俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

追悼:藤子不二雄A

80年代中期、自分は小学生だったが、まさに藤子アニメ全盛期でした。

 

夏に上映されるドラえもんの映画は毎年の楽しみで、特に好きだったのが「海底鬼岩城」で、映画館まで見に行った記憶があります。中学生になるまでは、全作品を欠かさず見ていました。

 

今だともう藤子不二雄アニメといえば、ドラえもんだけ、って感じですが、当時はテレビをつければ藤子不二雄アニメが大量にオンエアされていて、ある種ブームだったと言っても良いのかなと。子供の頃はそれが普通だったのでブームでもなんでもないと思っていたけど今となってみれば一過性、というには長期間だったけど藤子不二雄が席巻した10年だったと言えるのではないかな。

 

80年代の藤子アニメを並べるだけでも、ざっとこれだけある。

ドラえもん (1979年〜放送中 テレ朝系)

・怪物くん(1980〜1982年 テレ朝系)

・忍者ハットリくん (1981〜1987年 テレ朝系)

パーマン (1983〜1985年 テレ朝系)

オバケのQ太郎 (1985〜1987年 テレ朝系)

プロゴルファー猿 (1985〜1988年 テレ朝系)

エスパー魔美 (1987〜1989年 テレ朝系)

・ウルトラB (1987〜1989年 テレ朝系)

・ビリ犬 (1988〜1989年 テレ朝系)

チンプイ (1989〜1991年 テレ朝系)

・笑うせえるすまん (1989〜1992年 TBS系)

キテレツ大百科 (1988〜1996年 フジテレビ系)

 

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1989年には自分は中1になるので流石にこのリストの最後の方は熱心には見ていないが前半はかなり見ていました。ただ、「怪物くん」あたりはリアルタイムではなくて夕方の再放送で見ていた。だけど毎日流れるのでかなり見ていた。リアルタイムで見ていたのは、ハットリくんくらいからじゃないかな。

 

これに加え、当時は「ジャングル黒べえ」などの再放送もやっていましたが、この作品は何やら大人の事情でいつの間にか再放送されなくなってしまった・・・(ちびくろサンボ、サンリオ・ビビンバ、カルピス事件と同根でしょうね)

 

調べてみると、80年代初期のテレ朝には「藤子不二雄劇場」という帯の枠があり、これが18:50〜19:00までの10分。ここで当初はドラえもんが放映されていたようだけど、まだ幼かったので記憶にない。その後、ハットリくん(2年) → パーマン(2年) → オバQ(2年) の順で放映されていた模様。パーマンはたしかにこの時間帯に見ていた記憶はあります。

 

ドラえもんについては、最近までその時間帯だったというのもあるけど、金曜の19:00〜のイメージがかなり強いです。

 

当時は、それに加えて中央公論社の提供で「藤子不二雄ワイド」という番組がありました。これが火曜日の19:00からの1時間番組。1時間ずっと藤子不二雄アニメが流れる夢のような番組で、多分当時の小学生はみんなこれを見ていたんじゃないかな。

 

藤子不二雄ワイド」は、当初、パーマンハットリくんプロゴルファー猿が放映されていたけど、パーマンハットリくんは帯で見ていたので移動して継続という感じでしたが、「猿」自体は新番組で、これは当時かなり流行りましたねー。「旗つつみ」「モズ落とし」とか「正宗」とか。「つむじ風舞うティーグラウンドで〜」の主題歌も大流行。


余談ですが、この頃の生活はかなり鮮明に覚えてますね。

当時小3だったけど、火曜日はイトマンスイミングスクールの日で、送迎バスに乗ってHBCラジオで流れていた「全日本歌謡選抜」を聴きながら新琴似4番通りにあったイトマンに行って(火曜日にしかそのラジオ聴かないので火曜選抜だと思ってた・・・)、家に帰ってご飯食べながら「藤子不二雄ワイド」を見て、その後に「ビートたけしのスポーツ大将」を見て「カール君」「小カール君」を見て笑って、みたいな生活でした。

 

金曜日の場合は、ドラえもん見た後に、なにか挟んで、風雲たけし城だったかな。
その何かを調べてみたら、宇宙船サジタリウスだった。サジタリウスは名前だけ知ってて見てなかったな・・。

 

さらに全然関係ない余談になると、土曜日は19時からは「所さんのただものではない!」の後、「ハイスクール奇面組」を挟んで「カトケン」でした。


さて、火曜日の「藤子不二雄ワイド」は中央公論社の提供だったけど、中央公論社は当時「藤子不二雄ランド」という藤子漫画のアーカイブみたいな単行本を発刊していて、当時これが欲しくて欲しくてしょうがなかったのです。今だとブックオフには売ってないけど、まんだらけに行ったら数冊はありますが、毎週少しづつ、全300冊くらい出ていたのですが、小学生にはとても買えない。

