ポップミュージックというものがポリティカルな主張を含むのか否かというのはなかなか難しい話で、例えば「君を愛してるぜ〜」みたいな他愛のないラブソングであっても自由恋愛を禁止されている地域、または自由恋愛を禁止されていた時代にそんな歌を歌うと反体制的だと言われてしまうわけです。戦時中のような全体主義的な時代に「踊ろよベイビー」だけでも十分反体制的になり得る。
ボール・マッカートニーがロシアでライブを行った時の模様が収録されている「In Red Square」という映像作品に詳しいんですが、ソビエト連邦では西側諸国のレコードを聴くことは禁止されてたわけです。使い古しのレントゲンにビートルズの音源を刻んだレコードもどきのもの(レントゲンレコード)が密輸され、若者はそれをこっそり聴いていた。(プーチンも若い頃それを聴いていたとか。ポールの前でのリップサービスかもしれない。)
ビートルズは直接的なポリティカルソングは殆どありません。「Revolution」くらい。でもソ連では全面的に禁止されてた。彼らの音楽がソ連の体制転覆の原因となるのを嫌ったからです。余談ですが、ソ連の若者がコッソリ聴いていたレントゲンレコードに「Back In The USSR」が入っていて歌詞を聴いて驚いたんだとか(USSRはソ連のこと)。
だけど、米ソ冷戦時代の西側諸国でビートルズを聴いたところで、とてもポリティカルな主張があるようには聴こえない。つまり、時と場所によってポリティカルだったりそうでなかったりするわけです。
歌詞は、作者の生まれ育った国や地域の風習だったり歴史だったり、そういうものの積み重ねが、その人の思想として反映されます。これは歌詞に限る話ではなく、あらゆる表現活動には思想が内包されます。そしてそれが受け取り先によって、ポリティカルなものになったり、ならなかったりするします。つまり広義には全てポリティカルなものになり得る。
ただ、それが普遍的なものとして受け取る人が多い環境で受け取れば、ポリティカルなものには当然聴こえないわけです。今の耳で、いきものがかりの曲を聴いても全くポリティカルには聴こえませんが、ところ変わればどう捉えられるかは分かりません。
サザンオールスターズの「ピースとハイライト」なんかは最近では割とストレートに表現したポリティカルソングですが、日本の音楽はまだ優しい方です。例えば反マーガレット・サッチャーのエルヴィス・コステロは「Tramp The Dirt Down」でダイレクトに批判しています。さらにザ・ビート (ザ・イングリッシュ・ビート)は、その名もズバリ「Stand Down Margaret」(辞めろマーガレット)なんて曲を出したりかなりストレートです。
こういうのを狭義の、というか普通に一般の人が思うところのポリティカルソングというんだと思います。
なので、全ての音楽がポリティカルかと言われればその可能性はあるけど、狭い共同体の範囲内ではちょっと誇張しすぎかもね、というのが僕の考え。
そういうわけで、ラブソングなんかは一般的にはポリティカルなものとは思われてないわけですね。
例としては、ジョン・レノンが政治活動に没頭していた頃に、ポール・マッカートニーが書いていたラブソングを馬鹿にしたことがあります。ジョンにとってはラブソングなどしょうもないもので、ポリティカルでも何でもないと捉えていたということです。で、ここからが面白いんですが、ポールはジョンへの返答としてそれで何が悪いんだ?とばかりに「Silly Love Song」という稀代の大名曲で返答します。このポールの大喜利の解答には座布団100枚あげて良いと思う。山田くーん!
