俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

吃音

自分が幼稚園児だった頃の話だった。テレビに言葉がうまく出てこない人が出ていて、それを真似してみた。
「こ、こ、こんにちは」のように。
するとそこから言葉がうまく出てこないようになった。真似したのはただ一回だけだったのに、それがクセになってしまったかのように言葉がうまく出てこなくなった。
それがニュース番組だったのか、自分が大好きだった「裸の大将」だったかは記憶にない。
実際のところ、それが真の原因だったかどうかは分からないし、それ以前からドモりの兆候があったかもしれないが、事実としては今でも治っていない。

それからというもの、事あるごとに指摘されてしまう。母親にも、同級生にも。
母親には「ドモるのやめなさい!」と怒られ、同級生にはモノマネをされてしまう。
母親には毎日のように言われるので、もう麻痺していて何にも思わないようになっていたが、同級生にマネされた時はキツかった。

この頃、前歯の後ろから歯が生えてきていたため出っ歯で、なぜか内股でしか歩けず、ドモりがあり、三重苦だった。歯は後ろの歯を抜いたらいつの間にか出っ歯では無くなり、内股はいつの間にか治ったが、ドモりだけは治ってない。

小学校3年生くらいの頃だったと思う。

ある日の学校からの帰り道、「○○(自分の名前)君の真似するよー、『お、お、おはよう』」と言ってくる。
これで周りの友人が大爆笑してしまうのだ。
こっちはやりたくてやってるわけじゃなくて、上手く喋れないんだよ、という反論もできず、その日はモヤモヤしながら家に帰ったのだった。
それでいじめられてたとかそういう話じゃなくて、むしろ友達とは上手くやっていた方だと思うけど、仲の良い友だちにもそうやってからかわれてしまうということがなんとももどかしかった。

その頃の夏休み明け、夏休みの宿題だった作文を提出した。すると作文が一番良い出来だったから全校集会で発表しろ、と言われた。
「いやー、それはちょっと(ドモるから)ムリ・・」と言ったか言ってないか記憶があやふやだが、人前で喋ってからかわれるのが目に見えているので、まったく乗り気じゃなかったが、なし崩し的に発表することになった。

発表当日、なんと自分の書いた文章を見ながらスラスラと読めてしまったのだ。これには自分でもかなり驚いた。書いてある文章ならドモらないことが分かった。
同級生からは「全然ドモらなかったね」と言われた。やっぱりみんなドモることを期待していたらしい。
しかし、そこから劇的にドモりが治ったわけではなく、相変わらず日常会話ではドモっていた。

ただ、自分なりにドモってしまうパターンは見つけていた。

  • 書いてある文章は問題ない
  • 歌を歌っている時は問題ない
  • あいさつとか言い慣れている文章は問題ない

さらに、母音から始まる会話は苦手ということもなんとなく分かってきた。なので、

  • 子音から始める

というメソッドを見つけたのである。

「雨降りそうだね」は母音から始まるので「もうすぐ雨降りそうだね」のように、余計な枕詞を付ける、みたいな方法。

あと、頭に何か入れてから喋る、という方法もある。
「えー」とか「あー」とか。これは母音だが言葉ってわけじゃないので普通に出てくる。
ただこれは、あまり多用するとウザイので程々にしていた。

そうは言ってもこれらの方法が使えないケースもあるので万能なわけじゃない。

大学生の頃の就職活動の面接では、まず自己紹介として大学名の後、自分の名前を言う。大学名は母音から始まるので、この時はかなり参った。
「えー、〇〇大学の△△です」というと、学生のくせに上司みたいな話し方になってしまうから使えない。
対話することは全然嫌いではなかった(むしろ自分の性格としてはおしゃべりだと思っている)ので、面接もそこさえ乗り切れればなんとかはなるのだけれど、そこが一番の鬼門だった。

別に面接に緊張しているわけじゃないけど、その一言目がドモらずにうまく言えるかどうか、ということで緊張していた。うまく言えないケースもあって、面接に落ちた時はそれが原因だったのかなぁ、緊張していると思われたかな、とか思ったこともある。

一度、大学フィルターを無視して面接の内容だけで評価したいという某大手通信会社の面接に行ったことがある。「大学名は言わないで名前だけ言って下さい」と言う。ま、そもそも面接の内容だけじゃ能力あるかどうか分からんでしょ、とは思っていたが、大手のくせに一応形だけでも大学なんて関係ない体を取るのかと思ったが、それ以上に、「ここは大学名を言わなくていいのでラッキー」と思った。だが、常日頃「大学名を言えるかどうかが最大の難関」と思っていたせいか、ついつい「〇〇大学の△△です」とスムーズに言ってしまった。「スムーズに言えて良かった・・・」と思ったのが一瞬して暗転、「大学名言うなって言われてたのに」と気付き、その後の面接のテンションが下がり、それが原因かどうか、それ以後次の面接に声がかかることはなかった・・・。

