俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

ファンクとか大滝詠一とかユニコーンとか

NHKの「The Covers」という番組で再始動したウルフルズが出ていて、大滝詠一のカバーの「びんぼう ’94」を演奏していました。
 
このアレンジはなかなかのハード・ファンクで、スティーヴィー・サラスとアイズレーが大好物な僕としてはかなり自分好みだったりするのですが、元ネタとして思い浮かんだのはジミ・ヘンドリックスの「Freedom」。ググって見たけど、これに言及しているのは見つけられませんでした。
 
 
ハード・ファンクと言えば最近のお気に入りは山下達郎の「Bomber」。ベースラインが良いですよね。良いですけどもっとクリアな音で聴きたい気もする。
 
 
このベースラインで思い出したのがBOOWYのハード・ファンクな「Let’s Think」。サウンドはちょっとパワー・ステーション的な感じで、ベースのスラッピングがイカしてます。実は「Case Of BOOWY」でも演奏されていて(しかも当時はレコード化されていない未発表)、そちらは布袋のギターカッティングが神レベルです。この曲はBOOWYの中でも5本の指に入るくらい好きな曲ですが、一般的な認知度はそんなにないかもしれない。松井常松は単音弾きだけやってたんじゃないんだぞ、というのがよく分かる作品です。
 
 
もうひとつファンクといえば大滝詠一(というかナイアガラ・トライアングル)の「ナイアガラ音頭」の「Dance To The Niagara Music」のくだりがめっぽうファンキーで、音頭とファンクは親和性が高いんだなーと思った次第です。
 
音頭といえば最近のヘビロテが同じく大滝詠一の「ナイアガラ・カレンダー」に入っている(最近こればかり聴いている)「クリスマス音頭」。和洋折衷なこの曲ですが、後半は転調に次ぐ転調でどんどんキーが上がっていきます。
 
さて転調に次ぐ転調と言えば、我々の世代だとユニコーンの「人生は上々だ」を思い出さずにはいられません(僕のカラオケの十八番です)。スコアってどうなっているのかな?と思って「服部」のスコアを見たら「そののち、キーが上がっていく」とだけ書かれていました。
 
 
再結成前のユニコーンは周りでは評価はマチマチだったと記憶してます。コミック・ソング的な曲も多数あり(大滝詠一的に言うとノベルティソング?)、ふざけた曲が嫌いな人はあまり好きでなかったと思います。ヤンキー文化に絡めて言うと、ヤンキーでユニコーンが好きな人は多分いなかったんじゃないかな。僕の知り合いが「ユニコーンは好きな人が多かったから俺は嫌いだった」と言っていたけど、そんなに好きな人がいたとは思えない(その前に「みんな聴いているから嫌い」ってのはどうかと思うけど)。
 
で、70年代の大滝詠一も音楽性があまりにも幅広かったり、ノベルティソングが多かったりと受け付けないという人もいたというのをどこかで読んだことがあり、ユニコーンと少し似ていなくもない。どっちも転調に次ぐ転調の曲を作っているのもあり、なんとなく両者の関連性を書いてみたという次第であります。
 
でもあんまりユニコーン大滝詠一に言及しているのを聞いたことがないなあと思っていたら、ユニコーンのプロデューサー?ディレクター?でお馴染みのマイケル鼻血さん(SPRINGMANではドラムを叩いている)は、大滝詠一のディレクターをやっていたとか。なるほどなるほど。