俺の記憶ストレージ Part 1&2

寂しさは琥珀となり密やかに輝き出す

志村けんよ永遠なれ

「自分を構成する5つの〇〇」みたいな縛りテーマはよくありますが、ここに「芸人」が入ったことがあるんでしょうか?

 

ちなみに「芸人」の場合、自分の場合は確実に志村けんが入ってきます。

80年代初期に幼稚園〜小学校低学年だった自分は、土曜の夜の8時を楽しみに待っていました。その時間帯は「8時だヨ!全員集合」の時間だったから。「全員集合」を見終わった後、9時に兄弟全員で「9時だヨ!全員集合」とか言いながら寝室で大騒ぎしたなぁ。

 

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その時代、「全員集合」の裏は「ひょうきん族」でした。ビデオデッキもまだない時代なので結構大変。8時ジャストになると「全員集合」のオープニングと大コントを見て、CMに入ると「ひょうきん族」に切り替えてひょうきんベストテンとかタケちゃんマンとか見ていたっけ。いや、ただこの辺あまり覚えてないんだけど、「全員集合」を見ないでひょうきん族を見ていた時期もあったかもしれない。ただ、記憶に残っているのは圧倒的に「全員集合」で、停電になった回とかも見てました。自分の周りでは圧倒的にドリフの方が人気があったんです。ただ、「全員集合」は人気絶頂の最中、唐突に終わりました・・・と当時は思ってました。土曜の8時にいつものようにテレビの前で楽しみに待っていたら、総集編が始まって、それが何週か続いて、唐突に終わった、という印象でした。「全員集合」がある当たり前の土曜日が無くなった喪失感。これが小学校3年生の頃。

「ヒゲダンス」「早口言葉」は自分よりちょっと上の世代、お兄さん(いないけど)たちが夢中になっていた。自分が一番笑ったのは「エリマキトカゲ」。小学校2年生の頃。エリマキトカゲのおもちゃを持って志村けんが走り回るんです。これが好きだった。

父親に「なんで志村ってあんなにバカなの?」と聞いたら「志村けんはバカじゃないんだぞ、頭良いんだぞ」みたいなレスポンスはどこの家庭でも繰り広げられていただろう(多分)。

ただ、実は自分が物心ついて見出した頃にはすでに視聴率的に下火だった、というのはもっと大人になってから知るのですが、当時は人気番組を唐突に終わらせたんだな、というイメージでした。

あの頃は普通に見てましたが、「全員集合」の裏話を何かで読んだんですが、結構凄い。生放送なので失敗できない。リハーサルも数日かかる。毎週ネタを考えて、大勢の人を投入して・・・現代ではあんな作り方はもうできないと。


そしてその後番組として始まった「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」。いかりや長介仲本工事高木ブーがいない・・・。子供心に「切られた」んだな、と思って当初は複雑な感情で見ていました。だけど、結局夢中になって見てしまうことに。この頃の土曜日のスケジュールと言えば、こんな感じ。

 

19:00 〜 所さんのただものではない!
19:30 〜 ハイスクール!奇面組
20:00 〜 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ

 

「加トケン」の一番のウリは「Detective Story」ですが、当時の子供は誰もこのタイトルで覚えてないと思います。「私だ」のヤツで記憶しているはず。最も記憶に残っていて、学校で流行っていたのは「だいじょうぶだぁ教」ですね。ここから数年間がまさに志村けんのピーク中のピーク。「だいじょうぶだぁ」の初出が1987年の3月28日とのこと。ちょうど小4から小5に上がる頃です。死ぬほど笑いました。

 

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その後、1987年の11月にフジテレビで「志村けんのだいじょうぶだぁ」というショートコント番組が始まるのですが、なぜ「加トちゃんケンちゃん」の「だいじょうぶだぁ」をフジテレビが取ってしまうんだろう?とこれまた不思議な気持ちに。これも小学校で大人気になります。「変なおじさん」「ウンジャラゲ」「ルーレットマン」などなど。この番組で田代まさし桑野信義を知るんですが、コメディアンだと思ってました。

PCエンジンの「加トちゃんケンちゃん」もかなりヒットしたんじゃないかな?自分の家にはPCエンジンがなかったけど、このゲームがやりたくてPCエンジンを買った人も多いはず。ゲームと言えば、ハイパーオリンピックのバカ殿バージョンもあったなぁ。1985年頃。自分はそこから数年後にダイエーのワゴンセールで激安で売っていたバカ殿バージョンをゲットした記憶があります。

 

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「全員集合」がビートたけし明石家さんま島田紳助要する「ひょうきん族」勢に敗れても、「カトケン」で復活した志村けんですが、次に襲ってきたのは第3世代の「とんねるず」。「みなさんのおかげです」「ねるとん」「生ダラ」などが人気になり、それに押されて「カトケン」は1992年の3月に終了。「だいじょうぶだぁ」も1993年に終了。

自分はというと、やっぱり「とんねるず」が出てきてからドリフ的なものはオールドタイプというか、途端に時代遅れ感を感じていたのは事実。自分が中学生の頃(1989年から1992年頃)は、ドリフ的なベタな笑いよりも、「元気が出るテレビ」とかとんねるず的なものが主流で、さらにそこに追い打ちをかけるようにウンナンダウンタウンが登場し、志村けん=かつて一時代を築いたお笑いの人、みたいな扱いになっていました。ここ重要。多分、彼を振り返る番組が作られた場合、まるでずっと人気があったかのような編集がされてしまうだろうけど、90年代初期から後期くらいまではあまり露出がなかった。

自分が「志村けん」を再び意識したのは松本人志の1994年の著書の「遺書」でした。この頃、高校3年でしたが、ダウンタウンの前に「志村けん」はほとんど忘れられた存在。しかし松本人志は著書の中で、尊敬する芸人の一人として「志村けん」を挙げるわけです。これを読んで、そうだなぁ確かに子供の頃は夢中になって見ていたなぁ、と思って、ここからずっと見ていなかった「ドリフ大爆笑」を改めて見たりするようになりました。

 

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いかりや長介が亡くなったのは2004年ですが、その頃改めてドリフターズに興味が出てきて色々調べたりしましたね。
その時にそもそも志村けんがドリフの付き人でそこから昇格したこととか、荒井注がその前にドリフにいたとか、志村けんがドリフに入った時は浮いていて全然人気なかったとか(石橋貴明が言っていた)、カトちゃんの方が人気あったとか、子供の頃からお笑い界のスーパースターだった志村けんだったけど全然知らない話を知って新鮮でした。

 

さて、この文章、志村けんが入院してから書き始めたのですが、その間に亡くなってしまいましたので、残念ながら追悼の文章になってしまいました。

 

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もう16年前ですが、自分の父親も最後は肺炎で亡くなりました。それまでは特に持病なかったのですが、かなりのヘビースモーカーでした。
ある日、咳が止まらなくなり、近所の病院に行ったら肺が真っ黒になっていて慌てて大きな病院に転院。仕事中に母親から電話がかかってきて、「もう持たないらしい」と言われたのが、病院にかかってから一週間くらいでした。慌てて病院に行ったのですが「ここまで肺がやられていると、もう手の施しようがない」と医者に言われて絶望しました。それから数時間後の明け方、64歳で亡くなりました。
高齢になってから多少昔よりはタバコを控えていたとはいえ、それまでの量が凄かった。
志村けんの場合は、その上にさらに新型コロナに罹患したのでスピードも早かったのでしょうか。

 

志村けんよ永遠なれ。

 

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