俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

ロニー・ジェイムズ・ディオ前史を辿るの巻

ついこの間の草野マサムネのロック大陸漫遊記はまさかのロニー・ジェイムズ・ディオの特集でちょっとビックリ。

 

さらにビックリしたのは、普通のロニー・ジェイムズ・ディオ特集って言ったら、レインボーから始まってディオ(バンド)で終わるくらいの感じか、ぎりぎりエルフを入れる感じだと思うんですが、なんとロニー・ディオ・アンド・ザ・プロフェッツを入れるという大胆な構成。

 

割と最近ですが、山下達郎のサンデー・ソングブックリッチー・ブラックモア・オーケストラの「Little Brown Jug」をオンエアしてましたが、なかなかの驚きでしたね。ロニー・ディオ・アンド・ザ・プロフェッツって今まで日本のラジオ局でオンエアされたことあるんでしょうかね。初めてだったりして。Power Rock Today やら HMシンジケート でもオンエアされたことないのではないか(よく知らないが)。

 

リッチー・ブラックモアのディープ・パープル以前の歴史は、Rock Profile というCDで辿ることができて、ロード・サッチのバンドとかジ・アウトローズ(大滝詠一お気に入りのジョー・ミーク関連のバンドらしい)の音源は簡単に聴くことができます。このCD自体は僕が高校生くらいの頃から売ってました。

 

Rock Profile 1

Rock Profile 1

 
Rock Profile 2

Rock Profile 2

 

 

一方、ロニー・ジェイムズ・ディオの昔の音源なんてリリースされてないんだろうなと思ったら意外とCD化されていたようです。

 

Ronnie Dio & the Prophets: the Early Years

Ronnie Dio & the Prophets: the Early Years

 

 

ロニー・ジェイムズ・ディオって人は、レインボー以後のイメージがあまりにも強いので、まるで前史がなかったかのような印象を受けてしまうんですよね。

 

でも、ツェッペリン以前にハードロックはないし、レインボー以前に様式美ヘビーメタルはないわけで、その様式美ヘビーメタルを作ったロニー・ジェイムズ・ディオリッチー・ブラックモアの前にも様式美ヘビーメタルなどないわけです。

 

よくディープ・パープルが様式美の元祖、と言われてしまうけども、これはミスリードだと思いますよ。初期パープルは、60年代サイケの流れを汲むアート・ロックだし、ハードロックに舵を切ってからもフリーフォーム主体のジャムバンドで、様式美とは程遠いバンドでした。

 

では、なぜ様式美の元祖と言われてしまうかというと、1972年の「Highway Star」と1974年の「Burn」、おそらくこの2曲のイメージが強いのではないでしょうか。これらの曲のライブバージョンを聴けば分かるけど、フリーフォームな部分は、ギター/キーボードのクラシカルな決めフレーズの前のアドリブの箇所のみで、その他はほぼ同じで、大体演奏時間も同じなのです。これ以前の「Speed King」は演奏時間が日に依って変わるくらい、テンションに依存した演奏になっています。この「Highway Star」と「Burn」をより、ハードにして様式美にしたのがレインボーというバンドだと思うのです。まぁ、レインボーも様式美じゃない曲もありますが、構成比率がパープルに比べると高くなります。

 

で、ロニー・ジェイムズ・ディオはパープルがメジャーになってビッグになった頃に、エルフというバンドを組んでいたわけですが、このバンドはかなり昔からCD化されていて、そこそこ有名な感じですよね。ただ、エルフが好きだった、という人はあまりいない気がしますね。

 

エルフは割と泥臭いブルースとカントリーの色濃いアメリカン・ロックで・・・なんとなくですが70年代以降のローリング・ストーンズのような路線を目指してたんでしょうかね?スワンプな雰囲気もありますし、「Jumpin’ Jack Flash」みたいなリフの曲もありますし。または、ストーンズよりはバッド・カンパニー的かもしれません。ボーカルのせいでハードロックよりではありますが。ただ、全体的に曲にパンチがない感じがして、代表曲もないので個人的にはほとんど響かないのがエルフ。 

 

www.youtube.com

 

1974年のエルフのライブ映像。泥臭い音像です。

 

www.youtube.com

 

で、このエルフを、当時ディープ・パープル内部で「黒い羊」だったリッチー・ブラックモアがイジケてロニーと「Black Sheep Of The Family」を演奏したいとかなんとか口車に乗せて、まんまとエルフを乗っ取って(?)レインボーを作るわけです。

 

ちなみにディオは、レインボー結成時はブラックモアは既にディープ・パープルで成功していた大スターで、自分はペーペーだった、と述べていますが、実はディオの方が年齢は上。ディオは1942年生まれで、リッチーは1945年なので3歳も年上。

 

そのエルフの前身バンドのことがほとんど語られることがないのですが、その前身がエルブズというなぜか複数形のバンドで、これは60年代後半あたりに存在していたようです。

 

(2023.2.15 追記)

もともとメンバー全員が身長低かったようで、それで妖精の集まり=エルブスになった模様。

この頃のメインソングライターはダグ・セアラーで、バンド名をつけたのもこの人。

ダグはキーボーディストでギターも弾いていたが、音楽性の違い(ダグはビージーズみたいな音楽が好きだったとのこと)で、エルフに名前変更したあとに喧嘩別れして脱退。バンド自体はハード路線に舵を切る。ロニーはこの頃ディープ・パープルに夢中だったそうな。

メインソングライターを追い出してしまったので、残りのメンバーで曲を書くようになった、とのこと。

ちなみにダグ・セアラーは後にモトリー・クルーのマネージャーになっている。(ビージーズ好きだったのに・・・)

