俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

チェッカーズの諸々

気になっていた、スージー鈴木氏の「チェッカーズの音楽とその時代」を読みました。別に感想を書こうとはしてないんですが、以前も書いたことあるんですが、チェッカーズに関してもう少し詳しく書いてみようかと。

 

チェッカーズの音楽とその時代

チェッカーズの音楽とその時代

 

 

2008年のライジングサンロックフェスに行った時の話。フェス自体、そもそもあまり好きじゃなくて行くつもりがなかったんですが、この年、BARBEE BOYSJUN SKY WALKER(S) が出るということで、それ目当てで行ったんですが、同じ日(一日目の金曜日)に、藤井フミヤも出演することになってました。RSRに行ったことがある人は分かると思いますが、一番動員の多いミュージシャンは Sun Stage という、一番広いところで演奏します。その次が Red Star Fieldで、Earth Tent はテントのあるステージで動員数が限られます。てっきり僕は藤井フミヤクラスになると、Sun Stage あたりだろうなぁと思ったら、Earth Tent だったことに驚いて、「フミヤクラスでもサンステじゃないんだなー」と同行者に言ったら、同行者に「そりゃそうだろ、フミヤだぞ、ただのアイドルの」と言われて、人によって結構感覚が違うんだなぁと思って少し驚いたという記憶があります。

 

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幼少期、これがスーパーアイドルか!と初めて感じたのがチェッカーズでしたから、僕にとってはインパクトがデカかったのですよ。時期的に言うと、ベストテンに3曲同時ランクインした頃なので、1984年の5月。自分は小学校2年生の頃です。

 

何故かベスト盤から省かれがちな「哀しくてジェラシー」のヒットで、その前にヒットしていた「涙のリクエスト」と、ヒットしなかった「ギザギザハートの子守唄」が引っ張られて、TBSのザ・ベストテンに同時ランクインしたのでした。この時にチェッカーズの存在を知り、その後、小学館の少年誌でも特集組まれてたし、テレビも、本当に見ない日がないくらいの感じでした。従兄弟のお兄さんもチェッカーズのファンで、よく聴かせてもらってました。

 

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このレベルの大ブームは、光GENJI くらいでしょうかね。

前述したように僕はこの頃、小2なので、レコードなんて買えないわけです。というか、我が家にはレコードプレーヤーが無かった。今の時代だと、子供でも聴きたい曲があればとりあえず YouTube で探して聴いたりしてますが(「パプリカ」聴き飽きた・・・)、当時は簡単に聴けるわけではなく、もうテレビの前でしか聴けないわけですよ。何時でも聴きたい時に聴けるような環境は、まだまだ先の話でした。

 

つまり、新曲をリリースする度に、古い曲を聴きたくても聴けなくなるわけです。僕は「ジュリアに傷心」「あの娘とスキャンダル」が好きだったのですが、「俺たちのロカビリーナイト」がリリースされると、それらの曲が演奏されなくなります。(生演奏オンリーの時代みたいな話)

 

で、この曲自体もちょっとパワーダウン感があり、ちょうどファミコンを買ってもらったタイミングでもあり、音楽番組を見なくなったこともあって、徐々にチェッカーズへの興味が薄れていきました。

 

ファミコンは私的なことなのであれですが、ちょうどブームが落ち着いたのもこの頃なのかと思います。ブームってのはあまり長続きしないですね。チェッカーズおニャン子クラブ光GENJI、バンドブーム、ビーイング系、小室プロデュース等々、ブームは大体、1年前後で落ち着いている感じです。ちょっとブームのレベルは下がるけど、Wink もあんなに人気だったのに、1年も持ってない。

 

80年代中期のチェッカーズは吉川晃司と人気を分けていた、ってのをなんかで読みましたが、自分の肌感覚からすると、そんなことないんじゃないかなと。吉川晃司は人気はあったと思うけど、チェッカーズとは全然レベルが違う。当時の吉川晃司と対抗し得るのは、おそらく風見しんごあたりではないかと。「モニカ」はヒットしたので当然知っているけど、その後の曲は、売れてはいたしタイトルも知っていたけど、同級生が口ずさんでいたかと言うと、そんなことはない。ただ、「チャンス チャンス ユガタチャンス」は言ってたかもしれない。「キャンドルライトに〜」というフレーズが子供向けドラマの「あばれはっちゃく」で取り上げられたくらいだから相当なものだったはず。

 

80年代後半になると、チェッカーズは「とんねるずのみなさんのおかげです」にも出てたし、相変わらず歌番組にも出ていたので特に「消えた」感は無かったのですが、吉川晃司に関しては、消えた感があったんです。そんな時に、COMPLEXのボーカルが吉川晃司と聞いたときに、「同姓同名の人?」と思ったくらい驚きました。消えたアイドルと思っていた吉川晃司がバンドを組むなんて、ラ・ムー以来の衝撃だったわけですが、COMPLEXを聴いた時に、「ああ、そもそもアイドル畑の人じゃなかったんだな」と思いました。


話を戻しますが、「俺たちのロカビリーナイト」以後も外部作家(芹澤廣明売野雅勇、たまに康珍化)による作品がしばらく続きます。高杢禎彦の著書だとオリジナルに移行してから勢いが落ちたと書いていたけど、さっきも書いたとおり、この曲辺りかなと。10年くらい前に改めてチェッカーズを聴き直した時、「神様ヘルプ!」は全く記憶になく知らない曲で、「OH! Pop Star」と「Song for USA」はサビしか分からないなぁという感じ。

