俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

ビーイングのトラウマ

中学3年生の頃、チャゲアスの「SAY YES」のビッグヒットがあり、世間は一大チャゲアスブームとなった。そんな僕も、今ではまったく聴かないけれどこの頃チャゲアスを聴いていたし、「SUPER BEST II」を新譜で買っていたのである(数年後には売ってしまったが・・・)。このビッグヒットのせいなのかどうなのかは分からないが、1980年代後半から続いていたバンドブームは終わりつつあり、1991年後半から、分かりやすく今でいうJ-POPのティピカルな音楽が増え、ヒットチャートの主流になりつつあった。J-POPと書いてしまったが、実はこの頃にJ-POPというワードが増えた気がする。それまでJ-POPという言葉はなかったと思う。

※だからJ-POP以前のミュージシャンをJ-POPで括るのはどうかと思っている。

 

その頃の僕にとって象徴的な曲が、米米CLUBの「君がいるだけで」で、あんなにセメテセメテ(ヤメテヤメテ)的な米米CLUBが、なんか普通の曲出してしまったなと思って失望していた。今になって思うと皮肉な話だけど、バンドブームが終わりつつあった頃にリリースされたのがJUN SKY WALKER(S)の「START」で、僕はこの曲が好きでよく聴いていたんだけど、タイトルとは裏腹に、当時こういうサウンドは終焉しつつあったのだった。

 

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そんな世の中だったから、僕は当時からすると若干古いもの、数年前のものばかりを聴いていた。BOOWYを頂点として、その流れでメンバーのソロや別プロジェクトやら関連する人物のソロアルバムやらを網羅するので手一杯だった。で、それも一段落ついて、またもや聴くものが無くなりつつあった。

 

そんななか、友達に勧められて借りたのがZARDの「HOLD ME」。全体的に悪くはないけど均質で突出したものは無いなぁと思いながら、何度か聴いていたらまあそれなりに気に入ったアルバム。だが、今となっては「眠れない夜を抱いて」以外、全く記憶に無い。これは完全にその時だけ聴いていたアルバム。ダビングしたカセットテープもやがて別のバンドで上書きしてしまった。

 

で、今回書きたいネタが、ビーイング系のお話。ビーイング系はこの頃のトラウマがあって苦手なのである。

 

ZARDはまあまあだったものの、やっぱり好きかと言われれば全然そんなことはなく、やっぱりBOOWY的な音を出すバンドを探していた頃に見つけたのが、ビジュアルがソックリだったT-BOLANだったのだ。このビジュアルで気に入らない訳ないじゃん!と意気揚々とTSUTAYAで1枚アルバムを借りてきて、歌詞カードと照らし合わせながら1曲目から熱心に聴いてみたんだが・・・後半に差し掛かるくらいで、「今のところ俺の中でのヒットないけど大丈夫?」と不安感が芽生えてきた。その不安は最後まで払拭されず、当時、絶対にカセットテープにダビングしてから返却していたのに、このアルバムは絶対に2回聴かない自信があったので、そのまま返した。今考えるとこのアルバムが何だったのかを知りたいけど、何だったのか全く記憶に無い。1992年だったのは確かなので2枚あるうちのどちらかだ。

でも世間的には売れ出していた頃だったので、何かの間違いかも、と思って、もう1枚、違うアルバムを借りてきて聴いたのだが、一緒だった。WANDSも売れ出して来ていて、シングルかなんか聴いたんだけど、これもまあそんなでもなく・・・。

 

BOOWYって初期の頃とメジャーになってからだと結構音楽性が変わっていて、初期はメロディ重視だけど音の悪いガレージパンク〜デジタル風のニューウェーブ的なサウンドで、そこからメジャーになるに連れて試行錯誤してるのが順番に聴いてたら分かるし、そういう分析をするのも楽しかったんだけど、T-BOLANはなんだか最初から売れそうなポイントのエッセンスをすくい上げてそこだけ薄めたみたいな感じ。後になって、それこそがビーイングだと知るんだけど、アルバム一枚聴いて、作為的だな、と思ったのですね。彼らのビジュアルが過剰にハードルを上げていたってのももちろんあるんだけど、それでも曲が良ければ良かったんだけど、やっぱり作為的ってのが鼻についてしまった。