就職する会社も、できれば母音から始まる会社じゃ無いほうが良いなぁとか、ドモりが将来設計まで影響してくる始末だった。電話取る時とか、名刺交換する時とか会社名を言わなくてはならないから。結局、その後何度か転職しているけど、母音から始まる会社に就職したときはドキドキだった。わざわざ電話してくんなよ、メールにしろよ、と何度思ったことか。

ドモりも単に先頭の単語を繰り返してしまうパターンと、それを避けようとして喋りだそうとするが、ドモりそうなので最初の単語が出てこないパターンがある。後者の方は結構心配されてしまう。小渕総理が言葉が出てこなくて、数日後に亡くなったことがあったが、それを想起させてしまうようで、「最近、言葉出てこないみたいだけど働きすぎでは?」とか「脳に異常があるのでは?」みたいな。面と向かってならまだ良いけど、電話越しだと相手方が心配してしまう。電話とっても声を出そうにもなかなか出ない。すると電話口から「あれ?え?」と聞こえてくる。「すみません、今電波悪くて」みたいな感じで誤魔化す。この、考えすぎて何も出てこないパターンはイップスみたいなものかなと思い、言葉のイップスと呼んでいた。

そんな中、社会人になってある日、西部邁の本を読んでいたら「僕は重度の吃音だった」と書いてあったのを見つけた。

※この本ではないけど・・。

「吃音」という単語を知らなかったので、調べてみると、どうやら自分と同じ症状のことをそう呼ぶらしい、ということを知った。自分が苦しんできた症状に名前がついていた事を、この時初めて知ったのだった。

自分のことなのに、この時まで吃音って単語を知らなかったのだ。

実際、吃音症の人は日本で120万人いるらしいが、身の回りではほとんど出会ったことがなかった。

高校〜大学生の頃に常連だった中古盤屋の店主が自分と同じようにドモるので、この人は俺と同じ悩みを抱えているなとは思ったが、これに名前が付いているとは思っていなかった。

西部邁は元々60年安保の頃に学生運動をやっていて、その頃に大勢の前でアジテーションをやったことで吃音が治ったというエピソードが書かれていた。確かに西部はよくテレビに出ていたのを見ていたけど、ドモっていなかった。なのでまさかこの人が重度の吃音だとは思わなかった。

そういえば自分も一度だけ、仕事で自社製品の使用方法をレクチャーしたことがある。しかも客の工場に乗り込んで。相手は100人くらいいた。
緊張はしたもののこの時も吃音は出なかった。でもそれで完治はしなかった。
それでも、自分の症状に名前が付いていることを知って、1つ武器が出来た気分になった。

自分の吃音をからかってくる場合、ちょっとした宴席のノリで言ってくるのはもうしょうがないから「うまくしゃべれないからしょうがないんだよ」と軽くいなせるようになっていたが、あまりにもしつこく真似してくるヤツには「吃音ってのは病気だから、あまり馬鹿にしないほうがいいよ、他の人にやったらキレられるよ」と言うようにしている。まあ他人をダシに使ったが、これを言う時は当たり前だけど自分も少し怒ってはいる。

自己紹介で吃音が出てしまうと、その後「あの緊張してた人」みたいなイメージがついてしまうのも辛かった。対面恐怖症じゃなくて、「緊張してる人に見られてしまう」恐怖症。何度か喋ってるとそうじゃないと分かってもらえてイメージが消えてくけど、一度しか会わない人とかだとそれは払拭できないんだよね。

2011年に、嫁さんが映画を見に行きたいと言って「これが良い」と教えてくれたのが「英国王のスピーチ」という映画だった。自分は予備知識なしで見に行きたいので何も調べずに行ったら、吃音症の話だった。吃音直したいんだよね、とボソッと言ったことを嫁さんなりに気にしていくれていたのかもしれない。この映画をキッカケに吃音への理解が深まれば良いなと思った。

さて、なんでこの文章を書こうかと思ったかと言うと、水ダウが日本吃音協会からクレームを入れられた件について、何かを書きたかったからである。

しかし、これを書いている現時点でどちらかと言えば日本吃音協会の方に逆風が吹いているようだ。であればまあ何も言わなくてもいいかな。

自分の気持ちとしては「良かれと思ってやったはずの当事者不在」の議論はろくな事にならないですね、ということかな。クレームを入れる時は逆効果にならないように慎重にしてほしい、と思います。