 

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だけどどうしても欲しい単行本は買ってました。ドラえもんオバQのような定番から、マネーハンターフータくんみたいなちょっとマニアックなあたりを買っていました。


単行本にはカラーのセル画と、巻末に全然違う漫画の連載が載っていて、ちょっと雑誌みたいな感じでした。

 

で、その巻末に「まんが道」が掲載されていて、まんが道自体はストーリーものなので、途中から見てもなんのこっちゃって感じだったけど、妙に全部読んでみたいと思い、それで買ったのが、「愛蔵版 まんが道」という、紙質が悪いけどいっぱい読めるやつ・・・今で言うコンビニ本のハシリみたいなやつで、これの1巻と2巻を買って、残りは遠くに住んでいる従兄弟の家に、盆と正月の年2回行った時に読むみたいな感じでした。なので当時、まんが道の後半は断片的にしか読んでなかったんですが、それでかなり印象に残っている作品でした。

 

まんが道」は、藤子不二雄A安孫子素雄先生)の自伝的なマンガで、フィクションではあるんですが、かぎりなくノンフィクションに近いフィクション。話のメインは戦争が終わってすぐ後の時代の話なので当時の世相の雰囲気とかが興味深くてそれでハマって読んでいました。

ちなみに、従兄弟も筋金入りの藤子不二雄ファンで、一時期は漫画家を目指していたらしく、貴重な藤子漫画がたくさんあって、子供の頃はそれ見たさに行く、みたいな感じでした。


そんな中、突然、藤子不二雄がコンビ解消するとニュースになって、かなり驚きました。が、まんが道を読んでいたせいか、「仲違いじゃないだろうな、多分」というのはなんとなくわかりました。

 

その後、A先生の「ブラックユーモア短編集」を買って熟読したりと、ほとんどがF先生派の中、めずらしいA先生派でした。(もちろん両方好きでしたが)

中学生になった頃には、藤子アニメはほぼ見ることはなくなりました。なので「ウルトラB」「ビリ犬」「チンプイ」あたりはほとんど分からない。「エスパー魔美」も前半だけ。

 

ただ、大橋巨泉が「ギミア・ぶれいく」って番組をやっていて、これはよく見てましたね。ビートたけしのコントもあったし、藤子不二雄A先生も出演していて、ここで「笑うせえるすまん」を毎週楽しみにしてました。

 

不思議なのはこの、ある種の藤子不二雄ブームの沈静化と、自分が大人になって見なくなる時期がシンクロしていたことですね。当時は藤子不二雄アニメの洪水が延々と続くものだと思ってましたが、そうではなかった。

 

そして、自分はやがて思春期を迎え、高校生、大学生となり、興味が漫画やゲームから、お笑いや音楽など別の所に移り、やがて社会人になり、まんが道のことなんて忘れていた頃に、赤塚不二夫の訃報が飛び込んで来ます。

 

そこで、「そういえば、まんが道序盤のあすなろ編と、後半は読んでなかったな・・」と思い、文庫版を大人買い。続編の「愛、知りそめし頃に・・・」も全巻買いました。


それで結果、自分の中で一番好きな漫画は何かと聞かれると必ず「まんが道」と答えるようになったわけです。

その「まんが道」を読んでから、いろんな謎が解けていったのが後から分かったわけです。

 

例えば、自分が持っていた藤子不二雄ランドオバQだと、明らかに絵のタッチが違うコマとかがあって、不気味さというか気持ち悪さを感じていたけど、同じトキワ荘にいた石森章太郎に手伝ってもらってたんだなー、とか、藤子不二雄でも絵のタッチが違うのはなんとなく分かってたけど、才野(藤本先生)=天才、満賀(我孫子先生)=努力の人、みたいなのが、たしかに作品からも滲み出てて、面白いなと。

 

ちなみに小学生の頃読んだまんが道は、2人が学生の頃の話と、新聞社に入社して、その後に上京して2畳くらいの下宿に泊まっていた辺りまで。

社会人になってから読んだ後半は、トキワ荘に入ってひたすら漫画を書くストーリーですが、そこに代表的な出版社が出てくる。代表的なのは「漫画少年」の学童社です。

 

実は、大人になって「まんが道」を再開する直前に、東京に出張に行っていたんですね。(2006年頃)

本社が東京ドームと目と鼻の先あたりにあったので、いつもは本郷あたりのビジネスホテルを取ってましたが、たまたま満室で取れず、しょうがないので近くにあった「後楽ガーデンホテル」という旅館を取ったら、実は隣にあった日中友好会館の関連施設で、これがまんが道に出てくる満州会館、つまり学童社の本社でした。読みながら叫んでましたね「あーーー、ここ泊まったことあるじゃん」と。

何かやはり、まんが道に導かれているなーなんて思って妙な縁を感じたものです。

 

合掌