もう一つのアジェンダとして、ポップミュージックは反体制的であるべき、という話、これには首を傾げます。そもそも体制はコロコロ変わるものです。特に実質的に二大政党制のアメリカでは、共和党と民主党で政権がコロコロ変わる。カントリーミュージックの殆どが右寄りで、ロックが左寄りと言われ、それはその通りかもしれませんが、体制寄りかどうかは時によって変わります。今のオバマ政権は民主党ですが、ロックミュージシャンの殆どがオバマを支持しています。これは体制側じゃないのか?と。逆にカントリー界は反体制になります。
ポップミュージックからもっと幅を狭めて、ロックは反体制でなくてはならない、という話については、前にも書きましたが、そもそも「ロック=反体制であるべき」という構図自体が音楽界での体制派になってしまっています。この構図に「ロックだから」という理由で何も考えず乗る奴は果たしてロック的と言えるのだろうか?
そして、反体制的かどうかは、先ほどと同じように、これも視点により異なるはずです。
例えばまたビートルズを例に出しますが、ジョン・レノンの「Happy Christmas (War is Over)」が単なるクリスマスソングでないことは明らかで、ベトナム戦争への反戦歌であることは明白な事実です。時の米ニクソン政権はベトナム戦争を主導していました。そういう意味で言うと反体制的な歌ではあるわけです。
だけど、クリスマスというのはイエス・キリストの誕生日を祝う日なんですね。アメリカは基本的にプロテスタントの国であって、右の共和党も左の民主党も同じプロテスタントであることには変わりないわけです。つまり視点を変えるとクリスマスを祝うこと自体は体制的なスタンスであるとも言えるわけです。
ジョンはかつて「キリストよりもビートルズの方が有名かもね (アハハ、なんちゃって)」と口を滑らせ大炎上したという過去もあり、この辺は慎重だったのかもしれません。
この曲から4年後にセックス・ピストルズが「I Am A Anti Christ (オレは反キリストだぜぇ!)」という歌いだしで始まる曲「Anarchy In The U.K.」をリリースします。これは本当に反体制的に聴こえます。
さらにヘタウマなボーカル、ヘタクソな演奏、あまりにも単純な曲、既存の音楽スタイル(=体制的)の概念を打ち破った(=反体制的)曲に聴こえます。ザ・パンクと言えばこの曲、というのは納得です。
が、しかしそれはあくまでも西洋文化圏に身を置いた人が感じる反体制であって、本当に反体制かというと、これも視点に左右されます。
どういうことかというと、
- グローバルスタンダードな言語である英語を用いた歌詞
- ドラム、ベース、ギター、ボーカルという旧態依然としたバンド編成
- 西洋文化圏ではあまりにもポピュラーかつスタンダードな十二平均律を使用した普遍的なメロディ構成
なんて書かれてしまうと、セックス・ピストルズの音楽って意外と保守的だなぁと思いませんか?
僕にはビートルズの「レボリューション9」とかジョンとヨーコの「Two Virgins」みたいな前衛音楽の方がよっぽどパンクに聴こえます。別にこれらの曲が好きというわけじゃないですよ。はっきり言ってよく分かりません。普通に「Anarchy In The U.K.」の方が好きですよ。だけど所詮、ポップミュージックとして逸脱しない範囲で攻めて、ポピュラリティーを確保した曲、という曲なのです。
もう一つ、アイアン・メイデンという老舗ヘビーメタルバンドがあります。彼らの「Aces High」という曲をライブで演奏する前に、チャーチルのスピーチが流れます。チャーチルはもちろんウィンストン・チャーチルで、英保守党で第二次大戦中に総理大臣だった政治家です。日本でいうと東条英機みたいなものです。ま、見た目からして吉田茂でも良いんですけど。この曲がリリースされたのは80年代。保守党のマーガレット・サッチャーが首相だった頃です。どっちかというと体制寄りのスタンスに感じます。
ライブの前に総理大臣のスピーチを流すなんてのは日本だとまずありえません。そもそもヘビーメタルバンドというのは様式を重視するのでスタンスとして保守的であるとも言えます。ロックだからと言っても、必ずしも反体制的であるとは言えないわけです。
ちなみに様式美メタルの礎となったバンド、レインボーの代表曲が「Kill The King」というのは何とも皮肉な話で、まさかレインボーが打倒アンシャンレジームだとは思いもよりませんでした。
おしまい。