 

この件が自分にとって、かなりのターニングポイントになった。

 

国内のBOOWYフォロワー(擬似含む)はBOOWYを超えることは不可能 ->
BOOWYの幻想は元BOOWYのメンバーにのみ求めるべきであって(それも裏切られるが)、BOOWY的なものを別のモノに探しても無駄 ->
国内ヒットチャートは作為的なビーイング系に席巻されていてヒットチャートを追っても無意味 ->
だったら過去のバンドの名作を聴けばいいじゃん ->
じゃあ、中3の頃に少しだけかじったビートルズを聴こう(ここから古い洋楽にしか興味のない状態になっていく)

 

というわけで、ここからヒットチャートからは一歩引いたスタンスになったわけですね。ここから数年間は、邦楽のバンドでさえほとんど聴かない時期がありました。The Boom、クラス、ミスチルスピッツシャ乱Qウルフルズやらなんやら・・・ヒット曲は当然耳にしていたけど自分から聴こうとはしなかった時期。ここから脱出したキッカケが奥田民生の「股旅」とUAの「情熱」とポリドール移籍後の後期ブランキー・ジェット・シティ。特に「ロメオ」の衝撃は凄かった。あ、でも1993年ごろは「スイート・ソウル・レビュー」で、ピチカート・ファイブが凄いと思って少し聴いた時期はあったけど、基本的には洋楽だらけ。

 

ビートルズエルヴィス・コステロデヴィッド・ボウイツェッペリン、パープル、サバス、クイーン、クラプトン、ピストルズMR.BIG、オアシス、オフスプリングレニー・クラヴィッツスティーヴィー・サラスEW&Fスティーヴィー・ワンダーヴァン・ヘイレン、それと数多のハードロックバンド。

渋谷系が流行った頃もスルーしてたのでピチカート以外はほぼ後追い。今思えば、渋谷系的なカーディガンズベン・フォールズ・ファイブ、ジャミロクワイは聴いていたけど、渋谷系がイマイチなんだか分かってなかった。

 

この頃のおかげで古い洋モノをいろいろ聴けたというのもあるけど、同時に同世代の人が聴くようなものを聴いてなかったので、カラオケに行ってもたまにポカーンとしていることがあったりする。特に1993年頃~1996年頃は驚くほど疎い。山根康広とか名前だけ知ってて曲は全く知らない。聴いても全然分からなかった。この前カラオケで友達が桑田佳祐の「祭りのあと」を歌っていて、僕はこれを後追いでベスト盤で聴いて知ったから全然メジャーじゃないと思ってたんだけど、同じ年の人がみんな一緒に歌ってたから「あ、これ有名だったのか!」とかそんな感じ。


ちなみにインターネット時代になってから知ったことだけど、BOOWYの「MORAL+3」という「MORAL」に強引に未発表を付けて売っていたアルバムがありました。「LET'S THINK」だけどう考えても「INSTANT LOVE」のサウンドなので合わないだろ~と思いましたが、それとセットになっているMORALのアウトテイクと思われる曲が「DAKARA」と「OUT」で、「OUT」は氷室が昔所属していた事務所の人間を強烈に皮肉った歌詞だったので、これって誰のことなんだろう?と思っていたら、実はビーイングの人だったという話があります。

 

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氷室はBOOWY結成前、「スピニッヂ・パワー」というバンドで辛酸をなめて絶望し、故郷に帰ろうと思っていた頃に日比谷の野音RCサクセションのライブを見て決起し、同郷の布袋に電話する、みたいな話は知ってましたが、「スピニッヂ・パワー」がビーイングだったのはインターネット時代に知りました。

 

なんか因縁めいたものを感じますね。