俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

桑田佳祐

僕がサザンオールスターズをはじめて認識したのは、「みんなのうた」である。NHKみんなのうたで流れるのかと思ったら全然違った。ただそういうタイトルの曲だったのである。この曲は未だにお気に入りでカラオケでもよく歌う。

 
あの頃の音楽番組で、それが夜ヒットだったのかベストテンだったのか、はたまた違う番組だったのかは記憶にないが、久しぶりにテレビに出てきたサザンオールスターズが新曲「みんなのうた」を引っさげて、桑田佳祐が地面に寝っ転がって歌っていた映像が焼き付いている。
 
あの頃は1988年、昭和最後の年で、自分は小6だった。季節は夏。
 
実家の庭にはどういうわけか、夏のあいだ、ずっとテントが貼っていて、よくそこで家庭内キャンプ(いわゆるいわゆらないドメスティックキャンプ)を行っていた。
 
たしか、その桑田佳祐が寝転がって歌っていた映像を見た後に、そのテントで寝たはずで、「みんなのうた」と家庭内キャンプが脳内リンケージしているのである。
 
サザンオールスターズは1985年に「KAMAKURA」をリリースした後、活動を休止した。復活したのは1988年だから3年間活動停止していた。その活動休止期間中に桑田佳祐が組んでいたバンドが「KUWATA BAND」であり、僕がはじめて桑田佳祐を知ったのはサザンではなくて、このKUWATA BANDなのである。
 
このKUWATA BANDの1枚目のシングル「BAN BAN BAN」がとっても好きで、よく鼻歌を歌っていた。サビが英語なので鼻歌でしか歌えなかったが。
 
ゴダイゴの「ガンダーラ」が何故か中学生の頃にブームだったが(西遊記の再放送が流れていたからかも)、サビの「ガンダーラガンダーラ」の後がフニャフニャで歌えず、フニャコフニャオ先生になるのと同じ構図である。
 
「BAN BAN BAN」は相当好きだったのに、「スキップ・ビート」以後のシングルはリアルタイムでは全く聴いていなくて数年前まで知らなかった。
 
数年前に、一つ前の会社を辞める時に、先輩社員のデスクにあった「フロム イエスタデイ」を拝借して、桑田ソロちゃんと聴いてみよう、と思って聴いたのが初である。
 
「スキップ・ビート」は作曲家桑田佳祐の最高傑作じゃないかと思うくらい完璧な曲で、なんで今の今までこの曲を知らなかったんだ?とショックを受けた。
 
ちなみにsuperflyが「スキップ・ビート」をカバーしているのだが、あのカバーはサビで「スキップ・ビート」と発音しているのでデタラメである。あれは「スケベ」と発音するものである。女子だからといって容赦はしない。
 
サザンと桑田佳祐があまりにもメジャー過ぎる存在なので、特にきちんと聴こうと思ってなかったのだが、きちんと聴かなきゃダメだなと思い、全てのアルバムのリマスター盤も買ってしまったのである。
 
という訳で、サザン及び桑田佳祐のファンではあるのだが、近頃発表されたサザンの復活シングル「ピースとハイライト」だが、まあ、僕はソロの方が好きかなーと・・・いう感じである。
 
この曲は隣国との関係を表現した歌詞の内容が巷であれこれ言われているようだが、歌詞の内容そのものよりも「隠喩のない直接的過ぎる表現」とか「良く言えば桑田節、悪く言えば手癖のようなメロディ」という点の方が気になり、復活シングルだというのにイマイチ乗れていないというのが現状である。
 
でも、まあメロディに関しては、活動休止前のサザンのシングルもこんな感じだったとは思うけど。僕はソロが好きみたい。