 

NANA」からオリジナルになりますが、これも全然知らなかった。高杢禎彦だけでなく、自分も当時、曲がつまらなくなったな、と思っていました。背伸びしてオリジナルやらないで、初期みたいな曲やればいいのに、とか。「夜明けのブレス」もベタな曲を出して、それがヒットしてしまうのかーとか。解散の話を聴いたときもなんの感情もなかったし、武内亨がBSのビートルズ特番(1994〜1995頃?)に出た頃、自分たちをビートルズに比較してたのを「は?」と思って聞いていたし、まあ正直、初期チェッカーズにしか興味がない人間でした。

 

ただ、10年くらい前に気になって改めて聴きなおした時に、オリジナルも結構好きかも、と思ったわけです。というか、今となってはむしろ、オリジナルに移行してからの方が良い気さえします。

 

ラジオで散々聴いてウンザリしていた「夜明けのブレス」や、ソロ作品ではあるけど、大ヒットした(せいで毛嫌いしていた)「TRUE LOVE」とか「Another Orion」ですら結構良いじゃんとか、今はそういう感じです。

 

チェッカーズと同じ音楽カテゴリに、シャネルズ、ラッツ&スターってのもあるのですが、こちらも似たような経緯で、鈴木雅之ソロになると、大人の路線になり、当時子供の僕は、なんか夜の店で流れてそうな雰囲気に拒否感を示すのですが、これがまた大人になってから聴き直すと良いんですよね。


個人的なチェッカーズ再評価の一曲となったのが「I Love you, SAYONARA」。サビ知ってるし、なんか小学校高学年の思い出すなぁと。もう削除されてますが、昔YouTubeでこの曲をアメリカのアマチュアバンドがコピーしてる動画があって、あまり上手くはなかったけど、曲はやっぱり良いよなぁと。大土井裕二の代表作ですね。

 

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チェッカーズはオリジナル路線になってからソングライターは基本的には4人いて、藤井尚之鶴久政治武内享大土井裕二でやってるんですが、ダメだなぁこの人は、みたいな人がいないんですよね。それでいて匿名性というか、これは誰々の曲だろ?ってのがあまり分からない。


ビートルズとかクイーンのように、作曲者の顔が見えないってのが結構面白いなぁと。クイーンなんかだと、ロジャー・テ○ラーの曲なんかは、イマイチ感が漂ったりするんですが、基本的にそういうのがない。

 

武内享作の「One Night Gigolo」のアーバンな雰囲気も良いです。ちなみにアーバン感はサックスで増幅されますね。BARBEE BOYSしかり。藤井尚之作の「素直にI'm Sorry」なんてのは、昔好きじゃなかったんですが、今聴くとどシンプルで結構良い。

 

個人的な好みでいうと、これはスージー鈴木氏の見解とも似ているのですが、鶴久政治の曲に好きなのが多かったりします。「Jim & Janeの伝説」の青春爆発みたいな路線も良いですし、「Cherie」「Friends and Dream」「夜明けのブレス」みたいなバラードも良い。一番好きなのは「ミセス・マーメイド」でこれは最高に良いです。AORというか渋谷系の元祖というか。藤井尚之の「Blue Moon Stone」と合わせて、シティポップ界隈での再評価を求む。(レコード・コレクターズ刊行の「CITY POP 1973-2019」にチェッカーズは一つも無かった)

 

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最後に唐突に(僕の好きな)エルヴィス・コステロの話を一つ。

鶴久政治作の「Room」は、レゲエっぽいアレンジでポリスあたりからの影響かなと思いきや、前述した「チェッカーズの音楽とその時代」には、鶴久さん本人のインタビューが載っていて、そこに高校生の頃にエルヴィス・コステロを聴いていたって書いてるんですよね。ポリスの影響もあるけど、コステロもあるんだそうな。つまり「Watching The Detectives」ってことです。

 

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鶴久政治が高校生の頃ということは1980〜1982年頃。何を聴いていたかまではわかりませんが、時代的には「Trust」「Almost Blue」「Imperial Bedroom」辺り。コステロを聴いていたのは鶴久さんだけだったようです。

 

で、この前まんだらけチェッカーズの写真集(文庫本サイズ)を見つけて買ってみたら、そこにもコステロの事が書いてるんですね。

ついこの間来日したのに、チェッカーズのみんな、かわいそうに忙しくて行けなかった。イギリスのニュー・ウェーブ・シーンを代表するこの人は、そのシャレたセンスのわりには、けっこう硬派だったりするのです。

と書いてありました。

 

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この写真集、刊行は1985年なので、来日したと言っているのは1984年の6月のことになるのでしょう。ということは「Goodbye Cruel World」リリース前後のツアーなんでしょうか。「Goodbye Cruel World」あたりになると初期からは大分音楽性が変わってて、チェッカーズもこのあと大分変わるので、その辺りがなかなかに時間差シンクロニシティ。ポリスも絡んで、さらにシンクロニシティです。

 

ちなみにそのポリスのことも写真集に書いてあって、「解散したのかしてないのか」なんてことを書いてました。(結果的に解散してましたね)