これがまたややこしくてな……演奏しながら首を吊りたくなるレベルだったよ。」

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1985年10月に「Talking to Myself」がリリースされる。ここで初めて壮大なバラード。
アルバムは置いておいて、とりあえずシングルリリースを連発している。
この曲はエピックがパワープッシュという名のゴリ押し、たとえば子供番組にテラプレインを出したりとかなり頑張ったのだが、どうにも売れなかった。
個人的にはこの壮大なクイーンのようなバラード大好きである。ダニエル・ボウズの歌のうまさが際立つ。ダニーって本当に歌が上手い。ハードロックなジャンルでいうと、ダニーと競えるボーカリストは極僅か。ポール・ロジャースか、ロニー・ジェイムズ・ディオエリック・マーティングレン・ヒューズくらいしかいないだろう。デヴィッド・カヴァデールは嫌いではないが、彼より全然上手い。


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そして、満を持してアルバム「Black And White」をリリースしたのが1986年1月でデビューから約3年後。

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この時代、メジャーなロック・シーンの動向だとマイケル・ジャクソンの大ブレイク、ヴァン・ヘイレンの「1984」とか、デフ・レパードの「炎のターゲット」、イエスの「ロンリー・ハート」、ポリス解散etc...といったところ。

先行してリリースされた音楽性と全く同じ路線。
ハード・ポップ、パワー・ポップみたいな路線。ナッシン・ファンシーの頃よりはメロディに重きが置かれた感じで、UK版のチープ・トリックみたいなノリ。あるいはスウィートとか。スクイーズとかルビナーズよりはもっとハードな感じ。

本当はそっちの系統が好きな人が聴くべきアルバムだが、もちろん後にサンダーになったバンドなので、やっぱりハードロック、メタル好きの人にしか届いてない。カテゴリもヘヴィ・メタルに入れられてしまうのである。ただ、2ndのコンテンポラリー路線がヘヴィ・メタルなら、パーシー・フェイスヘヴィ・メタルになってしまうのでは・・・?
純粋なBURRNの読者なんかはこれを聴いても「ポップすぎるんじゃない?」みたいな感想しか持たないのではないだろうか。

Discogsに当時の日本盤ジャケの帯の写真があるが、そこには「熱き英国のハード・ポップ・バンド、テラプレイン、デビュー。」と書いてある。やはりハード・ポップ扱い。

https://img.discogs.com/0Ve3t_O-SMeBOfkBLX2M6PCn6kY=/fit-in/300x300/filters:strip_icc():format(jpeg):mode_rgb():quality(40)/discogs-images/R-11998404-1527031574-6190.jpeg.jpg


人脈もあまりハードロック寄りじゃない。レディングフェスこそ、ハードロックバンドに囲まれてたが(とはいえ、デイヴ・エドモンズとかもいたけど)、「I'm The One」に参加しているのは元スクイーズのジュールズ・ホランドだっし、最後の曲がストリングス・アレンジ全開の「Couldn't Handle The Tears」って曲だが、これのアレンジがデヴィッド・ベッドフォードという人で、エルヴィス・コステロの「パンチ・ザ・クロック」のストリングス・アレンジを手掛けた人。アディショナル・ボーカルは、ルビー・ターナーというR&B界隈の人(よく知らないが、ジュールズ・ホランドと仕事をしているひとなので、その繋がりで呼ばれたんだと思われる)。

プロデューサーのリアム・ヘンシャルはカルチャー・クラブ界隈の人。
CBSレコードのボスはスティーブ・ウィンウッドの弟のマフ・ウィンウッドで、スペンサー・ディヴィス・グループのベーシスト。後にサンダーで「Gimme Some Lovin'」をカバーするので不思議な縁だなという気がする。

サンダーのデビューに一枚噛んでいるアンディ・テイラーも元デュラン・デュランだったりと、どっちかというとサンダーは、メインストリームなロック・ポップ人脈。

サンダーのデビュー直後はホワイトスネイクと比べられたりしたが、この時点でパープル・ファミリー的な影は一切なかった模様。
今もパープルファミリーとはそれほど深く絡んでいるわけではない。パープルのカバーはするし、グレン・ヒューズあたりとは絡んでいたはず(そもそもグレン自体、ゲストボーカルで呼ばれることが多い人)だが、結びつきは全然強くない。リッチー・ブラックモアはサンダーすら知らないのではないだろうか?

