俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

シティ・ポップと呼んだらダメですか

(別に吊るし上げようとか晒そうとか言う気はないので、アカウントは伏せる)


あ、後から名前を付けたらアカンのですか・・・!?

要するに、いわゆる「80年代のシティ・ポップ」は当時シティ・ポップとは呼んでいなかったから、それが歴史の捏造だと言っているのだけれど、後から名前が付くことなんてたくさんあるでしょう?

そもそも、レスが付いた記事は以下だけれど、
reminder.top

元記事は当時からシティ・ポップという言葉がある、なんて主張をしているわけではなく、むしろその逆で、

邦楽も、もっぱら入れるのは、佐野元春大滝詠一ユーミン南佳孝山下達郎らポップス勢(当時はシティポップと呼んでなかった気がする)ばかり。松田聖子中森明菜アイドルソングを納めたテープは、部屋の奥深くに隠された。

と書いてあるので、果たして読んでいるのかな?と疑問は残る。

この辺の音楽は自分の世代より少し上だけれど、まあ確かに「ニューミュージック」ですよね、当時の言葉としては。
今の感覚でニューミュージックって言われると松山千春とかアリスとか思い浮かぶので、また違う意味合いに捉えられているような気がします。

それが、後年「シティ・ポップ」という概念で再定義され、別にそれで良いんじゃないかと思うんだけど、だめですかね。

後から名前つくものが捏造になるならいろんなものが捏造になってしまうわけで。

フリー・ソウル、レア・グルーヴなんかも完全に後付ですけどダメなんでしょうか?
ドイツのバンド、ハロウィンなんかは昔ジャーマン・メタルって言われてましたけど、最近ではメロスピ
パンテラモダン・ヘヴィネスって呼ばれてましたけど、今はラウド・ロックの類?

アナログ盤、アナログレコードとも言ってなかった。LPとかレコードって言ってましたね。
CDが出てきてからアナログ盤と言い出したのであって。

音楽に限らない枠で言うと、ガラケーなんてのはスマホが出てから出来た言葉。
スマホ、というか iPhone に比べて、日本独自の規格の既存の携帯電話を揶揄して「ガラパゴス・ケータイ」、これを略してガラケー
スマホ以前はケータイって呼んでましたね。だからって、ケータイって呼んじゃうと、スマホのこと言ってるんだかそれ以前の端末を呼んでいるのか分からないからガラケーと呼ぶ。

バブル景気もそうで、バブル景気の頃に「バブル最高!」なんて言う人はいなかったわけで・・・。
景気が泡のようにハジけたからバブルなので。
「バブル景気の発端は、1985年のプラザ合意に始まったとされている」なんてフレーズはおかしいですか?

太平洋戦争だって「大東亜戦争」と呼ばれていたし、第一次世界大戦の頃は、まさか第二次があると思ってないから単に「大戦争」「世界大戦」「欧州大戦」と呼ばれていたらしいですよ!


それと、ツイートにあった、シティポップが海外の概念って話も個人的にはかなり疑問ですね。シティ・ポップが海外で人気って言われ出したの割と最近、2010年代後半ですよね。

自分は2017年に書いてるのでその頃かな?
shintaness.hatenablog.com

2016年にはスチュワート・ゼンダーがYoutube山下達郎がレコメンドされてきて気に入った、と書いている。このあたりから兆候があったっぽい。
shintaness.hatenablog.com

その数年前にはceroやらSuchimosがネオ・シティポップの括りで日本のメディアで紹介されていたわけです。

当時、ネオ・シティポップの旗手だったのが、cero で、Obsucure Ride は一番最初に出てくるアルバム。SMAP解散前はスマスマにも出てましたよね。このアルバムは2015年。

Obscure Ride 【初回限定盤】

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  • アーティスト:cero
  • Kakubarhythm
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それからCMで人気がでた Suchmos。「Stay Tune」は2016年。

当時、Suchmosの登場で、ネオ・シティポップの旗手はSuchmosに移った感がありました。

Awesome City Clubは「勿忘」でブレイクして、テレビでたくさん見るようになって驚きですが、当時の彼らもネオ・シティポップの括りで一般的には知られておらず、ネオ・シティポップ好きには好んで聴かれていた割とマニアックな存在。
あと、Yogee New Wave、Lucky Tapes、Nulbarich、never young beach、Shiggy Jr.(解散してしまった)などなどが、ネオ・シティポップの括り。
Official髭男dism も、音楽的にはネオ・シティポップだし、デビュー時はそうやって紹介しているのもあったけど、こちらはあっという間にスターダムになり、「Pretender」が大ヒット。
まあ、他のネオ系よりは大分分かりやすいのでヒットするのも分かる。娘の幼稚園の頃には「HELLO」がお遊戯の曲になる(笑)くらいのスターダム。

当たり前だけど、「ネオ」と付くからには、ネオではないシティ・ポップがこの前にあったわけです。

で、2010年代後半あたりから、海外で竹内まりやの「プラスティック・ラブ」とか、松原みきの「真夜中のドア〜stay with me」など「ネオ」ではない方のシティ・ポップが流行りだして、それに乗じて日本人が騒ぎ出したわけ。

「プラスティック・ラブ」はちょっと分からないが2018年末のサンデー・ソングブックの夫婦放談ではYoutubeでバズっていることを話題に出しているから、その直前くらいかな?