 

www.discogs.com

 

www.youtube.com

 

www.discogs.com

 

www.youtube.com

 

これがまたエルフとは全然違う音楽性で、いかにも60年代後期的な、サイケデリックというか、ウエスト・コーストというか。ロニー自体はイーストコースト出身ですけど。

 

さらにその前身がエレクトリック・エルヴズという名前のバンドで時代的には1967年ごろに存在していたようです。

 

(2023.2.15 追記)

エルブスの前がエレクトリック・エルヴズ。しかし、バンド名にエレクトリックが付くバンドが当時多かった(ELO等)ので外したとのこと。

ちなみにB面のクレジットがパダヴォナになっているが、これはディオの本名。

 

www.discogs.com

 

www.youtube.com

 

音像的にはサイケデリック全盛期なので、その波にノリまくったという感じですね。最近発売されたディオのムックによれば「ビートルズに影響を受けた」とありましたが、この激しいコードストロークとバタバタしたドラムは、ザ・フーに近いかなと。「Substitute」っぽい雰囲気もありますね。というか「Substitute」の翌年だし、絶対そうだな。(いつも思うのですがメタル畑の人がポップな曲を聴いて「ビートルズのようだ」と表現するのはあまりにも引き出しが少なすぎると思うのです)

 

(2023.2.16 追記)

とんでもない動画が。曲はエレクトリック・エルヴズのものですが、動画自体はロニー・ディオ・アンド・ザ・プロフェッツのライブ映像。動画自体は1967年のものらしい。エレクトリック・エルヴズに変わるのが1967年なので、プロフェッツ最末期の映像なんだろうか。ディオはベースを弾きながら歌っている。

 

www.youtube.com

 

外での演奏ってのが1967年ぽい。「I Am The Walrus」を思い出した。

 

www.youtube.com

 

さらに、その前がようやくロニー・ディオ・アンド・ザ・プロフェッツとなるわけです。

www.youtube.com

 

で、このグループはなんとアルバムをリリースしています。リリース年は1963年なので、ビートルズの「Please Please Me」と同じ年ですね。ビートルズのブレイク前なので、当然ながらやはりビートルズ以前のドゥ・ワップ的なサウンドスタイルがメインで、そこにスタンダード・ナンバーがポツポツとあるといった構成。トニー・ベネットの「思い出のサンフランシスコ」なんかは、同じイタロ・アメリカン人のロニーならではの選曲というか。

 

ロック志向と言えども、スタンダード・ナンバーを散りばめるってのは、初期ビートルズにもあった傾向で、これはどちらかというとポールの案らしく、ジョン・レノンは嫌がっていたようですが、「蜜の味」とか「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」を収録してたりしてましたね。

 

このアルバムにはオリジナルのロックナンバーもありますが、演奏はそれなりに上手いし、ロニーなので歌も抜群に上手いのですが、やはり前時代的というか、革命的なアルバムに成り得るかというとそんな感じはしない。

 

一方、「Please Please Me」と聴き比べてみると、やはりビートルズに軍配があがるかなと。「I Saw Her Standing There」というただの3コードでは終わらない名曲を頭にガツンと持ってきたところにビートルズの凄みがある気がする。「Please Please Me」から「I Saw Her Standing There」「Please Please Me」「Love Me Do」「Twist & Shout」、これらを抜いてしまうと、音像的には前時代的な雰囲気になる感じです。やっぱりパンチある曲が4曲もある時点で、時代を作って然るべきなのかなという気がします。

 

改めて書きますが、でも歌はやはりロニー・ジェイムズ・ディオで、抜群に上手い。この朗々とした歌いっぷりはやっぱりイタロ・アメリカンならではなのかなと。深いビブラートなんかはカンツォーネから来ているんですかね・・・。「メタル・ゴッドは実はカンツォーネから生まれた」ということなんでしょうか。

 

更にこの前身にロニー・ディオ・アンド・レッドキャップスというのがあります。キャリアの最初期なのでほぼ素人みたいなもの。ビートルズで言うとクオリーメン。時代的にもだいたいクオリーメンと同時期です。

 

www.youtube.com

 

最初のシングルはインストと謎の「ラバー〜ラバババ」というコーラスが入った、なんと形容して良いのかわからないおとぼけソング。この曲、ロニーは歌ってないそうです。2番めのシングルからロニーとのこと。「An Angel Is Missing」というポップバラードと、レイ・チャールズの「What'd I Say」のカバー。当時のジャンルの垣根が曖昧だったとはいえ、R&Bのど真ん中をロニーが歌うというのは不思議な感じです。

 

メタルゴッドの最初期のレコードがこれですよ。これが、後に「Kill The King」になるわけですから、人生ってわからないものですね。

 

「おとぼけソング」でのデビューから20年後の勇姿がこれ。

 

www.youtube.com

 

リッチー・ブラックモアABBAの「ダンシング・クイーン」を聴いて「レインボーも売れる曲をやりたい!もっと売れたいんや!」と言い出してしまい、それに反発してロニーはレインボーを脱退してしまうわけですが、ディオはそれまでのキャリアで散々時流に乗って来たわけです。60年代初期はドゥ・ワップ風のオールドスタイルなロック、中期はサイケデリック、後期から70年代にかけては泥臭いブルース・ロックとその時々の流行りを取り入れても鳴かず飛ばず、そしてようやくスターダムにのし上がったのがヘヴィ・メタルというジャンルだったのです。ポップな曲が云々というよりは「もう時流に乗ってジタバタしたくない」って思いがあったような気もします。

 

以上、ロニー・ジェイムズ・ディオ没後10年を記念して、エルフ以前のことを書いてみました。