パープル史観に染まった人が書くサンダーのバイオグラフィーは、「カヴァーデイルがルークをギタリストとして誘ってダニーと大喧嘩」の話を大きくしがちで、さらにそれが解散の遠因であるかのような書き方をすることがあるが、完全なるデマ。

そんな話は長いサンダーの歴史からするとあまりにも小さい話であって、殊更に強調する話でもなく、にも関わらず何度もこの話をするというのはつまりパープルファミリー史観だからである。
どこの評論家とは言わないが、サンダーのインタビューなのにいちいちデヴィッド・カヴァデールのことを聞かないでほしい。そんなものこちらは望んでないのである。


自分はこのアルバムのリリース当時は、小学生だったのでリアルタイムで聴いたわけじゃない。たとえリアルタイムでだったとしてもマニアックすぎて聴いてなかったと思う。

初めてこのアルバムを聴いたのは1997年にリイシューされた時だった。リリースのタイミングでローカルなCDショップに走ったが1stと2ndの各1枚ずつしか入荷されてなかった。あぶないあぶない、と思いながら購入。自分は昔から雑食なので、これを聴いて「割と良いじゃん」と思ったが、多くの人は「?」だったのではないかな。特に2nd。

1stは今の耳で聴くと、メロディやコード進行は通用しそうだが、アレンジやサウンドがやはり80’sという感じがする。
ただ、これを書くと怒られそうだが2000年代以降のサンダーはサビメロのフックに乏しい曲が多いので、そういう意味ではこの頃のサビメロを思い出して頂けると、という思いもある。

「Black And White」は、UKチャートで1週間だけ74位にチャートイン。知る人ぞ知る作品だろう。

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個人的に好きなのは、1曲目の「DON'T WALK AWAY」。
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この頃のライブがつい最近公開されたが、結構ハードめな演奏で驚いた。ライブだとサンダー時代と変わらないくらいの激しさ。このサウンドのままでアルバム作っていたら、流れはちょっと変わっていたかもしれない。

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ツインギターなので後から入ったルディ・リヴィエラも弾いている模様。「Black And White」では1曲しか弾いてないが、ここではスタジオ音源にはないピッキングハーモニクスとアーミングみたいな派手なプレイでなかなか上手い。速弾きこそ若干控えめではあるが。
ハリーのキース・ムーンみたいなドタバタしたフィルインはこの頃から健在。


2ndの曲はともかく、この頃の曲はサンダーでセルフカバーしても良さそうだが、自分の知る限り、テラプレインの曲をサンダーでやったことはなく、完全封印している。ただ、ルークはこの頃の曲は結構気に入っている様子である。

なお、ルークはアルバムについてこんなことも言っている。

「デビューアルバムで一番不満だったのは、プロデューサーのリアム・ヘンシャルが、すべての曲をめちゃくちゃ速く演奏させたことだよ。聴いてるだけで息切れしそうになるんだ。」

確かにサンダーにあったグルーヴ感はこのアルバムにはあまりなくて、ほとんどがスクエアな8ビートである。
まあそのあたりは80年代っぽいといえばそれまでだが。
似た印象の曲が続くなぁという感想になるのはそのせいだろう。


ところで、このアルバムリリース前に加入した黒人ギタリストであるルディ・リヴィエラだが、この経緯がなかなか謎で、レコード会社の政治的な思惑、大人の事情が動いた感がある。

もともとは、インディーズから「I Survive」をリリース後、ツインギターが必要だと思ったルークは友人のトニー・マイヤーズに声をかける。このトニー・マイヤーズは後にルークのソロアルバムにも参加し、日本公演にも帯同した黒人ギタリストである。

テラプレインはCBSの子レーベルのエピックでデビューが決まりかけていたが、それはトニー・マイヤーズ(ルークのソロに参加した旧知のギタリスト)というギタリストが入る前提でのもの。しかし、トニーは自分のバンドがあったので結局テラプレインに参加しなかった。
そのため契約が破談しかけたところ、CBSからはバンドに黒人のギタリストを入れたら契約してやる、という謎の指定があり、バンド側は困惑した、みたいな話だったようだ。CBSとしては黒人ギタリストありきが絶対条件だった。

バンド側としては、人種に依らず優秀な人を入れたいという思いがあったようだが、結局、1985年のレコードデビュー直前にルディ・リヴィエラという黒人ギタリストが加入することになる。ただ、この人は正規メンバーであるにも関わらず、メンバーもその後彼について言及することはほとんどない。政治的な理由で一時期共にしたサポートメンバー、みたいな位置だったのかもしれない。一応、優秀なメンバーを選んだのであって黒人だから選んだわけじゃない、とメンバーは言うが、レコード会社的には黒人であることが絶対条件だったのである。

そして、なぜCBSがこの時、「黒人」ギタリストを入れろと言ってきたのか?だが、おそらくワム!の解散話が絡んでいる。ここからは邪推というか推測なのでこれに言及した文献があるわけではない。そもそもテラプレインについて書いた文章自体少ないので完全な推測だが、当時の南アフリカアパルトヘイトで多くのミュージシャンに非難を浴びていた。幼心に覚えているが、当時日本でも上田正樹アパルトヘイトに抗議してコンサートやってたニュースを見た記憶がある。

