ジャニー喜多川氏が死去したということで・・・。
ただ、ジャニー喜多川って、我々一般人は伝聞でしか知らないというか、バラエティで語られる「You 〇〇しちゃいなよ」というフレーズでしか知らない人、というイメージ。顔も最近になって知ったくらい。亡くなってからテレビでも写真が出るようになったけど、それまで出たことほとんどないんじゃないでしょうかね。
その「You~」のセリフもSMAPとかKinKi Kidsのようにジャニーズのタレントがトーク番組に出るようになった90年代後半くらいから知ったので、子供の頃はジャニー喜多川という存在はまったく知らなかった。だけど、物心ついた時からジャニーズのタレントはたくさん見てきたわけです。
自分がジャニー喜多川という存在を知る前のジャニーズってどんなだったかな?と思って遡ってみました。
で、リアルタイムで知っていた or 口ずさんでいたのは、こんな感じ(時系列)。
近藤真彦/ギンギラギンにさりげなく(1981年9月30日)
シブがき隊/NAI・NAI16(1982年5月5日)
シブがき隊/100%…SOかもね!(1982年7月21日)
少年隊/仮面舞踏会(1985年12月12日)
シブがき隊/トラ!トラ!トラ!(1986年1月22日)
シブがき隊/スシ食いねェ!(1986年2月1日)
近藤真彦/愚か者(1987年1月1日)
少年隊/君だけに(1987年6月24日)
光GENJI/STAR LIGHT(1987年8月19日)
光GENJI/ガラスの十代(1987年11月25日)
光GENJI/パラダイス銀河(1988年3月9日)
田原俊彦/抱きしめてTONIGHT(1988年4月21日)
男闘呼組/TIME ZONE(1989年2月28日)
田原俊彦/ごめんよ涙(1989年4月19日)
お祭り忍者/忍者(1990年8月22日)
初めてジャニーズ所属タレントの曲を聴いたのは何の曲だったのか、調べてみました。
すると近藤真彦、マッチですね。
トシちゃんは「哀愁でいと」「ハッとして!Good」が1980年ですが、これはだいぶ後に知った曲でリアルタイムでは知らない。1981年の「ギンギラギンにさりげなく」は完全に覚えていますね。
これ、作曲が筒美京平なんですね。1981年発売なので、5歳くらいの頃。幼稚園の年少(この頃、年中はなかったはず)。沢田研二の「TOKIO」(1980年発売)はリアルタイムで好きだったので、多分これもリアルタイムで聴いていたのでしょう。でも「TOKIO」知ってるなら「哀愁でいと」も知ってそうだけど、幼稚園児の自分には刺さらなかったのかな?
その次が、シブがき隊の「NAI・NAI16」と「100%…SOかもね!」で、これが1982年。6歳。年長の頃。これもかなり覚えてます。この頃はシブがき隊がかなり好きだったはず。
この後、たのきんトリオ、シブがき隊を凌ぐ勢いのアイドルグループが出てきまして、これがチェッカーズ。
この頃のチェッカーズの勢いはものすごかった。自作曲路線になる少し前から勢いに陰りは出たものの、1年半くらいはチェッカーズの天下でした。そのせいでシブがき隊は霞んでしまった感があります。
そんな中なんとかヒットを飛ばしていたのがマッチ。「ケジメなさい」はよく口ずさんでました。ただ、マッチも当時すでに旬のアイドルって感じではなかった気がします。フミヤはマッチより2歳年上なんですが、どういうわけかマッチはもう一昔前のアイドルで、旬は藤井フミヤ、みたいな感じでした。
小学校3年の頃になってヒットしていたのが、「仮面舞踏会」と「スシ食いねェ!」。自分の中では時系列的に逆のイメージでしたが、「仮面舞踏会」の方が先でしたか。「トラ・トラ・トラ」という曲もシブがき隊にあって、当時好きだった記憶があるのですが、今聴くと全く記憶にない。でも当時好きだったはずなんだけど・・・。
この頃、ジャニーズ事務所というものを知っていたかどうかは微妙ですが、少年隊の登場で、「〇〇隊」と付くのは、同じ系列なんだろうな、とは思ってました。「少女隊」は別だけど。
小5の頃は、マッチの「愚か者」がヒットしてました。あと少年隊の「君だけに」。これは軟弱で嫌いだったけど曲はよく知ってます。小5の頃からこういうど直球なラブソングが苦手だったんだなと、改めて思います。
マッチの対抗馬と言えば、トシちゃんでしたが、当時どっちが人気あったんでしょうね。トシちゃんは人気があったけど、曲は知らないなーというイメージ。トシちゃんが一番輝いていたのが「教師びんびん物語」の頃ですかね。ここでようやくリアルタイムで知っているヒット曲「抱きしめてTONIGHT」が出てきました。
(それにしても筒美京平率が高い)
で、「ヨッちゃんっていうのもいるんだよ」と年上の人に言われたんですが、見たことがなかった。
たのきんトリオは、もはや田原・近藤しか知らない世代で、野村義男はずっと後に浜崎あゆみのバックバンドでちゃんと見た、みたいな感じ。
さて、小5の後半になると、スーパー大ブームになるグループが登場します。それが光GENJI。たのきんもシブがき隊も少年隊も、正直大ブームとは言い難かった。チェッカーズ、おニャン子クラブに比べると小粒でした。ただ、光GENJIはスケールが違った。瞬間的に大ブームになり、一瞬で弾けた。ある意味、バブルなグループだったと言えます。時代もバブル崩壊の直前なので、日本のその後を予言していたのか・・・。その後のジャニーズのグループ、SMAPや嵐の売れ方とも違う、一瞬で頂点に行って、一瞬で散った、そんなグループでした。なんせ、ブームから1年後には「まだ光GENJI好きなの?」と言われていたくらいです。例えが正しいか分からないけど、「妖怪ウォッチ」みたいな?
光GENJI大ブレイク後、TOKIOのプロトタイプみたいな男闘呼組が出てきますが、スマッシュヒットしたものの後が続かず、忍者という我々の世代だとネタにされてしまいがちな謎のグループもあり、光GENJI後はジャニーズは割と冬の時代。
この後くらいから僕は巷のバンドブームに夢中になり、ほとんど興味を示さなくなります。