「真夜中のドア」がニュースになった一番最初は2020年の11月。
松原みき、リリースから40年経ち「真夜中のドア/stay with me」が世界47ヵ国でTOP10入り! | PONY CANYON NEWS – ポニーキャニオン

昭和歌謡、なのでちょっとレンジは広いけど、2016年のドキュメント72時間では、ディスクユニオン昭和歌謡館が取り上げられて、僕は興味深く見てました。
amass.jp

このあたりが発端で、2023年の2月にはとうとうNHKあさイチでシティポップ特集。

「海外で日本のシティ・ポップが大人気ですぞーー」と。

「海外が認めた」とか言うと箔がついたみたいな感じになる人がいますが、海外の人だって普通の音楽ファンですからね。そんな有難がらなくても良いのに。
ただ、海外が出てくるとソワソワしてしまうのが日本人なので、そこから逆輸入して軽くブームになった感は否めません。
もうマニアだけが聴いてる音楽じゃなくなってしまったのが今のシティ・ポップ
この前、スナックに連れて行かれたら、隣の人が「真夜中のドア〜stay with me」を歌いだしてビックリ。ここまで広まっているのかと。
見る人に依っては、海外発に見えてしまうのかもしれない。


ただ、そうやってメディアでシティ・ポップが取り上げられる以前から、金澤寿和氏が「Light Mellow和モノSpecial」という本を出したり、「Light Mellow」シリーズのコンピレーションを出したりといったニッチな活動があった。そういう前史があった上での今の「ブーム」ではないのか、と。

それを海外発と言い出すのはおかしいと思いませんか。

そんなことを思っているうちに、自宅にレコード・コレクターズ増刊の「シティ・ポップ 1973-2019」という本があったことを思い出して読んでみたら、まえがきに総括が載っていたので部分引用する。

はじめに

70年代の日本で作られるようになった、都会的で洗練されたポップ・ソング。都市生活者の価値観や感情を歌った新しい音楽。それらは”シティ・ポップ”と呼ばれた。歌謡曲とは違う自作自演を主体とした楽曲はまずニューミュージックと呼ばれたが、その内実はフォークもロックもいっしょくただった。ゆえに、そのカテゴリーには収まらない、米英のロックやソウルの動きを敏感に察知する洋楽的なセンスを持ったアーティストたちを差別化する意味で、生まれた言葉/ジャンルと言えるだろう。

そんな”シティ・ポップ”は90年代〜2000年代を通して再評価が進んだ。日本の音楽をかけて踊る、いわゆる和モノDJの間でも、すでに定番化している名曲は何曲も存在する。そんな楽曲が収録されたアナログ盤は中古盤が高価でやり取りされるという光景も定着して久しい。

同時に、主に2010年代から顕著になってきたことだが、日本の若い世代のバンドやアーティストの音楽が”シティ・ポップ”と呼ばれ、熱い視線を集める現象が起こった。70~80年代のシティ・ポップを再評価し、そこから明確に影響を受けた若いバンドが目立ってきたのと共に、現在の都市の生活を歌った作品なども”シティ・ポップ”と呼称されるようになった。

そしてそんな日本国内の再評価とは全く別に、ここ数年は海外から、“シティ・ポップ”を新鮮なものとして捉え、レコードを求める動きも活発化してきた。YouTubeに(勝手に)上げられたシティ・ポップの音源ー大貫妙子竹内まりやの70年代作品などーに、英語や韓国語、中国語のコメントばかりがつくのも、最近では珍しくなくなった。海外のレーベルから日本のシティ・ポップが発売される、というケースも目立っている。

というわけで、若い世代や海外から熱い注目を集める”シティ・ポップ”という音楽を新たに捉え直そうという意図を持って、2018年に『レコード·コレクターズ』誌はシティ・ポップを特集した。3月号が73年から79年まで、4月号が80年から89年までというくくりで、松永良平さんに協力を仰ぎ、名盤選を中心に、当時の再評価についても考察しながらシティ・ポップの真随に迫ろうという企画だった。

その特集2号は大変な好評をいただき、バックナンバーもほぼ品切れ状態。それを受けて、新たに作られたのがこの増刊『シティ・ポップ 1973-2019』だ。

(中略)

インターネットの動向を見ても、日本のシティ・ポップに対する国内外の関心はますます高まっているように感じられる。そんな中、本書は入門用にも、また深く分け入るガイドにも最適の決定版。ぜひお楽しみください。