ワム!も当時、CBS/エピック所属だったが、CBSの親会社であるソニー南アフリカと懇意にしていたことに抗議し、ワム!は解散(ただし解散自体は1986年)した。

ちょうど、このメンバーが加入した時期は、「サン・シティ」という反アパルトヘイトの楽曲が世に出た頃。

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つまりCBS/エピックの「メンバーに黒人を入れろ」という謎の指定は今風に言うとポリコレ対策。
アパルトヘイト自体は決して支持してないよ、というCBS/エピック側のポーズにテラプレインが使われたのではないかというのが自分の推測。

この論の裏付けとしてはもう一つネタがある。

1stアルバムのタイトルはもともと「Talking To You On The Great White Telephone」だったがこれが「Black And White」に変更されたのである。
1982年にポール・マッカートニースティーヴィー・ワンダーの曲に「エボニー・アンド・アイボリー」があるが、これはご存じの通り、ピアノの鍵盤をメタファーに人種間の融合を歌った曲である。
「Black And White」はより直接的だが意図的には似たようなものを感じる。
この変更がメンバーによるものかレコード会社の意図なのかは定かではないが後者の可能性も大いにあるだろう。
「Black And White」という曲自体は確かにあるが影が薄い曲でなぜわざわざこれをアルバムタイトルにしたのか疑問が残るが、レコード会社の指定だと思えば合点がいく。


なお、ルークとダニーはアイズレー・ブラザーズスティーヴィー・ワンダーのファンでもあるため、そもそも黒人音楽にも造詣が深い人たちである。別に外向けにアピールしなくても良いんじゃないかという気持ちもあっただろう。
なので彼らもアル・マッケイとかアーニー・アイズレーとか、そういう系統のギタリストを想定していたと思うのだが、実はまったくそっち系のギタリストではないんですね。テラプレインに入る前は「ドラゴンフライ」という、「サンダー」以上にメタルっぽいバンド名のバンドでギター&ボーカルを担当していた。

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なんとその時の映像が残っている。
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ギターとボーカルってことはおそらくルディがリーダーなんだろうなという気がする。
完全にNWOBHM直系のバンドで、ラーズ・ウルリッヒ辺りが好んで聴いていそうなサウンド
メタリカだと「キル・エム・オール」の「Metal Militia」っぽい曲。
面白いことに、テラプレイン以上にハードな白人音楽をやっていた黒人ギタリストを連れてきた、ということになる。

 
海を超えた日本でも同じEPICソニー所属だったTMネットワーク木根尚登が謎のメンバーとして写っていたりいなかったりといろいろとあったようで、まあこの時代のEPICならではの謎の現象、ということにしておいても良いのかも。

そして、次のアルバムでテラプレインは坂道を転がり落ちていくことになる。


一応、後年になりこのアルバムについて話しているインタビューもあるので引用する。

BURRN1997年4月号。リイシューに触れたインタビュー。

THUNDERの現在、そして未来を語ってもらったところで、彼らの過去についても訊いてみたい。日本でTERRAPLANEの2枚のアルバムがCD化されることについて、元TERRAPLANEのメンバーだったルークはどう考えているだろうか?


「バカ野郎ども、出すんだったら今頃じゃなくて、10年前に出せよな!(笑)…当時の俺たちは若くて純粋だった。だから、周囲の言うことに耳を貸し過ぎたんだ。だから特に2ndはポップな出来になってしまった。でも、1 stにはTHUNDERのルーツになる部分もあるし、THUNDERのファンだったら気に入る部分もあるんじゃないかな」


実はベンもTERRAPLANEのメンバーだった。「バンドの最後の2回のライヴだけだけどね!」(笑)そこにルークが「TERRAPLANEが解散したのはベンのせいなんだ。もしこいつが入ってこなかったら、今でも活動してるぜ」と突っ込む。

「TERRAPLANEは俺の先輩みたいなものだったから、メジャーと契約した時は羨ましく思ったね。もし難癖を付けるとしたら、ダニーのヴォーカルを100%フイーチュアしていなかったことだろう。せっかく最高のシンガーがいるのに、勿体ないって思ってた。その欠点はTHUNDERでは軌道修正されてるよ」

BURRN増刊メタリオン2001年5月号より。

ルーク : TERRAPLANEの「BLACK AND WHITE」(1986年)からだね。随分と前の話だから、語るのは難しいな。でも、初めて作ったアルバムだったから凄くエキサイティングだった。皆、若くて経験もなかったから、今聴いてみると総て速くプレイし過ぎた感じがする。未熟だったんだな。とはいうものの、結構イカした曲もいくつかある。45分間全力疾走してるって感じだな。若さゆえの情熱とでも言おうか。プロデューサーとしてはイギリスっぽい、パンクっぽいエッチを効かせたかったのかもしれないけど、パンクの好きなメンバーなんて誰もいなかったんだから、意味ないよね。