続・レコードについて

どうやら今の世の中、サブスクで配信することが善みたいな空気がある。
同時に解禁しないアーティストに時代遅れのレッテルを貼ることに躍起になっている人もいる。

こうやって「時代遅れ」のレッテルを貼ってプレッシャーをかけても、解禁しないアーティストには解禁しない理由があるわけで、それを第3者がとやかく言うことではないのでは?

2022年現在、山下達郎ヒロト&マーシーの各バンド、マキシマムザホルモンが配信してない。厳密に言うとクリスマス・イブなど数曲はあるんだけど。あと、実は元ジャニーズも未配信状態である。なのでSMAPとか光GENJI、マッチも聴けない。

そもそも別にサブスクじゃなくたって、ダウンロード販売してよー、でも良いはずだが、サブスクに拘るのはどういうわけなんだろう。とやかく言わずに安い金で聴かせろということなのだろうか?

正直、山下達郎クラスになるとサブスクでも十分儲かるだろう。知名度もあるし、本人は否定するだろうが、シティポップ界のゴッドファーザー的な位置にいるわけだから。

それでも、サブスクのエコシステムに納得していない、という理由で拒否している。山下達郎はそういう人であり、そういうのも含めて山下達郎の魅力なのだと思う。テレビには出ない。本は書かない。ホールでしかやらない。映像作品も出さない。一曲目から総立ちになるライブならやめる。でもそれが、そのこだわりが山下達郎だから。しょーがないじゃない。

サブスクに納得してないなら、ベテランミュージシャンの山下が動けよ、と丸投げ提案してる音楽ライターがいたが、このささやかな抵抗がそれだろう、と思う。そもそも「文句言うならインフラをお前が考えろよ」はミュージシャンに対してはメチャクチャな言いがかりだ。サブスクの問題点をスルーして利用していた後ろめたさが、そういう発言に繋がってる気がしてならない。

山下達郎パッケージメディアが無くなるのを見越して2008年にライブ活動に軸を移した。モノ消費からコト消費へ、みたいなワードがバズり出したのは2016〜2017年あたりだと思うので、かなり早い。マネタイズの軸を作品販売からライブ収入をメインにした。これからの時代のミュージシャンがどうやって生き残るか?という一つのモデルケースを示しているとも言えるわけで、そういう意味では彼が何もしてないわけではない。

市場経済は、売り手側が売りたい価格と、買い手側が買っても良い価格が一致した時に売買が成立する。自分の創作物に一定のレベルの価格を設定したいのは当たり前のことで、それで需給が成立している人に対して、そんなことはどうでもいいからサブスク配信しろとダダを捏ねるってのはよく分からない話だ。

その価格に納得していない、高すぎると感じるのはその価値に見合わないと感じているからであって、それなら買わなきゃいい、聞かなきゃ良いだけなのだ。この手の話は散々見てきたけど、コレクター向けのアイテムにはかなり高額の希望小売価格が設定される。これを高いと思うのは、価値に見合わないと感じてるから。事実、自分のフェイバリットなアーティストでも高いと思ったボックスセットには手を出してない。

さて、本題。

レコードの話を書いておきたかった。なぜレコードは急激に衰退し、CDが一気に普及したのか。これはSOFTLYのプロモーションでラジオ局行脚をしていた山下達郎のインタビューで語られていた。(昔も言ってたのかもしれないがウオッチしてなかったので自分は知らない話だった)

自分の記憶としては、1988年はレコード優勢、1989年CD優勢と思っていたが、それは肌感覚であって、実際のところは、1987年に逆転していたようだ。1989年には前年にあったレコード箱が無くなっていたのでそう感じたのかもしれない。

山下達郎はインタビューで過去に、アナログレコードからコンパクト・ディスク移行時に、「今更アナログにこだわるなんて過去の遺物だ」と言われたことをよく話している。この時は結局のところ、市場経済に飲み込まれてしまった。

どこのラジオだったか忘れたが、こんなことを言っていた。

  • 当時、家電製品としてのレコード・プレイヤー機器は市場として飽和状態だった
  • CDプレイヤーの開発元(ソニーとフィリップス)は、子会社としてレコード会社を持っていた
  • 親会社電機メーカーの思惑でCDプレイヤーを売るためにアナログレコードの販売をCDへ切り替えていった

こういうことを書くと陰謀論だと言う人が出てきそうだが、ここにも同じようなことが書いてある。

CD開発をめぐるソニーとフィリップスのパートナリング
https://www.orsj.or.jp/~archive/pdf/bul/Vol.44_10_547.pdf

第二に、ソニーにはCBSソニー、フィリップスにはポリグラムという日欧でそれぞれ最大シェアを誇るレコード会社を子会社として有し、ハードウェアとソフトウェアのシナジーを創出しやすい状況にあった。

シナジー」だとなんだか爽やかに聞こえてしまうが、実際のところ、アナログ、デジタルの共存も出来たはずのものを、強引にアナログ縮小&デジタル拡大を行った。

1989年ごろにはレコード店にレコード棚は無くなっていたのだ。でも、レコードプレーヤーがあれば聴けるんですよ、それは今でも。インフラ的にどうにもこうにもできなくなったわけではないので。

地デジの場合も同じように強引に進められて、アナログの強制停波を行えば地上デジタル放送対応のテレビを買わざるを得ない。ただ、こちらの方はアナログ停波します、と大々的にアナウンスしていたから分かりやすかったし、インフラ的にアナログが見れないならもう買い換えるしかない。

アナログレコードからCDへの技術革新はラディカル(急進的)・イノベーションだと書かれているが、なぜそれが出来たかと言うとそれが大きいのかったんだな、ということ。

建前としては新技術の音がクリアなCDを提供したい、ただ本音としては家電を売りたかった、というのと。

CDはアナログレコードよりもクリアでノイズが少ない、とかダイナミックレンジが広い、という触れ込みで、実際それに偽りはないのだけれど、当時のCDは冷たい音がするなどとも言われていた。ビートルズの音源が初CD化した時も、アナログと音が違う、という話もあった。

実際、この頃のCDはCD用にリマスターされない旧譜もたくさんあったようで単にアナデジ変換してCD化したものもあって今の耳で聴くとこの頃のCDの音はショボい。

実際のところ、ここまで急激にメインのメディアが置き換わっていった例はあまりないのではないか。

アナログレコードとカセットテープは共存していたし、CDとカセットテープ、CDとMDもながく共存。DVDとブルーレイは今でも共存している。だが、アナログレコードとCDは共存、は最近になってからの話。

CD出始めの頃はアナログ同時発売はかなりレアですね。

ちなみに1989年の山下達郎「JOY」はアナログ盤出てますが生産数がかなり少ないようで中古価格は高騰。1991年の「Artisan」はアナログ盤リリースなし。で、2021年にようやくリリースされました。アナログ盤に拘っていた山下達郎でもリリースできなかったくらい、CD圧が凄かった、ということです。ちなみに、1998年の「COZY」はアナログ盤出てます。この頃にはもう十分CDプレイヤーが普及したので、出したいなら出しても良いよ、ということだったんでしょうか?