最近、芸術関連の方々の、ある種の浮世離れした傲慢な態度を目にするに連れ、山下達郎ってやっぱりすごいと思ってしまった。
朝日新聞(2011)より。
僕はアーティストという言葉が好きではありません。知識人とか文化人といった、上から目線の「私は君たちとは違う」と言わんばかりの呼称も全く受け入れられない。名が知られていることに何の意味があるのでしょうか。市井の黙々と真面目に働いている人間が一番偉い。それが僕の信念です。
以下、2012年発売の「ぴあ」より。
(3.11直後のサンソンについて、サンソンのディレクターの言葉)
達郎さんが常日頃からラジオのスピーカーの向こう側にいる人々の顔を思い浮かべながら、リスナーに語りかけていらっしゃることを改めて実感する放送でした。しかも、被災地の状況を考慮して、小さなラジオでもよく聴こえるよう曲をデジタル処理されてきて・・・。忘れられない放送です。
再び「ぴあ」より。
Q: リスナーからのはがきで、忘れられない言葉はありますか?
A: やっぱり、人の生死に関わることは忘れられないよね。奥さんが癌で入院して、余命数ヶ月だと言われている方のご主人から手紙が来てね。一緒に行ったライヴでの「ずっと一緒さ」に感動して、奥さんがもう一度聴きたいって言ってるんだって。それで、ライヴソースをCDに焼いて送ってあげた。そしたらすごく喜んでくれて、それから3ヶ月後に亡くなりましたって。そういうことがあるとね、つらいけど、ささやかでもその人の人生に寄与できてよかったと思う。
もひとつ「ぴあ」より。
ライブでもよく言いますけど、僕は海外進出にまったく興味がないんです。そんな時間があるんだったら、日本のまだ行ったことのない場所でライブをやりたい。日本のどこかで真面目に働いている人たちのために音楽を作りたい。
達郎さん(と、まりやさん)の音楽がMOR(ミドル・オブ・ザ・ロード)である、というのも大きいと思いますが、やはり毎週サンソンでリスナーから来る大量のハガキに目を通して、毎年50本近くのツアーをやっているからこその発言と姿勢なんだろうなぁと。浮世離れしてない。「世間」とつながっている。「蒼氓」の歌詞にも繋がりますね。
以下、ミュージック・マガジン2011年9月号より。
(3.11について)
こういう時にどういう音楽を聴きたいかは、十人十色千差万別だから。いつも考えているんだけど、音楽っていうのは果たしてどういう力を持っているのか。実は音楽ってそれほど強力な精神メディアじゃないんですよ。非常に脆弱なメディアでね。脚切り取られて音楽は聴けないし、盲腸の手術の真っ最中に音楽は聴けないし。音楽って、精神的にはもちろん、肉体的にもある程度平穏な状態で集中力を保てる状態じゃないと機能しないですよね。精神的な意味でも、”これを聴いて元気をもらった”とか言うけど、僕の中には本当にダウンした時に音楽ってどれくらい必要かって問いかけがいつもあって。
まあ、そうなんですよね。インフラ/生活が安定していないとそもそも文化は必要とされない。成熟もしない。なんか、まっさきに芸術に支援せよ、とか、芸術が最も崇高な分野である、みたいな態度とは全く違う。
サンソンでは、最近ライブソース連発で、この騒動が落ち着くまで続けてくれるそうです。音楽評論家やミュージシャンにおかれましてはトンチンカンな発言ばかりでガッカリさせられてますが、この番組だけが最近の唯一の救いです。密かにリクエストも出しました。クドいやつお願いします、と。